哲学者の朝の祈りは新聞を読むことである(?)
大昔、井上達夫先生の講義を聴いていた際、ヘーゲルの言葉として「哲学者の朝の祈りは新聞を読むことである」という言葉を耳にした記憶があり、とても良い言葉だと思い、ずっと覚えていたのだが、ふとヘーゲルが何の中で書いてる言葉なんだろう?と思い、調べてみた。
私はドイツ語にはそれほど堪能ではないので、まず英語で調べてみると以下を見つけることが出来る。やはり有名な言葉なようだ。
Reading the morning newspaper is the realist's morning prayer. One orients one's attitude toward the world either by God or by what the world is. The former gives as much security as the latter, in that one knows how one stands.
Miscellaneous writings of G.W.F. Hegel, translation by Jon Bartley Stewart, Northwestern University Press, 2002, page 247.
ヘーゲル自身の言葉は「リアリストの朝の祈りは、新聞を読むことである」であり、恐らく井上先生は、この言葉をもじって話されていたところ、私はそれをそのままヘーゲルの言葉と誤解して記憶し、今日に至っていたのだろう。
問題は「典拠」で、英語ベースでこの手のことを調べると頻繁に遭遇する事態なのではあるが、Miscellaneous writings of G.W.F. Hegel では、正確な典拠が分からないのである・・・。
日本人(の特に研究者)がヘーゲルやカントを引用する際に、こういうものから直に引いてくるのは、ちょっと考えられないことなのだが、アメリカ人だと結構有名な研究者とかでも平気でこういうものから引いてくるケースが多数あり、彼我の文化的な差異を感じる・・・。
閑話休題。
上記の英文から推測して、ドイツ語でよちよちと検索すると、更に次のような検索結果が出て来る。何のことはない、ドイツ語版Wikiの「Hegel」の項目に以下のように記されていたのだった。
Den zu dieser Zeit verstarkt auftretenden Massenmedien blieb er jedoch treu: „Die regelmasige Lekture der Morgenzeitung bezeichnete er als realistischen Morgensegen.“
プロイセンがナポレオンに敗れたためイエナ大学が閉鎖された後の『バンベルグ新聞』の編集者時代(1807~1808)の言葉とのコトで、「この時代までにマスメディアは勃興しつつあったが、彼(=ヘーゲル)は誠実に、毎朝の新聞を読むことはリアリストの朝の祈りであるとしている」という感じのことが書いてある(と思う)。Wikiの脚注によるなら、上の典拠は以下の通りである。
Anton Hugli und Poul Lubcke (Hrsg.): Philosophie-Lexikon, Rowohlt Taschenbuch Verlag, 4. Aufl. 2001 Hamburg, S. 259
えっ、これってヘーゲル自身のではなく、Hugli と Lubckeって人たちが編集した『哲学事典』の項目じゃないの?汗
あと、上記のドイツ語版Wikiに記されているのは、テキトー訳からも分かる通り、ヘーゲルがこういう風に言ってるよ~、という、やはり「又聞き」の類で(ドイツ人よ、お前もか・・・)、最初に挙げた英語のものと平仄の合ったものは何だろう?と思い更に調べてみると、ドイツ語でも色んなバージョンが出て来てしまう・・・一体どれが正しいの???汗
1)Das Zeitungslesen des Morgens ist eine Art von realistischen Morgensegen.
2)Das Zeitunglesen am Morgen ist eine Art realistischer Morgensegen.
3)Die Lektüre der Morgenzeitung des Realisten Morgengebet ist.
日本語でも別バージョンが存在しており、「新聞を読むことは、近代人の朝の祈りである」という言葉も流布してもいるようである。
よく分からなくなってきたので、この項、とりあえずココまでにしておき、今度、研究室に行った時にでも改めて書庫に潜って調べることとする。
こういうコトを調べ出すと、とても楽しく、研究者になりたての頃の悦びを思い出したりもするのだが、最後は(当然だが)紙の本にあたらないとな、という・・・。
追記:・・・と、ココまで書いたところで昔、加藤尚武先生たちが千葉大でやっていたヘーゲル文献の悉皆データベース化を思いだした。以下のような形で引き継がれているようである。