『日本思想史講座』第4巻:近代(3・完)

日本思想史講座(4)近代

日本思想史講座(4)近代

 松田宏一郎「福沢諭吉と明治国家」読了。いつものことながら松田先生の書かれたものは大変勉強になる。松田先生は、ご著書に『江戸の知識から明治の政治へ』があるが、これは以前読んだ際、余りの面白さに夢中になったものである。法哲学・政治哲学に興味のある人にとっても必読の書だろう。

江戸の知識から明治の政治へ

江戸の知識から明治の政治へ

 それはさておき、論文についてだが、主旨は福沢が「国家と国民というもの」についてどう考えていたかの概観。「専制と自由」、「権力のバランスと対抗」、「国家の正当性と制度への信頼」、「世論と動員」」といった問題について整理されている。--以下、やはり私自身の研究ノートからのメモの抜粋。強調は谷口による。

 

●「「専制」とは、政治体制の問題としてよりも、個人の気力を削ぎ能力の発現や競争を阻害する社会的圧力として非難された」[70]

●「専制」人びとの「惑溺」と共犯関係。これを打ち破るのは「知力」[70]

●「平均」=「対抗する力がぶつかりあって均衡を得るといった力学的バランス」[71]

●「修身及家、平均天下」『礼記』[72]

●「福沢の用語法はむしろ多様な価値関心の間での対抗関係が生き続けることを、肯定的にとらえようとする新しい用法」[72]

●「平均」⇔「偏重」→「惑溺」→「専制」[72]

● p.74より、ミルの『代議制統治論』について

●「ミルの『自由論』に現れる、専制政治とアジア的国家の強い結びつきについての言及・・・早くから学問が発達し、競争試験によって優秀な人材を中央政府に登用する制度を確立していた中国が、あらゆる進歩の目を摘み取る権威主義的な体制になったのはなぜか」[75]

●「才力」・・・「明治国家は徳川体制を捨てたかもしれないが、新たに中国的専制を採用しようとしている。才能がある者が権力機構に登用されるだけでは「専制」という問題は解決しない」[76]

●「争論」の必要性。ミル『代議制統治論』、福沢『国会論』[76-77]

 

 上記のメモは前半に偏っているが、ちょうど私自身もミルの『代議制統治論』について最近書いたところで、その点からも非常に興味深く読んだ。書いたものは、近々出版される筈なのだが、ナカニシヤ出版から刊行されるシリーズ『立法学のフロンティア』の第1巻に収録される予定の「ミル・代議制・中国」というものである。色々な事情があって、我ながら今ひとつの出来なのだが、刊行されたら別途またお知らせします。

ふなっしー、我が家に来る

 買ぉてもろおた。

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 お腹を押すと次のような奇声を発します。

「こんなっしー、今日もみんながーんばるなっしー、梨汁ブシャー!」

「ふなっしーは、2000年に1度の梨の妖精なっしー、よろしくなっしー!」

「♪ふなふなふなふなふなヒャッハー!♪みんな元気にヒャッハー!」

 

 皆さん、良いお盆休みを。

『日本思想史講座』第4巻:近代(2) 続く・・・かもしれない

「大部分引用句から成る作品を書くこと---- 想像しうる限りの気ちがいじみた寄木細工の手法 ----」Arendt, Hannah, 1968, Men in Dark Times, Brace & World, Inc., New York(阿部斉訳『暗い時代の人々』河出書房新社、一九八六年/訳196頁。)

 與那覇潤「荒れ野の六十年--植民地統治の思想とアイデンティティ再定義の様相」読了。卒読、上記の引用を想起した。もちろん、良い意味で。

日本思想史講座(4)近代

日本思想史講座(4)近代

 先のエントリーで書いたことの繰り返しになるが、『「中国化」する日本』以降に與那覇さんが書かれたものの中では、(僭越ながら)最も完成度の高いものであると思った。 

 本論文は、とにかく、その《密度》と《速度》が凄まじい。大量の二次文献を駆使しつつ、それらの全てを見事に飼い慣らしている(ように私には見える)。東アジア世界(日中韓)の、この六十年間の目眩く歴史の大ページェントを僅か三〇頁余りの論文の中に凝縮しており、あたかも台湾故宮の「彫象牙透花人物套球」の如しである(これは、ちょっと褒めすぎか。でもまあ、一読後、昔、台湾故宮で実際に見たコレを思い出したのだった。冒頭の引用通り、変態細工的ではあるが、文句なく素晴らしい)。

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 論旨の基本線は『「中国化」する日本』と変わらないと理解したが、以下、興味を惹いた箇所を私の研究用ノートから、メモを兼ねて掲載しておく。強調は、谷口による。

 

● 「〔日本〕帝国の建設から破綻に至る政治過程」→「各々に固有の特質を帯びて形成された東アジア諸地域の思想文化が、それぞれの普遍性を賭けて対峙した時代」[222]

●「結論を先取りして言えば、中華世界における覇権が近世以来はじめて直接にむき出しの政治闘争にさらされ、日本思想の臨界が他者の前に問われる経験だった」[222]

●「近世東アジア世界における平和外交を支えたのは、第一に国際関係における曖昧さの活用であった。」[223-234]

●「「法の支配」が貫徹しなかった東アジア諸国では、たとえば徳川日本の場合、刑法典の内容が表向きは民衆に公開されず、厳罰と赦免のあいだで行政官による裁量の余地の大きい人治主義を採った」(日本の目明かし、朝鮮の小吏)[224]

●「一般民衆は厳格な法適用を求めるというよりも行政官に手心を加えてもらうための「相場」を織り込むことで、明文化された「人権」の欠如に対応していた」[224]

