都立大・首都大政治学総合演習60周年

 2015年2月28日、都立大学時代から続く法学部/法学系の政治学総合演習が今年をもって60周年を迎えたのを記念し、同僚の山田高敬先生による記念講演と懇親会が催された。

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 山田講演は、「国際レジーム後の世界~プライベート・ガバナンスと政府間組織によるオーケストレーション」と題されたもので、先生がバークレーに留学し、故 Ernst Bernard Haas に師事していた時代から現在に至るまでの研究を総括されるもの。山田先生の書かれたものをずっと読んで来た者としては大変興味深い内容だった。

 都立大時代に在職していた、半澤孝麿、御厨貴、石田淳、内山融、金井利之、五百旗頭薫の諸先生方や元院生、学生の方達がおいで下さり、盛会。最年長の半澤先生からは我々にとっては、もはや「神話時代」にも等しい、まだ都立大が目黒区八雲にあった頃の話や、升味準之輔先生の話などを伺うことが出来た。その他の方たちからも興味深くも面白い昔話。

 これまで書物などを通してお名前のみ知っていた諸先輩がたとお会いし、話させて頂くことが出来る貴重な機会となった。

 わたし自身、2005年に首都大/都立大に赴任して来て、今年で早や10年となるが、これほど教員・元教員間での結びつきが強く、大学に対する愛に溢れた学問共同体は無いのではないかと思わされる。そのような場に属することが出来たことを心から嬉しく思う。

 総合演習の記録は、40周年、50周年のものが冊子化されているので、時間のある時にゆっくりと読み直し、また別途ここでも紹介したい。

 とまれ実に佳い一日だった。

大分書店今昔

 私は生まれも育ちも大分県別府市なのだが、中学から高校まで隣の大分市にある岩田学園というところに通っていたため、都合6年間は、大分駅近辺をウロウロしていた。

 過日、所用あって帰省した際、久しぶりに電車に乗って別府湾沿いを走る日豊本線大分駅までゆき、大分市内の本屋を幾つか訪ねてみた。今にして思えば、実に風光明媚な通学路だった(下、私の通学路から望んだ別府市)。

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 中高生の頃は、パルコブックセンター、晃星堂書店、明屋書店、長崎屋の地下の書店、それから若草公園の近くに渋い古本屋などがあったのだが、今でも残っているのは晃星堂書店と明屋書店だけで、特にパルコはビル自体が取り壊されてコインパーキングとなってしまっていた・・・。古本屋は本当に思い出深く、塚本邦雄の『藤原定家』などを買ったのをよく覚えている。無くなってしまったのは、実に残念である。

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  パルコは2011年に閉店したが、それよりも前に地下のブックセンターは無くなってしまっており、代わって登場したのが斜向かいくらいのフォーラスビルに入っているジュンク堂書店だった。このジュンク堂は1995年開店なのだが、開店した年から帰省するたびに行っている。

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 今回、2月24日に私の初めての単著が出ることもあって、飛び込み営業がてらジュンク堂を訪ね、人文棚の担当者の方にご挨拶などさせて頂いたのだが、その際、面白いものを発見した。「ジュンク堂大分店 20周年記念フェア」という手作りの小冊子である。

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 先に書いた通り、ジュンク堂大分店は1995年に開店しているのだが、この年は阪神大震災の年である。小冊子の中には現在の店長(6代目)の挨拶に並び、初代店長の方の文章も寄せられているのだが、この内容が実に興味深い。

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 それによるなら、開店1週間前に震災が起こってシステム担当者(たぶん関西)と連絡が取れなくなり、急遽、昔ながらのスリップ(短冊のこと)による販売・発注管理になったので、一から新規採用者にやり方を教えたのだとか。
 あるいは、吉川弘文館から『臼杵大仏』が大仏修復完成記念に刊行され大いに盛り上がったのだが、「編者であり大分考古学会の大御所であった賀川光夫先生(その後気の毒な事になりましたが)も喜んでくれました。」との下りには、思わず・・・となってしまった。「賀川光夫」で検索すると、どう「気の毒」なのか良く分かる・・・。周知の通り、大事件だったのである。

 賀川光夫 - Wikipedia

 この文章、最後の下りがふるっており、「大分へは当初関西から5人転勤しましたが、3人が独身で、そのうち2人が現地採用のオープニングスタッフと結婚しました。「お前ら何しに来たんや!」と怒ったことを懐かしく、微笑ましく思い出します」というのには、なごんだ。同じ頁には、現在アルバイトしている1995年生まれの店員さんの文章の載っており、なかなかに感慨深いものになっている。

 今回、大分に行こうと思った時点では知らなかったのだが、この小冊子には出張販売をしているシネマ5の方のものと並んで、カモシカ書店という本屋さんを経営されている方の文章が並んでいた。私は、この本屋は知らなかったので、ふらりと行ってみたところ、カフェも併設し、読書会なども定期的に開くお洒落な店でビックリ仰天したのだった。

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 パルコブックセンターの話は、白水社の『ふらんす』2015年5月号に掲載される拙文の中で触れているので、そちらに詳細は譲るが、私にとって最も思い出深かったパルコの本屋が無くなった後にも、このように大分に素晴らしい本屋があるのを嬉しく思う。


けんしん 大分県信用組合 | 震本夜(ふるほんや)さんに行ってきました!~カモシカ書店~ | Talkin' Loud ! かぼすブックス

 蛇足ではあるが、大分駅が激変していて腰を抜かしそうになったのだった。

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 また帰省した時に本屋をめぐりたいものである。

 

 おまけ。大分の或る書店に行ったら、『立法学のフロンティア』全3巻が棚に並んでおり、おおお!となったのだが、棚の分類を見て眩暈がしたのだった。まあ、オカルトかもしれん・・・法哲学とかわな・・・。

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拙著 『ショッピングモールの法哲学--市場、共同体、そして徳』 についてのお知らせ

 白水社からも公式にアナウンスされている通り、2015年2月24日発売予定の拙著『ショッピングモールの法哲学--市場、共同体、そして徳』(本体1900円+税)の装丁等が決まりましたので、刊行に先立ってお披露目までに。

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 目次は以下の通りです。

白水社 : 書籍詳細|ショッピングモールの法哲学 市場、共同体、そして徳 

ショッピングモールの法哲学: 市場、共同体、そして徳

ショッピングモールの法哲学: 市場、共同体、そして徳

 

 [目次]

