ブラウンからブラウンへ?(公民権運動のおさらい)

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 上の写真にもある通り、ミズーリセントルイスファーガソンで起こった白人警官による黒人少年射殺事件をめぐり、再び暴動が起きている。ちょうどロースクールの講義でブラウン事件についての話をする日に大陪審の決定が出て、結果、警官不起訴→暴動再燃となったのだった(今ココ)。

 twitterでこのコトについて触れたところ、驚くほど一連のtweetsがRTされたりふぁぼられてたりしたんで、来年以降の講義でも、これに関することは触れるから、視覚資料置き場も兼ね、以下、少し整理した上でtweetsの再掲プラスアルファを置いておく。なお、今般の暴動に至るまでの経緯については、とりあえず以下を参照。

 

●アメリカ・ミズーリ州黒人青年射殺事件 拡大する暴動とこれまでの経緯

http://matome.naver.jp/odai/2140849272340847901


 今回の射殺された黒人少年は、マイケル・ブラウンという名前なんだけど、奇しくも、今を遡ること60年近く前の公民権運動の金字塔たる「ブラウン事件」の原告と同じ名前。

 ブラウン事件については、毎年、講義の中でアメリカにおける社会的イシューが司法回路にアピールする傾向が日本とは比べものにならないくらい強い(激しい)という文脈で、「公共訴訟」の典型例として紹介するんだけど、この点については講義中に言及する通り、以下の文献を参照されたい。コレ名著。 

現代型訴訟の日米比較

現代型訴訟の日米比較

 

  大沢先生の本では、『アメリカの政治と憲法』(芦書房、1994年)も面白い。共和主義的憲法理論(解釈)について触れた日本語の本の嚆矢じゃないかな。

 本論に入る前に言っとくけど、とにかく黙って以下の本を読まれたし。コレもホントに名著だから。話はそれからだ。 

黒人差別とアメリカ公民権運動―名もなき人々の戦いの記録 (集英社新書)

黒人差別とアメリカ公民権運動―名もなき人々の戦いの記録 (集英社新書)

 

  講義ではNAACP(全米黒人地位向上協会)がリンチ禁止立法を諦めて法廷闘争のためにLDF(Legal Defense Fund)を作ったって話をさらっとしてるけど、リンチとかどんだけアレだったか、これ読めば分かる。酷い話ですよ・・・。以前、講義中にこれを薦めたところ、読んだ学生がやって来て「新書を読んで初めて泣きました」とか言ってたくらい。リトルロック事件の話とか後日譚も含め感動的。そういうコトの積み重ねの上で、今回、現在進行形の暴動なわけ。

 全然知らない人のために簡単に説明しとくと、アメリカは1954年にブラウン判決というのが出されるまでは、人種隔離政策(segregation)をやっていた。そんな中、このブラウンちゃん(当時8歳、下写真)が原告になって、人種別学制度は違憲だ!という裁判起こし、結果として連邦最高裁は彼女の主張を支持したわけ。

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 結果、人種統合教育が行われるようになり、これまで白人しか行けなかった学校に黒人の生徒が通うというような事態が生じることになった。

 そんな中、判決から3年後の57年に起こったのが、リトルロック事件。アーカンソー州リトルロックにあるセントラル・ハイスクールに、これまで白人オンリーの学校だったところ、ブラウン判決(人種統合教育しろや)を承け、黒人生徒が登校しようとしたら、当時の州知事があからさまな人種差別主義者で、州兵まで出して登校を妨害し、連邦政府を巻き込んだ大騒動になった。

 このことについては、ハンナ・アレントも「リトルロックについて考える」という文章を発表しているが、これは、2007年に筑摩書房から出た『責任と判断』という邦訳の中の収録されている。・・・のだが、念のため翻訳を見てみたら・・・なので、誰か親切な人がスキャンしてアップしてくれている下記の原文の参照をオススメする。「アーカンサス州」は無いよ・・・。

● Hannah Arendt, Reflections on Little Rock

 http://learningspaces.org/forgotten/little_rock1.pdf

 閑話休題

 その時に撮影されたアメリカ史上最も有名な写真のひとつが、コレ。Little Rock Nine とかで検索すると出て来る。人種別学を撤廃したアーカンソー州リトルロックの高校へ登校しようとする黒人学生への嫌がらせをしている場面。

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 サングラスをかけた中央の黒人女性がリトルロックナインの1人であるエリザベス・エックフォードで、彼女の左肩後ろで憎悪に満ちた表情で罵声を浴びせている白人女性がヘイゼル・ブライアン。

 ブライアンは、この写真のお蔭で長らく人種差別的憎悪のアイコンになってしまい、その後、けっこう苦しんだらしいのだが、実にこの40年後、エックフォードと涙して和解したらしい。下の写真は40年後の2人。

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 話を戻すと、下は連邦第101空挺師団(airborne)に守られながら登校する黒人生徒たち。さっき言ったように州知事が人種差別主義者で州兵出して黒人学生の登校を邪魔したから、アイゼンハワー大統領がブチ切れて連邦軍送っちゃったんだよね。

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 人種隔離政策を撤廃へと導いた金字塔がブラウン事件だったワケだけど、社会全体を覆う《意味秩序》を、こういう風に、或る日を境に一変させるような企てってのは、そう簡単に行くものでもなく、その結果、今回のミズーリ州の暴動に至るわけ。

 日本における違憲判決が、この60年近くで、法令違憲9件、適用違憲12件の計21件なのに比べるとアメリカの違憲審査制の活発さと言ったらアレなんだけど、そうせざるを得ない程の社会的断絶が巨大な規模で発生するので、それに対応せざるを得ないという面もあるのではないか、と(エアリプで、アメリカの地方政府とか企業のアレさ加減も、社会運動の強烈さの原因というのを見たが、それも大いにあると思う)。

 講義でも良く言うように、アメリカってのは、憲法に内在する公共的価値を、そういう大規模で深刻な不正義の状況が現出するたびに、法廷で争い、《再現前》させる、「公共性の劇場」を、劇団四季のキャッツみたいに、ずーーーっと連続公演でまわしてる国ってコト(日本は何だろうね。文楽とか?)。

 まあ、そうであるからして、日本の最高裁違憲判決なかなか出さなくてチキンだ!みたいな話は、いやいやブラウン事件とその(一種悲惨な)帰結みたいなのを見る限りでは、どっちがイイのかねえ、と思わされるのであった。

 昔、アメリカに行ってた友達がくれたお土産で、Constitutional Law for a Changing America っていう巨大な本(897頁・・・もはや凶器)があるんだけど、コレとか読むとアメリカの著名な憲法判例とかに関する社会的・政治的背景が詳しく分かって面白い。余りにも巨大なんで暇のある時におもしろ半分に読んでて通しで読んだことは無いが、日本でも、こういう本が出るとイイのにと思う。 

  日本語で書かれた日本の司法に関するもので、これに類するのは、以下。これはホントに面白いので、コレも黙って読まれたし。話はそれからだ。全逓東京中郵事件とか、何でああいう判決になったのとか、良く分かる。 

最高裁物語〈上〉秘密主義と謀略の時代 (講談社プラスアルファ文庫)

最高裁物語〈上〉秘密主義と謀略の時代 (講談社プラスアルファ文庫)

 

 

 以下は、おまけ。

 

 白水社からの近刊で、デイヴィッド・レムニック著『懸け橋(ブリッジ)--オバマとブラック・ポリティクス』 もある。大著だけど、オバマとの絡みでブラックポリティックスについて書かれたもの(上下巻)。 

懸け橋(ブリッジ)(上): オバマとブラック・ポリティクス

懸け橋(ブリッジ)(上): オバマとブラック・ポリティクス

 

 

このサイトも中々イイ。公民権運動史跡めぐり、みたいな。・・・というか、これ、後でじっくり読んだが改めてもの凄い話だな・・・。下記、是非読まれたし。http://www2.netdoor.com/~takano/civil_rights/civil_06.html

 

 ゾンビ小説読んでると、ゾンビの人権を守れ!という人権団体が登場するのがあるんだけど、そこにも「我々は公民権運動の長い隊列の末尾に連なっているのであり・・・」みたいな記述が出て来たりするんだよね。S.G.ブラウンの『ぼくのゾンビライフ』っていうやつだけど。こいつもブラウンか・・・汗 

ぼくのゾンビ・ライフ

ぼくのゾンビ・ライフ

 