●「多義性と曖昧さを活用する近世東アジア文明の特質」[224]

●「・・・科挙への合格によって獲得される士大夫というアイデンティティの重要性を勘案するとき、中華世界におけるアイデンティティとはいわば「である」以上に「になる」ことが重視される、可変的かつ動態的な形態をとっていた・・・」[225]

●「朱子学の形成によって「聖人」を努力次第で誰もがなりうる存在とし、為政者には普遍的道徳の担い手たることを絶えず求めることで国家の政治運営を統御してきた」[225]

●「自覚的に曖昧な秩序」⇔「西洋近代型のリジッドな主権/国民/法治国家体系」[225]

●「欧州でフランス革命を生んだともされる十八世紀末の小氷河期現象(寒冷化による大凶作)は、日本では松平定信による寛政の改革をもたらし、その下で初めて朱子学が幕府の公認イデオロギーに・・・近代的な市民感覚とは異なり儒教的な志士仁人を範とする主体形成が進むこととなった」[227]

●「少なくとも思想史的には、三国〔日中韓〕のうち、日本のみが社会秩序の「儒教化」というカードをこの時期〔維新期〕まで切っていなかった。・・・幕藩体制という非儒教的政体を十八世紀末まで維持していた日本人のみが、対外的には他国にも通用する世界普遍性の主張、国内的には規範道徳による現状批判と既成身分の相対化という、儒教思想の開放的性格を「守旧」ではなく「変革」のエネルギーに利用することが可能であった [227-228]

●「そもそも「儒教化」のカードを遅く切ったがゆえの明治維新の成功を、文明の普及と称して近接地域に輸出する試みは、もとより朱子学国家であることを自任していたc朝鮮で最も痛烈な抵抗にあう」[232] 

●「『礼記』の大同世界を掲げた王道主義を説いて満州国の桂冠学者となった橘樸は、内藤湖南の『支那論』にみえる郷団自治論に、戦間期の欧米で国家の相対化を企図し政治的多元主義やギルド社会主義の発想をかけあわせ・・・」[240]

● 「大日本帝国の思想史的な敗因」=「天皇という特殊主義的に語られる存在を国体の中心としたところから生じた、統治イデオロギーにおける普遍性の欠如」・・・「近代天皇制が万世一系を掲げて「革命」の可能性を否定する教義を採ったことは、植民地統治に援用出来る現地の土着思想の幅を著しく狭くした」[246]

●「単一民族幻想に安住する日本人と、現在の居住地をあくまで仮の宿とみなす朝鮮・韓国人とが奇妙にすみ分ける、対話を欠いた多文化状況が列島に出現した」[250]

●「境界が不明瞭な東アジア世界の秩序を、近代化された巨大な暴力によって整序しようとした日清戦争から朝鮮戦争までの半世紀間の後に、再び自覚的な曖昧さの活用による、合意なき事実上の平和が回帰したのであった」[250]

 

 どうだろう?以上を瞥見すれば、すぐにでも、書肆に走りたくならないだろうか?

 

 さて、このブログでも何度か触れたことではあるが、私はここ数年「儒教」を中心とする東アジア政治思想の蓄積に深甚たる興味を抱いている。そのことについて既に幾つかの書き物の中でも言及しており、また、その関連でダニエル・A・ベルの著作の翻訳もやっている。

 ふと思い出したが、学部時代、今は亡き鴨武彦教授の国政政治ゼミに応募した際、入ゼミ試験があり、その試験は、当時“Foreign Affairs”誌(1993年夏号・・・20年前?!恐ろしい・・・)に掲載されたばかりのハンティントンの「文明の衝突」論文を題材にエッセイを書くというものだった。試験当日、私はたまたま事前に英語版の当該ハンティントン論文を読んでいたので、自信満々で答案を書いたのだが、結果は・・・見事に落ちたのであった・・・(汗。。

 あれ何の話だっけ?・・・あ、そうそうハンティントン。当時、「文明の衝突」論文を読んだ時には、「儒教文明圏」とか出ていているのを見て「このオッサンの妄想すげえな」とか思っていたのだが、今にして思えば、ハンティントンには先見の明があったのだ。当時のわたしは、まだ冷戦的マインドセットから全く脱し切れていなかったのだった。

 この夏、呻吟しながら訳しているベルの“China's New Confucianism”は、上記で與那覇さんが言うところの「普遍性」を持った(統治)原理としての儒教を称揚するもの(そして、それをマルクス・毛沢東主義に代わる統治原理として中国政府が採用することを主張するもの)なのだが、このベルの話と與那覇さんの話を繋げてみると、更に面白い話になるかもしれない。今回のエントリーにまつわる話は、この翻訳の末尾に付す予定の「解説」の中で改めて書くことが出来ればとも思っている。

 

 というわけで、翻訳に戻らねば・・・。

 

『日本思想史講座』第4巻:近代(1)....たぶん、続く

日本思想史講座(4)近代

日本思想史講座(4)近代

 同僚の河野有理先生より最近シリーズ刊行された『日本思想史講座』第4巻を頂いたので、早速、読み始めてみた。
 先ずは、苅部直先生の「総論 近代の思想」。劈頭、「思想家番付のこころみ」というお題で始まりワクワクしてたら、日本近代思想史の「通説」を数値化するため、おもむろに『倫理用語集 改訂版』(山川出版社)での登場頻度数が参照され始め、思わず噴き出してしまう。あとは実際に読んでのお楽しみ、ということで。