序章 国家と故郷のあわい/断片
 Ⅰ 郊外の正義論
第一章 南大沢・ウォルマート・ゾンビ
第二章 市民的公共性の神話と現実
第三章 グローバライゼーションと共同体の命運
第四章 共同体と徳
Interlude 本書の構成と主題
 Ⅱ 「公共性」概念の哲学的基礎
序 公共性論をめぐる状況
第一章 テーゼⅠ「共同性への非還元性」
第二章 テーゼⅡ「離脱・アクセス可能性」
第三章 テーゼⅢ「公開性」
第四章 テーゼⅣ「普遍的正当化可能性」
第五章 公共性の条件
終わりに
註/索引(人名・事項)/文献

 装丁については、担当編集者の竹園さんとアタマを悩ませていたのですが、初稿が出るくらいの頃、たまたま、この写真を発見し、アメリカ在住の著作権者と使用許諾契約を結んだ上で、使わせて頂くことになりました。以下が元の写真です。美麗。

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 写真は、アメリカのデジタル・アーティスト、ダン・ワンプラー(Dan Wampler)氏によるもので、ミズーリ州クレストウッドに実在する「ショッピングモールの廃墟」をモチーフとしたものです。今回装丁に使用したものは「フードコートの出口(Food Court exit)」というタイトル。下記のワンプラ-氏のサイトで、このモールをモチーフにした他の作品も見られます。

 http://www.danwampler.com/cwp

 ワンプラ-氏によると、撮影場所はクレストウッド・モール(Crestwood Mall)という56年間の営業実績のあるモールの廃墟で、2006年以降は閉鎖されていますが、現在の管理者の許可を得て撮影されています。このモールについては、以下のような興味深い記事も。

「見棄てられたモールは、ゾンビが買い物に来るのにうってつけ」
 http://gizmodo.com/this-abandoned-mall-is-perfect-for-your-zombie-back-to-1222704875

 ハイダイナミックレンジ(HDR)合成という撮影技法を用いて被写体をシュールレアルな仕上がりにしているそうで、ひと目見た瞬間に「コレだ!」と思ったのですが、とても良い仕上がりになって装丁のデザイナーさんにも感謝です。

 2月24日の刊行、ご期待頂ければ幸いです。現在、Amazon等で予約受付中です。

 

ライシテをめぐる闘争史--谷川稔『十字架と三色旗』

 シャルリー・ヘブド事件に接し、久しぶりに「ライシテlaïcité」について勉強し直そうと思い、谷川稔『十字架と三色旗』山川出版(1997年刊)を読了。以下、備忘のメモ。 念のためだが、ライシテというのは、フランス語で「世俗性」とか訳されるもので、政教分離のことを指すと考えて貰えば良いか、と。語義の詳細は、伊達聖伸『ライシテ、道徳、宗教学―もうひとつの19世紀フランス宗教史』が大変、参考になる。

十字架と三色旗―もうひとつの近代フランス (歴史のフロンティア)

十字架と三色旗―もうひとつの近代フランス (歴史のフロンティア)

 

  

ライシテ、道徳、宗教学―もうひとつの19世紀フランス宗教史

ライシテ、道徳、宗教学―もうひとつの19世紀フランス宗教史

 

  谷川稔の本は、昔、『フランス社会運動史―アソシアシオンとサンディカリスム』を読んだことがあるが、これも面白かった。ライシテ関係の日本語(訳)の本は色々あって、この機会に5~6冊合わせ読んでみたが、この本が最も簡にして要を得ていると思う。

 『十字架と三色旗』は、以前、フランス史研究者の長野壮一さんに教えて頂いた(と記憶している)。長野さんは、偶然、高校の後輩にあたる方で、以下のサイトなどをやられており、勉強になる。現在、渡仏中で、先のシャルリー・ヘブド事件の際、色々じかに体験された話も書かれている。

 近代フランス社会思想史ブログ
 http://snagano724.hatenablog.com/

 本書の副題は「もうひとつの近代フランス」で、全体のモチーフは革命期以降のフランスにおける共和派(革命派)とカトリック教会との抗争の歴史。国家の世俗性(ライシテ)をめぐる、教権主義(クレカリスム/cléricalism)vs. 反教権主義の対立。

 冒頭、「首なし聖人像」の話から始まる。イコノクラスム(偶像破壊)による非キリスト教化運動の傷跡。ジャコバン派の衣鉢を継ぐ諸潮流への教会の敵意は、長らく持続。

 1984年 公教育の一元化をめざしたサヴァリ法カトリックからの激しい抗議運動で廃案。なぜなら、私学はほぼカソリック。当時の社会党モーロワ政権、崩壊。100万人を超える規模のデモ。

 1994年、保守バラデュール政権下で、私学助成制限撤廃を盛り込んだバイルー法。革新系(共和国派)のデモで廃案。谷川の体験談。やはり100万人規模のデモ。ライシテを守れ!

 習俗革命。ガリカニズムの刷新。教会財産の国有化と修道院の統廃合。聖職者の公務員化。踏み絵としての「公民宣誓」。「宣誓拒否する坊主どもは街頭に吊せ!」

 「立憲教会」体制の成立。従来、教区共同体の要としてモラル・ヘゲモニーを掌握してきた司祭が、この踏み絵に屈服する姿は教区住民の少なからぬ動揺をきたした。

 宣誓に反対する地域も。ブルターニュ。宣誓した聖職者を「無資格僧(intrus)」とみなす。罵倒、投石。公民宣誓の政治地理学。

 テルールと聖職者の解体。1792年、立憲議会が拒否僧の追放を布告。九月虐殺。


《第2章》カプララ文書の世界

 ナポレオン、ローマ教皇庁と和解=コンコルダート。拒否僧と立憲派僧との対立の和解。背教者たちの社会史。結婚した聖職者についての社会史的分析。「ちんまんしてごめんなさい」文書。味わい深い。

 

《第3章》文化革命としてのフランス革命

 教会閉鎖=理性の神殿に。イコノクラスム。マスカラード(仮装行列)。聖人像や教皇像を火あぶり。シャリバリ的儀礼を彷彿。革命的地名変更。共和暦の導入失敗。グレゴリオ暦に敗退。

 公民の創出。コンドルセ。ミシェル・ルペチエの「国民学寮」案=キチガイ!。「下放」みたい。

 徳育としての革命祭典 理性の祭典、最高存在の祭典。

 

