磯田光一 『左翼がサヨクになるとき』

 過日、磯田光一の『左翼がサヨクになるとき』(1987)を読了した。文芸評論などを読むのは実に久しぶりのことだが、予想外に面白かった。磯田氏のものは、昔、『殉教の美学』と『永井荷風』を読んだことはあったのだが、この本は存在だけ知っていたものの恥ずかしながら読んでいなかったのだった。 

左翼がサヨクになるとき―ある時代の精神史

左翼がサヨクになるとき―ある時代の精神史

 

  タイトル後段は、我々世代にとっては「青春の作家」である島田雅彦の『優しいサヨクのための嬉遊曲』(1983)を指しているのだが、この中で取り上げられる作家は、先日亡くなった大西巨人の『天路の奈落』から始まり、中野重治・佐多稲子・平野謙、中里恒子・芝木好子、黒井千次、高橋和巳・桐山襲、筒井康隆、立松和平・村上春樹、そして島田と、特に前半は、今となっては実に渋い?ラインナップになっている。

 内容はタイトルの示す通りであって、漢字の「左翼」が高度成長期を経て、いかにして軽いカタカナの「サヨク」へと変質してゆくのかを丹念に描き出したものとなっている。個人的には桐山襲の『パルチザン伝説』を取り上げた前半までを特に興味深く読んだが、現代の大学生がこの本を読んで、どこまで分かるだろうか(楽しめるだろうか)という点については、しばし考えさせられた。「32年テーゼ」とか「六全協」とか言われて「あぁ、アレですね」とかいう学生は居ないし、居てもどうかとは思うのだが・・・。

 実際、著者も「あとがき」で記している通り、「昭和文学史と昭和左翼理論史の基礎知識」を読者があらかじめ持っていることを前提として書かれているものなので、まあ、仕方がないのだが。

 本の内容からは少しく離れてしまうが、最近、文芸誌『群像』の新人評論賞も、とうとう廃止されたらしく、いよいよ(文芸)評論には(特に若い)読者など居ないのだろうと思わされ、こういう読書体験というのも私の世代を最後にして滅びゆくものなのだろうな、とも。

 閑話休題。本書の前半の内容は、実に腑に落ちる話で、中野や最近まで生き延びた大西などに中に体現されていた漢字「左翼」とは、つまるところが「旧体制」下で、儒学や教育勅語を注入されて育ってきた人びとの「道徳性(morality)」の発露であって、それは「ますらをぶり」や鴎外の『礼儀小言』に通じてるものである、と。

 日本思想史の文脈のうえでは、儒学のつくりあげた“型”が崩壊してゆく時代のなかで、儒学の世界像を再建したのが昭和のプロレタリア文学だったのかもしれない。・・・昭和の国家主義が「国家」を「公」の中心に置いたのにくらべて、マルクス主義は国家を否定した、と人はいうかも知れない。しかし現存する国家を否定しようと“あるべき国家”を社会主義というかたちで構想していた以上、それは広義の国家主義と呼んでもいっこうにさしつかえないのである。このときマルクス主義とは、そのまま昭和の新しい「国学」であり、その道徳の質は「礼儀小言」そのものではないか。[同書:p.16] 

 

 ここで私は、戦後文学のはらんでいる最大のパラドックスに直面せざるを得ない。「左翼」的と俗称される戦後派の文学とは、明治憲法と教育勅語の育て上げた世代の硬派な人格が、明治憲法と教育勅語のイデオロギーを果敢に批判した文学だったのではなかろうか。[p.30]

 

 他には、桐山襲を取り上げているところでは、予想通りカール・シュミットが引かれており、長尾龍一先生まで引かれているのには、少しニヤリとした。

 最終章の島田雅彦の章では、冒頭意表を突かれた。アンソロジー『スターリン讃歌』に収録された詩を長々と引用した上で、「私は旧世代の左翼をおとしめるために、こういう作品を引用しているのではない」と磯田は書いているのだが、私はこの下りを読んだ際、笑いすぎて痙攣し、しばらくベッドの上から動けなくなったほどであった。イケズにも程がある・・・。

 この本の中で描き出された「左翼からサヨクへ」という図式は一面において、高度成長という時代の潮流によって強力に駆動されたものだったわけだが、「一億総中流」が、もはや遙か彼方の幻影となり、「格差」云々が日常的に語られるようになった今日、「サヨク」は未だに「サヨク」のままなのか、或いはそうであって良いのか、という点に思いを致し、本を閉じた。毛頭、左翼ではない私にとっては、まったくもっての他人事なのではあるが。

 

追記:とはいうものの、色々考える上では「左翼」の歴史は知って欲しいところで、私がいつも講義で熱心に薦めるのは、以下の書籍(上下巻ともに) 。

フィンランド駅へ―革命の世紀の群像〈上〉

フィンランド駅へ―革命の世紀の群像〈上〉

 

  これは、本当に素晴らしい本であり、書名の意味するところも含めて一読、深い感銘を受けることは間違いないので、ぜひ学生のうちに読んでおいて欲しい一冊。

 

 

行政代執行と 『ぼくの村の話』

 Facebookを見ていたら、友人の行政法学者が「行政代執行」の実例を知ってもらうため、学生さんたちに「橋下知事・行政代執行でイモ畑を撤去/2008年」という動画(YouTube)を見て貰ったという話を書いていたのだが、行政代執行にまつわる形で私がすぐに想起するのは、尾瀬あきらの漫画『ぼくの村の話』(全7巻)である。成田空港に行くたびに、わたしの脳裏には、この漫画のことが浮かぶ。 

ぼくの村の話(5)