 次は、河野有理「「演説」と「翻訳」」。副題は「「演説合議の社」としての明六社構想」。とても面白く私自身の研究にも関わりがあるので、以下、メモも兼ねて少し詳しく紹介する。
 これに関係すると思われる私の書いたものは、ナカニシヤ出版から出ている、井上達夫編『公共性の法哲学』に収録された「立法過程における党派性と公共性」。自分が書いたものの中で我ながら一番、気に入っているものの一つである。端的に言うと、その中では「熟議(deliberation)」批判をしている。

公共性の法哲学

公共性の法哲学

 それはさておき、この河野論文は、冒頭、明治に入ってから、にわかに巻き起こった「演説」ブームの話から始まる。翻って、同時代の中国には演説の文化は存在せず、梁啓超は当時の日本の「演説熱」に衝撃を受けたとのこと(「日清戦争敗北の原因だ!」とも)。
 このブームの仕掛け人は福沢諭吉。「演説」は福沢の手になる《speech》の訳語であった。そして明六社が、その最初の舞台の一つとなった。しかし、同じく明六社同人であった阪谷素(さかたに・しろし)は、これに対して疑義を唱える。当人が(歯がないこともあり)演説下手だったことはさておき、儒学者である阪谷は「道」の実在を信じ、「道」を求める手段として「合議」に信頼を置いたのであった。阪谷にとって「演説」とは、この「合議」の手段でしかない。しかし、それは、ベストな手段なのだろうか?阪谷の結論は、「演説」ではなく「翻訳」をというもの。それは「演説」に問題があるからだ。
 演説の何が問題なのか?それは演説が手段ではなく目的化し、空理空論を弄ぶこととなるからである。宮崎滔天が夢破れて後、「浪花節語り」に転身したり、板垣退助が講談師の鑑札を取るよう勧められたりした話とか、思わず「ほほぉ」という話もテンコ盛り。さらに「演説」は「演歌」の起源とのこと!(娘義太夫の話まで出て来る。--どーする!どーする!)
 阪谷は、「聴衆を魅了」する福沢に疑いの目を向ける。確かに福沢は見事な「演説家」。しかし、彼は本当の意味での、よき「討論者」なのか、と。福沢にとっての「討論」とは《debate》。これは当節流の「ディベート」であって、要するに自分が信じてもいない立場であっても「pro/con」を仮設し、その場でいずれにでもコミット出来るというアレ。阪谷は、これに対して「人を馬鹿にした」ようなものを感じた(余談:J.S.ミルの『自由論』にも登場する「悪魔の代弁人(devil's advovate)みたいなのは、どう考えるんだろうか?)。
 福沢に体現された「落語芸能」のような「演説」やゲームとしての「討論」ではなく、それらこそが阻む「合議」の“実質化”を阪谷は目指す。ただ、『明六雑誌』誌上でも議論はよく空転した。たとえば森有礼の「妻妾論」をめぐる論争。そこで最もアキュートな問題として登場するのが「言葉の意味(字義)」をめぐる問題。たとえば「男女同権」という時の「権」とは何なのかとか。そこで、阪谷は「合議」を実質化するため「字義」を定める必要から、「翻訳合議」を論じることとなる。
 「自由」・「権利」・「文明」など近代化以降に西洋語を翻訳した語は多いが、福沢や阪谷の頃は訳語が定まっておらず、訳者の和漢洋に通じていることによって何とかクオリティが担保されている危うい状態。和漢の蓄積が忘却の彼方に失われてしまう時は、忘れ遠くない・・・。 昔は、「会読」をしていたではないか!これだ!(阪谷)。
 ここまでが方法論に関する話で、その方法を使って実地として政治おける「教」という言葉について考えてゆく話に、後段、突入してゆく。この実地ケースは、しかし、上述の「演説」→「討論」→「合議」→「翻訳」→「会読」という流れ全体に対しても遡及的に懸かってくる問題であり、ここからの話の転調は、それまでの本論の文脈にするりと陥入するが如く展開しつつ、その脈絡自体を覆うといった風情で、一読、感嘆である。
 後段の詳しいことは、後日、開催される或る研究会で質問しようかとも思っているので、それについては、また別の日に。
 ちなみに、本書に収録されている論文で注目しているのは、下記の2つ。これらについても、また時間のある時にまた別途。

 松田宏一郎「福沢諭吉と明治国家」
 與那覇潤「荒れ野の六十年」

 與那覇論文は、途中まで読んでいるのだが、今回はグルーヴ感が凄い。余りに夢中になって読んでいて、途中で呼吸が止まっているのに気が付き、思わず咽せてしまったほどだ。與那覇さんは『「中国化」する日本』以降も色々書かれているが、(僭越ではあるが)最近のものの中では、これが一番完成度が高いのではないだろうか?

 

ふなっしー、或いは暗黒生命の輝き

※ 以下のエントリーは、8/7、0:00~0:10のみの限定公開で、すぐに削除します。

※ 気が変わったので、しばらく、ひっそりと置いておきます。

※ 開き直って晒すことにしました。

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 狂ったようにそこらじゅうを飛び跳ね、間断なく奇声を発しながら、「ヒャッハー!」と雄叫びをあげる《ふなっしー》。その姿には、神々しさ(sublime)さえ感じられる。荒ぶるFunabashiの原地母神よ。その名は、船橋の名産であるところの梨に由来するが(梨汁ブシャアアア)、「無」を忌避し「ありのみ」とも呼ばれるこの果物の花言葉は「和やかな愛情」である(和やかな愛情=ふなっしー??)。

花の折かしはにつつむしなの梨は一つなれどもありのみと見ゆ(『山家集』哀傷歌)

