読書漫談シリーズ(とっとり研究所配信)

第1回 森本あんり『反知性主義』

 前編:https://www.youtube.com/watch?v=Ppf2Q-GPeEA&t=2s

 後編:https://www.youtube.com/watch?v=HyVXA15I8kk&t=2s

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第2回 尾崎俊介『アメリカは自己啓発で出来ている』

 前編:https://www.youtube.com/watch?v=eU_qifW5TP0

 後編:https://www.youtube.com/watch?v=HyVXA15I8kk&t=2s

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第3回 マイケル・サンデル『実力も運のうち』

 前編:https://www.youtube.com/watch?v=Bn_zdYJHqn8&t=1s

 後編:https://www.youtube.com/watch?v=HyVXA15I8kk&t=2s

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第4回 キャスリン・P・ハーデン『遺伝と平等』

 https://www.youtube.com/watch?v=TGJDV-pH5Rs&t=534s

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第5回 ダットン&メニー『知能低下の人類史』

  https://www.youtube.com/watch?v=nV86PcdwJtk&t=1979s

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第6回 湊一樹『モディ化するインド』

 https://www.youtube.com/watch?v=VoC6qQXDYr4&t=1487s

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第7回 ブライアン・W・パーキンズ『ローマ帝国の崩壊』

 https://www.youtube.com/watch?v=iuvRQyXZuEk

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第8回 コリン・ウッダード『11の国のアメリカ史』上巻

 https://www.youtube.com/watch?v=vcS8CkIVv5U

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第9回 コリン・ウッダード『11の国のアメリカ史』下巻

 https://www.youtube.com/watch?v=ndhZuE1IBX4&t=1701s

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第10回 桜井俊彰 『戦国ブリテン』

 https://www.youtube.com/watch?v=9jKnGOrfvNA

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第11回 桜井俊彰 『スコットランド全史』

 https://www.youtube.com/watch?v=NKYYs8eUfDg

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第12回 桜井俊彰『物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説』
 https://www.youtube.com/watch?v=XBPa7kfxmlA

 

第13回 藤生明『反共と愛国 保守と共棲する民主社会主義』
 https://www.youtube.com/watch?v=ZV5WdI6CoGM

 

第14回 『ポピュリズム デモクラシーの友と敵』
 https://www.youtube.com/watch?v=CeDS15fFw-c

 

第15回 宇野重規『保守主義とは何か』

世界史へ接続せよ/安田峰俊『八九六四』

  本書は今を遡ること29年前の今日、1989年の6月4日(八九六四)に起きた天安門事件をめぐるものである。

八九六四 「天安門事件」は再び起きるか

八九六四 「天安門事件」は再び起きるか

 

 本の中でも描かれている通り、この日の前後には、スマホ決済で「六四」元や「八九六四」元の金額指定が不可能になるほどで、現在でも中国政府は躍起になって事件の痕跡を隠そうとしている。乗数(=8の2乗)が64になってしまうので「八八」元でもダメという話さえある・・・。習近平体制下での強力な統制の進展を見る限り、このような形での取材は以下の筆者の言葉にもある通り、本書が最後のものとなるかもしれない。

「本書の登場人物のうち、中国国内に住む人の大部分は、これら(中国の監視社会化)が本格的に進行する以前の2015年の夏ごろまでに取材を終えた、今後、同様の取材を行うのは困難だろう。この本は取材が成立し得るギリギリ最後の時期に、滑り込みセーフで書けたのである。」(299)

 ※ 以下、丸括弧内の数字は本書該当頁を示す。

 ちょうど去年の六四に以下のような投稿があったが、これが実情であり、今年、事態はさらに悪化しているかもしれない。

 

 何らかの形でこの事件と関わり合いを持つ六〇人以上のひとびとに対面取材した本書は、これまで出されたおびただしい数の天安門事件本とは大いに趣を異にするものである。

 著者はtwitterで本書について「意識低い系」の天安門本だと冗談めかして言っていたが、本書の中では、意識高く士大夫/知識人として祖国中国を思い天安門へと身を投じたというような話だけではない、余りにも人間臭い物語が織りなされてゆく。 

  彼らを描き出す筆致は、何事をも断罪することのない取材対象への細やかな愛情に満ちたものとなっている(これぞ安田ワールド)。あれから三〇年近くの時を経て、家族を持ち、或いは子どもを持った取材対象たちの心の機微には、ひととして感じ入らざるを得ないものがあるだろう、人生は複雑なのである。
 冒頭に記した「時の権力者による史実の隠蔽や改竄をよしとしない」ような《高い志》は、長い中国の歴史の中では繰り返し現れて来るモチーフで、滅びた南宋への忠義を貫き通し、侵略者・元のクビライからも才を惜しまれつつ刑死した文天祥の「正気の歌」などにその極致を見ることが出来るだろう。しかし、ひとが皆、文天祥になることはないのである。 