ぼくの村の話(5)

 

  尾瀬のものとしては『夏子の酒』(94年に和久井映見主演でドラマ化)の方が知名度があるだろう。『ぼくの村の話』は『夏子』の連載終了後、1992年春から1993年末にかけて同誌で連載されたものであるところ、『夏子』ほどはヒットしなかったので、知らない人も多いかもしれない。

 わたし自身も、連載時(大学2年生くらいの時か)には読んでおらず、その後、呉智英が『ダヴィンチ』だかでやっていた漫画批評の連載で、その存在を知った。確か、この時の連載は、1998年刊の『マンガ狂につける薬』に収録されていたかと思う。 

マンガ狂につける薬 (ダ・ヴィンチブックス)

マンガ狂につける薬 (ダ・ヴィンチブックス)

 

  内容は『ぼくの村の話』という和やかなタイトルからは想像もつかないもので、いわゆる「三里塚闘争」を、現地の村に住む少年の視点から描き出したものである。この漫画は、「行政代執行」も重要な場面として登場するのだが、政治や社会運動に関して、実に味わい深い洞察を与えてくれるものであり、未読の方には是非、手に取って読むことをお薦めしたい。

 作中では、空港建設予定地となった村での行政代執行とそれに対する村人たちの凄まじい抵抗の場面が描き出されているのだが、最も深く私の記憶に残ったのは、当時、三里塚に入って来た学生運動家たちと村人との間に芽生えた交流と断絶へと至る過程への描写で、いつの時代にも同じことが繰り返されているのだなと、ある種、暗澹たる想いをもって頁を捲ったのを記憶している。


29 - 三里塚 成田闘争 行政代執行 東峰十字路事件 - 1971 - YouTube

 小林よしのりが最も輝いていた頃、『SPA!』での連載「ゴーマニズム宣言」などから薬害エイズ問題をめぐって巻き起こした社会運動の成功とその顛末なども、先述の『ぼくの村の話』の中のエピソードと似たようなところがあるかもしれない。この点に関しては Wikipediaゴーマニズム宣言」の項の「薬害エイズ問題を巡って」の部分に簡単な経緯が記されているので、興味のある方は、そちらを参照されたい。

 

 閑話休題。この『ぼくの村の話』については個人的な思い出もあって、数年前、調布の或るスナックで独りで呑んでいたところ、隣に座った年輩の男性から話しかけられた時のことが思い出される。

 男性は、現在はタクシー運転士をしているのだが、かつては警官をしていたとのことで、よくよく話を聞くと、調布(上石原)の第七機動隊に居たというのである。かなり酒が入っていたのではあるが、しばらく話を継いでから、おもむろに三里塚闘争の話を振ってみたところ、当時この男性は現場に居たと言うので、やや躊躇いがちに「『ぼくの村の話』っていうマンガ知ってますか?」と訊ねたところ、「機動隊では、みんな読んでいた」とのことだった。ひと言ぽつりと出た「あんな事は、僕らもしたかなかったんですよ」という言葉が今でも記憶に残っている。

 

 「行政代執行」から随分と遠いところまで来てしまったが、マンガには並みの文学作品には及びもつかない数多くの傑作が存在しており、学生の皆さんにおかれては(もちろん文学作品も読んで欲しいのだが)、マンガも色々と貪欲に読んで頂きたいところである。

 マンガ批評の分野では、先に挙げた呉智英が、その先駆者として讃えるべきところであるが、代表的なものとしては、1986年に刊行され、現在は双葉文庫になっている『現代マンガの全体像』などが挙げられる。 

現代マンガの全体像 (双葉文庫―POCHE FUTABA)

現代マンガの全体像 (双葉文庫―POCHE FUTABA)

 

  大学二年生の頃、私は駒場の図書館に籠もって『ガロ』のマンガ評論新人賞に送るため原稿用紙にせっせと拙い文章を書いていたが、最終選考には残ったわたしの作品への誌上での「講評」で、呉智英氏から痛烈な批判を頂いたのは、今となっては良い思い出である。

 

 追記:上記の新人賞用の手書き原稿をワープロで打ち直してくれた同級生の水谷くん、改めて有り難う。

 

 追記2:どうでもイイ話なのだが、冒頭で成田空港の話を書いているところ、海外に行く時以外にも、外国からの友人が国内線への/からの乗り換えで成田に来た際、成田イオンモールに連れて行ったりするのだが、彼らはイオンに行くと目を輝かせて喜んでくれる。同様のことがある場合、ココはお薦めの場所である。

 このイオンモールでは、成田にはタイ人がいっぱい居るのだが、私がモールを歩いていると、タムロっているタイ人の若者たちが一斉に私の方を向いて目礼することが、何度もあり、困惑したことがある。タイの貴人?で私に酷似した人が居るのだろうか・・・というのが年来の疑問なのである。

 

大学生と電子メール

 今年も新学期が始まったが、わたしは1年生向けの基礎ゼミナールも毎年担当しており、電子メールについて幾つかメモ代わりにここに書いておいた方が良いこともあったので、以下、よしなしごとも含めて。

 昔話になって恐縮なのだが、私が大学生になった頃には未だ携帯電話もそれほど普及しておらず、今のような形の本当に「携帯」出来るような形態のものは、学部の3年か4年くらいの頃からちらほら見始めるようになったと記憶している。つまり電話での連絡はほとんどの場合、固定電話によるものだったのである。余談だが、最初期の「携帯」電話は、以下のような肩掛けで持ち運ぶものだった。わたし自身は、さすがにこれは所持したことはないが、親の知人が持っているのを使ったことはある。

