「スコッチ親善大使」回想記

 たった今、否決が確実になったが、スコットランド独立投票のニュースに接し、久々に昔行ったスコットランドのことを色々と思い出したので、以下、記し留めておく。当時の記録の類がすぐ手に届くところにないので、色々と記憶違いもあるかもしれないが、備忘を兼ねて。なお、このエントリーは、今後も思い出すことがあれば、加筆訂正する。

※ 2014年9月19日(現地は18日)スコットランド独立投票・開票速報
 http://www.bbc.com/news/events/scotland-decides/results

 

 今を遡ること20年以上前、私は「スコッチ親善大使」というのをしていた。

 当時、イギリスのウィスキー会社 United Distillers の日本支社(UDJ)が五反田にあり、そこが開催したエッセイ・コンテスト(「私とウィスキー」)みたいなのに応募したのだった。1次選考のエッセイを通ったら、2次選考では英語で面接をされ、たぶん100人以上応募していたと記憶しているが、その中から4人が選ばれ、学生スコッチ親善大使としてスコットランドに行き、蒸留所でウィスキーの製造過程に触れさせてもらえたのだった。

 私が親善大使になったのは、確か二代目か三代目くらいだったと思うのだが、その後、この制度は、いつぐらいまで続いたのだろうか?ネットで検索すると、この親善大使を経て、本当に醸造学?のプロになった人も居るようだ(佐賀大学の北垣浩志先生:http://seisansystem.ag.saga-u.ac.jp/Staff.html

 今回これを書くにあたり調べてみて初めて知ったのだが、上記UDはギネスが持ってた Distillers Company と Arthur Bell & Sons を統合して1987年に設立された会社で、その後、合併を繰り返し、United Distillers & Vintners を経て、現在は Diageo Scotland になっているとのこと(下記、参照)。

 http://en.wikipedia.org/wiki/United_Distillers

 スコッチ親善大使は、本当に太っ腹な企画で、往復の旅費・滞在費のすべてを会社が出してくれた上で、スコットランド各地の蒸留所に、それぞれ1週間程滞在し、つなぎの作業着を着て、ウィスキーの製造工程を学ばせてくれるというものだった。滞在していたホテルのバーでは、ウィスキーを社割で呑むことが出来た。今にして思えば、本当に夢のような話である。

 確か7月頃だったと思うが、成田空港からブリティッシュ・エアウェイズヒースロー空港まで行き、そこから国内線の Dan-Airというのに乗り換えてインヴァネス空港まで行ったように思う。この空港名、曖昧なのだが、着陸の直前、横に座っていた乗客が窓外を指さして「あれが、Moray Firth(マレー湾)だ」と教えてくれたのだけハッキリと覚えており、マレー湾を見ながら着陸する空港は、多分ここしかないはずかと。

 インヴァネス空港には車が迎えに来ており、Elgin という町のホテルに一泊したような気がする。この町の近くには、Glen Elgin 蒸留所があるが、そこには行かなかった。

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※ Glen Elgin

 翌日、車に乗って Pitlochry という小さな町に着いた。我々は「ピットロッコリー」と言っていたのだが、漱石は下記の通り「ピトロクリ」と記してあり、ネット上では「ピットロッホリー」という表記を多く見た。

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「ピトロクリの谷は秋の真下にある。十月の日が、眼に入る野と林を暖かい色に染めた中に、人は寝たり起きたりしている。十月の日は静かな谷の空気を空の半途で包んで、じかには地にも落ちて来ぬ。」夏目漱石「昔」、『永日小品』所収

青空文庫夏目漱石著『永日小品』の「昔」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/758_14936.html#midashi200

 ロンドンに2年間留学していた漱石は、イギリス嫌いが嵩じ、最後には錯乱状態(「漱石、発狂セリ」の電報)になってしまったが、帰朝直前、1902年の秋、ピットロッコリーに数週間滞在し、精神の平衡を取り戻したとのことである。