 

正気の歌 - Wikibooks

文天祥 - Wikipedia


 歴史の巨大なうねりに正対した時の、人間的--あまりにも人間的な物語たちが本書には横溢している。
 本書の副題は「天安門事件は再び起きるか」である。この先に待っているのが、命懸けで権力者の悪行を史書に記し遺そうとした「太史の簡」も「董狐の筆」も現れない完成したデジタル・レーニン主義による素晴らしき新世界なのか、あるいは歴代王朝に幕を引いてきた大盗賊たちによる農民起義なのか。黄昏どきに飛び立つフクロウのみが知るところである。

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Sebastian Heilmann, 2016, Leninism Upgraded: Xi Jinping's Authoritarian Innovations, China Economic Quarterly 20 (4), Dec. 2016, GavekalDragonomics, 15-22.[PDF]

 

中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)

中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)

 

 

  以上、『週刊現代』2018年6月4日号に掲載された拙書評に大幅な改変と拡充を施したものである。一般向けの週刊誌で書くワケにはゆかないアレな文飾をフルに施しており、発売中の該当誌の書評と読み比べると掲載限界線が分かって面白い(?)かもしれない。書評末尾は紙幅の関係上、《両極端な未来》にしか言及していないが、もちろん、そうでない、何らかの形で、中国にとっても日本を含む諸外国にとってもハッピーな未来もありうるだろうし、正味の話そうであってくれなければ困るのではあるが・・・。

 

 以下では、本書の備忘を断片的に記し留めておく。

 

● 「当時、北京の市民は直近の一〇〇年間だけでも、義和団事件・辛亥革命・民国期の軍閥内戦・日中戦争・国共内戦・文化大革命--と、十数年に一度以上のペースで大規模な動乱を経験していた。」(69)→ 以下、年表?化。

1899~1901年:義和団事件
1911~1912年:辛亥革命
1927~1937年:民国期の軍閥内戦(第一次国共内戦)
1931~1946年:日中戦争
1945~1949年:国共内戦
1966~1976年:文化大革命
1976年:第一次天安門事件
1989年:第二次天安門事件

● 1990年ごろ近所にできたばかりのKFCの話(75)→ 私もほぼ同じ時期に行ったので、本当に懐かしい。再開発前の王府井の店だった。

●「士庶の別」、「士大夫と一般庶民」(95)

● 1991年8月19日。ゴルバチョフ軟禁、市民の抵抗でクーデター失敗。ソ連共産党は事実上の解体。あんなに強かったソ連がボロボロになって、エリツィンみたいな酔っ払い野郎がトップになった。旧西ドイツ人はめちゃくちゃに見下されていた。だから天安門事件は仕方なかった(104-)

● 姜野飛(涙)、マー運転手・・・(147)
● ネットで真実を知る=「有思想(ヨウスーシャン)」(150)
● 「インテリが主導する革命は必ず失敗する」(185)
 秀才造反、三年不就
 戊戌変法、辛亥革命
 庶民のドロドロしたルサンチマン、毛沢東=農民叛乱型の権力奪取だけが成功
● 凌静思「白鳥はかなしからずや空の青」(188)→ この仮名がまた・・・

●「いや待って。いま私があなたと喋っているのは普通話ではなく『台湾の国語』です。香港人と日本人が、中華圏の第三国の言葉でコミュニケーションを取っているだけ。お互いにこういう理解で手を打ちませんか。」(221)

 ●「左膠(ジョーガウ)」=サヨクのゴミ

●「自分の家の問題は解決できなかったが、よその家の問題を解決していた」(269)

 

 

 最後に個人的な話を。

 

 中学の時だったと思うが、わたしの通っていた学校(大分県)では英語合宿というものがあり、数日間そこで英語漬けにされるのだが、九州近県の大学から留学生が何人か「先生役」的に招聘され参加していた。そこに来ていた清華大学からの留学生(九大に来ていたと思う)と仲良くなり、その後も(英語で)文通をしていたのだが、八九六四に前後して彼との通信は途切れた。

 八九六四の時、テレビで北京の上空をヘリが飛び交い、大通りを戦車が隊列を組んで走るのを見ながら、わたしは彼のことを考えていた。八九六四はわたしにとっては自分自身が身近な感覚を伴って、初めて世界史に強制的に接続された瞬間だったのである。

  その後、1993年3月にわたしは初めて北京へ行き、天安門広場を訪れた。広場に行った日は、ちょうど八大元老の一人であった王震が死んだ翌日で、広場は厳戒態勢になっていた。広大な無人の広場に等間隔に警官(兵士だったかもしれない)が立つ光景を、今でもよく覚えている。