《第6章》

 建国神話の創生。「単一にして不可分の共和国」、革命百周年=革命期の集合的記憶の定着。バスチーユ襲撃の7月14日をパリ祭の起源に。ラ・マルセイエーズの国歌化。自由・平等に友愛というスローガンを追加。百周年=万国博覧会を頂点に。

共和国の威信をかけた世俗建築(鉄)=エッフェル塔
カトリック的フランス再建の夢(石)=サクレ・クレール寺院

 フェリー法=初等教育「無料・義務・世俗化」。公立小学校での十字架撤去。『プロヴァンス物語--マルセルの夏』=謹厳実直な師範出教師=共和国の新しい司祭。修道士の追放、ブルターニュの叛乱。

 総仕上げとしての1904年、政教分離

「一〇〇年以上にもおよびパンチの報酬の果てに、共和主義者たちはカトリック教会をKOするには至らなかった。つまり三色旗は十字架の社会的政治的影響力を根こそぎにすることには成功しなかったのである。しかし、「ベル・エポック」というラウンドで奪った「公教育におけるライシテ」というダウンは、少なくとも彼らに判定勝ちをもたらした。さしあたりは、この時点で共和派のモラル・ヘゲモニーが確立したのだ。」

 

《終章》「ライシテ」のフランスと文化統合のジレンマ

 革命二〇〇年記念の1989年、イスラム・スカーフ事件

「彼ら(フランスの共和主義者)にしてみれば、先人たちの一世紀以上にわたる苦闘のおかげで、ようやく三色旗のもとに十字架と共存できる社会を実現したとおもえば、今度はクロワッサン(三日月旗)と対決するための十字軍を再組織せなばならぬとは!」

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 かなり長いスパンを取って「ライシテ」をめぐる共和派とカトリックの相克の歴史が描き出されており、読後の満足感は高い。読後の最も率直な印象は、フランスはアメリカと同様に本当に我々人類の「実験国家」なんだなという感を改めて強くした。啓蒙的理性による「永続闘争機械としての共和国」とでも言うべきか。

 郊外研究の重要な問題として、郊外における移民コミュニティについて、ここ数年色々と調べているが、その線から改めてライシテやフランスの郊外(Banlieue)移民について調べているところで、この点も含めた話は、近刊拙著『ショッピングモールの法哲学』の続編として、また別に書こうと思っている。

ライシテ、移民、共和国(メモ)

on going...

1)ライシテ(政教分離)の歴史的位相

■ ジャン=ボベロ『フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史』文庫クセジュ 

フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史 (文庫クセジュ)

フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史 (文庫クセジュ)

 

 ■ 伊達聖伸『ライシテ、道徳、宗教学―もうひとつの19世紀フランス宗教史』 勁草書房 

ライシテ、道徳、宗教学―もうひとつの19世紀フランス宗教史

ライシテ、道徳、宗教学―もうひとつの19世紀フランス宗教史

 

 ■ ルネ・レモン著、工藤庸子・伊達聖伸訳『政教分離を問いなおす:EUとムスリムのはざまで』青土社 

政教分離を問いなおす EUとムスリムのはざまで

政教分離を問いなおす EUとムスリムのはざまで

 

 ■ 谷川稔『十字架と三色旗』山川出版→ 岩波現代文庫 

十字架と三色旗――近代フランスにおける政教分離 (岩波現代文庫)

十字架と三色旗――近代フランスにおける政教分離 (岩波現代文庫)

 

 

2)フランスの「移民」問題

■ 宮島喬『移民の社会的統合と排除―問われるフランス的平等』東大出版会 

移民の社会的統合と排除―問われるフランス的平等

移民の社会的統合と排除―問われるフランス的平等

 

 ■ 宮島喬『移民社会フランスの危機』岩波書店 

移民社会フランスの危機

移民社会フランスの危機

 

 ■ 三浦信孝『普遍性か差異か:共和主義の臨界』藤原書店 

普遍性か差異か―共和主義の臨界、フランス

普遍性か差異か―共和主義の臨界、フランス

 

 ■ ジャック・ドンズロ『都市が壊れるとき: 郊外の危機に対応できるのはどのような政治か』人文書院 

都市が壊れるとき: 郊外の危機に対応できるのはどのような政治か

都市が壊れるとき: 郊外の危機に対応できるのはどのような政治か

 

 

3)「共和国」の理念

■ ジャン=ピエール=シュヴェヌマン・三浦信孝『“共和国”はグローバル化を超えられるか』平凡社新書 

“共和国”はグローバル化を超えられるか (平凡社新書)

“共和国”はグローバル化を超えられるか (平凡社新書)

  • 作者: ジャン=ピエールシュヴェヌマン,三浦信孝,樋口陽一,Jean‐Pierre Chev`enement
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  • 発売日: 2009/09
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 ■ レジス=ドゥブレ・三浦信孝・樋口陽一『思想としての“共和国”―日本のデモクラシーのために』 みすず書房 

思想としての“共和国”―日本のデモクラシーのために

思想としての“共和国”―日本のデモクラシーのために

 

 ■ マルセル=ゴーシェ『民主主義と宗教』トランスビュー 

民主主義と宗教

民主主義と宗教

 

 

4)樋口陽一

■ 樋口陽一『ふらんす―「知」の日常をあるく』平凡社 

ふらんす―「知」の日常をあるく

ふらんす―「知」の日常をあるく

 

 ■ 樋口陽一『近代国民国家の憲法構造』東大出版 

近代国民国家の憲法構造

近代国民国家の憲法構造

 

 

哲学者の朝の祈りは新聞を読むことである(?)

 大昔、井上達夫先生の講義を聴いていた際、ヘーゲルの言葉として「哲学者の朝の祈りは新聞を読むことである」という言葉を耳にした記憶があり、とても良い言葉だと思い、ずっと覚えていたのだが、ふとヘーゲルが何の中で書いてる言葉なんだろう?と思い、調べてみた。

 私はドイツ語にはそれほど堪能ではないので、まず英語で調べてみると以下を見つけることが出来る。やはり有名な言葉なようだ。

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Reading the morning newspaper is the realist's morning prayer. One orients one's attitude toward the world either by God or by what the world is. The former gives as much security as the latter, in that one knows how one stands.
Miscellaneous writings of G.W.F. Hegel, translation by Jon Bartley Stewart, Northwestern University Press, 2002, page 247.