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 従って当時、仲の良い異性が出来たりしても、相手が実家住まいである場合には、相手の家に架電すると「(トゥルルルルル)はいっ!カミナリ寿司です!」などと勢いよく親御さんが先方の受話口に出て来ることもあったのだった(これは私の同級生が遭遇した実話である。彼は恐怖の余り電話を切ってしまったらしい)。この関門を通過出来なければ楽しい学生生活は無いわけであって、ある種、強制的な「社会化」のイニシエーションが存在していたわけである。

 閑話休題。肝心の電子メールなのであるが、大学生が使用するネット上のコミュニケーションツール(含SNS)は、わたし自身が今の大学に赴任して以来、PCメール(携帯メール)、2ちゃんねる、mixi、twitter、Facebook、そしてLINEと変遷して来たが、どうも最近の学生さんたちは、初っぱなからLINEでお互いに繋がっているため、もはや携帯のメールさえ余り使っていないような印象さえ持っている。そのためか大学院生くらいでも余りPCメールのアカウントは頻繁にチェックしていない場合があるようだ。

 90年代にパソコン通信からネットの世界に触れ始めた私としては、もはや隔世の感ではあるのだが、しかし、PCベースでの電子メールのやり取りは、社会人になってからも行われるはずなので、出来るだけ早い時期にメールのやり取りに関して最低限のマナーを学んでおいて頂ければと思う次第である。

 PCでの電子メールのお作法については、以下に大変よくまとまっているので、学生の皆さんは是非読んでおいて欲しい。

 

1)大学教員へのメールの書き方(江口聡先生作成)

 http://melisande.cs.kyoto-wu.ac.jp/eguchi/archives/71

2)メールを書くときには、ここに注意(松岡和美先生作成)

 http://user.keio.ac.jp/~matsuoka/mailsample.htm

 

 わたし自身もスマホを使っており、その便利さは分かっているのだが、長大なある程度以上の長さの文章をキチンと校正しながら作成するのは、やはりPC(しかもデスクトップ)にまさるものは無いので、PCでメールを作成する作法を早めに身につけて頂きたいものである。

 

※ 追記(2015年5月20日)

 以下、非常に興味深い記事。とうとうスマホでもメールの利用率が半数を割ったとのこと。2014年から15年の間に大変動が起こっている?

internet.watch.impress.co.jp

 

2014年度の谷口ゼミ告知

 シラバスが出るのはもう少し先ですが、この4月からの谷口ゼミ(通年・水曜2限)の内容について先取りして告知しておきます。
 今年度は、グローバリズムと人の移動について考えてみたいと思っています。端的に言って「移民」の問題です。
 わたし自身、ここ数年、郊外コミュニティへの関心から派生する形で、様々な実地調査なども行って来ましたが、それらに関して理論的見通しをつけるためにも、今回このテーマを選びました。
 具体的には、現代正義論の知見も用いて移民問題に関して規範的な検討を行う、以下の文献の講読を考えています。本書は、目次を見てもらうと分かる通り、2人の論者が移民受け入れに対して賛成(pro)と反対(con)に分かれ、それぞれの論陣を張るという形のものになっています。 

Debating the Ethics of Immigration: Is There a Right to Exclude? (Debating Ethics)

Debating the Ethics of Immigration: Is There a Right to Exclude? (Debating Ethics)

  • 作者: Christopher Heath Wellman,Phillip Cole
  • 出版社/メーカー: Oxford University Press, U.S.A.
  • 発売日: 2011/09/30
  • メディア: ペーパーバック
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  下記の目次にある通り、前半は「移民反対」の論陣で、平等論(egalitarian)・リバタリアン・デモクラシー・功利主義などの観点からの議論を展開しており、後半は「移民賛成」の立場から「開かれた国境(open borders)」を主張しています。

 

INTRODUCTION

FREEDOM OF ASSOCIATION AND THE RIGHT TO EXCLUDE
In Defense of the Right to Exclude
The Egalitarian Case for Open Borders
The Libertarian Case for Open Borders
The Democratic Case for Open Borders
The Utilitarian Case for Open Borders
Refugees
Toward an International Institution with Authority of Immigration
Guest Workers
Selection Criteria
Conclusion

OPEN BORDERS: AN ETHICAL DEFENCE
The Shape of the Debate
The Case Against the Right to Exclude
Wellman on Freedom of Association
Consequentialist Concerns
Towards a Right to Mobility
Conclusion
Index

 

 最近、安倍政権からのメッセージとして移民拡大などの議論も仄聞するところではありますが、とかく感情的な反応を招きがちな、この問題に関して規範的・分析的に考えてみる、というのが今年のゼミにおける一つの目標です。
 わたし自身、この問題について真剣に考え始めたのは、本学の宮台真司先生も出演している映画『サウダーヂ』を観てからなのですが、この映画を未見の人は、ぜひ機会をつくって観て頂ければとも思います。渋谷のオーディトリウムで何度も再上映しているので、ゼミ期間中に上映されるようなら、ゼミで観に行っても良いかなと思っています。

 

映画『サウダーヂ』

http://www.saudade-movie.com/


 あと、今年度は新規の試みとして、後期・水曜3限に日本政治思想史の河野有理先生と比較政治の梅川健先生と私の3人での合同ゼミを行います。
 演習題目は「米中関係と戦後日本--冷戦を再考する」です。以下、シラバスから若干の抜粋をしておきます。