 

 

  

補記:上掲書を読んで、以下の本も思いだしたが、正直なところ、わたしは文天祥よりも馮道のほうに人間的魅力を感じる(以前、大屋雄裕さんが、この本を教えてくれた)。ただ、現代の中国にも、この馮道のような人物は居るのだろうか、もし居るとしたら今現在、何をしているのだろうかということも考えてしまうのではあるが。

馮道 - Wikipedia

馮道―乱世の宰相 (中公文庫)

馮道―乱世の宰相 (中公文庫)

 

 

補記2:上記アップ後、「ところで、馮道いますよ! そいつ、周恩来とか温家宝とか王岐山とか王滬寧とかいうんですけどね。」という悪いことを言ってきた友人が居たのであった・・・。

 

以上。

島田英明『歴史と永遠』

 わがゼミの卒業生でもある島田英明さんの単著『歴史と永遠 江戸後期の思想水脈』(岩波書店)をご恵贈頂きました。ひとりの教師として感無量です。

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 上記、「で“も”ある」と記した通り、日本政治思想史を専門とする島田さんの首都大での本籍は河野有理先生のゼミでありまして、その後、東京大学大学院法学政治学研究科で苅部直先生の薫陶を受け、このたび博士論文をもとにした本書の上梓に至られました。

 島田さんは私にとっても実に思い出深い卒業生のひとりで、在学中から飛び抜けて優れていたのを今でもよく覚えています(実際、極めて優等な成績で本学を卒業されました)。

 彼に関して、わたしが記憶しているエピソードは2つあり、1つは河野先生の講義のレポートで、出来が余りに良すぎるので剽窃ではないかとさえ疑われたものの、実際に自分で書いたものとすぐに分かったという話。

 それから、2つめは、私のゼミで当時、安藤馨さんの『統治と功利』を読んでいたところ、ゼミ合宿で安藤さんご本人をお呼びし、島田さんに『統治と功利』の報告をしてもらったら、あの安藤さんが「彼は本当に優れていてビックリですね」と激賞頂いたことでした。

 栴檀は双葉よりとか、出藍のなどと言うまでもなく、実に教師冥利に尽きる存在が、島田さんと今回のこの本でありまして、あとがきも読んで、学生時代の彼の知的世界の形成にいくばくかなりとも痕跡を残せたのが、後世、私の学者人生の中で最も大きな意義のあることだった、とならぬよう、わたし自身も奮起しなければならないな、と思った春の昼下がりでした。

 内容の詳細(目次など)は以下から見れますので、是非お手に取って頂ければ幸いです。

 島田さんは1987年生まれですから現時点で31歳なわけですが、この本のもととなった博士論文は、その20代最後の日々に書かれたものなわけで、弱冠30にもならないほどの人間が、このようなものを書けるのかと戦慄されたく。

https://www.iwanami.co.jp/book/b352575.html

 

※ 先ほど落掌したばかりなので、またゆっくりと読んでから内容についての感想なども追記したいと思います。

驚天動地の逃亡活劇--顔伯鈞著・安田峰俊編訳『「暗黒・中国」からの脱出』

 昨日、読み終わった安田峰俊編訳『「暗黒・中国」からの脱出』について、以下。この本、安田さんの「編訳」になってるけど、もともとの原稿は顔伯釣という中国の民主化運動をしている人から、書き溜めていた30万字を超える分量の原稿を安田さんが託され、その内容を編集しつつ翻訳したという体裁のもの( 30万字そのまま本にしちゃったら新書だと6冊くらいになっちゃうから汗)。

  著者の顔氏は、北京の中央党校を出たエリートで大学教授をしていたのだけれども、民主化運動(実のところ、かなりマイルドなもの)をしていたところ、当局から目をつけられ、中国全土をまさに三国志水滸伝さながらに逃げ回るという話。冒頭、本当に偶然、安田さんが、この顔さんをひとに紹介されてから、いきなり彼の逃亡記の原稿を託されるまでの超展開に、読者はまずひっくり返ります。

 冒頭で安田さん自身、「率直に言って、中国の民主化運動への関心はあまりなかった」と正直に書いており、わたしも実はそうだったんだけど、この本は、民主化運動云々というコトとはともかくとして、一つの物語としてホントにぶっ飛んでいます。

 もともとの顔氏の原稿のタイトルは「天子門生逃亡記」なんだけど、これは中央党校が本当にエリート養成機関で、その歴代の校長がその後の国家主席とかだから(習近平も校長してた)。つまり、往時の皇帝の殿試に臨んだ科挙エリートに模して、自らの逃亡を描いてるわけ。