Georg Wilhelm Friedrich Hegel - Wikiquote

   ヘーゲル自身の言葉は「リアリストの朝の祈りは、新聞を読むことである」であり、恐らく井上先生は、この言葉をもじって話されていたところ、私はそれをそのままヘーゲルの言葉と誤解して記憶し、今日に至っていたのだろう。

 問題は「典拠」で、英語ベースでこの手のことを調べると頻繁に遭遇する事態なのではあるが、Miscellaneous writings of G.W.F. Hegel では、正確な典拠が分からないのである・・・。
 日本人(の特に研究者)がヘーゲルやカントを引用する際に、こういうものから直に引いてくるのは、ちょっと考えられないことなのだが、アメリカ人だと結構有名な研究者とかでも平気でこういうものから引いてくるケースが多数あり、彼我の文化的な差異を感じる・・・。

 閑話休題。

 上記の英文から推測して、ドイツ語でよちよちと検索すると、更に次のような検索結果が出て来る。何のことはない、ドイツ語版Wikiの「Hegel」の項目に以下のように記されていたのだった。

Den zu dieser Zeit verstarkt auftretenden Massenmedien blieb er jedoch treu: „Die regelmasige Lekture der Morgenzeitung bezeichnete er als realistischen Morgensegen.“ 

Georg Wilhelm Friedrich Hegel – Wikipedia

 プロイセンがナポレオンに敗れたためイエナ大学が閉鎖された後の『バンベルグ新聞』の編集者時代(1807~1808)の言葉とのコトで、「この時代までにマスメディアは勃興しつつあったが、彼(=ヘーゲル)は誠実に、毎朝の新聞を読むことはリアリストの朝の祈りであるとしている」という感じのことが書いてある(と思う)。Wikiの脚注によるなら、上の典拠は以下の通りである。

Anton Hugli und Poul Lubcke (Hrsg.): Philosophie-Lexikon, Rowohlt Taschenbuch Verlag, 4. Aufl. 2001 Hamburg, S. 259

 えっ、これってヘーゲル自身のではなく、Hugli と Lubckeって人たちが編集した『哲学事典』の項目じゃないの?汗
 あと、上記のドイツ語版Wikiに記されているのは、テキトー訳からも分かる通り、ヘーゲルがこういう風に言ってるよ~、という、やはり「又聞き」の類で(ドイツ人よ、お前もか・・・)、最初に挙げた英語のものと平仄の合ったものは何だろう?と思い更に調べてみると、ドイツ語でも色んなバージョンが出て来てしまう・・・一体どれが正しいの???汗

1)Das Zeitungslesen des Morgens ist eine Art von realistischen Morgensegen.
2)Das Zeitunglesen am Morgen ist eine Art realistischer Morgensegen.
3)Die Lektüre der Morgenzeitung des Realisten Morgengebet ist.

 日本語でも別バージョンが存在しており、「新聞を読むことは、近代人の朝の祈りである」という言葉も流布してもいるようである。

 よく分からなくなってきたので、この項、とりあえずココまでにしておき、今度、研究室に行った時にでも改めて書庫に潜って調べることとする。

 こういうコトを調べ出すと、とても楽しく、研究者になりたての頃の悦びを思い出したりもするのだが、最後は(当然だが)紙の本にあたらないとな、という・・・。

 

追記:・・・と、ココまで書いたところで昔、加藤尚武先生たちが千葉大でやっていたヘーゲル文献の悉皆データベース化を思いだした。以下のような形で引き継がれているようである。

ヘーゲル・テキストデータベース(日本語サイト)

 

ブラウンからブラウンへ?(公民権運動のおさらい)

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 上の写真にもある通り、ミズーリセントルイスファーガソンで起こった白人警官による黒人少年射殺事件をめぐり、再び暴動が起きている。ちょうどロースクールの講義でブラウン事件についての話をする日に大陪審の決定が出て、結果、警官不起訴→暴動再燃となったのだった(今ココ)。

 twitterでこのコトについて触れたところ、驚くほど一連のtweetsがRTされたりふぁぼられてたりしたんで、来年以降の講義でも、これに関することは触れるから、視覚資料置き場も兼ね、以下、少し整理した上でtweetsの再掲プラスアルファを置いておく。なお、今般の暴動に至るまでの経緯については、とりあえず以下を参照。

 

●アメリカ・ミズーリ州黒人青年射殺事件 拡大する暴動とこれまでの経緯

http://matome.naver.jp/odai/2140849272340847901


 今回の射殺された黒人少年は、マイケル・ブラウンという名前なんだけど、奇しくも、今を遡ること60年近く前の公民権運動の金字塔たる「ブラウン事件」の原告と同じ名前。

 ブラウン事件については、毎年、講義の中でアメリカにおける社会的イシューが司法回路にアピールする傾向が日本とは比べものにならないくらい強い(激しい)という文脈で、「公共訴訟」の典型例として紹介するんだけど、この点については講義中に言及する通り、以下の文献を参照されたい。コレ名著。 

現代型訴訟の日米比較

現代型訴訟の日米比較

 

  大沢先生の本では、『アメリカの政治と憲法』(芦書房、1994年)も面白い。共和主義的憲法理論(解釈)について触れた日本語の本の嚆矢じゃないかな。

 本論に入る前に言っとくけど、とにかく黙って以下の本を読まれたし。コレもホントに名著だから。話はそれからだ。 

黒人差別とアメリカ公民権運動―名もなき人々の戦いの記録 (集英社新書)

黒人差別とアメリカ公民権運動―名もなき人々の戦いの記録 (集英社新書)

 

  講義ではNAACP(全米黒人地位向上協会)がリンチ禁止立法を諦めて法廷闘争のためにLDF(Legal Defense Fund)を作ったって話をさらっとしてるけど、リンチとかどんだけアレだったか、これ読めば分かる。酷い話ですよ・・・。以前、講義中にこれを薦めたところ、読んだ学生がやって来て「新書を読んで初めて泣きました」とか言ってたくらい。リトルロック事件の話とか後日譚も含め感動的。そういうコトの積み重ねの上で、今回、現在進行形の暴動なわけ。

 全然知らない人のために簡単に説明しとくと、アメリカは1954年にブラウン判決というのが出されるまでは、人種隔離政策(segregation)をやっていた。そんな中、このブラウンちゃん(当時8歳、下写真)が原告になって、人種別学制度は違憲だ!という裁判起こし、結果として連邦最高裁は彼女の主張を支持したわけ。

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 結果、人種統合教育が行われるようになり、これまで白人しか行けなかった学校に黒人の生徒が通うというような事態が生じることになった。