 20世紀を考える上で致命的に重要なのは「冷戦」である。本演習ではこの問題を取り上げ、それについて考えるための基礎的な知識を習得する。参加者は、課題文献として指定された本を読み、その内容について考え、他者と議論するための作法を学ぶ。
 「冷戦」は、通常、「米ソ」(アメリカとソ連邦)冷戦として捉えることが多い。だが、この演習では、「米中」関係に注目して冷戦を見てみたい。アメリカや中国あるいは戦後日本の政治思想に関する重要文献を、古典から実証研究まで幅広く読む。方針としては、精読ではなく多読を重視し、報告とディスカッションを中心に運営する。担当教員は、二人とも毎回出席する。
 政治や歴史あるいは哲学について、政治思想史や法哲学、現代政治といった専門分野の垣根を越えて、ざっくばらんに議論する。読書が好きな人は、誰でも歓迎する。修士課程への進学を希望する人も積極的に参加して頂きたい。

 1973年生まれの私にとって冷戦は身近(?)なものでしたが、学生の皆さんにとっては、必ずしもそうではないでしょう。谷口と河野・梅川両先生との間にも若干の時代(年齢)的ギャップがありますが、様々な観点から、特に「中国」にフォーカスをあてて冷戦について考えてゆくこととしたいと思っています。ウクライナ(クリミア)問題でも「新冷戦」云々され始めた時期だけに、偶然ではありますが、誠に時宜にかなったものであると自画自賛したいところではありますが。

 以上、熱意ある学生の皆さんの積極的な参加を期待します。

謹賀新年2014

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 新しき/背広など着て/旅をせん/しかく今年も/思い過ぎたる

 何となく/今年は良い事/あるごとし/元日の朝/晴れて風なし

 

 上記、いずれも啄木の歌であり、毎年、歳晩になると最初の歌にあるよう、何ごとかをやり残した感を抱えつつ年を越えてしまうのではあるが、新年と相成ったからには、次の歌にあるよう、無根拠な楽天主義と共に、これからの一年を乗り切って行きたいと思うばかりである。

 

 本日、おおかたの人にとっては、仕事始め。良い一年を。

 

 冒頭の写真は、本日の朝の空。

ひとをして語らしめる書/速水健朗 『1995年』

 ようやく、速水健朗著『1995年』ちくま新書、読了。既に多くの書評も出ているものの、以下、蛇足ながら。 

1995年 (ちくま新書)

1995年 (ちくま新書)

 

  著者は私と全くの同い年の1973年生まれ。以前、機会を得て直にお会いし、四方山話をさせて頂いた際、この1995年前後は、お互い歩いて10分ほどの世田谷界隈・小田急沿線に住んでいたことが分かったりしたこともあって、私は本書を何とも言えない親近感の下に読み進めた。

 内容は、「政治、経済、国際情勢、テクノロジー、消費・文化、事件・メディア」の6項目に関して、この年に起こったことを比較的淡々と記述してゆきつつ、随所で著者の見解を挿し挟む形式になっている。そのようなわけで、これまでの速水本と比べると、著者自身が前面に迫り出して来る感じは薄いのだが、代わりに迫り出して来るのは《読者自身》なのではないかとも感じた。私自身が、まさにそうであって、本書の頁を捲りながら、走馬燈のように当時の様々なことが思い出された。良い本は、読後、その本自体の内容を離れても、ひとをして様々なことを語らしめるものだが、この本は、そのような意味での自分語りを誘発する本なのである。

 そういうわけで、読書メモも兼ねて自分語りも含めながら、以下。

 

● 青島都知事による都市博中止と『踊る大捜査線』の青島刑事 [36-38]

 

 知らんかった・・・。

 

● 焼酎 vs スコッチ戦争 [55-59] → 焼酎の勝利

 

 私は大学生の頃、当時まだ日本に支社を持っていた United Distillers(UD)が開催したウィスキー・エッセイコンテストみたいなのに応募して、「学生スコッチ親善大使」というものになったことがある。当時のUDの日本支社(UDJ)は五反田にあった。

 このコンテストには、少なくとも百人以上は応募していたと記憶しているが、その中からエッセイと英語での面接でふるいを掛けて最終的には4人がスコッチ親善大使に選ばれたのだった。親善大使というのが何をするのかというと、渡航費用・滞在費用すべてUD持ちで、1ヶ月間、スコットランドの蒸留所でウィスキー作り(の真似ごと)をするのである。

 私が主に滞在したのは、Speysideのピットロッコリーにある Blar Athol Distillery (BELLの原酒をつくっている)と、王室御用達の Royal Lochnagar Distillery だった。これらの蒸留所にホテルから毎日、ツナギを来て“出勤”し、記憶にある限りで、糖化・発酵・蒸留・樽詰めなどの全過程を経験するのである。休憩時間には、他の労働者と一緒に Canteen と呼ばれる詰め所で、当時4ポンドもした Silk Cut という煙草をふかしていたのを覚えている(当時からイギリスは付加価値税などの関係で煙草は異様に高かった)。

 この時に良く覚えているのは、途中でスコットランドとイングランドの境目あたりにあるジョニー・ウォーカーのボトリング工場兼マーケティングセンターに連れて行かれ、当時はまだシングル・モルトなど、ほとんど一般には知られていなかった日本で、シングル・モルトの販路を拡大するのは可能か?とインタビューされたことだった。わたし自身はウィスキー好きではあったが、シングル・モルトは嗜好性が高すぎる(平たく言うとクセが強すぎる)ので、日本人には合わないのでは?と答えたと記憶している。しかし、その後、日本のバーがシングル・モルトで溢れかえり、今や世界中どこの国を見ても、これほど多様かつ豊富なウィスキーを気軽に飲める国は日本以外にはないと言っても過言ではない状況になったのには、驚かされるばかりである。そして、その背景には、この速水本で描かれている「ウィスキー vs 焼酎」戦争があったのを今回初めて知った。