 改めて、その名を万葉仮名(夜露死苦現代詩)で記すならば、「不無津死夷」とでもすべきか。中%新一風に解説するなら、敢えて二重否定を冠することによって、逆接的に《死》への欲動を露わにするディオニソス/アポロン的二重背反存在(参考文献『大阪%ースダイバー』)。「船橋」という地名の由来が、川の彼岸と此岸とを渡すことにあったように、《ふなっしー》は、生と死との両岸で、相反するものを架橋するのである。ノエマ・ノエシス、エルゴン、絶対矛盾自己同一!(京都大学の方、スイマセン)

 古代、海老川は、現在より川幅が広く、水量も多かったため、橋を渡すのが困難だったそうです。そこで、川に小さな舟を数珠つなぎに並べて上に板を渡し、橋の代わりにしたことから「船橋」という名がつきました。(船橋市役所のHPより)

 海老川にかかる橋は「船橋橋」と言い、中国人の名前のようだ(chuán qiáoqiáo?)。だが、そんなことはどうでもイイ。ふなっしーよ!生きろ、そして死ね!(Live and Let Die~♪)


Paul McCartney & WINGS - Live And Let Die - YouTube

  ちなみに、Live and let live とかLive and let die とかは、全然こういう意味ではない。あと、死ななくてイイです、結構好きなので。むしろ、元気でいて下さい。

 

 それから大事なことだが、おめでとう、ふなっしー!

 全国のご当地キャラクターが人気を競い合う「ご当地キャラ総選挙」の最終結果が6日、東京都千代田区の大丸東京店で発表され、千葉県船橋市の非公認キャラ「ふなっしー」が、初代王者に輝いた。(朝日新聞、2013年8月7日付)

 

《余談》

 二〇年以上前に、船橋市に住んでいたので、ふなっしーには親近感を感じる。駿台・中山寮(下総中山)の住人だったのである。その頃は、毎日、下総中山から御茶ノ水へと通っていた。下総中山の思い出と言えば、真間川と人吉(じんきち)。日曜日に食べる人吉弁当!他には京華の中華丼と、らら・ぽーとのしゃぶしゃぶ食べ放題。あの頃の中山寮の人びとよ、みんな元気にしているだろうか?私は元気にしています。今度、家族に、ふなっしーのストラップを買ってきて貰います。

サブカル天皇・後白河帝とスナック本

 大河ドラマ『平清盛』は、とても面白かったので、毎週、放送される回の該当箇所を『保元物語・平治物語』とか『平家物語』、あるいは頼山陽『日本外史』などで予復習していたものだが、それも、もはや遠い思い出である。なかでも以下の『日本外史』の論賛部分が非常に的確だと思ったので、メモも兼ねて掲載しておく。

「而して源氏何に資(よ)って以て起らんや。源氏、名は暴乱を治むとなして、その実は王権を攘窃す。源・平の罪、未だ軽重し易からざるなり。且つ夫れ源氏の猜忍なる、骨肉相食む。平氏の闔門(こうもん)死に至るまで、懿心(いしん)を失はざるに孰与(いずれ)ぞや。世に平語を伝へ、琵琶に倚(よ)ってこれを演ず。」

 源氏は家族同士で殺し合いしまくる関東ヤンキーで、平家はHOME MADE家族であると。

 その流れで、松田翔太演じる後白河法皇編『梁塵秘抄』を読もうと思い立ち、光文社古典新訳文庫から出ている川村湊訳を買って読んだのだが、これがキテている。奇書なのである。

梁塵秘抄 (光文社古典新訳文庫)

梁塵秘抄 (光文社古典新訳文庫)

 内容は、全篇を通じて、それぞれの「今様」の歌詞について、冒頭に相当に思い切った《意訳》(多くは現代の歌謡曲の歌詞風である)を置き、その次に《原歌》、そして最後に《解説》という構成を取っている。たとえば、最も有名な「遊びをせんとや生まれん~」については、次のような「異訳」が付されている。

 オトコのオモチャと生まれてきたわ/さわられ/なでられ/抱かれるために/たまにゃ/ひとりで/生きたくもなるが/こみあげる/悲しみ/なんとしょう 

  ・・・唖然であるが、思わず原歌を見直してみるなら、以下の通りである。

 遊びをせんとや生まれけん/戯れせんとや生まれけん/遊ぶ子どもの声きけば/わが身さえこそゆるがるれ

 この項は解説もキテおり、次のようなことが書かれている。

 今様の多くが白拍子や遊女などの芸能民にうたわれたことは確かだが、歌そのものの主人公をそれらの人びとに擬する必要はない。八代亜紀が本当に波止場の女である必要はないのと同じことだ。小林旭が、酒場女として“昔の名前で出てい”たら、気持ちが悪いのと同じだ(?)。

 一読、再び唖然とするのではあるが、今や『あまちゃん』によって朝ドラにまで公然と登場するまでになったスナックの風合いを湛えた本であり、その点、大いに好感を持たざるを得ないのであった。

 それにしても、後白河は、もし今の時代に降臨したなら、YouTube視聴しまくり、ニコ動のうp主にもなり、あげく、2ちゃんに降臨して「俺、天皇だけど、何か質問ある?」とかスレ立てしちゃったりするような人だったのではないかと。名実ともに、サブカル天皇だったわけである。

 本当にどうでもイイことだが、このドラマで最も記憶に残ったのは、成海璃子演じる滋子が後白河院の前で雅楽の演奏に合わせて踊った「変な踊り」である。下の薩摩守(=勇者ヨシヒコのメレブさん)による踊りではない。しかし、忠度と俊成の「歌の別れ」の場面とかはすっ飛ばされていて、その点は残念だった。 