 最初に戻るけど、ネットで見て回ったら、今般、現在進行形の事件、マイケル・「ブラウン」事件という呼び名がついてるのね・・・。今回の舞台は、ミズーリセントルイス郡「ファーガソン」なんだけど、1954年の「ブラウン」判決が覆した先例(分離すれども平等 separate but equal)の名称、実は Plessy v. 「Ferguson」判決なんだよね・・・、こちらのファーガソンルイジアナ州の裁判官の名前だけど。文字面だけ一致してるって話で、一歩間違えれば電波なんだけど、ほほぉ、と思った。

 ま、こんな感じで。

 

 

フォリー・ベルジェールのバー

 このブログは私の記憶の外部化もひとつの目的なので、以下、どうしてもタイトルを忘れてしまう絵について。この絵をいつか、或る本の表紙にしたいのだが・・・。

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 フォリー・ベルジェールのバー(Un bar aux Folies Bergère)。エドゥアール・マネ(Édouard Manet)が1882年に完成させた油絵。マネが完成させた最後の作品。現在は、ロンドンのコートールド・ギャラリー所蔵。

 フォリー・ベルジェールは、1869年開業のミュージックホールで現在でもパリで営業している。マネが描いたのは、その中にあるバーカウンター。

公式サイト:http://www.foliesbergere.com/

 同時代の日本は、明治元年東京奠都戊辰戦争の終結、版籍奉還)~明治15年(軍人勅諭発布、時事新報発刊、福島事件)など。

 正面の女性の左右に配置された酒瓶、シャンパンは分かるのだが、あとの酒はグラッパとか・・・他は何だろう?特に下の酒瓶、どっかで見たことがある気がするのだが・・・。

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 ・・・とtwitterの方でも【緩募】したところ、早速大変親切な方からリプ頂き、バスペールエール(Bass Pale Ale)と判明。

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 なお、絵そのものについては、以下の解説が参考になる。

 主題には、近代都市社会が抱える諸々の不確かさが込められている。フォリー=ベルジェールは、パリ社交界の上流の人々や高級娼婦たち(ドゥミ=モンド)の娯楽場として人気があった。娼婦たちは、ロビーや通路で公然と客を取っていた。

 女性バーテンダーのおかれた立場もあいまいである。彼女たちはまず飲み物を出すためにそこにいるが、同時にまた、カウンター上の酒瓶のように、彼女たち自身も商品となりうるのである。マネの絵は、こうした不確かさを提起しているようだ。

 それは描写方法によっても強調されている。カウンターの酒瓶やフルーツボウルは鮮やかで緻密に描かれているのに対して、女性バーテンダーの姿は大ざっぱで簡潔だ。これは、何よりも彼女がカウンターの後ろにいることでわかるように、彼女の商品性を強調するもので、演じる役割のうちに彼女自身の立場のあいまいさを示している。

http://www.nikkei.co.jp/topic7/court/gallery3-6.html

  「ドゥミ=モンド」という言葉があるのか。知らんかった。調べてみたら、以下。

Demi-monde refers to a group of people who live hedonistic lifestyles, usually in a flagrant and conspicuous manner. The term was commonly used in Europe from the late 18th to the early 20th century, and contemporary use has an anachronistic character. Its connotations of pleasure-seeking often contrasted with wealth and ruling class behavior.

http://en.wikipedia.org/wiki/Demimonde

 『椿姫』の主人公ヴィオレッタ・ヴァレリーとかも、そうらしい。なるほど。半/反社交界とでも言おうか。花柳界とかとは、またちょっと違うな。

 追加。絵に関する解釈としては、下記のサイトも参考になる。

 http://blog.goo.ne.jp/sekai-kikoh-2007/e/10fa9fdb5fe680e4f9bdf1d79cc9efcc

詩人と権力者

  某先生に「面白い」と教えて頂き、川本皓嗣「詩人フロストとオバマ大統領」を読んでみた。岩波の『図書』2014年9月号に掲載されている。

 この内容については、川本氏の名前に「オバマ」や「フロスト」を絡めて検索すれば色々出てくるので、そちらで話の細部は確認出来る。例えば、以下など。

http://home.r07.itscom.net/miyazaki/yuki/kawa.html
http://d.hatena.ne.jp/ctenophore/20140913/1410633709

 ここでは、ごく掻い摘んだ形で内容を記すに留めるが、以下の通りである。--今年の春、オバマ大統領が訪日した際、東大で長らくアメリカ文学を教えていた川本氏が宮中晩餐会に呼ばれた。その際、氏は大統領と話す機会を設けられたのだが、大統領は「詩」についても造詣が深く(エミリー・ディキンソンなど)、わけてもロバート・フロストに関しては、その作品を「じかに熟読」さえしていることを感じさせた。そのようなオバマは「明らかにアメリカの知的少数者に属している」という驚きを感じたとのことである。オチは、実は美智子皇后も、このフロストの詩の一篇を愛読しているという話。文中に引かれたフロストの「選ばなかった道(Road not Taken)」という詩を、オバマ美智子皇后の人生に重ねると、実に味わい深いものがある。フロストの詩の実物も、上のURLにある。

 それ自体として味わいのある文章で面白かったのだが、読後、次のような、よしなしごとを思った。


 吉田健一の書いたものか何かの中で読んだ気がするが、「詩」は文学の女王であるという話もある。そのような女王たる詩と権力者は全くの没交渉だったかというと、そういうわけでもなく、曹操曹植とか、ダンヌンツィオ/ムッソリーニとか、古今東西を問わず、権力と詩の蜜月関係はあったのだが、しかし、今の日本の政治家が、詩とか読むかなあ、と。あ、後鳥羽院藤原定家とかもあるか。塚本邦雄の『藤原定家』はイイ。(あとで思い出したが、保田與重郎の『桂冠詩人の御一人者』とかが最も端的か)。

 「んなこたない、あいだみつをとか!」いうのは勘弁して欲しいのだが、たぶん詩を一篇でも暗誦しているような政治家は(ほとんど)居ないんじゃないかと思う。ただまあ、だからといって、政治家に「何かお好きな詩を教えて下さい」と訊ねて、「吉岡実!」とか「セリーヌ!」とか、はたまた「『現代詩手帖』愛読してます!」とか言われたら、「こいつに任せて大丈夫か?何考えてんのか分かったもんじゃねえな・・・」と不安になるわな。いや、間違い無く不安になる。だって、こんなんだよ。

四人の僧侶
庭園をそぞろ歩き
ときに黒い布を巻きあげる
棒の形
憎しみもなしに
若い女を叩く
こうもりが叫ぶまで
一人は食事をつくる
一人は罪人を探しにゆく
一人は自潰
一人は女に殺される

吉岡実「僧侶」

 私は好きですけどね・・・。あと、セリーヌは『死体派』 とか『虫けらどもをひねりつぶせ』とかな。詩というか評論というか(ユ×ヤ人)罵倒芸文学なんだけど、マズイだろ・・・。 

セリーヌの作品〈第10巻〉評論―虫けらどもをひねりつぶせ

セリーヌの作品〈第10巻〉評論―虫けらどもをひねりつぶせ

 

  早野透の『政治家の本棚』では29人の政治家にインタビューし、その読書歴を根掘り葉掘り聞いているんだけど、現政調会長代行(元内閣官房長官)の塩崎恭久が「バタイユ」とか言ってんの見るとやっぱ不安になるわな。実際、これ読んでた上で、この人が官房長官になった時、不安になったもん。  

政治家の本棚

政治家の本棚

 

 

呪われた部分 (ジョルジュ・バタイユ著作集)

呪われた部分 (ジョルジュ・バタイユ著作集)

 

 アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグの『城の中のイギリス人』 とか言い出したら、もう逮捕だよ、逮捕。  

城の中のイギリス人 (白水Uブックス (66))

城の中のイギリス人 (白水Uブックス (66))

 

   試しに最高裁のHPの各判事の紹介のトコ見たら「愛読書」とか上がってんだけど、それ見るとちょっと、ほっとするもんな。山本周五郎司馬遼太郎塩野七生とかだからして。

氏名

出身

愛読書・作家

寺田逸郎

裁判官

記載無し

櫻井龍子

労働省

ヘルマン・ヘッセ車輪の下
深沢七郎楢山節考
キャサリン・グラハム『キャサリン・グラハム わが人生』
ハンティントン『文明の衝突と21世紀の日本』

金築誠志

裁判官

ロナルド・トビ『「鎖国」という外交』
野口悠紀雄「バブルの経済学」
山本四郎『評伝 原敬
ユクスキュル/クリサート『生物から見た世界』
垣根涼介君たちに明日はない