 逃走経路がもう本当にアレで、先ず北京を脱出した後、中国の地下キリスト教会のネットワーク、回族イスラム)の協力者、元ネオナチのニートのあんちゃんトコ、雲南少数民族、そしてミャンマー国境に蟠踞する元紅衛兵軍閥将軍、チベットの山越え、そしてタイ・・・と読んでて、めまいがします。何なのコレ、いったい?汗

 国保局(公安部国内安全保衛局)員が著者を捕縛するために講義をしている大学の教室にやって来て最前列に座り威嚇するんだけど、彼らを前に滔々と講義を行い、あまつさえ内容を納得させてしまう話、とても好きです。

 『独裁者の教養』の中でも触れられていたと思うんだけど、ミャンマーとの国境地帯に勢力圏を持つ、元紅衛兵軍閥の話は本当に面白いですね。この辺りの話、本当にもうメチャクチャで意味不明なんだけど、中央党校出てるから毛沢東のこととかも詳しいわけで、その知識が役立って現役熱烈毛沢東主義軍閥将軍と話が盛り上がるところとか、本当に好き。 

独裁者の教養 (星海社新書)

独裁者の教養 (星海社新書)

 

  しかし、中国で民主化運動やるのとか本当に死ぬほど根性がないと出来ないし、みんな恐ろしいほど腹が据わっているなと驚愕した。あと、熱い!暑苦しすぎる・・・。実は私は劉暁波の書いたモノとかも結構好きでぽつぽつ読んでるんだけど、『現代中国知識人批判』とかは本当に名文なのでオススメです。超勢いがある文章です。読んでて変な元気が出て来ます。 

現代中国知識人批判

現代中国知識人批判

 

  読んでのお楽しみだけど、今回の顔・安田本、ラストで物語りの冒頭へと視点が入れ替わって往還するところでは、思わず「おおおおぉぉ」と叫んでしまいました。

 というワケで顔 伯鈞 (著), 安田 峰俊 (翻訳)『顔「暗黒・中国」からの脱出 逃亡・逮捕・拷問・脱獄』 (文春新書 1083) 、とにかく黙って買って読め本です。

 

 なお、安田さんの他の本については、以下の過去のエントリーなどもご参照。最近、文庫版が出た『和僑』の巻末解説は私が書かせて頂いていますので、そちらも良かったどうぞです。

taniguchi.hatenablog.com 

 

「エンブレムです・・・」(挨拶)

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 以下、ある本について以前書いておいたものを気が向いたのでアップしておく。特に何も考えずにアップしている。

(近所の某Fの科学会館にて)
私「すいません~、こちら本も扱ってますよね?」
某Fの科学会員「あ、大丈夫ですよ。何をお探しですかあ?」(とても感じが良い)
私「新刊の《左翼憲法学者》のやつなんですが」(タイトルにそう書いてあるのである・・・)
会員「あぁ、これですね。どうぞ。ご興味あるんですかぁ、こういうこと?」
私「はい、友人(某実定法学者)から勧められて~」
会員「会員の方ですか?」
私「いえ、いつもこの前通ってて、ここならあるかな、と思って笑」
会員「ですよねー笑。1,512円ですー」
私「ありがとうございました~」


(わたし、外に出る)
会員(走って出て来る)「あのお、これに署名して頂けませんか?」
(村山談話撤回請求署名!)
私「あ、すいません、家族の決まりで署名はしないことになってるので、ホントごめんなさい」
会員「あ、こちらこそ、すいません」
私「いいえ~、頑張って下さいね、でわまたー」

ゲッツ!

主婦が5人いて、とても感じが良かった。

 帰宅。30分で読了。うーん、最初の方は相当面白いんだけど、半ばから非常にダルになる。最後の方は何かHSBさんが『文学部唯野教授』の日比根みたいになってしまっている・・・。最初の笑いどこは某刑法学者のもらい事故。HSBさんと一緒で「何でWSDに移ったの?」と穿鑿された挙げ句、「定年だったという説もある(キリッ」とか書かれてて、変な汁が出そうになる。
 次の笑いどこは、ホントは最初はKBYS-NOKを呼ぼうと思ったら、93歳で生きてた!でも、もうすぐ死にそうなんで、霊言すると負担がかかって可哀想なんでやめといたるわ、とのコト。
 それに続けて、某同僚のもらい事故。「「左翼の救世主」とか呼ばれてるけど、34歳と若くて霊言のショックには耐えられないだろう、可哀想だからやめといたるわ」とのこと(おいおい・・・汗)。
 とかナントカ最初のほうでOKW総裁(本人)が解説した上で、HSB守護霊を呼び出すんだけどさ、HSB守護霊の登場が、下の写真・・・。

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 あのさあ、笑い殺すつもり?