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 話を元に戻すと、私は滋子の「変な踊り」が余りに気に入ったので、自宅で家族が居ない時に、ひそかに真似して踊ってみたりしていたのだが、結局それが何なのかは、いくら調べてもよく分からなかった。舞楽の「胡飲酒(こんじゅ)」であることは確かなのだが、色んな意味で全く違う・・・。たぶん、ラッキー池田かKABAちゃんが創作した踊りだったのだろう。・・・とか記していたら、以下のようなものを発見した。やはり・・・。

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http://file.depth333trench.blog.shinobi.jp/cnonju_taiga.jpg より

 

 『八重の桜』は、最近つらくなって来ている。オダギリジョーよ、お前は今までどこに居たのだ、と。

わたしの夏、翻訳の夏/ダニエル・A・ベル『孔子襲来--現代中国思想地図』

 夏休みに入ったのだが、全くもって夏休みではなく、ダニエル・A・ベルの『中国の新しい儒教(China's New Confucianism)』の翻訳作業を毎日コツコツとやっている。

China's New Confucianism: Politics and Everyday Life in a Changing Society

China's New Confucianism: Politics and Everyday Life in a Changing Society

 先に出版した『ゾンビ襲来』も、ちょうど去年の今ごろ暑いさなかに作業していたので、「夏=翻訳の季節」というルーチンになりつつある。村上春樹によるなら、翻訳とは「雨の中の露天風呂」のようなものということなのだが、私にとっての翻訳は「真夏のサウナ」である・・・。去年はゲラを持って川まで行き、ひとりで平日の昼のひなかから裸足で川にじゃぶじゃぶ入り(下掲載、写真)、川の真ん中で訳稿を持ってブツブツ言ったりしていたので、近隣の住民からは、さぞ怪しい人間に見えたことだろう・・・。警察に通報されなかったのが救いである。

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 閑話休題。

 

 ベルの本はtwitterでも、これまで何度か触れたことがあるが、折角なので改めて紹介しておくと、著者はカナダのマッギル大を出た後、オックスフォードで博士号を取り、ウィル・キムリッカ(Will Kymlicka)の指導を受けたりした政治哲学者である。博士号での研究テーマはコミュニタリアニズムなのだが、この博論を出版したものの内容が、ふるっており、全編これ対話体である。タイトルは『コミュニタリアニズムとその論敵(Communitarianism and Its Critics)』。日本で、こんな博論、許されるのだろうか?それに対するキムリッカからの応答も全編これ対話体となっている。みなノリが良すぎる・・・。大昔、ある出版社から、この博論を元にした本の翻訳を出すという話があり、私が企画案と試訳を送ったのだが、ベル自身が改訂版を出すので待ってね、という話になり、今日に至っている。改訂版いつ出るのかな?

Communitarianism and Its Critics

Communitarianism and Its Critics

 ベルは、オックスフォードを修了した後、シンガポール国立大に赴任し、その後、返還前の香港中文大を経て、現在、西洋人としては初めて中国本土の清華大学で政治哲学を教えている。わたし自身も、何度か酒席もご一緒したことがあるが、とてもチャーミングな人物である。その著作は既に日本語でも出版されている。『「アジア的価値」とリベラル・デモクラシー』というもので、九州大学の施光恒さんなどが翻訳されている。なお、有名な『資本主義の文化矛盾』の著者とは別人であり、両者は親戚関係であるらしい。

「アジア的価値」とリベラル・デモクラシー―東洋と西洋の対話

「アジア的価値」とリベラル・デモクラシー―東洋と西洋の対話

 本書 “China's New Confucianism” の内容はタイトルの示す通り、現代中国における「儒教の復権」について記したものなのだが、上述のように、欧米で学問的訓練を受けたベルの政治哲学(現代正義論)的素養と、東アジア世界で長らく暮らした彼自身の実体験を踏まえた上で、現代中国の思想状況が論じられており、わが国の法学部科目でいうなら丸山眞男以来の日本政治思想史と我が法哲学が融合したような、実に興味深い内容となっている。

 昨今、書店に行くと中国関係の本は書棚に溢れており、その多くは、いささか過剰な「熱量」を孕んだものとなっているように見受けられるが、(政治)哲学/思想的な側面から中国について大局的(かつ冷静に)に論じたものは、ほぼ皆無であるので、その点、中国に関してこれまでとは違った側面から考える上でも興味深い本である。この点、(大いに)読むに値するのは、王前さんの『中国が読んだ現代思想--サルトルからデリダ、シュミット、ロールズまで』ではないだろうか。この本は、マストバイである。

中国が読んだ現代思想 サルトルからデリダ、シュミット、ロールズまで (講談社選書メチエ)

中国が読んだ現代思想 サルトルからデリダ、シュミット、ロールズまで (講談社選書メチエ)

 以下、本書の目次(仮)であるが、大変面白い内容なので、刊行の暁には多くの読者に手に取って貰えることを願うばかりである。なお、タイトルは、たぶん『孔子襲来--現代中国思想地図』みたいな感じになる予定。

 

《第Ⅰ部:政治》

 第1章 共産主義から儒教へ――中国政治の変わりゆく言説

 第2章 戦争と平和、中国のソフトパワー

 第3章 平等を演出する儀礼

《第Ⅱ部:社会》

 第4章 セックスと歌と礼節――カラオケの代償とメリット

 第5章 家政婦の遇し方

 第6章 スポーツの政治学――ワールドカップからオリンピックまで

《第Ⅲ部:教育》

 第7章 批判的思考(クリシン)のクリティーク

 第8章 北京で政治理論を教えるということ

 第9章 儒者になる――老人で生真面目、保守的である必要はない

《第Ⅳ部:現代中国の儒教再論》

 第10章 論語の脱政治化

 第11章 蒋慶の政治儒学

 

 そのようなワケで、随分と〆切もシビアなことになっているため、再び「サウナ」に戻らなければならない・・・。

 

【余談1】

 自分用のメモも兼ねてだが、この本の中では中国の古典が少なからず引用されており、その各々について適切な参照テキストを以下、記しておく。これについては、日本政治思想史や中国哲学を専門にする知己の方々から多大なるご教示を頂き、伏して謝すところである。

 訳文:倉石武四郎『口語訳論語』(筑摩叢書)

 訓読:宇野哲人『論語新釈』(講談社学術文庫)

 孟子:宇野精一『新釈孟子全講』(学燈社)

 英訳: WaleyやLeggの既存の英訳を参照?