 そんな中、判決から3年後の57年に起こったのが、リトルロック事件。アーカンソー州リトルロックにあるセントラル・ハイスクールに、これまで白人オンリーの学校だったところ、ブラウン判決(人種統合教育しろや)を承け、黒人生徒が登校しようとしたら、当時の州知事があからさまな人種差別主義者で、州兵まで出して登校を妨害し、連邦政府を巻き込んだ大騒動になった。

 このことについては、ハンナ・アレントも「リトルロックについて考える」という文章を発表しているが、これは、2007年に筑摩書房から出た『責任と判断』という邦訳の中の収録されている。・・・のだが、念のため翻訳を見てみたら・・・なので、誰か親切な人がスキャンしてアップしてくれている下記の原文の参照をオススメする。「アーカンサス州」は無いよ・・・。

● Hannah Arendt, Reflections on Little Rock

 http://learningspaces.org/forgotten/little_rock1.pdf

 閑話休題

 その時に撮影されたアメリカ史上最も有名な写真のひとつが、コレ。Little Rock Nine とかで検索すると出て来る。人種別学を撤廃したアーカンソー州リトルロックの高校へ登校しようとする黒人学生への嫌がらせをしている場面。

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 サングラスをかけた中央の黒人女性がリトルロックナインの1人であるエリザベス・エックフォードで、彼女の左肩後ろで憎悪に満ちた表情で罵声を浴びせている白人女性がヘイゼル・ブライアン。

 ブライアンは、この写真のお蔭で長らく人種差別的憎悪のアイコンになってしまい、その後、けっこう苦しんだらしいのだが、実にこの40年後、エックフォードと涙して和解したらしい。下の写真は40年後の2人。

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 話を戻すと、下は連邦第101空挺師団(airborne)に守られながら登校する黒人生徒たち。さっき言ったように州知事が人種差別主義者で州兵出して黒人学生の登校を邪魔したから、アイゼンハワー大統領がブチ切れて連邦軍送っちゃったんだよね。

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 人種隔離政策を撤廃へと導いた金字塔がブラウン事件だったワケだけど、社会全体を覆う《意味秩序》を、こういう風に、或る日を境に一変させるような企てってのは、そう簡単に行くものでもなく、その結果、今回のミズーリ州の暴動に至るわけ。

 日本における違憲判決が、この60年近くで、法令違憲9件、適用違憲12件の計21件なのに比べるとアメリカの違憲審査制の活発さと言ったらアレなんだけど、そうせざるを得ない程の社会的断絶が巨大な規模で発生するので、それに対応せざるを得ないという面もあるのではないか、と(エアリプで、アメリカの地方政府とか企業のアレさ加減も、社会運動の強烈さの原因というのを見たが、それも大いにあると思う)。

 講義でも良く言うように、アメリカってのは、憲法に内在する公共的価値を、そういう大規模で深刻な不正義の状況が現出するたびに、法廷で争い、《再現前》させる、「公共性の劇場」を、劇団四季のキャッツみたいに、ずーーーっと連続公演でまわしてる国ってコト(日本は何だろうね。文楽とか?)。

 まあ、そうであるからして、日本の最高裁違憲判決なかなか出さなくてチキンだ!みたいな話は、いやいやブラウン事件とその(一種悲惨な)帰結みたいなのを見る限りでは、どっちがイイのかねえ、と思わされるのであった。

 昔、アメリカに行ってた友達がくれたお土産で、Constitutional Law for a Changing America っていう巨大な本(897頁・・・もはや凶器)があるんだけど、コレとか読むとアメリカの著名な憲法判例とかに関する社会的・政治的背景が詳しく分かって面白い。余りにも巨大なんで暇のある時におもしろ半分に読んでて通しで読んだことは無いが、日本でも、こういう本が出るとイイのにと思う。 

  日本語で書かれた日本の司法に関するもので、これに類するのは、以下。これはホントに面白いので、コレも黙って読まれたし。話はそれからだ。全逓東京中郵事件とか、何でああいう判決になったのとか、良く分かる。 

最高裁物語〈上〉秘密主義と謀略の時代 (講談社プラスアルファ文庫)

最高裁物語〈上〉秘密主義と謀略の時代 (講談社プラスアルファ文庫)

 

 

 以下は、おまけ。

 

 白水社からの近刊で、デイヴィッド・レムニック著『懸け橋(ブリッジ)--オバマとブラック・ポリティクス』 もある。大著だけど、オバマとの絡みでブラックポリティックスについて書かれたもの(上下巻)。 

懸け橋(ブリッジ)(上): オバマとブラック・ポリティクス

懸け橋(ブリッジ)(上): オバマとブラック・ポリティクス

 

 

このサイトも中々イイ。公民権運動史跡めぐり、みたいな。・・・というか、これ、後でじっくり読んだが改めてもの凄い話だな・・・。下記、是非読まれたし。http://www2.netdoor.com/~takano/civil_rights/civil_06.html

 

 ゾンビ小説読んでると、ゾンビの人権を守れ!という人権団体が登場するのがあるんだけど、そこにも「我々は公民権運動の長い隊列の末尾に連なっているのであり・・・」みたいな記述が出て来たりするんだよね。S.G.ブラウンの『ぼくのゾンビライフ』っていうやつだけど。こいつもブラウンか・・・汗 

ぼくのゾンビ・ライフ

ぼくのゾンビ・ライフ

 

 最初に戻るけど、ネットで見て回ったら、今般、現在進行形の事件、マイケル・「ブラウン」事件という呼び名がついてるのね・・・。今回の舞台は、ミズーリセントルイス郡「ファーガソン」なんだけど、1954年の「ブラウン」判決が覆した先例(分離すれども平等 separate but equal)の名称、実は Plessy v. 「Ferguson」判決なんだよね・・・、こちらのファーガソンルイジアナ州の裁判官の名前だけど。文字面だけ一致してるって話で、一歩間違えれば電波なんだけど、ほほぉ、と思った。

 ま、こんな感じで。

 

 

フォリー・ベルジェールのバー

 このブログは私の記憶の外部化もひとつの目的なので、以下、どうしてもタイトルを忘れてしまう絵について。この絵をいつか、或る本の表紙にしたいのだが・・・。

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 フォリー・ベルジェールのバー(Un bar aux Folies Bergère)。エドゥアール・マネ(Édouard Manet)が1882年に完成させた油絵。マネが完成させた最後の作品。現在は、ロンドンのコートールド・ギャラリー所蔵。