 

 まあ、正味、ここが一番の笑いどこでもあるんだけど、俺、笑いすぎて、一時的に動けなくなったよ。「ああ・・・」ってさあ・・・。

 その後はだいぶんダルなんだけど、最後の方でまた少し盛り上がり、HSB霊はH-Sci大学の不認可はケシカランと怒って共闘したみたり、WSDの総長になりたいとか、OKW総裁みたいに本が売れたいとか赤羽あたりの酔っ払いのジジイみたいなクダを巻き続ける。

 つうか、この霊言、俺にゴーストやらせろよ、もっと爆笑出来るもんにしてやるからと思ったりも。(その後、友人から「霊言のゴースト」という表現に接し、「霊の幽霊はどのようなものか」との質疑を受ける・・・。)

 このシリーズ、某夭折の刑法学者霊言とか恐ろしいほど玄人好みのものも出ているが、こういう形でやるのの法的な問題性は大丈夫なのかな、とも。

『神聖喜劇』 と「なけなしの公共性」

 昨日迂闊なことをペロっとtweetしたら、色々な方からご教示を頂いた。

  「戦前日本の場合、陸軍は階級+殿、海軍は階級ママなんですよ。」とのことである(大屋雄裕先生その他の方からのご教示)。

 途中から話題が逸れて、旧日本陸軍の数の数え方(4→○ヨン/×シ、7→○ナナ/シチ×等)になったが、これは『砲兵操典』に基づくものである。ーー シチはハチなどと聞き間違えるのでダメという話。

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 上記の旧陸軍(砲兵)の数の数え方については、以下の論文をまた別の方からご教示頂いた。多謝である。

安田尚道「ヨン(四)とナナ(七)」『青山語文』40号、2010年  

http://www.agulin.aoyama.ac.jp/opac/repository/1000/11804/00011804.pdf

 以上のようなコトをしていて、ふと思いだしたのだが(巨人風に「ゆくりなくも」と言うべきか)、私は昔、大西巨人神聖喜劇』に登場する文献のリストを作っていたのだった・・・。

 なぜ唐突に大西巨人かというと、上記の軍隊での数の数え方云々という話は『神聖喜劇』の中に出て来る有名な話だからである(「賤ヶ岳の七本槍」事件のち大前田文7)。

 リストは、下記のような1巻についてのみの、しかも不完全なものしか残っていないが、折角思いだしたのだし、何か役立つこともあるかもしれないので、以下、貼っておく。

 念のため言っておくと、以下は、今から14年前、大西巨人掲示板に私が貼ったものからの転載である。この掲示板、とあることから荒廃を極めたのだが、興味のある人は検索で探してみれば良いだろう(すぐに見つかる)。

 「レッツ文献リスト作成」は、そのような状況を打破するために私が打ち出した「なけなしの公共性」だったのだが、見事に失敗し、人びとを公共性へと誘うことの難しさを痛感したのだった。まあ、私もまだ28歳とかだったので甘かったのだ。


神聖喜劇』第1巻登場文献リスト(隅括弧内は該当頁数)

■世話話『人情話文七元結』【15】
■『軍隊内務書』【17】
■トマス・マン『自伝』(?)【20】
■トマス・マン『ブッテンブローグ家の人々』【20】
■アントン・チェホフ『伯父ワーニャ』【49】
■アントン・チェホフ『桜の園』【49】
■『砲兵操典』【53】
■『通信教範』【53】
■『陸軍礼式令』【53】
■『言志録』【56】
■土岐哀果、「ちんぼこ」の歌【56】
生田長江訳、ニーチェ(?)【57】
■レーニンによるニーチェ批判(?)【58】

東堂が持っていった本【66】
■『広辞林』
■『改訂コンサイス英和新辞典』
■『田能村竹田全集』一冊本
■『緑雨全集』縮刷一冊本
■『三人の追憶』(?)
■『民約論』⇒ルソー『社会契約論』
■ソレル『暴力論』
リルケ(?)『歌の本』レクラム文庫の Buch der Lieder
ヘミングウェイ武器よさらば』モダン双書英語版

泉鏡花婦系図』【86】
■『勅諭』【97】
■レーニン『資本主義の最新の段階としての帝国主義マルクス主 義双書【103】
■レーニン『帝国主義岩波文庫【103】
■マックス・ベェア『社会思想史』【103】
■マックス・ベェア(?)『国際社会主義の五十年間』【103】
■レンツ『第二インタナショナルの興亡』【103】
■ステークロフ『第一インタナショナル史』【103】
マルクス『経済学批判』【107】
■『共産党宣言』【108】
コミンテルン第六回世界大会「決定」【111】
コミンテルン執行委員会第十一回総会「主報告と結語」【111】