千葉勝美

裁判官

村上春樹
稲見一良ダック・コール
サミュエル・P・ハンチントン文明の衝突
塩野七生ローマ人の物語

横田尤孝

裁判官

遠藤周作『沈黙』
山本周五郎『日本婦道記』
吉村昭『仮釈放』『赤い人』
山本譲司『獄窓記』『累犯障害者

白木勇

裁判官

夏目漱石堀辰雄川端康成司馬遼太郎

岡部喜代子

裁判官→学者

マックス・ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
堀田善衛『美はしきもの見し人は』『ゴヤ
ル・クレジオ『テラ・アマータ(愛する大地)』

大谷剛彦

裁判官

ジョン・グリシャム『最後の陪審員』『無実』
夏樹静子『裁判百年史ものがたり』
五木寛之親鸞

大橋正春

弁護士

史記
天皇の世紀
竜馬がゆく
『Becoming Justice Blackmun :Harry Blackmun's Supreme Court Journey』
ジョン・モーティマーのランポール弁護士シリーズ

山浦善樹

弁護士

山本周五郎赤ひげ診療譚
ヘルマン・ヘッセ『シッダールタ』

シモーヌ・ド・ボーヴォワール『第二の性』
アルフレート・アインシュタインモーツァルト その人間と作品』
海老澤敏『超越の響き モーツァルトの作品世界』
ジェローム・フランク『裁かれる裁判所』

小貫芳信

検察官

原敬日記』
田辺聖子

鬼丸かおる

弁護士

塩野七生ローマ人の物語

木内道祥

弁護士

レオ・ダムロッシュ『トクヴィルが見たアメリカ』
久米邦武『米欧回覧実記』
北原亞以子

山本庸幸

内閣法制局

城山三郎官僚たちの夏
司馬遼太郎著『坂の上の雲

山﨑敏充

裁判官

中勘助銀の匙

http://www.courts.go.jp/saikosai/about/saibankan/index.html

 ここに「愛読書:グレッグ・イーガンの『ディアスポラ』」とか書いてたら下のような感じの不安に襲われる。

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 まあ、そもそものところ、文学とかってのは、世界との折り合いの付かない人びとが、やはり世界と折り合いの付かない人びとによってこそ愛されてきた面も少なからずあると思うので、権力者が文学に我不関焉であること自体は、別に問題とすべきことではないようにも思うし、特にその女王たる詩に至っては極めつけの世界との折り合いのつかなさが内包されているようにも思う。

 ヨシフ・ブロツキーノーベル文学賞受賞記念講演を収めた『私人』とか読むと、ソ連とかでは或る意味、権力が詩とかに対して正面から向き合ってたことが良く分かるんだけど、それって恐ろしいよね、と。 (ブロツキーは、詩人やってるという容疑で逮捕されて法廷に引きずり出されている。)

私人―ノーベル賞受賞講演

私人―ノーベル賞受賞講演

 

  あぁ、毛沢東も希代の大詩人ではないか。詳しくは高島俊夫先生の『中国の大盗賊・完全版』を読まれたし。 

中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)

中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)

 

 

 本エントリー、当初は、斉藤眞先生の『アメリカとは何か』の中に収められてる「二人の知識人」をネタにオバマが「明らかにアメリカの知的少数者に属している」という部分を、このブログでも以前触れた反知性主義(anti-intellectualism)の話に絡めたりした話を書こうと思ってたのに全然違う内容になってしまった。まあ、私もまた文学を愛してしまったダメな人ということで、ひとつ。

 

※ 補遺:オバマの知的 milieu=ハイドパークについて。

アメリカNOW第25号 シカゴ大学「ハイドパーク」とオバマの関係性をめぐって(渡辺将人)|現代アメリカ|政策研究・提言 - 東京財団 - 東京財団 - THE TOKYO FOUNDATION


vol.112 オバマの家(その2)|R.E.port [不動産流通研究所]

 

 

「スコッチ親善大使」回想記

 たった今、否決が確実になったが、スコットランド独立投票のニュースに接し、久々に昔行ったスコットランドのことを色々と思い出したので、以下、記し留めておく。当時の記録の類がすぐ手に届くところにないので、色々と記憶違いもあるかもしれないが、備忘を兼ねて。なお、このエントリーは、今後も思い出すことがあれば、加筆訂正する。

※ 2014年9月19日(現地は18日)スコットランド独立投票・開票速報
 http://www.bbc.com/news/events/scotland-decides/results

 

 今を遡ること20年以上前、私は「スコッチ親善大使」というのをしていた。

 当時、イギリスのウィスキー会社 United Distillers の日本支社(UDJ)が五反田にあり、そこが開催したエッセイ・コンテスト(「私とウィスキー」)みたいなのに応募したのだった。1次選考のエッセイを通ったら、2次選考では英語で面接をされ、たぶん100人以上応募していたと記憶しているが、その中から4人が選ばれ、学生スコッチ親善大使としてスコットランドに行き、蒸留所でウィスキーの製造過程に触れさせてもらえたのだった。

 私が親善大使になったのは、確か二代目か三代目くらいだったと思うのだが、その後、この制度は、いつぐらいまで続いたのだろうか?ネットで検索すると、この親善大使を経て、本当に醸造学?のプロになった人も居るようだ(佐賀大学の北垣浩志先生:http://seisansystem.ag.saga-u.ac.jp/Staff.html

 今回これを書くにあたり調べてみて初めて知ったのだが、上記UDはギネスが持ってた Distillers Company と Arthur Bell & Sons を統合して1987年に設立された会社で、その後、合併を繰り返し、United Distillers & Vintners を経て、現在は Diageo Scotland になっているとのこと(下記、参照)。

 http://en.wikipedia.org/wiki/United_Distillers

 スコッチ親善大使は、本当に太っ腹な企画で、往復の旅費・滞在費のすべてを会社が出してくれた上で、スコットランド各地の蒸留所に、それぞれ1週間程滞在し、つなぎの作業着を着て、ウィスキーの製造工程を学ばせてくれるというものだった。滞在していたホテルのバーでは、ウィスキーを社割で呑むことが出来た。今にして思えば、本当に夢のような話である。

 確か7月頃だったと思うが、成田空港からブリティッシュ・エアウェイズヒースロー空港まで行き、そこから国内線の Dan-Airというのに乗り換えてインヴァネス空港まで行ったように思う。この空港名、曖昧なのだが、着陸の直前、横に座っていた乗客が窓外を指さして「あれが、Moray Firth(マレー湾)だ」と教えてくれたのだけハッキリと覚えており、マレー湾を見ながら着陸する空港は、多分ここしかないはずかと。

 インヴァネス空港には車が迎えに来ており、Elgin という町のホテルに一泊したような気がする。この町の近くには、Glen Elgin 蒸留所があるが、そこには行かなかった。

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※ Glen Elgin

 翌日、車に乗って Pitlochry という小さな町に着いた。我々は「ピットロッコリー」と言っていたのだが、漱石は下記の通り「ピトロクリ」と記してあり、ネット上では「ピットロッホリー」という表記を多く見た。

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「ピトロクリの谷は秋の真下にある。十月の日が、眼に入る野と林を暖かい色に染めた中に、人は寝たり起きたりしている。十月の日は静かな谷の空気を空の半途で包んで、じかには地にも落ちて来ぬ。」夏目漱石「昔」、『永日小品』所収

青空文庫夏目漱石著『永日小品』の「昔」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/758_14936.html#midashi200

 ロンドンに2年間留学していた漱石は、イギリス嫌いが嵩じ、最後には錯乱状態(「漱石、発狂セリ」の電報)になってしまったが、帰朝直前、1902年の秋、ピットロッコリーに数週間滞在し、精神の平衡を取り戻したとのことである。

 ピットロッコリーでは、確か Castle Beigh というホテルに滞在し、毎朝そこから車で Blair Athol 蒸留所まで送迎してもらい、紺色のつなぎを着てウィスキーづくりを見せてもらっていたのだった。本当に作業をすることも少なからずあった。ここで作っているシングル・モルトは、BELLというポピュラーなブレンデッド・ウィスキーの原酒の一つだったと思う。

