北朝鮮と世界正義論
- 作者: ブレインハーデン,申東赫,園部哲
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2012/09/19
- メディア: 単行本
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ブレイン・ハーデン著 『北朝鮮14号管理所からの脱出』 白水社、読了。心が打ち震える傑作。下記、白水社サイトで、詳細な紹介がなされている。
http://www.hakusuisha.co.jp/detail/index.pp?pro_id=08240…
内容は、脱出絶対不可能とされて来た北朝鮮の14号収容所で生まれ育ち、外界を全く知らなかった囚人シン・ドンヒョクの決死の脱出行と、その後日譚。
シンの語る収容所の内部は、想像を絶した悲惨さに満ちている。そこでは小学生の女の子が、わずか数粒の穀物をポケットの中に隠し持っていただけで、教師から棒で頭を叩きまくられ、夕方には死ぬ。ナチの収容所は数年しか存在しなかったが、北朝鮮の収容所は半世紀近く持続しているわけで、これに対して積極的に何もしない周辺諸国の国民であることに、深甚な恥辱を感じる。
最近、日中韓の国境問題がクローズアップされているが、東アジアの国際政治環境を考える上では北朝鮮もまた重要きわまりないファクターであることを今更ながらに気付かせる著作であり、北朝鮮について真面目に考えるためにも好適な一冊だと思った。比較政治学の本としても、大変勉強になる。
北朝鮮に関しては、1987年に父親の書斎にあった金万鉄の『悪夢の北朝鮮―亡命船「ズ・ダン」号が伝える謎の国の実態』(カッパブックス)を読んで、唖然としたのを思い出すが、あれから、はや四半世紀が経過しており、その間、強制収容所はずっと、すぐそこに存在し続けている。
悪夢の北朝鮮―亡命船「ズ・ダン」号が伝える謎の国の実態 (カッパ・ブックス)
- 作者: 金万鉄,柴田穂,全富億
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 1987/06
- メディア: 新書
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少し古いけれど、2002年刊の石丸次郎『北朝鮮難民』講談社現代新書も、なかなか良かったと記憶している。
- 作者: 石丸次郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2002/08
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石丸本によるなら、海で隔てられてるので(実際、北朝鮮は全軍でフリゲート艦3隻しか保有しておらず、それらも全て動かない・・・)、難民が出ても、そのほとんどは中朝国境を越えるか、そうした上で韓国に行くようだが、最終的には1万人くらいが日本に来るのではないかとされている。
以前、知り合いの医師と話していた際、例えばその中にアクティブな結核の患者が100人くらい居て、福岡にやって来たりしたら、もう収拾不能な事態になるな、とかいう話も聞いたことがある。公衆衛生のプロの言うことなので、深刻である。そういえば、『攻殻機動隊』で難民が居住する「出島」とかが描かれてたけど、改めてスゴイ想像力だと改めて思わされる。
この石丸本の中には、当然「飢餓」の話が出て来るのだが、読んでいる間じゅう、Amartya Sen の著作 “Poverty and Famines『貧困と飢餓』” がアタマに浮かんでいたところ、途中でホントに Sen の名前が登場し、やはり・・・と思った。
北朝鮮は最近はミサイルの問題とか「無慈悲な~」とか金正恩を茶化すような報道とかに目が行きがちなのだが、体制崩壊した場合の難民の問題は、わが国にとって本当に重大な問題だと思われ、まじめに考えた方が良いように思う。
話が少しとっちらかってるけど、隣にナチスもどうかと思うくらい倫理的に evil な国家が存在していて、ナチ以上の期間、恐るべき圧政を敷いてるのを薄々にでも分かっていて何もしないというのは、人道的介入とかの観点からどうなんだろう?という素朴な疑問を持ったのだった・・・(すぐに攻めろ!とか、そういう話ではない)。
私事にわたるが、昔、出張でポーランドに行った時にアウシュビッツを訪れた際、金網で仕切られた区域で立ち止まって、自分は自由に金網の向こう側とこちら側を行き来してるけど、当時この中に居た人間にとって、この金網がどういう気持ちを喚起していたのかなあ、と考えだし・・・10分くらい考え込んで、そこから動けなくなったのを思い出した。いま、この瞬間も、それとほとんど同じこと(あるいはもっと悲惨なこと)が結構近くで実際にあって、この同じ夜空の下、そういう人たちが居ると思うと、何ともやり切れない気持ちになるのだった。
《余録》
- 作者: 井上達夫
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2012/11/13
- メディア: 単行本
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過日、出席した或る研究会でのやり取りを含め、少しメモがわりに以下。井上達夫先生が『世界正義論』について話されたのだが、質疑応答の際、積極的正戦論と消極的正戦論の区分を曖昧化させる危険を持つ「人道的介入」について質問した。北朝鮮がらみの話でもあるので、以下。
私の質問「人道的介入については、強制的介入ではなく機能付与的介入を、そして戦争後の正義 jus post bellum の条件を課すべきとの主張と理解したが、強制と機能付与を分かつメルクマールは、被介入国の人民からの同意調達なのか?」。
質問では「北朝鮮みたいに殆どの人民が飢餓ライン上にあったり、極度の情報統制とか洗脳に近い状況に置かれていた場合、同意調達自体が不可能なのでは?」ということも訊ねた
回答は「単なる同意調達ということではなく、重要なのは被介入国の人民が自分たちの体制を改革・改善する権利を優先的に持つということ=政治的自律の原則であって、massive genocide とかでない限り第三国が、この原理を override するのはダメ」とのことと理解した。
更に質問として「massive genocide がダメなのは明らかに分かるのだが、再び事例として北朝鮮を出すなら、飢餓の放置とか二世代にわたる強制収容などをしているのとか、そういう形での圧政と massive genocideが仮に区別される場合、その区別のメルクマールは何か?・・・区別されない場合にはそれらと介入の根拠にならないものとの間を区別する内在的なメルクマールは何なのか?」。
時間が無かったこともあり、この点については、もう少し丁寧に考える余地があるとのご回答を頂いたと理解しているのだけど、けっこう大事な問題だと思ったのでメモ。