 翻訳していて思ったのが、ベル自身、上記のようなコトを含め、例えば『論語』に関しては、そもそも『集注』を参照しているのかといったような基本的な事柄についてさえ、明確には言及してはいない。彼自身、清華大学で「経学」を専門にしている同僚からも色々教えて貰っていると書いているのだが、しかし、わが国で江戸時代などを通して蓄積されて来たような形での解釈学的伝統は、「本場」においては文革その他の影響などもあり、薄いものとなっているのかな、とも。

 

【余談2】

 個人的な思い出だが、備忘録も兼ねて以下。ベルに初めて会ったのは、本郷の山の上会館で1999年よりちょっと前に開催された(第1回?)東アジア法哲学シンポジウムで彼が報告をしていた時だったように記憶している。その時の報告をまとめたものが、多分『変容するアジアの法と哲学』(有斐閣)なのだと思うのだが、この中にベルは既に「21世紀の儒教民主主義」という文章を寄稿している。シンポジウムの際には、或る西洋の女性学者がベルの報告に対して、猛然と噛みついていたのを覚えている。私もその時には「なんか物凄いアレなこと(しかし面白い)ことを喋ってる学者が居るな(笑)」と思ったくらいだったのだが。
 その後、東京大学出版会のシリーズ『公共哲学3:日本における公と私』の元になったシンポジウム(たぶん)で駒場で再会し、ちょっとココでは書けないような悪い話(things politics)を色々して、お互い笑っていた記憶も蘇った。
 ベルと最初に喋った時に意気投合したのは、ポール・セロー(Paul Theroux)の「詩のレッスン(Poetry Lesson)」 という短編小説についての話題であり、この小説は雑誌 “New Yorker” の年末短編小説特集号に載ったものだった。内容は、シンガポールの悪口満載の話で、英文学が専門の大学講師だかがシンガポールの金持ちに頼まれて詩の家庭教師をするといったようなもの。日本語に訳されているのかは知らないが、セローの “My Other Life” の中に収録されている。

なぜ今、ゾンビが流行っているのか?

※ 追記:以下については、下記の記事も参考までに。わたし以外の出演者は『アイアムアヒーロー』の花沢健吾さんと映画評論家の江戸木純さん、司会は荻上チキさんの番組でした。

TBSラジオ「ゾンビ」番組出演・補遺(1)

 http://taniguchi.hatenablog.com/entry/2013/08/24/104652

TBSラジオ「ゾンビ」番組出演・補遺(2)

 http://taniguchi.hatenablog.com/entry/2013/08/24/105128

 

  8月10日にマックス・ブルックス著『ワールド・ウォーZ』が映画化・公開される。以下は、映画公式サイト7月29日掲載分より

『ワールド・ウォーZ』PRのため、つい先程ブラピ&アンジーが羽田空港に到着!ようこそ日本へ!!撮りたてほやほやの写真です。明日はジャパンプレミアに出席予定!

 俺んトコには試写会のご案内も無かったので、実は悲しんでいる。所詮、二流ゾンビ芸人・・・。

 ゾンビ・ロマンティック・コメディ『ウォーム・ボディーズ』の試写会はご案内頂きました。ありがとうございました。→公式サイト http://dead-but-cute.asmik-ace.co.jp/

 そんな中、上記ジャパンプレミアと同じ日に、あるところからの依頼で、上記WWZの公開(8月10日)に合わせて「今なぜゾンビが流行っているのか?」という取材を受けた。拙訳『ゾンビ襲来』を読まれてのご依頼だった。記事はWWZ公開前後にWeb上に載るそうなので、決まったらまた別途。

ゾンビ襲来: 国際政治理論で、その日に備える

ゾンビ襲来: 国際政治理論で、その日に備える

  • 作者: ダニエルドレズナー,谷口功一,山田高敬
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 2012/10/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 3人 クリック: 455回
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 この取材の際に初めて知ったのだが、安倍総理ってドラマ『ウォーキング・デッド』好きだったのか。知らんかった。

安倍総理 TV出演で大の海外ドラマ好きを告白!「ウォーキング・デッド」 など絶賛 | 海外ドラマ&セレブニュース・TVグルーヴ http://www.tvgroove.com/news/article/cg/2/nid/11171.html

 この記事によるなら・・・

「全くの別世界を描いてるから、観ていてスカッとする」(安倍総理)

 ・・・とのコトなのだが、しかし、アレ観てスカっとするというのは無いな(汗)。何かこう、惨たらしく死んで欲しい人とかが大量に居たりするのだろうか・・・。まあ、首相は激務なのでストレスが溜まっているのだろう、ということで。

 

 閑話休題。

 

 話を元に戻して「今なぜゾンビが流行っているのか?」。取材の中でも言ったのだが、深層(集団)心理的なことは正直よく分からない。社会不安の高まりとか端的には戦争とかがゾンビ映画を増やすというお約束の説明もあるが、むしろ受け手ではなくサプライサイドの問題なのでは?とも。