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※ Blair Athol
※ Blair Athol 蒸留所サイト

  http://www.discovering-distilleries.com/blairathol/

 作業の合間に、Canteen という休憩小屋で、コーヒーを呑みながら Silcut というタバコを吸っていたのは懐かしい思い出だ。当時のレートは1ポンド=250円くらいで、1箱4ポンド近くもした記憶がある。蒸留所の職人のオッサンたちと一緒になって、色んなアホ話をしていたものである。

 この後、順序はもはや思い出せないのだが、イギリス王室のバルモラル離宮の近くにある、Royal Lochnagar 蒸留所に移り、そこにも1週間ほど居たように思う。

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※ ロッホナガー蒸留所サイト
 http://www.discovering-distilleries.com/royallochnagar/

 蒸留所の裏には、ウィスキーをつくる際に用いる水源であるナガー湖(Loch Nagar)があり、とても綺麗なところだった。

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 ここでWarehause(貯蔵庫)に入った時、まだ成人していなかったアンドリュー王子が成人したあかつきに開けられる秘蔵の樽の中身を呑ませてもらったのは幸運だった。
 ロッホナガーに居る間、バルモラル城の近所でほんの数メートルの至近距離からエリザベス女王を見る機会に恵まれたが、本当に小さな人だったと記憶している。
 あとは近くにある確かペルノー所有のスコットランドで最も小さな蒸留所であるEdradour蒸留所というところに、ホテルで同宿していて食堂で知り合ったドイツ人夫婦と行った。
 休みの日には、蒸留所の所長が愛車のアウディスコットランド第三の都市アバディーンまで連れて行ってくれ、映画館で「エイリアン3」を観て、有名なフィッシュ&チップスの店に行った。「フィッシュ&チップスは、下品なタブロイド新聞みたいなのでくるんで食うのが粋だ」みたいなことを言っていたのも、よく覚えている。アバディーンでは東洋人を目をすることがなく、とても綺麗な街だった。

 この他に、第二の都市エディンバラと最大の都市グラスゴウ、それからロンドンにも行ったのだが、この辺りのことは、もはや記憶が朦朧としている。エディンバラでDillons?という書店に入り、当時まだ日本では余り無かった(と思う)ウィスキー関連の本などを買い漁ったものである。後に土屋守訳が出て一世を風靡したマイケル・ジャクソンのあの本とか。あぁ、そうそう。インヴァネスにもドライブして、ネス湖を観たな。

 スコットランドでの旅の最後は、確か Stirling にあるジョニーウォーカーのボトリング工場の見学を行い、マーケティングセンターみたいなところで、「日本でシングル・モルトは売れるか?」とかヒアリングされた記憶がある。当時はまだ、日本国内では、それほどシングル・モルトは流行っておらず、「クセも強いので難しいのでは?」と答えたのだが、その後、世界中を見渡しても、これだけの種類のシングル・モルトを呑める国は日本以外になく、不明を恥じるばかりである。

 今でも時おり思い出すのは、なだらかに広がる泥炭地を覆うヒース(Heath)の丘陵地の光景である。

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※ https://www.flickr.com/photos/gregheath/7060603507/

 7月でも天候によっては肌寒いくらいの日もあったが、9月のいま時分だと、もう寒いくらいだろう。春になると薊の咲き乱れる、このヒースの丘に降って濾過された雨がウィスキーの原料となる。久しぶりに、ロイヤル・ロッホナガーでも1杯やりたい気分になった昼下がりなのであった。

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東京から2時間のブラジル?:群馬県大泉町訪問記

 先日、ゼミの小旅行で群馬県邑楽(おうら)郡・大泉町に行って来た。この地名を聞いてピンと来る人は、あまり居ないだろうが、大泉町は(日系)ブラジル人をはじめとする外国人居住比率が日本一の町であり、「東京から2時間、片道1000円で行けるブラジル」と言われたりもする。

 この大泉町で、来る9月13日(土)にサンバ・カルナバルが行われる。私も一度行ったことがあるが、楽しいイベントである。日が迫っているのではあるが、お時間のある方は是非行かれると良いと思う。詳細は、以下の通り。

 *大泉カルナバル2014
 http://www.oizumimachi-kankoukyoukai.jp/calnabal.html

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 私は、この大泉町に今回のゼミのexcursionを含めて都合3回行ったことがあるのだが、理由は上に書いた通り、この町が我が国の中で最も外国人居住比率が高く、今後さらに議論されることになるであろう「移民」問題に関するひとつのリーディング・ケースになっているだろうと思ったからだった。

 このような外国人居住比率の高い町は、実は日本中に少なからず存在しており、それらの都市は「外国人集住都市会議」というのを開催したりもしている。私も以前、傍聴しに行ったことがあるが、大変勉強になった。今年は東京で11月に開催されるようである。

 *外国人集住都市会議
 http://www.shujutoshi.jp/

 なお、今回の訪問は、ちょうど今年度前期のゼミで、移民に関する理論的な文献をテキストを扱っていた関係による。

 *2014年度谷口ゼミの告知
 http://taniguchi.hatenablog.com/entry/2014/03/31/114107

 大泉町は地理的には、地図上、群馬県の右下の方の「東毛」に位置し、県内の主要都市である前橋や高崎からは遠く、栃木県と埼玉県の狭間に陥入するような位置を占めている。群馬県の形は右下に向かって羽を広げて飛ぶ「鶴」の姿にたとえられるが、大泉町は、ちょうどその首の付け根に近い部分にある。

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 双方ご出身の方には誠に失礼で申し訳ないのだが、私のように九州くんだりから来た人間には、どうしても栃木と群馬の区別が付かなかったところ、私と同じような蒙昧状態にある人は、この《群馬=鶴》というのを一度アタマに入れれば、今後は大丈夫!

 下のように、上毛かるたでも「つ」の札は「つる舞う形の群馬県」なのである。右側は、どうでもイイことだがパズドラの「ぐんまコラボ」で入手出来る「超ぐんまけん」。以前これに虐殺されたような記憶がある・・・。

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 やっと本題なのだが、先の通り、大泉町は東京から約2時間の場所にあり、鉄道網上は以下のような場所に位置している。

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 最寄り駅は小泉線西小泉駅」。都内からだと、北千住まで行って「特急りょうもう」に乗り、館林乗り換えで行くのが一般的かと思われる。
 今回の小旅行では、前もって観光協会の方に連絡して、当日、ガイドさんに付いて頂き、昼ちょっと前から夕方まで、街の中を貸し自転車に乗って案内して頂いた。ガイドは、ブルナさんという日系ブラジル人観光協会の方で、大変親切に色々なことを教えて下さり、充実したツアーとなった。・・・今回の訪問のあとに大泉町について改めて色々と調べてみたらブルナさんは結構、有名人であるようだ。

 *W杯・ブラジル美女「母国と日本どっちも応援」

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140604-00000020-wordleaf-l10&p=1

 当日は、駅でブルナさんと落ち合った後、駅前すぐの貸し自転車に乗ってブラジル・レストランに向かい、シュラスコ(ブラジルの肉料理)を食べながらポルトガル語の基本的なフレーズなどを教わったり、またご同席頂いた同じく観光協会の小野さんから町のことについて色々と興味深いお話を伺ったりもした。下の写真にある通り、ものすごい肉で(美味い!)、ついでにカイピリーニャも呑んでみたり。わたしは自宅でも、カシャーサがあればカイピリーニャを作って呑むが、特に夏には乙な酒である。

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 食後、町内を自転車でまわり、色々な場所や看板(ポルトガル語)の説明などを受けてから、町内のブラジル関係の店舗が集中する場所へゆき、ブラジリアン・スーパーに入ったのだった。

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 まず目に飛び込んで来るのは、大量に積み上げられたガラナ!ブラジルの国民飲料であるらしい。

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 あとは肉!肉!肉!ここが日本であることを、しばし忘れてしまうほどである。

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 次にサンバの衣装を扱っているお店にゆき、私も含めゼミ生一行で、リオのカーニバルで見るような、あの衣装を着てみたりなど。写真は私である。

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 最後は、観光協会にゆき、先ほど着せてもらった衣装を着てやるべきサンバダンスのレッスンを全員でプロの先生から受け、汗だくヘロヘロになったのだった・・・。正直わたしは歳なので死ぬかと思ったりもしたが、実に楽しかった。

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 夕方、駅から帰途につく前に、私自身イチ推しの《或るもの》を皆に食べさせるため、駅からすぐの角にある「CANTA GALO 宮城商店」に立ち寄った。

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 《或るもの》とは・・・・・・

  

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 転載:nationalgeographic.jp

 これはガリガリ君にもあったコーンアイスバーなのだが、死ぬほど美味いのである。もし、私が大金を持っていたら、今すぐ工場をぶっ建ててラインを整え、しかるのち大量生産体制に入り、全国のコンビニを席巻したいくらい美味いのである。誰か、是非、頼む。絶対に儲かるから!