このへん共産主義関係の文献が固まってるのを少し飛ばした。

■奥野他見男『学士様なら娘をやろうか』【119】
小津安二郎、映画『大学は出たけれど』【119】
■グチュコフ『非合法活動の根本問題』【124】
■カイザーリンク『一哲学者の旅日記』【131】
■『治安維持法』【133】
美濃部達吉憲法撮要』
美濃部達吉『逐条憲法精義』
美濃部達吉『日本憲法の基本問題』【以上、136】
荻生徂徠『徂徠先生問答』【141】
■『マテオ・ファルコネ』【142】
■マックス・ベェア『社会主義および社会闘争史』【147】
■菊池五山『五山堂詩話』【149】

 このへん漢詩の本が固まってるが、ズルして飛ばした。

■浦里冬雨『新詩集』【152】
■軍隊関係の本もろもろ【189】
■『被服手入保存法』【190】
■牧野英一「法律の不知」『法律新報』明治39年【191】
■旧『刑法』【191】
トルストイアンナ・カレーニナ』【205】
チェスタトン『木曜日と呼ばれた男』【209】
森鴎外「唇の血」『うた日記』【233】

■契沖『代匠記』そのたもろもろ【245】
■シュトルム『みずうみ』【251】
森鴎外「乃木大将」『うた日記』【258】
ポポフ『日本資本主義発達小史』【259】
■田中康男『戦争史』【259】
■啄木歌「君に似し」【261】
■『袖萩祭紋』【261】
■エマーソンの論文?【269】
■啄木歌「赤き緒の」【279】
■「盲導犬ひたたよりつつ平田軍曹」【284】
■齋藤緑雨『あられ酒』『おぼえ帳』【287】
■『言志後録』【287】
永井荷風『新帰朝者の日記』【288】
■『軍隊手帳』【298】
■『陸軍懲罰令』【300】
■『陸軍刑法』【301】
■『四書』『春秋(左氏)』【306】
■リープクネヒト『追憶録』【307】
■リープクネヒト『土地問題』【307】
ダシール・ハメット『血の収穫』【307】
■中条信衛『封建的身分制度の廃止、秩禄公債・・・』【310】
森鴎外「かしこのさまは/帰らん日」【315】
長谷川伸の小説【315】
■ソレル「スペインに処女なし」【318】
石川達三『生きている兵隊』【320】
■ツェトキン『レーニンの思い出』【320】

■『韓非子』【325】
■津阪東陽『ワイサンロク』(字がめんどい。。)【328】
■『詩経』【332】
■岡本弥『特殊部落の解放』その他もろもろ【347】
島崎藤村『破戒』【373】
ファランド『アメリカ発展史』【386】
■『保元物語』【388】


 余談だが、大西巨人本人には一度だけ直に会ったことがある。彼の書いたものは、ほぼ全て読んでいたので、とても嬉しかったのを、よく覚えている。HOWS(ハウズ=本郷文化フォーラム・ワーカーズスクール)が2001年4月21日(土)に催した大西巨人の講演「戦争・性・革命ー21世紀と文学の未来を語る」に行ったのだった。それから13年、2014年に大西は逝去した。

 

追記:何度も忘れて、そのたびに困るので下記、拳々服膺。

「つはものの 武勇なきには あらねども 眞鐵(まがね)なす べとんになぐる 人の肉(しし) 往くものは 生きて還らぬ 強襲の・・・」鴎外『うた日記』中の「乃木将軍」

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「学会による政治的意見表明」に関する小文備忘

 思うところあって、高橋和之「学術的「学会」による政治的意見表明に思う」『ジュリスト』No.1213(2001.12.1)を久しぶりに読み返してみた。

 ジュリスト 2001年12月1日号(No.1213) | 有斐閣

 この小文(全3頁)、きわめて滋味深いものなので、以下にその内容をかいつまんで紹介し、もって自分自身のための備忘も兼ねておく。

 著者の高橋和之は1943年生まれで、長らく東大法学部で憲法学を教えた後、現在は明治大学大学院に所属している。わたし自身もかつて教師としての彼の講義(憲法1部)を聴講したが、「国民内閣制論」など大変興味深い研究を行ってきた研究者でもある。

 冒頭に挙げた小文は、高橋自身が所属する学会についての意見の開陳で、そこでは当該学会による「政治的意見表明」が問題とされている。要するに、「学会有志」の名の下に行う「署名」の類の是非が問われているのである。

 高橋はなにがしかの問題の「専門家集団である学会」が発言すれば、「それなりの権威を持ち、説得力も増すかもしれない」としながらも、そもそも、学会という存在は政治的問題への意見表明とは「原理的に相容れない性格を持つもの」ではないかと危惧する。高橋は自身の経験に照らし、以下のように論じている。