 

●『トレインスポッティング』

 

 講義中に「平等論(Egalitarianism)」に関する回で毎年『ハマータウンの野郎ども』に触れる際、よく「ココで言う“野郎ども(lads)”ってのは映画『トレインスポッティング』に出て来るような人たちのこと。Underworld がテーマ曲やってて」とか言って、学生がポカーンとしているのだが、そうか、これ95年だったのか。そらポカーンだわな、と。

 

● ウィンドウズ95発売、Pipin@と瀕死のアップル

 

 コレも学生ポカーンな話だが、この頃、私は確か富士通のOASYS-LITE(親指シフト)みたいな機種を使っていて、基本ワープロなのにパソコン通信も出来るというので、FENICS ROAD2 とかにコネクトしてニフティサーブで遊んでいたわけだ。まだDOS言語が使われていた時代で、哲学者・黒崎政男の『哲学者クロサキのMS-DOSは思考の道具だ』とかを読んでビックリしていたのを懐かしく思い出す。

 

●『BRUTUS』、『スタジオボイス』、『骰子(DICE)』などの雑誌で「インターネット」特集。しかし、「宮台真司が『終わりなき日常を生きろ』の原稿のやり取りを、メールだけですませたと自慢していたり・・・」[108]

 

 当時は、メールという言葉をもう使っていたかな・・・?パソ通のオフ会とかに出ると「ID教えて」とか言い合っていたような。私自身が、インターネットそのものに“衝撃”を受けたのは、2000年代に入ってからだったような気がするのだが、Dino Buzzati の The Tartar Steppe についてAmazonのカスタマーレビューに初めて英語で投稿してみたところ、イスラエルの女子大生からブッツァーティの研究文献教えてくれろと頼まれ、Telnet経由でOPACを使い調べ感謝のメールを貰った時だった。この時、初めて「世界はつながっている!」と実感した。(追記:この辺りの話、曖昧なので後でよく思い出す必要がある)

 

● 四万十川料理学園講師、キャッシー塚本 [139]

 

 死ぬほど笑わせて貰いました。

 

●「総務省統計局・住民基本台帳人口移動報告を見ると・・・団塊ジュニア世代は、人口ボリュームが大きいにもかかわらず、地方での生活を選ぶ率が高かった世代、都会に出る数が少なかった世代なのだ。」[147]

 

 実感としては分からない。私は大分県別府市出身なのだが、同級生は、福岡に行く以外は、若干、大阪・京都で、ほとんど東京に出て来ていた気がする。ただ、うちは進学校だったので、同世代全体ということになると、実態は、こうだったのか・・・とも。

 

● 下北沢ZOO(→SLITS)。

 

 あったのは知ってはいたが、結局わたしはZOOには行くことなく、梅ヶ丘通りへと下ってゆく道すがらのBARで飲んだくれていた。BARからBARへのBAR巡り。当時の呑み友達の少なからぬ人びとも物書きになったが、あの頃の青臭い酒場での議論なども、どこへやら(かな?)。

 

  最後に、この年のハイライト?をなす阪神大震災とオウム事件について。2011年、わたしは『法学セミナー』(2011年5月号/No. 677)に載せた文章の中で次のようなことを「1995年」がらみで書いている。以下、冒頭の関係箇所だけを抜粋しておく。

 

法学セミナー 2011年 05月号 [雑誌]

法学セミナー 2011年 05月号 [雑誌]

 

  

 2010年春からNHKで「ハーバード白熱教室」と銘打った番組が放送されていたのは、読者の記憶にも新しいところではないだろうか。ハーバード大学で教鞭を執るマイケル・サンデル教授の人気講義を放映したこの番組は、予想もしなかったほど多くの日本人に熱狂的に受け入れられ、あっという間に一大旋風を巻き起こした。この「サンデル講義」の書籍版の翻訳は、2010年5月に刊行されてから現在までの間に124刷、65万部以上の売れ行きを見せ(版元の早川書房・営業部に電話して確認してみた。3月3日現在)、法哲学はもとより、哲学の書籍としても、空前のベストセラーとなった。しかし、このサンデルの著作は、実際にそれを読んでみるなら、さほど万人向けの安易な読み物であるというわけでもなく、なにゆえ、それが65万人もの人々の耳目をひいたのかは、いささか不思議でさえある。このブームは、いったい何だったのだろうか? 

 このような哲学ブームは、実のところ少し前にもあったのだが、それは今から15年以上前の1995年に翻訳が刊行された哲学ファンタジー『ソフィーの世界』(ヨースタイン・ゴルデル著)である。この本もまた、53カ国語に訳され全世界で累計2300万部、日本国内では60万部以上の空前の売り上げを記録したが、この“1995年”という年が、どのような年だったのかを思い出してみるなら、そこには、興味深い符合が現れてくることとなる。

 この年には、年始早々の1月17日に阪神大震災、その二ヶ月後には地下鉄サリン事件(3月20日)と警察庁長官狙撃事件(3月30日)が相次いで発生し、また、経済面では4月19日に過去最高の79円75銭という記録的円高が記録された。折しも、自社さ連立の村山政権下、日本がさまざまな意味での“危機”に晒された年だったのである。