 それはさておき、当日はブルナさんも一緒にコーンバーを食べてから、駅で見送って頂き、一路、東京への帰途についたのだった。

 

 大泉町については、まだまだ色々と書きたいことがあるのだが、今日はこれくらいにしておく。

 法哲学や政治哲学で「多文化主義(Multiculturalism)」の話は良く聞くが、遠いカナダのケベックとか、北アフリカの女子割礼の話とかではなく、我々の身近に切迫した問題として、このトピックは現に横たわっているのだということが、大泉町に行けば身にしみて分かるかもしれない。

 

 なお、この大泉町については、実際にそこで暮らしてみた体験記を漫画にしたものがあり、面白いので興味のある人は読んでみると良いと思う。下記、参照。 

  個人的に今回の最大の収穫のひとつは、この漫画に出てくるレンタルビデオ(DVD?)屋とおぼしき店を発見したことである。

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 参考までに大泉町観光協会は、以下。

 http://www.oizumimachi-kankoukyoukai.jp/

 

 本日は、これまで。

多摩天皇陵訪問の記

 ふと思いついて多摩御陵に行って来た。特に深い意味はない。大学の研究室で原稿を書いていたところ、同じ八王子だし一度は行ってみようと思っただけである。

 橋本駅経由で行ったのだが、ホーム上でわたしの思いつきの小旅行へのメッセージを発見した。なお、旅の友?は、研究室の書棚にあった色川大吉編『多摩の歴史散歩』である。

 このエントリーの後段に出て来る『多摩と甲州道中』と比べると内容には一目瞭然の違いがあり、色川編の方が「民衆史観」に貫かれているのに対し、後者は今回訪問した天皇陵や「聖蹟」桜ヶ丘にまつわる話、あるいは「軍都・多摩」という側面を掘り下げており、それぞれに特色のあるものとなっている。

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 「多摩御陵」とは、要するに昭和天皇大正天皇とそれぞれの皇后の墓所である。正確には、昭和天皇の方は武蔵野陵大正天皇の方は多摩陵と言い、それぞれの横に皇后の陵がある。「陵」というのは「みささぎ」と読み、これは天皇・皇后などの墓所にしか使わない名称であるらしい。

 これらの陵は、JR「高尾駅」の北口から徒歩で20分程の八王子市長房町というところにある。地図(航空写真)を見ると分かる通り、長房町には、かなり大きな公営住宅もあり、東側には密集した住宅と団地が広がっているのだが、西側は、ほぼ全てが陵域となっている。同じ町内に陵があるというのは、どんな感じなのだろうか。

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 それはさておき、当日は余りの炎天下だったところ、駅のキオスクのおばちゃんに「歩けますかね?」と尋ねたところ「やめといたほうがイイ(汗」と言われたので、大人しくタクシーに乗って行った。片道910円である。ただ、帰りのタクシーが自分で呼べるように、地元のタクシーの電話番号を控えておいた方が良い(高鉄交通:0120-617-212)。下に掲載した駅ホームの巨大天狗像の光陰のコントラストからも容易に窺い知れる通り、当日のカンカン照りっぷりと言ったらなかったのである(死ぬ・・・)。

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 余談だが、気候の良い時なら、北口を出て真っ直ぐゆく経路で歩くのも悪くはないと思った。ただ、この時期は止めた方が良い。陵に着いても、休むところが全く無いからだ(自動販売機の類も皆無である)。

 実に鄙びた駅の北口・ロータリーを出て右折し、道なりに真っ直ぐしばらく行ったところを「多摩御陵入口」という交差点で左折すると陵の正門へと続く欅の並木道へと入ってゆく。

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 ちなみに、この交差点の陵とは逆方向のドン突きが、かつてお召し列車が停車していた東浅川駅の跡地である。この駅は既に廃線となっている。また、かつてそこにあった駅舎は、廃線と共に下賜され、その後、公民館(陵南会館)となっていたところ、1990年、革労協解放派による八王子市陵南会館爆破事件の舞台となった場所でもある。

 道すがら、寿司屋、それから右手、長房町の住宅街の側の道沿いに数軒の蕎麦屋が見える。こちらの方に大正天皇大喪の際に二ヶ月くらいの短期間の間に移転させられた寺社などが今でもあるようだ。この際には、600基近い墓も改葬されているらしい。地元は大混乱だったのではないかとも、帰路、駅前の啓文堂で購入した『多摩と甲州道中』の中に書いてあった。 

多摩と甲州道中 (街道の日本史)

多摩と甲州道中 (街道の日本史)

 

  閑話休題。タクシーは正門までしか進入出来ないので、そこで下車する。正門の手前に派出所があり三人ほどの警察官が詰めているが、正門そのものには普段は誰も居ない様子である。私が行った際は、あいにく表参道が工事のため封鎖されていたので北参道を通って、先ずは昭和天皇武蔵野陵へと向かった。

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 参道の両側には京都から植栽された北山杉が並んでおり、静寂の至りであると共に噎せかえるような杉の匂いが漂っている。「森閑」とはまさにこのことかという風情であり、数百メートルにわたる前後にひとっこ一人居ない余りの静寂さも手伝い、額にじわりと嫌な汗も滲むのだった。平日の昼間の東京都内に、このような場所があること自体が驚きである。

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 そのような参道を10分ほど歩くと、忽然と目の前の景色が展け、昭和天皇武蔵野陵が姿を現す。

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 一目、異容である。他にそれを形容する言葉を私は知らない。

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 陵の手前左手に小さな小屋があり、一人職員(宮内庁関係?)が詰めているのだが、恐ろしく冷房の効いた小屋の少し開いた窓口に御陵に関するペラ1枚のパンフレットが置いてある。そして、その少し先、陵の向かって左手にはやはり小さな小屋があり、その中には直立不動の警察官が立っていた。

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 陵の前には鳥居があるが、鳥居へと進む際に警察官に軽く会釈し(会釈を返してきた)、しかる後に鳥居前で一礼した上で、陵の目前の柵へと進み出て柏手を打った。何かを頼むような場所でもないし、そうすべきでもないので、ただ黙祷し、頭を下げ、礼を尽くした。---ふと思ったのではあるが、このような「陵」を訪なった際の正式の礼儀というのは、どうするべきなのだろうか?(二拝二拍一拝?)

 しかる後、来た道を引き返し、今度は大正天皇の方、多摩陵へと向かう。50メートルほどか。大正天皇の陵は、昭和天皇のそれと比べ、聳え立つといった様子であり、目前まで行くと階段が急峻すぎて陵の様子がよく見えないのだった。時代の違いによる造作の違いか、とも。

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 私が行った時には多摩陵の左手奥で重機を入れた大々的な造成工事を行っており、これが今上天皇・皇后の陵となる場所なのかな、と思った次第である。今上崩御の際は、火葬とのこと。

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 全くの余談ではあるが、以前、この今上及び皇后の火葬という話を聞いた時には、私の偏愛する漫画家・平田弘史の「土葬」(『無名の人々・異色列伝』所収)という作品を思い出した。 

無名の人々異色列伝

無名の人々異色列伝

 

  江戸幕府の命(=火葬)に抗し、命を張って崩御した天皇の土葬を主張する魚屋の活躍?を描いたものである。

 武蔵野陵で三人連れ、多摩陵への移動の際に独歩者、帰路、正門前の駐車場から別の三人連れがやってくるのを見たが、基本的に陵内でお参り?をしている際には、ずっと独りだったため、カンカン照りの炎天下、何とも言えぬ不思議かつ異容な空間に、ぽっかりと漂った昼下がりのひと時だった。

 帰路、タクシーの運転士に良い蕎麦屋はあるか尋ねたら難色を示され、次善の策的には南口へ出た方がまだマシとの示唆を得たので、南口の蕎麦屋へゆき、鴨南蕎麦をたぐって帰宅の途に着いたのであった。