 フォリー・ベルジェールは、1869年開業のミュージックホールで現在でもパリで営業している。マネが描いたのは、その中にあるバーカウンター。

公式サイト:http://www.foliesbergere.com/

 同時代の日本は、明治元年東京奠都戊辰戦争の終結、版籍奉還)~明治15年(軍人勅諭発布、時事新報発刊、福島事件)など。

 正面の女性の左右に配置された酒瓶、シャンパンは分かるのだが、あとの酒はグラッパとか・・・他は何だろう?特に下の酒瓶、どっかで見たことがある気がするのだが・・・。

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 ・・・とtwitterの方でも【緩募】したところ、早速大変親切な方からリプ頂き、バスペールエール(Bass Pale Ale)と判明。

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 なお、絵そのものについては、以下の解説が参考になる。

 主題には、近代都市社会が抱える諸々の不確かさが込められている。フォリー=ベルジェールは、パリ社交界の上流の人々や高級娼婦たち(ドゥミ=モンド)の娯楽場として人気があった。娼婦たちは、ロビーや通路で公然と客を取っていた。

 女性バーテンダーのおかれた立場もあいまいである。彼女たちはまず飲み物を出すためにそこにいるが、同時にまた、カウンター上の酒瓶のように、彼女たち自身も商品となりうるのである。マネの絵は、こうした不確かさを提起しているようだ。

 それは描写方法によっても強調されている。カウンターの酒瓶やフルーツボウルは鮮やかで緻密に描かれているのに対して、女性バーテンダーの姿は大ざっぱで簡潔だ。これは、何よりも彼女がカウンターの後ろにいることでわかるように、彼女の商品性を強調するもので、演じる役割のうちに彼女自身の立場のあいまいさを示している。

http://www.nikkei.co.jp/topic7/court/gallery3-6.html

  「ドゥミ=モンド」という言葉があるのか。知らんかった。調べてみたら、以下。

Demi-monde refers to a group of people who live hedonistic lifestyles, usually in a flagrant and conspicuous manner. The term was commonly used in Europe from the late 18th to the early 20th century, and contemporary use has an anachronistic character. Its connotations of pleasure-seeking often contrasted with wealth and ruling class behavior.

http://en.wikipedia.org/wiki/Demimonde

 『椿姫』の主人公ヴィオレッタ・ヴァレリーとかも、そうらしい。なるほど。半/反社交界とでも言おうか。花柳界とかとは、またちょっと違うな。

 追加。絵に関する解釈としては、下記のサイトも参考になる。

 http://blog.goo.ne.jp/sekai-kikoh-2007/e/10fa9fdb5fe680e4f9bdf1d79cc9efcc

詩人と権力者

  某先生に「面白い」と教えて頂き、川本皓嗣「詩人フロストとオバマ大統領」を読んでみた。岩波の『図書』2014年9月号に掲載されている。

 この内容については、川本氏の名前に「オバマ」や「フロスト」を絡めて検索すれば色々出てくるので、そちらで話の細部は確認出来る。例えば、以下など。

http://home.r07.itscom.net/miyazaki/yuki/kawa.html
http://d.hatena.ne.jp/ctenophore/20140913/1410633709

 ここでは、ごく掻い摘んだ形で内容を記すに留めるが、以下の通りである。--今年の春、オバマ大統領が訪日した際、東大で長らくアメリカ文学を教えていた川本氏が宮中晩餐会に呼ばれた。その際、氏は大統領と話す機会を設けられたのだが、大統領は「詩」についても造詣が深く(エミリー・ディキンソンなど)、わけてもロバート・フロストに関しては、その作品を「じかに熟読」さえしていることを感じさせた。そのようなオバマは「明らかにアメリカの知的少数者に属している」という驚きを感じたとのことである。オチは、実は美智子皇后も、このフロストの詩の一篇を愛読しているという話。文中に引かれたフロストの「選ばなかった道(Road not Taken)」という詩を、オバマ美智子皇后の人生に重ねると、実に味わい深いものがある。フロストの詩の実物も、上のURLにある。

 それ自体として味わいのある文章で面白かったのだが、読後、次のような、よしなしごとを思った。


 吉田健一の書いたものか何かの中で読んだ気がするが、「詩」は文学の女王であるという話もある。そのような女王たる詩と権力者は全くの没交渉だったかというと、そういうわけでもなく、曹操曹植とか、ダンヌンツィオ/ムッソリーニとか、古今東西を問わず、権力と詩の蜜月関係はあったのだが、しかし、今の日本の政治家が、詩とか読むかなあ、と。あ、後鳥羽院藤原定家とかもあるか。塚本邦雄の『藤原定家』はイイ。(あとで思い出したが、保田與重郎の『桂冠詩人の御一人者』とかが最も端的か)。

 「んなこたない、あいだみつをとか!」いうのは勘弁して欲しいのだが、たぶん詩を一篇でも暗誦しているような政治家は(ほとんど)居ないんじゃないかと思う。ただまあ、だからといって、政治家に「何かお好きな詩を教えて下さい」と訊ねて、「吉岡実!」とか「セリーヌ!」とか、はたまた「『現代詩手帖』愛読してます!」とか言われたら、「こいつに任せて大丈夫か?何考えてんのか分かったもんじゃねえな・・・」と不安になるわな。いや、間違い無く不安になる。だって、こんなんだよ。

四人の僧侶
庭園をそぞろ歩き
ときに黒い布を巻きあげる
棒の形
憎しみもなしに
若い女を叩く
こうもりが叫ぶまで
一人は食事をつくる
一人は罪人を探しにゆく
一人は自潰
一人は女に殺される

吉岡実「僧侶」

 私は好きですけどね・・・。あと、セリーヌは『死体派』 とか『虫けらどもをひねりつぶせ』とかな。詩というか評論というか(ユ×ヤ人)罵倒芸文学なんだけど、マズイだろ・・・。 

セリーヌの作品〈第10巻〉評論―虫けらどもをひねりつぶせ

セリーヌの作品〈第10巻〉評論―虫けらどもをひねりつぶせ

 

  早野透の『政治家の本棚』では29人の政治家にインタビューし、その読書歴を根掘り葉掘り聞いているんだけど、現政調会長代行(元内閣官房長官)の塩崎恭久が「バタイユ」とか言ってんの見るとやっぱ不安になるわな。実際、これ読んでた上で、この人が官房長官になった時、不安になったもん。  