 サンデルの話に戻ると、彼の本は、日本以外の東アジア諸国でも大いに受け容れられているようである。たとえば、現代中国の多くの指導者を生み出した清華大学でも講演が行われていたり、あるいは、お隣の韓国でも60万部以上のベストセラー現象が巻き起こっていたりする。特に韓国では、李明博大統領が、2010年夏期休暇中に、このサンデルの本を読んだ事が報道され、また、彼の政策スローガンが「公正社会の実現」――後述のサンデルの論敵、ジョン・ロールズの「公正としての正義(Justice as Fairness)」を想起させる――であった事から、人々はサンデルの本を争って読むようになったとのことである。仄聞するところでは、野党が議会で政府に対する攻撃を行う際、サンデルの著作を利用し出すまでになったとか。

 私自身、2010年末、折り悪しく米韓軍事演習中の緊迫した状況下の韓国に出張した際、ソウルの代表的な書店である教保文庫に足を運んだところ、サンデル本の韓国語訳が平積みにされ、堂々ベストセラーにランクインしているのを目にした。この年は、朝鮮民主主義人民共和国からの突然の砲撃(2010年11月の延坪島砲撃事件)を受けるなど、韓国もまた、ある種の危機に晒された年であり、先述の“1995年”と考え合わせるなら、「哲学」は危機の時にこそ、ひとびとの間に熱狂を生むものなのかもしれない――いささか、はた迷惑な学問であるが。

 

 なお、この「正義論への招待」という特集号に併録された座談会の中で、私は司会として冒頭、次のようなことを述べている。

  谷口:本日は、お忙しい中、お集まり頂きありがとうございます。昨年末この企画を練り始めた頃は、この特集が発売される時には、サンデル・ブームも落ち着いて、少し忘れられて来ているくらいなのではないか、とも話していたのですが、全く予想に違って、今日もスポーツ新聞の一面に「サンデルが巨人の始球式に登板!」という記事を見ることとなり、正直、驚いています。

 

 この座談会は2011年3月7日(月)、大塚にある日本評論社の会議室で行われた。その週末の金曜日に何が起きたかは、周知の通りであるが、今となっては偶然の符合にただただ黙せざるを得ない。

 

 教師としては、まさにこの1995年に生まれた今年の大学1年生たちが、本書をどのように読むのだろうか、ということが気になったのだが、彼らが2年生以上になってゼミに入って来た時にでも、改めて聞いてみたいものである(あれ、1995年生まれが大学に入って来るのは来年?汗・・・だとするなら来年の基礎ゼミででも扱うか)。

エッグベネディクト(増補版)

 同僚の伊藤先生(行政学)や北村先生(国際法)と一緒に呑んでいる際、しばしば話題に出て来るエッグベネディクトを、ふと思い立って作ってみた。前から作ってみようと思っていたのだ。

 しかし、知らんかったのだが、この料理、ウォールストリートの株式仲買人だったレミュエル・ベネディクトさんという人の名前に由来しており、元々は「二日酔い」を治すために考案されたものなのか・・・(Wiki参照)。二日酔いで、こんなモタれるもの食べられるかいな?汗

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 色々と改良すべき点はあるが、まあ、オランデーズソースの味も、我ながら悪くないし、美味かった。

 ポーチドエッグとオランデーズソース作りゃイイだけの話なのだが、オランデーズソースを初めて作ってみたところ、湯煎の時間などがアレで粘性が足りなかったと思う。あと、我ながらポーチドエッグ、もう少し丁寧に作った方が良い・・・。カマンベールチーズを合わせても美味いのではないか?という意見も友人から頂いたが、不健康にも程があるだろうと・・・。まあ、それも美味そうではあるが。

 次回は、ほうれんそうのマデラ酒ソースがけとかキャロットグラッセで色合いも添えて、もう少し見栄えよくしよう。

 どうでもイイ話だが、デニーズでもフレッシュネスバーガーでも、エッグベネディクト的な商品が売り出されているみたいで、ブームなのかしら?

 

(付記)そういうわけで、土曜のブランチに作り直して、家族に出したものが、以下である。今回は巧く出来たのではあるが、しかし、写真が少し不鮮明かもしれない。しばらくエッグベネディクトはイイかな・・・。いや、他人がつくった売り物を食して自分のと比較してみたいものである。

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秋田美人の謎

 過日、所用のため生まれて初めて秋田市を訪れた。これまでも盛岡までは通ったことがあったのだが、そこから左に折れて日本海側に向かい、東京から新幹線で4時間の旅程である。

 市内の新装相成った県立美術館(旧平野政吉美術館が移転)には、藤田嗣治(レオナール・フジタ)の大作「秋田の行事」が展示されており、この点、私としても一度は訪れてみたい街だった。今回は仕事絡みだったのだが、その面でも大きな収穫があった。これについては、別途、公刊物などで。

  この藤田については、一度きちんと書きたいのだが、意外に知られていないこととして、彼の父・嗣章は森鴎外の後に軍医総監になった人であり、また、兄は陸軍の高級軍人で、当時の東京帝国大学法科に国内留学して欧米の軍制研究で博士号を取り、戦後は上智大学で憲法を講じた嗣雄である(帷幄上奏権問題にも関わりがあったような記憶が?)。嗣雄の博論は『欧米の軍制に関する研究』と題して、信山社から出版されている。

 エコール・ド・パリ派の旗手としての華やかなイメージとは裏腹に、フジタは実のところ帝国陸軍と深い繋がりを持った人物なのであった。下記の戦争画の存在は、その辺りの事情を端なくも明らかにしているだろう(「アッツ島玉砕」)。