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 秋口、紅葉の頃に来ると良いとのことである。以上よしなしごと。

 最後に駅ホームから望んだ御陵の写真。高尾界隈そのものが、時が止まり静まり返ったような場所だったように思う。

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補記:御陵訪問の翌日、わたしは壮絶な水下痢に悩まされることとなった。折からの夏バテも手伝ったのではあろうが、これが「流転注意」の意味するところであったのか、と独り合点した次第である。

 補記2:このエントリーを最初にアップしてから一週間ほどして、ふと思い出したのだが、昭和天皇は昔、私の実家の目の前を自動車に乗って通ったことがあった。その際、玄関先で一瞬ではあったが、車内から沿道に手を振るのを見たのを何十年ぶりかに思い出し、あの時のあの人が、ここに眠っているのかと思い、全くやくたいもないことではあるが、妙な親近感を感じたのだった。ちなみに水下痢は三日程で何とか快癒した。

 

ヒップホップとコミュニタリアニズム

【速報】ラッパーがやけに親に感謝している理由が判明

 http://netgeek.biz/archives/19619

 ネットで賑わっていたので、講義でもたまにする話だし、以下でまとめておく。早速下記のような反論も出ていたのではあるが。

■ ヒップホップに親に感謝する曲は殆どありません
 http://togetter.com/li/510159

 

 この手の話ですぐに想起されるのは、1999年に出たDragon Ash のアルバム『Viva La Revolution』に収録された「Grateful Days」だろう。「悪そな奴は~だいたい友達~♪」のアレである。


[LIVE] Grateful Days / Dragon Ash - YouTube

 どうでもイイことだが、2001年に出た三木道三の「Lifetime Respect」もついでに思い出してしまうかもしれないが、こちらはレゲエである。彼は今、何をしているのだろうか・・・。


Miki Douzan - Lifetime Respect - YouTube

 更にどうでもイイことだが、「ダンスフロアに華やかな光~♪」の「今夜はブギーバック」は1994年、「DA・YO・NE」も1994年である。


スチャダラパー(feat.小沢健二) - 今夜はブギーバック(LIVE) - YouTube


 閑話休題。ヒップホップが「マジ親に感謝~♪」だったりする(いつもそうではない)のは、発祥(ex. ブロックパーティー)からして共同体論(communitarian)的なものだからなわけ。『文化系のためのヒップホップ入門』 とか 都築響一の『ヒップホップの詩人たち』 を読めば分かる。 

文化系のためのヒップホップ入門 (いりぐちアルテス002)

文化系のためのヒップホップ入門 (いりぐちアルテス002)

 

  以前、このブログにも書いたけど、長谷川町蔵×大和田俊之『文化系のためのヒップホップ入門』はホントに名著。現代アメリカ(文化)史の本として最高だし、これはコミュニタリアニズムの必携副読本。とにかく黙って読め。話はそれからだ。 

ヒップホップの詩人たち

ヒップホップの詩人たち

 

  都築の本の方は、ウェブで連載した頃のものが部分的に今でも読める(http://www.shinchosha.co.jp/shincho/4649/)。都築の本の中に出て来る田我流は映画『サウダーヂ』に出て来るラッパーの人。あと、ウェブ上で読める連載に出て来る「鬼」は、昔、『実話マッドマックス』だかで知ってYouTubeで曲を聴き、衝撃を受けた。「小名浜」は名曲。前振りがちょっと長いけど、是非、曲を聴いて欲しい。


鬼 / "小名浜" - YouTube

 ANARCHYの「FATE」とか鬼の「小名浜」と聴き合わせると日本のヒップホップもここまで来たかという感さえある。「東京生まれ HIP HOP育ち/悪そうな奴は大体友達」の人が「仲間たち親たちファンたちに今日も感謝して」たのが1999年。10年ちょいで、ここまで来た。それが嘉すべきことなのかどうかは、さておき(この意味は後段で分かる)。


Anarchy - Fate (日本語字幕版)MVA09 BEST HIP HOP VIDEO ...

 ANARCHYの「FATE」はホントに凄い。京都の南の方の向島(むかいじま)ニュータウンのネイティブ・ソング。歌詞が突き刺さってくる・・・。

 「マジ親に感謝~♪」だと「レベル・ミュージック(rebel music、反抗の音楽)じゃねえじゃん!」という点に関しては、元々ヒップホップの発祥がブロックパーティー/部族(tribe)抗争なのだからして、互いに他の部族(tribe)をdisっていたわけで、自部族はdisらないよねえ、という、それだけの話。

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 冒頭の「ヒップホップに親に感謝する曲は殆どありません」のコメント欄に簡にして要を得た書き込みがあったので、上の通り画像で貼り付けておくけど、この通りかと。

  昔、樋口範雄先生の英米法2部を受講していた際、アメリカにおける「親権停止(parental rights termination)」とか養育費を払わせるために父親を探索する話とかを色々と聴いたが、まさにコレ。樋口範雄『親子と法』(弘文堂)とかに詳しく書いてたと思う。 

親子と法―日米比較の試み

親子と法―日米比較の試み

 

  冒頭、コミュニタリアニズム云々と書いたけど、実のところ、これは人種/差別とか社会階層/格差の問題と関係ある話なのだが、それをし出すとキリがないので、今日はここまで。

 ま、色々あるけど、私は鎮座DOPENESS(調布出身)が好き。この人は天才。


鎮座DOPENESS 鎮座ドープネス @ CISCO 1 - YouTube


 追記:私のヒップホップに関する知識のほとんどは、同門の米村幸太郎先生に教えてもらったものだったりする。

 

 再追記:以下、幾つかの記事。

● ANARCYの向島団地について


● 川崎とヒップホップ(連載6回+番外篇~継続中)


 

 

 

 

 

 

 

男のパスタ道

 15時くらいから余りに暑くアタマが働かないので、仕事をするのを諦め、最近、話題?の土屋敦『男のパスタ道』を読んだ。 

男のパスタ道 (日経プレミアシリーズ)

男のパスタ道 (日経プレミアシリーズ)

 

  オビにもある通り、「ペペロンチーノの解説だけで1冊かかりました」という本で、茹で方だけで8万字、オイルソースの作り方だけで6万字を費やしている「奇書」である。もちろん、ぺペロンチーノの作り方の話しか書いていない。

キチガイダー(゚∀゚)━(∀゚ )━(゚  )━(  )━(  ゚)━( ゚∀)━(゚∀゚)━!!


 わたしが特に興味があったのは、茹でる際の「塩」と、その働き、それから、これが一番大事なのだが「乳化」をどうするかということだったところ、これらについては、目から鱗の卓見を得ることが出来た。
 そして更に、これは読むまで思いもよらなかったことなのだが、ペペロンチーノをつくるためのオイルは何が良いのか?が、この本の中では試行錯誤されているのである!答えは読んだ時の楽しみに取っておくが、これは何という意外な・・・。
 本書は、パスタそのものに関する歴史的挿話や、また、著者の家族を実験台にした抱腹絶倒のエピソードも織り込まれたものとなっており、飽きずに一気に読み通せるものとなっている。
 先日、自宅のキッチンで火を出してしまい、家中を消火器の粉だらけにしてしまったトラウマから、ここしばらくペペロンチーノは封印していた私であるが、久しぶりに我が家でもペペロンチーノを作ってみようかと思った次第である。
 ちなみに今夜の夕食はジャガイモとホタテのポルトガル風炒めという勝手につくったレシピによるものだったので、楽しみは明日に。

※ 下記、AllAboutで、土屋氏の記事は色々読める。

 http://allabout.co.jp/gm/gp/196/

 

 

ヘヴィメタルと正義の女神

 最近、BABYMETAL を知った。ナニコレ、面白い・・・。ももクロの次はコレですかね。


BABYMETAL - WORLD TOUR 2014 - Trailer - YouTube

 以下に BABYMETAL についての分かりやすい説明があるので参考までに。凄いね。

 http://rakuchin.at.webry.info/201407/article_8.html

 メタルは、高校生の頃に聞いていて、Metalica とか Iron Maiden とか有名どころを少々。メタリカの“Aces High”は今でもカラオケで歌える。


Iron Maiden - Aces High - YouTube

 それで思い出したのだが、メタリカのアルバムに"...And Justice For All(邦題『メタルジャスティス』)”というものがあるが、このジャケットは法哲学的には興味深いものとなっている。この話は、毎年、講義でもするので、以下、備忘録的に。