政治家の本棚

政治家の本棚

 

 

呪われた部分 (ジョルジュ・バタイユ著作集)

呪われた部分 (ジョルジュ・バタイユ著作集)

 

 アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグの『城の中のイギリス人』 とか言い出したら、もう逮捕だよ、逮捕。  

城の中のイギリス人 (白水Uブックス (66))

城の中のイギリス人 (白水Uブックス (66))

 

   試しに最高裁のHPの各判事の紹介のトコ見たら「愛読書」とか上がってんだけど、それ見るとちょっと、ほっとするもんな。山本周五郎司馬遼太郎塩野七生とかだからして。

氏名

出身

愛読書・作家

寺田逸郎

裁判官

記載無し

櫻井龍子

労働省

ヘルマン・ヘッセ車輪の下
深沢七郎楢山節考
キャサリン・グラハム『キャサリン・グラハム わが人生』
ハンティントン『文明の衝突と21世紀の日本』

金築誠志

裁判官

ロナルド・トビ『「鎖国」という外交』
野口悠紀雄「バブルの経済学」
山本四郎『評伝 原敬
ユクスキュル/クリサート『生物から見た世界』
垣根涼介君たちに明日はない

千葉勝美

裁判官

村上春樹
稲見一良ダック・コール
サミュエル・P・ハンチントン文明の衝突
塩野七生ローマ人の物語

横田尤孝

裁判官

遠藤周作『沈黙』
山本周五郎『日本婦道記』
吉村昭『仮釈放』『赤い人』
山本譲司『獄窓記』『累犯障害者

白木勇

裁判官

夏目漱石堀辰雄川端康成司馬遼太郎

岡部喜代子

裁判官→学者

マックス・ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
堀田善衛『美はしきもの見し人は』『ゴヤ
ル・クレジオ『テラ・アマータ(愛する大地)』

大谷剛彦

裁判官

ジョン・グリシャム『最後の陪審員』『無実』
夏樹静子『裁判百年史ものがたり』
五木寛之親鸞

大橋正春

弁護士

史記
天皇の世紀
竜馬がゆく
『Becoming Justice Blackmun :Harry Blackmun's Supreme Court Journey』
ジョン・モーティマーのランポール弁護士シリーズ

山浦善樹

弁護士

山本周五郎赤ひげ診療譚
ヘルマン・ヘッセ『シッダールタ』

シモーヌ・ド・ボーヴォワール『第二の性』
アルフレート・アインシュタインモーツァルト その人間と作品』
海老澤敏『超越の響き モーツァルトの作品世界』
ジェローム・フランク『裁かれる裁判所』

小貫芳信

検察官

原敬日記』
田辺聖子

鬼丸かおる

弁護士

塩野七生ローマ人の物語

木内道祥

弁護士

レオ・ダムロッシュ『トクヴィルが見たアメリカ』
久米邦武『米欧回覧実記』
北原亞以子

山本庸幸

内閣法制局

城山三郎官僚たちの夏
司馬遼太郎著『坂の上の雲

山﨑敏充

裁判官

中勘助銀の匙

http://www.courts.go.jp/saikosai/about/saibankan/index.html

 ここに「愛読書:グレッグ・イーガンの『ディアスポラ』」とか書いてたら下のような感じの不安に襲われる。

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 まあ、そもそものところ、文学とかってのは、世界との折り合いの付かない人びとが、やはり世界と折り合いの付かない人びとによってこそ愛されてきた面も少なからずあると思うので、権力者が文学に我不関焉であること自体は、別に問題とすべきことではないようにも思うし、特にその女王たる詩に至っては極めつけの世界との折り合いのつかなさが内包されているようにも思う。

 ヨシフ・ブロツキーノーベル文学賞受賞記念講演を収めた『私人』とか読むと、ソ連とかでは或る意味、権力が詩とかに対して正面から向き合ってたことが良く分かるんだけど、それって恐ろしいよね、と。 (ブロツキーは、詩人やってるという容疑で逮捕されて法廷に引きずり出されている。)

私人―ノーベル賞受賞講演

私人―ノーベル賞受賞講演

 

  あぁ、毛沢東も希代の大詩人ではないか。詳しくは高島俊夫先生の『中国の大盗賊・完全版』を読まれたし。 

中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)

中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)

 

 

 本エントリー、当初は、斉藤眞先生の『アメリカとは何か』の中に収められてる「二人の知識人」をネタにオバマが「明らかにアメリカの知的少数者に属している」という部分を、このブログでも以前触れた反知性主義(anti-intellectualism)の話に絡めたりした話を書こうと思ってたのに全然違う内容になってしまった。まあ、私もまた文学を愛してしまったダメな人ということで、ひとつ。

 

※ 補遺:オバマの知的 milieu=ハイドパークについて。

アメリカNOW第25号 シカゴ大学「ハイドパーク」とオバマの関係性をめぐって(渡辺将人)|現代アメリカ|政策研究・提言 - 東京財団 - 東京財団 - THE TOKYO FOUNDATION


vol.112 オバマの家(その2)|R.E.port [不動産流通研究所]

 

 

「スコッチ親善大使」回想記

 たった今、否決が確実になったが、スコットランド独立投票のニュースに接し、久々に昔行ったスコットランドのことを色々と思い出したので、以下、記し留めておく。当時の記録の類がすぐ手に届くところにないので、色々と記憶違いもあるかもしれないが、備忘を兼ねて。なお、このエントリーは、今後も思い出すことがあれば、加筆訂正する。

※ 2014年9月19日(現地は18日)スコットランド独立投票・開票速報
 http://www.bbc.com/news/events/scotland-decides/results

 

 今を遡ること20年以上前、私は「スコッチ親善大使」というのをしていた。

 当時、イギリスのウィスキー会社 United Distillers の日本支社(UDJ)が五反田にあり、そこが開催したエッセイ・コンテスト(「私とウィスキー」)みたいなのに応募したのだった。1次選考のエッセイを通ったら、2次選考では英語で面接をされ、たぶん100人以上応募していたと記憶しているが、その中から4人が選ばれ、学生スコッチ親善大使としてスコットランドに行き、蒸留所でウィスキーの製造過程に触れさせてもらえたのだった。

 私が親善大使になったのは、確か二代目か三代目くらいだったと思うのだが、その後、この制度は、いつぐらいまで続いたのだろうか?ネットで検索すると、この親善大使を経て、本当に醸造学?のプロになった人も居るようだ(佐賀大学の北垣浩志先生:http://seisansystem.ag.saga-u.ac.jp/Staff.html