 たとえば、学会執行部が政府の特定の政策に反対する声明を「学会有志」名で出したいと提案する。ここでは「有志」とは何なのかが問題となる。語の素直な意味での「有志」とは「純粋に私的な立場で集まった志を同じくする人びと」を指すはずだが、上記のような執行部からの提案における「有志」とは、以下のようなものではないかと高橋は言う。

運営委員会に諮り、執行部が発案・調整の音頭をとり、会員名簿という個人情報を用い、学会の会計で行われる署名集め等の活動が、学会との関係で「私的」なものとは思えない・・・。(p. 2)

 高橋は、実のところ上記のようなものであるところの「有志」声明が出されることは、かかる声明が対外的に当該学会の「支配的・代表的見解」だという印象を与えることを危惧し、また、同時に対内的にも深刻な問題を惹起すると論じている。

 即ち、上記のような形で表明された見解(有志声明)が学会の「正統」として公定され、これに異論を持つ者は、英国国教会型の政教分離とアナロジカルな「容認」的寛容(お情け)の対象とされるに過ぎなくなるからである。

 結論として高橋は、上記のような英国国教会型ではなく厳格分離型に則り、「政治的コミットメントに対し中立の立場を貫くことこそ、学会の本質」だとする。

 この小論は、1998年、実際に高橋自身が所属学会で「有志」声明(署名)活動に反対の声をあげ、上記のような見解を事務局に「意見書」として送付した顛末こそが、実に興味深い読みどころでもある。
 
 高橋は自らの「意見書」を、声明の署名を求めるために発送される事務局からの郵便に同封することを要求した(パブリック・フォーラム)が拒否され、結果として、声明活動に要した費用分につき会費納入を拒否し続けたのである。「そのうち会費未納で除籍処分にされるのではないかと危惧しているが・・・」というオチには、昔読んだ際、思わず笑ってしまったのを久しぶりに思いだしたのだった・・・。

 本論末尾では、実際に行われた声明(署名)活動において、事務局から来た葉書が、賛否を問いつつ、氏名を公開することも選択可能としていることについての極めて深刻な問題提起も行っているが、これについては是非、本文に直にあたって読まれることを勧めておきたい。そこでは、

政治的意見表明を行う学者集団の社会的権力としての抑圧性

 ・・・が論じられている。

 高橋は『現代立憲主義の制度構想』に収録された「補論「戦後憲法学」雑感」の中で、戦後支配的であり続けた憲法学のあり方を「抵抗の憲法学」と呼び、それと対置させる形で「権力を我々のもの」として見る「制度の憲法学」を提唱するなどもしているが、憲法論議が盛んな昨今、様々な意味でインスパイヤリングな議論をしていることの備忘として、このエントリーをアップしておく。 

現代立憲主義の制度構想

現代立憲主義の制度構想

 

 

 

中島恵『なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?』--単純な日本自賛本にあらず

 中公新書ラクレの中島恵『なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?』読了。 

  副題も「「ニッポン大好き」の秘密を解く」と、やや煽り気味なのだが、中身はタイトルなどに反して、いっそ清々しいと言っても良い内容だった(最近流行りの自国日本の贔屓の引き倒し本では、毛頭ない)。

 本書で焦点化されているのは「日本への憧れ云々」という話よりは、むしろ《或る種の》普通の中国人の等身大の姿と、日本の我々の暮らしと比して想像しにくい、彼らの中国での生活の困難さである。
 ここで《或る種の》と限定を付したのは、この本の中で登場する中国人の恐らくほとんどが以下に記す「都市戸籍」を持っていたり、或いは、筆者と接触するような環境(ex. 日本への留学経験 etc.)にいる点で、必ずしも「平均的」もしくは「中央値」の中国人像ではないだろうからなのだが、これは本書の価値を損なうものではない。
 個人的に最も興味深かった点は、「農村戸籍」と「都市戸籍」について考える際、後者は更に「団体戸籍」と「個人戸籍」に分類されるという点だった。これに関しては、中国人の友人から以前聞いて今ひとつ正確に理解出来ていなかったのが、完全に理解出来、大変スッキリした。
 詳細は本書を読むに如かずなのだが、「団体戸籍」は、1)学校集体戸籍、2)駐在員事務所集体戸籍、3)勤務先集体戸籍に分かれているとのこと。私が友人から聞いて「???」となっていたのは、この中の「学校集体戸籍」だったのだな、と。
 あと読んでいて驚いたのは、京セラの稲盛和夫が中国人経営者の間では教祖的存在として祭りあげられており、中国の大書店に行くと彼の本が山のように積まれているという話。アリババの創業者であるジャック・マー(馬雲)も稲盛の信奉者であるというのは実に驚きである。稲盛に関しては次のような記述がある。

彼の経営哲学には中国の古典に由来するものが多く、中国人にも親しみが持てるうえ、中国人よりも深く古典を理解していることが尊敬の念を集めている。[155頁]