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 法哲学の一分野として「正議論」があるのは周知の通りだが、この「正義」には女神が居て、彼女は(だいたい)いつも同じ姿をとって我々の前に姿を現す。下は、フランクフルトの広場に立つ女神像である。ヨーロッパでは、よくこういう光景を目にする。

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 メタリカの “...And Justice for All” という曲の中に出てくる “Lady of justice” こそが、その女神なのだが、アルバムジャケットに描かれた図像が、このギリシャ神話の正義の女神テーミス(Θέμις, Themis)で、ルドルフ・イェーリングによるなら、以下の通りである。

彼女が手に持つ天秤は正邪を測る「正義」を、剣は「力」を象徴し、「剣なき秤は無力、秤なき剣は暴力」に過ぎず、法は、それを執行する力と両輪の関係にあることを表している。『権利のための闘争』

 しかし、ジャケットに描かれた女神テーミスは縄で縛られ、金によってその天秤は傾けられているのは、以下を聴いての通りの事情による。名曲だ。


Metallica- ...And Justice for All

 以上に関する図像学(iconology)的な観点からの分析は森征一・岩谷十郎編『法と正義のイコノロジー』を参照されたい。 

法と正義のイコノロジー (Keio UP選書)

法と正義のイコノロジー (Keio UP選書)

 

  また、これに関連して、エルヴィン・パノフスキーの『イコノロジー研究』くらいは法学部生でも読んでおくと良いのではないだろうか。 

イコノロジー研究〈上〉 (ちくま学芸文庫)

イコノロジー研究〈上〉 (ちくま学芸文庫)

 

  なお、テーミス像(ブロンズ製)は、法学系の法政研(4号館2F)の各ゼミの資料置き場の棚の上にあるので、一度、実際に見てみると良いだろう。いつか、この像の由来が分からなくなってしまうだろうから、念のため書いておくが、この像は私が教授会で「買ってください!」とお願いして、教育目的で公費で購入したものである。これは本当に価値ある買い物だったと今でも自画自賛している。

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 また、「剣と秤」以外の特徴である「目隠し」は、個体的同一性に基づく取り扱い・判断の別を遮断するものである。この「目隠し」と同様の趣旨の話は、穂積陳重『法窓夜話』中の「三九、板倉の茶臼、大岡の鑷」の中に垣間見ることが出来る。ちなみに『法窓夜話』は、青空文庫で全文を閲覧することが出来る。少々長いが、以下、全文。

 板倉周防守重宗は、徳川幕府創業の名臣で、父勝重の推挙により、その後(の)ちを承(う)けて京都所司代となり、父は子を知り子は父を辱しめざるの令名を博した人である。
 重宗或時近臣の者に「予の捌(さば)きようについて世上の取沙汰は如何である」と尋ねたところが、その人ありのままに「威光に圧されて言葉を悉(つく)しにくいと申します」と答えた。重宗これを聴いて、われ過(あやま)てりと言ったが、その後ちの法廷はその面目を一新した。
 白洲(しらす)に臨める縁先の障子は締切られて、障子の内に所司代の席を設け、座右には茶臼(ちゃうす)が据えてある。重宗は先ず西方を拝して後ちその座に着き、茶を碾(ひ)きながら障子越に訟(うったえ)を聴くのであった。或人怪んでその故を問うた。重宗答えて、「凡(およ)そ裁判には、寸毫(すんごう)の私をも挟んではならぬ。西方を拝するのは、愛宕(あたご)の神を驚かし奉って、私心萌(きざ)さば立所(たちどころ)に神罰を受けんことを誓うのである。また心静かなる時は手平かに、心噪(さわ)げば手元狂う。訟を聴きつつ茶を碾くのは、粉の精粗によって心の動静を見、判断の確否を知るためである。なおまた人の容貌は一様ならず、美醜の岐(わか)るるところ愛憎起り、愛憎の在るところ偏頗(へんぱ)生ずるは、免れ難き人情である。障子を閉じて関係人の顔を見ないのは、この故に外ならぬ」と対(こた)えたということである。
 大正四年の夏より秋に掛けて上野不忍(しのばず)池畔に江戸博覧会なるものが催された。その場内に大岡越前守忠相(ただすけ)の遺品が陳列してあったが、その中に子爵大岡忠綱氏の出品に係る鑷(けぬき)四丁があって、その説明書に「大岡越前守忠相ガ奉行所ニ於テ断獄ノ際、常ニ瞑目シテ腮髯(あごひげ)ヲ抜クニ用ヒタルモノナリ」と記してあった。その鑷は大小四丁あって、その一丁は約七寸余もあろうかと思われるほどで、驚くべき大きさのものである。その他の三丁も約五寸乃至(ないし)三寸位のもので、今日の普通の鑷に較べると実に数倍の大きさである。芝居では「菊畑」の智恵内を始めとし、繻打奴(しゅすやっこ)、相撲取などが懐から毛抜入れを取出し、五寸ばかりもあろうと思う大鑷で髯(ひげ)を抜き、また男達(おとこだて)が牀几(しょうぎ)に腰打掛けて大鑷で髯を抜きながら太平楽(たいへいらく)を並べるなどは、普通に観るところであるが、我輩は勿論これは例の劇的誇張の最も甚だしきものであると考えておったが、この出品が芝居で見るものよりも一層大きい位であるから、当時はこのような大鑷が普通であったものと見える。これについても、今をもって古(いにしえ)を推すの危険な事が知れる。
 余談はさておき、大岡忠相が髯を抜いたのも、板倉重宗が茶を碾(ひ)いたのも、その趣旨は全く同一で、畢竟その心を平静にし、注意を集中して公平の判断をしようとする精神に外ならぬのである。髯を抜きながら瞑目して訟を聴くのも、障子越に訟を聴くのと同じ考であろう。司直の明吏が至誠己を空(むな)しうして公平を求めたることは、先後その揆(き)を一にすというべきである。


 それから、上記「正義の女神」とは別の論点として、このメタリカのアルバムのタイトル自体も重要な論点を提供している。“...And Justice For All” というのは、アメリカ人なら誰でも分かる(はず)の「合衆国国旗への忠誠の誓い(Pledge of Allegiance)」末尾の一節なのである。この誓いは、しばしば合衆国の公式行事で暗誦されるもので、以下の通りである。小学生でも暗誦してる(はず)。

I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.

 これは、講義中でも何度も触れる「共和主義(Republicanism)」の根幹に関わる儀式である。ただ、実際にはアメリカでも、本当に皆が覚えているかというと、ちょっと微妙なところで、以下のように「忠誠の誓い」の暗誦を皮肉ったものも存在している。子供たちのやつの方で、this is not the form of brain-washing とお経のように唱え続ける部分が笑えるのではあるが・・・。

[子どもたち(パロディ)]


The Whitest Kids U' Know - Pledge of Allegiance ...

 

 以上、よしなしごとも含めた備忘録。

 

TOKYO-FM TimeLine 「日本人がゾンビに魅了されてやまない理由」 出演メモ

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 昨夜、標記番組に出演して来ましたが、ディレクターさんから事前に頂いていた台本に載っていた Question への Answer の完全版は以下になります。20分未満の出演だったので、これを全部言うのは、さすがにムリでしたので。「花子とアン」の話が出来なかったのが痛恨です・・・。今日から1週間くらいは、下記のアーカイブで聴けるようです。早送りして真ん中くらいから。

 http://www.tfm.co.jp/timeline/webradio/player.php?y=2014&m=07&d=17&time=19&num=0

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<生出演:谷口功一氏>

1. ここ最近のゾンビ人気をどうご覧になっていますか?