 今回これを書くにあたり調べてみて初めて知ったのだが、上記UDはギネスが持ってた Distillers Company と Arthur Bell & Sons を統合して1987年に設立された会社で、その後、合併を繰り返し、United Distillers & Vintners を経て、現在は Diageo Scotland になっているとのこと(下記、参照)。

 http://en.wikipedia.org/wiki/United_Distillers

 スコッチ親善大使は、本当に太っ腹な企画で、往復の旅費・滞在費のすべてを会社が出してくれた上で、スコットランド各地の蒸留所に、それぞれ1週間程滞在し、つなぎの作業着を着て、ウィスキーの製造工程を学ばせてくれるというものだった。滞在していたホテルのバーでは、ウィスキーを社割で呑むことが出来た。今にして思えば、本当に夢のような話である。

 確か7月頃だったと思うが、成田空港からブリティッシュ・エアウェイズヒースロー空港まで行き、そこから国内線の Dan-Airというのに乗り換えてインヴァネス空港まで行ったように思う。この空港名、曖昧なのだが、着陸の直前、横に座っていた乗客が窓外を指さして「あれが、Moray Firth(マレー湾)だ」と教えてくれたのだけハッキリと覚えており、マレー湾を見ながら着陸する空港は、多分ここしかないはずかと。

 インヴァネス空港には車が迎えに来ており、Elgin という町のホテルに一泊したような気がする。この町の近くには、Glen Elgin 蒸留所があるが、そこには行かなかった。

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※ Glen Elgin

 翌日、車に乗って Pitlochry という小さな町に着いた。我々は「ピットロッコリー」と言っていたのだが、漱石は下記の通り「ピトロクリ」と記してあり、ネット上では「ピットロッホリー」という表記を多く見た。

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「ピトロクリの谷は秋の真下にある。十月の日が、眼に入る野と林を暖かい色に染めた中に、人は寝たり起きたりしている。十月の日は静かな谷の空気を空の半途で包んで、じかには地にも落ちて来ぬ。」夏目漱石「昔」、『永日小品』所収

青空文庫夏目漱石著『永日小品』の「昔」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/758_14936.html#midashi200

 ロンドンに2年間留学していた漱石は、イギリス嫌いが嵩じ、最後には錯乱状態(「漱石、発狂セリ」の電報)になってしまったが、帰朝直前、1902年の秋、ピットロッコリーに数週間滞在し、精神の平衡を取り戻したとのことである。

 ピットロッコリーでは、確か Castle Beigh というホテルに滞在し、毎朝そこから車で Blair Athol 蒸留所まで送迎してもらい、紺色のつなぎを着てウィスキーづくりを見せてもらっていたのだった。本当に作業をすることも少なからずあった。ここで作っているシングル・モルトは、BELLというポピュラーなブレンデッド・ウィスキーの原酒の一つだったと思う。

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※ Blair Athol
※ Blair Athol 蒸留所サイト

  http://www.discovering-distilleries.com/blairathol/

 作業の合間に、Canteen という休憩小屋で、コーヒーを呑みながら Silcut というタバコを吸っていたのは懐かしい思い出だ。当時のレートは1ポンド=250円くらいで、1箱4ポンド近くもした記憶がある。蒸留所の職人のオッサンたちと一緒になって、色んなアホ話をしていたものである。

 この後、順序はもはや思い出せないのだが、イギリス王室のバルモラル離宮の近くにある、Royal Lochnagar 蒸留所に移り、そこにも1週間ほど居たように思う。

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※ ロッホナガー蒸留所サイト
 http://www.discovering-distilleries.com/royallochnagar/

 蒸留所の裏には、ウィスキーをつくる際に用いる水源であるナガー湖(Loch Nagar)があり、とても綺麗なところだった。

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 ここでWarehause(貯蔵庫)に入った時、まだ成人していなかったアンドリュー王子が成人したあかつきに開けられる秘蔵の樽の中身を呑ませてもらったのは幸運だった。
 ロッホナガーに居る間、バルモラル城の近所でほんの数メートルの至近距離からエリザベス女王を見る機会に恵まれたが、本当に小さな人だったと記憶している。
 あとは近くにある確かペルノー所有のスコットランドで最も小さな蒸留所であるEdradour蒸留所というところに、ホテルで同宿していて食堂で知り合ったドイツ人夫婦と行った。
 休みの日には、蒸留所の所長が愛車のアウディスコットランド第三の都市アバディーンまで連れて行ってくれ、映画館で「エイリアン3」を観て、有名なフィッシュ&チップスの店に行った。「フィッシュ&チップスは、下品なタブロイド新聞みたいなのでくるんで食うのが粋だ」みたいなことを言っていたのも、よく覚えている。アバディーンでは東洋人を目をすることがなく、とても綺麗な街だった。

 この他に、第二の都市エディンバラと最大の都市グラスゴウ、それからロンドンにも行ったのだが、この辺りのことは、もはや記憶が朦朧としている。エディンバラでDillons?という書店に入り、当時まだ日本では余り無かった(と思う)ウィスキー関連の本などを買い漁ったものである。後に土屋守訳が出て一世を風靡したマイケル・ジャクソンのあの本とか。あぁ、そうそう。インヴァネスにもドライブして、ネス湖を観たな。

 スコットランドでの旅の最後は、確か Stirling にあるジョニーウォーカーのボトリング工場の見学を行い、マーケティングセンターみたいなところで、「日本でシングル・モルトは売れるか?」とかヒアリングされた記憶がある。当時はまだ、日本国内では、それほどシングル・モルトは流行っておらず、「クセも強いので難しいのでは?」と答えたのだが、その後、世界中を見渡しても、これだけの種類のシングル・モルトを呑める国は日本以外になく、不明を恥じるばかりである。

 今でも時おり思い出すのは、なだらかに広がる泥炭地を覆うヒース(Heath)の丘陵地の光景である。

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※ https://www.flickr.com/photos/gregheath/7060603507/

 7月でも天候によっては肌寒いくらいの日もあったが、9月のいま時分だと、もう寒いくらいだろう。春になると薊の咲き乱れる、このヒースの丘に降って濾過された雨がウィスキーの原料となる。久しぶりに、ロイヤル・ロッホナガーでも1杯やりたい気分になった昼下がりなのであった。

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