某先生に「面白い」と教えて頂き、川本皓嗣「詩人フロストとオバマ大統領」を読んでみた。岩波の『図書』2014年9月号に掲載されている。
この内容については、川本氏の名前に「オバマ」や「フロスト」を絡めて検索すれば色々出てくるので、そちらで話の細部は確認出来る。例えば、以下など。
http://home.r07.itscom.net/miyazaki/yuki/kawa.html
http://d.hatena.ne.jp/ctenophore/20140913/1410633709
ここでは、ごく掻い摘んだ形で内容を記すに留めるが、以下の通りである。--今年の春、オバマ大統領が訪日した際、東大で長らくアメリカ文学を教えていた川本氏が宮中晩餐会に呼ばれた。その際、氏は大統領と話す機会を設けられたのだが、大統領は「詩」についても造詣が深く(エミリー・ディキンソンなど)、わけてもロバート・フロストに関しては、その作品を「じかに熟読」さえしていることを感じさせた。そのようなオバマは「明らかにアメリカの知的少数者に属している」という驚きを感じたとのことである。オチは、実は美智子皇后も、このフロストの詩の一篇を愛読しているという話。文中に引かれたフロストの「選ばなかった道(Road not Taken)」という詩を、オバマと美智子皇后の人生に重ねると、実に味わい深いものがある。フロストの詩の実物も、上のURLにある。
それ自体として味わいのある文章で面白かったのだが、読後、次のような、よしなしごとを思った。
吉田健一の書いたものか何かの中で読んだ気がするが、「詩」は文学の女王であるという話もある。そのような女王たる詩と権力者は全くの没交渉だったかというと、そういうわけでもなく、曹操/曹植とか、ダンヌンツィオ/ムッソリーニとか、古今東西を問わず、権力と詩の蜜月関係はあったのだが、しかし、今の日本の政治家が、詩とか読むかなあ、と。あ、後鳥羽院/藤原定家とかもあるか。塚本邦雄の『藤原定家』はイイ。(あとで思い出したが、保田與重郎の『桂冠詩人の御一人者』とかが最も端的か)。
「んなこたない、あいだみつをとか!」いうのは勘弁して欲しいのだが、たぶん詩を一篇でも暗誦しているような政治家は(ほとんど)居ないんじゃないかと思う。ただまあ、だからといって、政治家に「何かお好きな詩を教えて下さい」と訊ねて、「吉岡実!」とか「セリーヌ!」とか、はたまた「『現代詩手帖』愛読してます!」とか言われたら、「こいつに任せて大丈夫か?何考えてんのか分かったもんじゃねえな・・・」と不安になるわな。いや、間違い無く不安になる。だって、こんなんだよ。
四人の僧侶
庭園をそぞろ歩き
ときに黒い布を巻きあげる
棒の形
憎しみもなしに
若い女を叩く
こうもりが叫ぶまで
一人は食事をつくる
一人は罪人を探しにゆく
一人は自潰
一人は女に殺される吉岡実「僧侶」
私は好きですけどね・・・。あと、セリーヌは『死体派』 とか『虫けらどもをひねりつぶせ』とかな。詩というか評論というか(ユ×ヤ人)罵倒芸文学なんだけど、マズイだろ・・・。
- 作者: L.F.セリーヌ,Louis‐Ferdinand C´eline,片山正樹
- 出版社/メーカー: 国書刊行会
- 発売日: 2003/06
- メディア: 単行本
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早野透の『政治家の本棚』では29人の政治家にインタビューし、その読書歴を根掘り葉掘り聞いているんだけど、現政調会長代行(元内閣官房長官)の塩崎恭久が「バタイユ」とか言ってんの見るとやっぱ不安になるわな。実際、これ読んでた上で、この人が官房長官になった時、不安になったもん。
アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグの『城の中のイギリス人』 とか言い出したら、もう逮捕だよ、逮捕。
試しに最高裁のHPの各判事の紹介のトコ見たら「愛読書」とか上がってんだけど、それ見るとちょっと、ほっとするもんな。山本周五郎、司馬遼太郎、塩野七生とかだからして。
氏名 |
出身 |
愛読書・作家 |
寺田逸郎 |
裁判官 |
記載無し |
ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』 |
||
裁判官 |
ロナルド・トビ『「鎖国」という外交』 |
|
千葉勝美 |
裁判官 |
|
横田尤孝 |
裁判官 |
|
白木勇 |
裁判官 |
|
岡部喜代子 |
裁判官→学者 |
マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 |
大谷剛彦 |
裁判官 |
|
大橋正春 |
弁護士 |
『史記』 |
山浦善樹 |
弁護士 |
山本周五郎『赤ひげ診療譚』 |
小貫芳信 |
検察官 |
|
鬼丸かおる |
弁護士 |
|
木内道祥 |
弁護士 |
|
山本庸幸 |
||
山﨑敏充 |
裁判官 |
http://www.courts.go.jp/saikosai/about/saibankan/index.html
ここに「愛読書:グレッグ・イーガンの『ディアスポラ』」とか書いてたら下のような感じの不安に襲われる。
まあ、そもそものところ、文学とかってのは、世界との折り合いの付かない人びとが、やはり世界と折り合いの付かない人びとによってこそ愛されてきた面も少なからずあると思うので、権力者が文学に我不関焉であること自体は、別に問題とすべきことではないようにも思うし、特にその女王たる詩に至っては極めつけの世界との折り合いのつかなさが内包されているようにも思う。
ヨシフ・ブロツキーのノーベル文学賞受賞記念講演を収めた『私人』とか読むと、ソ連とかでは或る意味、権力が詩とかに対して正面から向き合ってたことが良く分かるんだけど、それって恐ろしいよね、と。 (ブロツキーは、詩人やってるという容疑で逮捕されて法廷に引きずり出されている。)
あぁ、毛沢東も希代の大詩人ではないか。詳しくは高島俊夫先生の『中国の大盗賊・完全版』を読まれたし。
本エントリー、当初は、斉藤眞先生の『アメリカとは何か』の中に収められてる「二人の知識人」をネタにオバマが「明らかにアメリカの知的少数者に属している」という部分を、このブログでも以前触れた反知性主義(anti-intellectualism)の話に絡めたりした話を書こうと思ってたのに全然違う内容になってしまった。まあ、私もまた文学を愛してしまったダメな人ということで、ひとつ。
※ 補遺:オバマの知的 milieu=ハイドパークについて。
アメリカNOW第25号 シカゴ大学「ハイドパーク」とオバマの関係性をめぐって(渡辺将人)|現代アメリカ|政策研究・提言 - 東京財団 - 東京財団 - THE TOKYO FOUNDATION
vol.112 オバマの家(その2)|R.E.port [不動産流通研究所]