 現在連載中のゾンビ漫画は把握してる限りで、すぎむらしんいち『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド~女ンビ童貞SOS』、花沢健吾『アイアムアヒーロー』、福満しげゆき『就職難!ゾンビ取りガール』、相原コージ『Z』だけど、それぞれの生年は、66年、74年、76年、63年。

 あと、『大江戸リビングデッド』の宮藤官九郎は1970年生まれ。要するにゾンビの洗礼を受けた世代が「作り手」になり、ある程度、好き勝手出来るくらいの歳になったということでは?『桐島、部活やめるってよ』もあるけど、80年代生まれか(映画版の監督は60年代生)。

 ゾンビは、これからどうやったら日本に定着するだろうか?といった質問もあったと思うが、「朝ドラでゾンビやったら、それが日本にゾンビが定着したという証拠」とか、テキトー極まりないことを言った・・・。

 無理くりの説明だけど、日本で最近?流行ってんのは、次のような経緯では?というテキトー説明も。

 「おぞましいもの」への嗜好はいつの時代にもあるが、それは人びとの集合意識の中の不安とかを表象している。冷戦期の核戦争への恐怖→北斗の拳、みたいな。

 90年代の不安は、95年のオウム・サリン事件でピークを画すんだけど、これについては宮台先生が「終わりなき日常」って言い出して、この図式はひろく受容された。

 しかし、この終わらないと思われたマッタリした《日常》は、失われた20年~リーマンショック~311で、いとも簡単に木っ端みじんになり、むしろ、そんな《日常》懐かしいYOネ!みたいな事態に。

 特に311以降は《日常》どころか《終末》が常駐するように。《終末》の最も端的な形態は「死」だけど、「太陽と死は直視出来ない」ところ、のろのろ歩いてじっと凝視しやすいゾンビは、《終末》世界をイマジネーションによって加工するための恰好のメディアだったのかもね、とか。

 すべては思いつきのテキトーな話である。すんません。

 取材の最後の質問は「先生はなんでゾンビ好きなんですか?」だったんだけど、これ、実は結構難しい質問。

 ゾンビ映画とかで一番好きな場面は、だいたい人間の主人公たちが、アナーキーになった状況下で、スーパーとかからカジュアルな略奪をやって束の間のパラダイス(すぐ崩壊する)を築くトコなんだけど、これは、AoEとかで敵襲に耐えつつ、一生懸命、壁とか塔とかつくって防御が完全になった時のワハハ感に似てるから好きなのかな、とか、とても残念なことを答えてしまった・・・(下記、AoEキャプチャ画面)。

f:id:Voyageur:20130730091107j:plain

 取材の中ではアメリカの話も色々して、いつもの四象限図式と民主党/共和党の対比とかもしながら、ゾンビに対するアメリカ人の思いみたいなのも説明したのだが、どれくらいご理解頂けたのかは、ちょっと分からない。どんな記事になるのだろうか?

 ちなみに最後に、以前作ったのだけど、使うことがないまま死蔵されていた表を掲載しておく。アメリカでの民主党/共和党それぞれの政権期におけるゾンビ映画/ヴァンパイア映画の封切り数の比較である。これに関する詳しい分析は、雑誌『ユリイカ』に寄稿した拙論「フィロソフィア・アポカリプシス--ゾンビ襲来の法哲学」の中で行っているので、興味のある方は、そちらをどうぞ。 

 

大統領

党派

全映画

ゾンビ

ヴァンパイア

  備考 

1953

アイゼンハワー

共和党

2313

2

0

 

1957

アイゼンハワー

共和党

1708

11

6

 

1961

ケネディ

民主党

1637

7

8

 

1965

ジョンソン

民主党

2195

4

12

 

1969

ニクソン

共和党

2706

11

21

NOTLD

1973

フォード

共和党

2678

9

22

 

1977

カーター

民主党

2459

12

13

 

1981

レーガン

共和党

2970

22

6

 

1985

レーガン

共和党

3927

42

32

 

1989

ブッシュ(父)

共和党

4211

34

31

 

1993

クリントン

民主党

4861

20

41

ドラキュラ

1997

クリントン

民主党

7852

14

37

ブレイド

2001

ブッシュ Jr.

共和党

12808

50

52

28日後

28週後

2005

ブッシュ Jr.

共和党

24110

158

74

 

2009

オバマ

民主党

8769

48

34

 

ジェラルド・カーティス 『代議士の誕生』

代議士の誕生(日経BPクラシックス) (NIKKEI BP CLASSICS)

代議士の誕生(日経BPクラシックス) (NIKKEI BP CLASSICS)

  • 作者: ジェラルド・カーティス,山岡清二,大野一
  • 出版社/メーカー: 日経BP社
  • 発売日: 2009/09/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 55年体制下、日本の準農村選挙区における選挙の実相を完膚無きまでに剔抉した傑作。当時まだ大学院生だったカーティスがコロンビア大学に提出した博士論文に手を加え出版したもの。カーティスが候補である佐藤文生の自宅に居候までしながら選挙観察を行って生まれた本書は、わが国、選挙研究史上に燦然と光り輝く金字塔である。

 中選挙区時代の選挙がどのようなものであったか、あるいは選挙というのはそもそもどのようなものなのかを知る上でも、超一級の必読文献であり、この本を読まずして選挙を語ることは許されない、と言っても過言ではないだろう。

 本書で調査対象となる選挙区は、わたし自身の故郷であり、初めてその中身を繙いた時、あらゆる頁に聞き覚えのある名前や地名が登場し、唖然とすると共に何とも言えない懐かしい気持ちになったものである。