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 また、陸軍云々とは別に藤田嗣治は、著作権法関連の重要判例とも深い関わりを持っている(藤田嗣治絵画複製事件 S60.10.17 東京高裁 昭和59 (ネ) 2293 著作権 民事訴訟事件)。この件については、実は上記、陸軍云々という件と重要な連関を持っていることを私は数年前に知ったのだが、そのことについては(未だ)書くべきではないと思うので、この話は、ここまでにしておく。

 

 新県立美術館には、上記「秋田の行事」以外にも常設の藤田コレクションが展示されており、「オペラ座の夢」や「眠れる女」、「台所」など、1989年頃に福岡県立美術館で出会って以来、二十数年ぶりに再会する作品もあり、感慨深かった。

 肝心の「秋田の行事」であるが、これは東京駅などに行くと吉永小百合が、その前に佇んでいるポスターで見たことのある人も多いかと思うが、4時間の鉄路を経てでも、是非とも観る価値のあるものである。私は、ただひたすら感じ入って、しばしの間、その前に立ち尽くしたが、贅言は控えよう。百聞は一見に如かず、である。

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 それはさておき標題についてだが、今回の秋田行で、たまたま入手した本に新野直吉著『秋田美人の謎』中公文庫というものがあり、これは実に面白い本だった。 

秋田美人の謎 (中公文庫)

秋田美人の謎 (中公文庫)

 

  今回、「仕事で秋田に行く」と言うと、皆が声を揃えて言うのは「さぞ秋田には美人が多いでしょうねえ」ということだったのだが、このことに関しては、以前からその理由について深甚たる興味を持っていたので、この本は或るホテルの1階に併設された本屋(石川書店)で発見すると同時に迷わず買った。

 帰りの新幹線の中で貪るように読んだのだが、一読(良い意味で?)「奇書」である。表題通り、あらゆる側面から「秋田美人」という定説に関する考証を試みているのだが、その中では、所謂「日本三大不美人産地」についての迷妄?を論じる下りなどもあって大いに裨益した。特に名古屋に関しては、現在、かかる妄説が人口に膾炙しているものの、大正期においては東京花柳界を支えた名古屋出身の美人芸者が多かったため、当時は「名古屋美人」という言葉さえあったという話が紹介されており、目から鱗であった。実際、今夏に名古屋に行った際には(主観的には)名古屋には美人が多いという印象を持ったので、なるほどと思った次第である。

 それはさておき、秋田美人説に関しては、日照量説、渤海との長期的交流によるコーカソイドDNAの混入など、様々な説があるが、本書は、これらを綿々と検証している。断定的な結論はないのではあるが、一読の価値はあるだろう。

 しかし、巻末に収録された「おまけ」的な著者とは別人による「秋田美人」絡みのエッセイには鬼気迫るものがあり、余りの怖さに途中から薄目で読んでしまったり、と「奇書」感も満載の本であった。

 本書は、現在、中公文庫から刊行されているが、あとがきを読むと実は最初の版は、私も随分とお世話になっている白水社から出ており、当時、「秋田美人」についての本の執筆を懇請する白水社編集者に対し、著者は頑として首を縦に振らなかったらしい。しかし、折からの猛吹雪の中、数時間遅れの夜行列車で帰京する編集者に心を動かされ、執筆に踏み切ったとのことである。この編集者氏、今でも白水社に居らっしゃるのだろうか?

 蛇足ではあるが、秋田美人の系譜としては、小野小町、竹久夢二の描くお葉、桜田淳子、藤あや子、加藤夏希、佐々木のぞみん、壇蜜、そして鳥居みゆきなどが挙げられるようである。

 

 そして、最後に、誰しもが最も気になる点であろうが、確かに秋田には美人が多かった(と思う)。

 

 付記:今回、主な用向きのあった秋田大学の裏手にある手形山の平田篤胤の墓所も訪れたのだが、このことについては、また別途、「国学四大人(うし)掃苔記」とでも題して後日、記すこととする。

碧海純一先生追悼シンポジウムの記

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 さる2013年9月28日(土)、本郷の山上会館2階大会議室で、故・碧海純一先生を追悼するシンポジウムが行われた(17:00~20:00)。当日は、会場一杯の来場者があり、盛会。孫弟子の末席に名を連ねる者として参加させて頂いたが、碧海先生のお人柄を偲ばせる会だったと思う。以下、差し障りの無い範囲で(自分用のメモも兼ねて)、当日印象深かったことを記録として残しておく(慌ただしく記したので、間違いあったら、乞御教示)。

 シンポジウムは二部構成で、第一部では碧海先生の「学問と思想」に関し、門下の長尾龍一、井上達夫、嶋津格の3氏が、それぞれ批判的に検討し、第二部では、先生の「思い出」ということで、以下の各氏(敬称略)からのお話があった。--前者では、『法哲学概論』の、どの版が優れているのかについて意見が分かれ、興味深かった。ただ、それ以外については細かい話になるので(それを正確に再現する時間的余裕がないので)、個人的には、より印象に残った後半、第二部についてのみ記すこととする。

 

●樋口陽一(東京大学名誉教授・憲法):碧海先生が神戸の助教授だった頃、1956年に東北大学での集中講義を受けた=『法哲学概論』が刊行された1954年の直後。たぶん、最も最初期に碧海先生の講義を受けたということでは?碧海先生「読んでワカラヌような文を書いてはイケナイ」。

 

●太田知行(東北大学名誉教授・民法):川島先生との合同ゼミに出席した。川島先生の『或る法学者の軌跡』の中にも碧海先生の話がある。ゼミ(or 勉強会?)で、S.I.ハヤカワの『思考と行動における言語』を講読した。文革時における碧海先生流の「表現の自由」のエピソード。

 

●濱井修(東京大学名誉教授・倫理学):碧海先生が愛したアルプバッハの思い出。

 