 ピットロッコリーでは、確か Castle Beigh というホテルに滞在し、毎朝そこから車で Blair Athol 蒸留所まで送迎してもらい、紺色のつなぎを着てウィスキーづくりを見せてもらっていたのだった。本当に作業をすることも少なからずあった。ここで作っているシングル・モルトは、BELLというポピュラーなブレンデッド・ウィスキーの原酒の一つだったと思う。

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※ Blair Athol
※ Blair Athol 蒸留所サイト

  http://www.discovering-distilleries.com/blairathol/

 作業の合間に、Canteen という休憩小屋で、コーヒーを呑みながら Silcut というタバコを吸っていたのは懐かしい思い出だ。当時のレートは1ポンド=250円くらいで、1箱4ポンド近くもした記憶がある。蒸留所の職人のオッサンたちと一緒になって、色んなアホ話をしていたものである。

 この後、順序はもはや思い出せないのだが、イギリス王室のバルモラル離宮の近くにある、Royal Lochnagar 蒸留所に移り、そこにも1週間ほど居たように思う。

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※ ロッホナガー蒸留所サイト
 http://www.discovering-distilleries.com/royallochnagar/

 蒸留所の裏には、ウィスキーをつくる際に用いる水源であるナガー湖(Loch Nagar)があり、とても綺麗なところだった。

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 ここでWarehause(貯蔵庫)に入った時、まだ成人していなかったアンドリュー王子が成人したあかつきに開けられる秘蔵の樽の中身を呑ませてもらったのは幸運だった。
 ロッホナガーに居る間、バルモラル城の近所でほんの数メートルの至近距離からエリザベス女王を見る機会に恵まれたが、本当に小さな人だったと記憶している。
 あとは近くにある確かペルノー所有のスコットランドで最も小さな蒸留所であるEdradour蒸留所というところに、ホテルで同宿していて食堂で知り合ったドイツ人夫婦と行った。
 休みの日には、蒸留所の所長が愛車のアウディスコットランド第三の都市アバディーンまで連れて行ってくれ、映画館で「エイリアン3」を観て、有名なフィッシュ&チップスの店に行った。「フィッシュ&チップスは、下品なタブロイド新聞みたいなのでくるんで食うのが粋だ」みたいなことを言っていたのも、よく覚えている。アバディーンでは東洋人を目をすることがなく、とても綺麗な街だった。

 この他に、第二の都市エディンバラと最大の都市グラスゴウ、それからロンドンにも行ったのだが、この辺りのことは、もはや記憶が朦朧としている。エディンバラでDillons?という書店に入り、当時まだ日本では余り無かった(と思う)ウィスキー関連の本などを買い漁ったものである。後に土屋守訳が出て一世を風靡したマイケル・ジャクソンのあの本とか。あぁ、そうそう。インヴァネスにもドライブして、ネス湖を観たな。

 スコットランドでの旅の最後は、確か Stirling にあるジョニーウォーカーのボトリング工場の見学を行い、マーケティングセンターみたいなところで、「日本でシングル・モルトは売れるか?」とかヒアリングされた記憶がある。当時はまだ、日本国内では、それほどシングル・モルトは流行っておらず、「クセも強いので難しいのでは?」と答えたのだが、その後、世界中を見渡しても、これだけの種類のシングル・モルトを呑める国は日本以外になく、不明を恥じるばかりである。

 今でも時おり思い出すのは、なだらかに広がる泥炭地を覆うヒース(Heath)の丘陵地の光景である。

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※ https://www.flickr.com/photos/gregheath/7060603507/

 7月でも天候によっては肌寒いくらいの日もあったが、9月のいま時分だと、もう寒いくらいだろう。春になると薊の咲き乱れる、このヒースの丘に降って濾過された雨がウィスキーの原料となる。久しぶりに、ロイヤル・ロッホナガーでも1杯やりたい気分になった昼下がりなのであった。

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