 この本の中で主な舞台として登場する大分県別府市は、選挙という点では中々に難しい土地でもある。第36回総選挙では、大平首相が急死したため総裁代行を務めていた自民党の重鎮・西村英一を落選させたりしている。ちなみに、この選挙で自民党は大勝したのだった。また、1989年には、当時の市長に対し、全国で初の「人格」を理由としたリコール運動が提起されたりもしたのが思い出される。

 カーティスは、本書を日本で刊行する際、原稿を佐藤代議士に見せたところ、選挙戦での金の受け渡しなどまで事細かに記述されていたため、その辺りの機微にわたる話は削って日本語版を出版したとのことである(参照:カーティス『政治と秋刀魚』所収のエッセイ)。

政治と秋刀魚 日本と暮らして四五年

政治と秋刀魚 日本と暮らして四五年

 本書を初めて読んで随分経ってから、同選挙区から選出されている岩屋毅代議士とお話させて頂いた際、岩屋氏が初めて佐藤文生と選挙を戦った際には、本書の英語版を取り寄せて、その内容を徹底的に分析し、選挙戦に臨んだというエピソードを聞いたことがある。結果、岩屋氏は激しい戦いを制し、本書の主役である佐藤文生は次点に涙を呑むこととなったのであった。 

 

 第39回衆議院議員総選挙 (1990年(平成2年)2月18日執行)

 当日有権者数:323,501人  投票率:82.55% [Wikipediaより]

当落候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率
阿部未喜男 70 日本社会党 75,425票 28.5%
田原隆 64 自由民主党 71,314票 27.0%
岩屋毅 32 無所属 59,373票 22.5%
  佐藤文生 70 自由民主党 51,691票 19.6%
  重松明男 42 日本共産党 6,458票 2.4%

 

  まったくもって私事にわたるが、別府出身であるにも関わらず、わたし自身、郷里に居る間は、本書のことを知らず、東京に出て来てから、ジャーナリスト/翻訳家の李隆(イ・ユン)氏にその存在を教えて貰って読んだのだった。李氏は、インターネット黎明期=パソコン通信時代のネット関連判例で知る人ぞ知る著名人となった人でもあったが、わたしにとっては、厳しいながらも色々なことを親切に教えてくれる頼もしい年上の友人だった。最後に会ってから十数年以上の歳月が経ったが、本書のことも含め、今でも彼には色々な点で感謝している。

黒い憂鬱―90年代アメリカの新しい人種関係

黒い憂鬱―90年代アメリカの新しい人種関係

日本の夏、競輪の夏

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  過日、ゼミの有志と連れだって、京王閣で開催されているナイター競輪を観戦しに行った。京王線でウチの大学に通う学生の中には、京王多摩川駅の横に聳えるあの巨大な建物は何だろう?と思っている人も少なからず居るのではないかと思うが、由緒正しい競輪場なのである(50円ぽっきりで入場出来る)。

 わたしは基本的に賭け事はしないのだが、ある時ふと、つげ義春の漫画の中に京王閣が出て来るのを思い出してふらりと訪れたのだった。爾来、たまに競輪を観に行っている。

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 競輪はルールその他がけっこう複雑なので、私も未だによく分からないことが多いのだが、金を賭けて本気で稼ごうとかいう話ではなく、村上春樹の小説やエッセイによく出て来る神宮球場の外野席みたいなモンだと思ってもらえばよい。そのマッタリ感にひたるため、吹きさらしのスタンド席へ行くのである。京王閣名物の牛スジをビールで流し込みながら観るナイターは、格別だ。陽が暮れた後、場内はライトアップされ、色とりどりのユニフォームを着た選手たちが颯爽とバンクを駆け抜けてゆく姿には、哀愁のにじんだ美しささえ感じられる。打鐘(ジャン)が鳴り響く「前」と「後」での静動の激しい対比もまた、一興であろう。

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 ただ、実際に競輪場に行くと、ほとんどの来訪者は色んな意味で恐ろしく年季の入った年配者ばかりで、先日も学生たちとビールを買っていたら、やはり年季の入った競輪ファンのジイさん年配男性から「若いのに感心だねえ!」とお褒めの言葉をいただいたりもした。我々が行った日はF1の予選だったので、こちらが心配になるほど人が少なく、今後、競輪自体、いつまでもつのかは分からない(実際、廃止された競輪場もぽつぽつあると聞いている)。最近、女子競輪も復活したが、何とか末永く続いて欲しいものである。

 

 余談だが、競輪は1948年に九州は小倉で発祥したものである。初期には暴動が頻発し開催を中止されることがあったり、美濃部都政期の都営ギャンブル全廃などといった出来事もあったりしたが、幾多の時代の荒波をくぐり抜け、何とかかんとか今日まで続いている。競輪を含む公営ギャンブルと自治体の関係については、集英社新書で三好円『バクチと自治体』という本が出ているが、これは、とても面白い本なので、興味のわいた人には読んでみるとよいだろう。この本の中でわたしが一番好きなのは競輪暴動のエピソードを記した下りで、その暴動の余りの凄まじさに初めて読んだ時、不謹慎にも腹を抱えて笑ってしまった。行政学とか地方自治の観点からも面白い。

バクチと自治体 (集英社新書 495H)

バクチと自治体 (集英社新書 495H)

 なお、競輪に関する金字塔的傑作は、もちろん、2006年に18年にも及ぶ長期連載を終了させた田中誠の『(二輪乃書)ギャンブルレーサー』である。この中で描き出される荒みきった群像劇は、人間学的考察の一極北をなしているといっても過言ではない。