● 「やっと時代が追いついて来たな!」というのは嘘で、これまで結構、日陰者的に愛好していたものが、普通に多くの人に消費され始めて困惑しているというのが、正直なところ。石の裏でのんびりしていたダンゴムシが突然、石をひっくり返されて白日の下に晒された気分です。
● あんまり胸を張って「ゾンビ好きです!」とかいうのは、どうかと思うんですよね・・・。
● 実際、この前、公開されたブラピ様の『ワールド・ウォーZ』も宣伝レベルでは、一切「ゾンビ」という言葉は使われていなかった。電通というか何というか、オトナの事情。要するに「ゾンビ」ってキーワードが出てくると、やはり消費層は限られるということではないかと思う。
● 映画館で観た時にも、カップルとかは女性の方が「ブラピ様、格好いい!」みたいな感想を述べていた。たぶん、ガチのゾンビマニアは、それ聞いて「ズーン!」みたいな。まあ、そんなもん・・・。
● NHKの朝ドラでゾンビやったら、ホントに流行ってる!って認めてもイイです。仲間由紀恵演じる白蓮がゾンビになって、イジワル仲居を喰い殺すのとか観てみたいですよね。村岡印刷の死んだ奥さんがゾンビになって蘇って、花子を喰い殺すのとかもイイかも。いや、吉高由里が蓮子様を喰い殺すのが見たいですね!

 

2.一方、日本以外でゾンビはどう捉えられてるのでしょう?

● 一番好きなのはアメリカ人。次がイギリス人で、最近、フランス人も参入して来たという感じ?そういえば、キューバもあった。『ゾンビ革命~ フアン・オブ・ザ・デッド』っての。これは本当にイイ映画なんで、お勧め。
● ゾンビ映画には、お国柄が出る。イギリスだとパブに立てこもったり、フランスだとイスラム系住民に席巻されて暴動の発火点になっている郊外(banlieue)が舞台になったり。キューバのは、ぶっ飛んでいる。初の社会主義ゾンビ?
● アメリカ人は、本当にゾンビ好き。度を超している。
● CDC(疾病管理センター)とかPentagon(国防総省)とか、超マジメ(でないと困る・・・)公的機関が、率先してゾンビに関するエントリーを公式サイトにアップしたり、対ゾンビ作戦の文書をこっそり作ったりしている・・・。大丈夫か?と・・・。
● 私が訳した『ゾンビ襲来』の著者も、アメリカでは外交官とかいっぱい出す名門大学であるタフツ大学のスター教授だったりするワケで、とにかく、何かのホントのエキスパートが本気になってゾンビについて考えている。日本語には翻訳されてないけど、ハーバードの医学部の教授が書いたゾンビ本というのもある・・・。もちろん、専門的知識を使いまくりの本。おもしろい本ですけどね。『The Zombie Autopsies(ゾンビの解剖学)』って本。

 

3.ゾンビが人気となる背景として考えられることは?

● 月並みな説明は、社会の不安がその背景にあって・・・ということになるんだけど、それは、ほとんど何の説明にもなっていないので、アメリカを例にとると、共和党と民主党の間での政権交代がゾンビ人気と因果関係がある、という研究をしている人もいます。暇ですよね・・・。
● ピーター・ディヴィスという人は、共和党/民主党とゾンビ/ヴァンパイアとの関係について次のようなことを言っています。
● 共和党はヴァンパイアを怖れる。なぜなら、それは性的逸脱や伝統への叛逆、あるいは外国人(そもそもドラキュラ公はルーマニア人)を想起させるからである。彼らの目には大規模な財政支出を伴う医療保険制度のようなものを実施しようとするオバマ民主党は、自由市場経済に寄生し、資本主義から血を吸い取ろうとするヴァンパイアに映るのである。
● 民主党はゾンビを怖れる。なぜなら、ゾンビは、ひたすら消費のみを行う存在であり(Braaains!)、その究極の目的は全人類を彼らと同じ存在へと「同化(assimilation)」させることだからである―― だからこそゾンビは共食いせず、生き残った人間だけを襲うのだ。リベラルな民主党にとって、ゾンビは因習的な宗教を表象するものでもある(キリストは死から甦った上で、人びとを改宗=同化させた!)一般的に保守は、「安定と伝統」を重視するが、ゾンビ社会は究極のかたちで、それを実現しようとする。なぜなら、ゾンビは社会の変革を目指したりせず、リベラルの目から見れば、順応主義(conformist)的で、自分のアタマで考えようとしないからだ。従って、リベラルにとってのゾンビとは、郊外的(suburban)であり、保守的であり、そして人種差別(racist)的なものの表象なのである。
● しかし、この説明を念頭に置いて、映画の封切り数を見てみると、なぜか共和党政権期にこそ、ゾンビ映画が増えてるんですよね。
● 具体的には、ニクソン政権(共和党)開始の一ヶ月前に『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』が封切られるが、カーター(民主党)政権の誕生と共にゾンビ映画は凋落する。その後、1980年代のレーガン(共和党)政権期は、ゾンビ映画が最も豊穣となる。クリントン(民主党)が父ブッシュ(共和党)を下した十日後、コッポラの『ドラキュラ』(1992)が封切られた。クリントン期には、『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』や『ブレイド』なども封切られている。ブッシュJr.(共和党)政権になってゾンビは復活する。この時期、『28日後・・・』、『28週後・・・』、リメイク版の『ドーン・オブ・ザ・デッド』や『デイ・オブ・ザ・デッド』、そして『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』などが封切られた。7年間に183作(年平均26作)とゾンビ映画は急増した。オバマ政権(2008~)下においては、ゾンビ映画は7作のみ劇場封切り。ヴァンパイア映画は、2008年だけで18作以上封切られている。
● この話は、ややこしいので、私が『ユリイカ』という雑誌に書いた文章でも読んでもらった方がイイかもしれません。よー、わからんのです。

 

4.社会的に不安定な時期にゾンビが求められるということは、アベノミクスで景気は上向きといえども国民は「何か」不安を抱えている?

● まあ、私も年金とかいろいろ不安ですけど、安倍政権になる前からゾンビ好きですからねえ・・・。安部さんがどうこうとかいうことではなく、昨今のゾンビ人気というのは、もっと長いスパンでの社会の変化に対応しているのではないか、と。

● 過去をさかのぼってみると、90年代の不安は、95年のオウム・サリン事件でピークを画すんだけど、これについては社会学者の宮台真司先生が「終わりなき日常」っていうことを言い出して、この図式はひろく受容された。
● しかし、この終わらないと思われたマッタリした《日常》は、失われた20年~リーマンショック~311で、いとも簡単に木っ端みじんになり、むしろ、そんな《日常》懐かしいYOネ!みたいな事態に。
● 特に311以降は《日常》どころか《終末》が常駐するように。《終末》の最も端的な形態は「死」だけど、「太陽と死は直視出来ない」ところ、のろのろ歩いてじっと凝視しやすいゾンビは、《終末》世界をイマジネーションによって加工するための恰好のメディアだったのかもね、とか。

● 余談だけど、「哲学」も《危機》の時に流行る。
●『ソフィーの世界』1995年(数百万部)=オウム事件+阪神大震災
●NHKのハーバード白熱教室で一世を風靡した『これからの正義の話をしよう』のサンデル(始球式)→ 311

 

5.ウォール街デモの際、人々はゾンビに扮していましたが、人は「ゾンビになりきる」ことで何を表現しようとしてるのでしょうか?

● 別に何かを表現したいとか、たぶん無いですよね。好きだからやってるだけ、みたいな。
● それよりも面白い話があって、いま安部政権ですけど、わたし以前、国会の会議録を検索して、日本の国会が日本国憲法制定後、どんくらいゾンビの話をしているのか調べてみたんですよね。
● この時は、180回国会までの分析をしたんですが、52回、「ゾンビ」って言ってます。国会で大まじめな顔して。
● ちなみに、日本の国会で初めて「ゾンビ」って口に出して言った人は、実は民主党の前原さんで、現職の総理で言った人は未だ居ないんですが、のちに総理になる人では、鳩山さんだけが「ゾンビ」って言ってます。味わい深いです。
● で、今回、せっかくなので『ゾンビ襲来』の解説では分析してない181国会から直近の186回国会までの会議録を調べてみたら、この短い間に、なんと21回もゾンビって言ってました。やっぱゾンビ流行ってるのかも!安部さんは言ってませんが。

 

6.いまゾンビのような「生ける屍」状態の人が多い時代になっている?

● 日本人の幸福度が各国と比較しても低いとかいう各種統計とか見ると、あぁ、ゾンビ化してんのか、とも思いますが、ゾンビに意識があるかどうかは分からないし、これはとても難しい哲学的問題(哲学的ゾンビという問題)なので、何ともいえないですね。宮藤官九郎さんが新作歌舞伎でゾンビを題材にしたものの中で、「意識はないけど、やる気はある!」とゾンビに言わせてましたが、まあ、そういうことなのかな、と。早く意識を取り戻したいものです。