●黒田東彦(日本銀行総裁):碧海ゼミOB。駒場の時、分析哲学研究会をやっていた(サークル?)。英国留学の際、碧海先生からカール・ポパーへの紹介状を書いて貰ったが、ポパーへの敷居を高く感じ、結局紹介状を活用出来なかったのが悔やまれるとのこと。碧海先生からの依頼で、清水幾太郎編『現代思想・第6巻--批判的合理主義』中「弁証法とは何か」の翻訳をしている。

 

●松村良之(北海道大学名誉教授・法社会学):碧海先生の「科学」的素養。戦時中、動員されていた時、長崎の爆弾の件を聞き、以前読んでいた核分裂を用いた爆弾に関するドイツ語の論文を想起し、それが核爆弾であると判ったとのエピソード。

 

●青木人志(一橋大学教授・比較法):創設期の関東学院大学法学部で、最年長(碧海)/最年少(青木)の教員として過ごした時代の実に貴重な(心温まる)話。シュークリーム事件。学生による似顔絵。

 

●森村進(一橋大学教授・法哲学):ドイツ語の“bei”、モルモットの話。

 

 最後に親族代表挨拶として、長女の方からお話があったが、大変良い話で、私を含め聴いていた人みな、深い感慨を催した。

 碧海先生は、まわりの皆から愛された本当に徳の高い方であったこと、また、その下での学問もまことに自由闊達なものであったことが実によく判り、そのような学統へ、末席にではあるが加わり得ていることに、密かに誇りを抱いた一日でもあった。

 謹んで、碧海先生のご冥福をお祈りしたい。

與那覇潤・東島誠 『日本の起源』

 與那覇潤・東島誠(2013)『日本の起源』太田出版、読了。

 與那覇さんから、だいぶ前に御恵贈いただいていたのだが、帰省した際に與那覇ファンの父にあげてしまったので、再度購入し、ようやく読了の運びに。ちなみに父は、以前、やはり帰省の際、たまたま、わたしがコピーを持って帰っていた「中国化論序説――日本近現代史への一解釈」『愛知県立大学文学部論集』57号(日本文化学科編11号)を読んで以来の與那覇ファンである。その後、『中国化する日本』もプレゼントしたが、めっぽう面白いらしい。学者でも何でもない普通の市井の人である、私の父のような人をも面白がらせる点は、実に見習わなければならない。

 それはさておき、以下、先ずは自分用のメモも兼ねて。

● 武烈天皇、酷い(笑)→「妊婦の腹を割いて、胎児をご覧になった」『日本書記』巻十六[15]
● ウェーバー『儒教と道教』[55-56]:「〔日本は〕官僚制を導入しても、結局はウェーバーの言う、家産制的官僚制のほうが使い勝手がよい・・・」
●「文字禍」の世界:「文書によって支配するノウハウ」、「文書の力に目覚めた」[61]
● 東西分割統治と道州制の起源[78-]:「天つ日嗣高御座(あまつひつぎたかみくら)」と「四方食国(よもつおすくに」。「西国の相当厄介」、「古代の駅制では、東海道よりも、九州、太宰府に通じる山陽道のほうが重要視されていた」、「中世にいたっては、九州は半独立状態の様相を呈し、十四世紀には「当時本朝の為体(ていたらく)、鎮西九州ことごとく管領にあらず」、「戦国時代の天下統一過程でも、島津をつぶすなんて、そもそも無理だろう、という感覚すらある」。
● 網野『無縁・公界・楽』:堺の自治都市、コミュニティの鮮烈な印象、『もののけ姫』のエボシ御前>ジコ坊。[102]
● ポピュリスト秀吉>>>越えられない壁>>>信長[123]:旧五条橋の撤去
● 東アジアと日本の動乱はつねにリンクする[130, 132]
●「日本の国内秩序は、じつは東アジア情勢の関数」[134]
● 両国~地図[140-141]:実に面白い
● 今井正監督『武士道残酷物語』(むろん、南條範夫原作)
● 山本七平:北条泰時=天才;官僚制が私物化されている帝国陸軍で地獄を見たから[154]
●「ろくでなし」とか「人外」のように、否定形の語彙は豊富にある社会だった。問題は「まっとうである」という肯定形の語彙があったかどうか[179]
● 拙論参照:礼楽[198]
● 民族大移動としての高度成長期の農村→都市[297]→ 吉川洋『高度成長--日本を変えた6000日』中公文庫、2012年。
● 大名=代議士 

公共圏の歴史的創造―江湖の思想へ

公共圏の歴史的創造―江湖の思想へ

 

  読みながら、ふと昔のことを思い出したのだが、もちろん東島さんの『公共圏の歴史的創造―江湖の思想へ』(2000年、東京大学出版会)は読んだことがあるのだが、東島さんとは、この本の出版されて程ない頃に、一度、何かの懇親会で直にお目もじする機会があり、名刺も頂いていたのを思い出した。当時、私は修論を書き終え、『国家学会雑誌』に掲載するための「公共性」論文を執筆中か、執筆し終わったばかりの筈で、その時、何をお話したのだろうか、と・・・(思い出せない汗)。

 本の感想に戻るが、個人的には特に前半を興味深く読み、とにかく勉強になった。或る知人が言っていたが、この本は、そういう点では、院生になる時に様々な文献を渉猟する上でのブリッジブック的な長所を持っているのではないか、と感じた。

 もっと色々書きたいのだが、そろそろ後期も開始するため時間的余裕がないので、今日のところは、ここまで、とし、また余裕のある時にでも補足したいと思う。