 ・・・とするなら、渋沢栄一とか安岡正篤なども、現代中国のイケイケのビジネスマンに受け入れられる素地があるということだろうか?!事の是非はともかくとして、興味深い。

 冒頭でも述べた通り、やや扇情的?なタイトルとは全く裏腹に、本書の筆致は淡々としつつも品位の感じられるもので、昨今、書店の棚を賑わせる嫌中・反中本などとは一線を画した大変良心的な佳品である。わたし自身、読みながら何度か(爽やかな)感慨を催す部分があった。
 以前、反日デモが燃えさかった頃に出た『在中日本人108人の それでも私たちが中国に住む理由』(CCCメディアハウス)を読んだ際に感じたのと同じような好感を持った。

在中日本人108人のそれでも私たちが中国に住む理由

在中日本人108人のそれでも私たちが中国に住む理由

 

  本書を読めば、新聞や週刊誌などで目にし、もはや飽き飽きしつつある紋切り型的な中国(人)像から一歩、適切な距離を置くことが出来るだろう。すぐに読み終えられ、読後爽快なので、ちょっとした時間に、是非どうぞ。

 

追記:本エントリーをアップした後に、本書著者による戸籍に関する文章がアップされていたので、以下を参照されたい。

toyokeizai.net

 

中国皇帝をめぐる人類最大の権力闘争--『十三億分の一の男』

 峯村健司『十三億分の一の男』読了。評判の高い本だったので読もう読もうと思っていたのだが、やっと読めた。 

十三億分の一の男 中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争

十三億分の一の男 中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争

 

  副題は「中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争」となっているが、まさにその通りの内容で、いずれ三国志か水滸伝かともいうべき、壮大な国盗り物語。高島俊男先生の名著『中国の大盗賊・完全版』を思い出すなど(これ読んでないのは人間ではない)。 

中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)

中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)

 

  信じられないくらい読みやすい本で、著者の筆力に脱帽。この本の筆者も1974年生まれと、ほぼ私と同級生で、最近、この辺りの年代のひとの書いた優れたノンフィクションが多いのを改めて確認した。

 朝日新聞は色々とやらかしており、下記の本など読むと本当にアレだなと思っていたところではあるのだが、この本を読むと新聞社というものの底力を見た気がした。 

朝日新聞 日本型組織の崩壊 (文春新書)

朝日新聞 日本型組織の崩壊 (文春新書)

 

  閑話休題。

 大枠で、毛沢東、鄧小平、江沢民、胡錦濤に続く第五世代の権力闘争を描き出しているのだが、その前史たる江沢民×胡錦濤の血みどろの闘争も整理されており、大変タメになる。わたし自身が持っていた胡錦濤への印象についても、理解が深まった。

 とても良く覚えているのだが、以前、胡錦濤が訪日した際、早稲田の大隈講堂の前に反対派が押しかけ「コッキントウ、人殺し!」というシュプレヒコールを挙げているのを見て「何と愚かな」と思っていたものだが、このような私の判断が正しかったことを改めて確認した。

 本書を読みながら思いを致したのは、日中の政治家の違い、ということに尽きる。かたや革命の元勲を父に持ったりするものの、文化大革命や下放などで辛酸の限りを舐め尽くし、激烈な出世競争を勝ち抜いて来た人びとであるのに対し、わが国の政治家はどうか。そのような過酷な競争を勝ち抜いた者でなくとも、平穏無事に「統治」にあたれるというのも、また別種の幸せなのかもしれないが。

 薄熙来の息子の薄瓜瓜がオックスフォード大学で政治哲学を学んだという興味深い話が出ていたが、それによるなら彼は、「『儒教と共産主義を融合した新しい政治観を築きたい』と夢を語っていました」[68]とのこと。誰の下で勉強していたのだろう?

 これまで色々なところで口づてで聞いていた大連時代の薄熙来の話や、彼が逮捕されるに至った経緯、アメリカの二奶村の実情、尖閣国有化や習近平の天皇面会の際の中国側での暗闘の経緯、李克強の人となりなど、実に興味深い事柄について惜しげ無く書かれており、とにかく大変勉強になった。

 現代中国政治を知る上で必須の本だろう。

追記:梶谷先生による行き届いた書評があったのを忘れていた。ジニ係数の話のトコとかは大変タメになる。

2015-03-30 - 梶ピエールの備忘録。

 

鈴木静男『物語 フィリピンの歴史』メモ

 

物語 フィリピンの歴史―「盗まれた楽園」と抵抗の500年 (中公新書)

物語 フィリピンの歴史―「盗まれた楽園」と抵抗の500年 (中公新書)

 

1)先スペイン期

●サンスクリット系の文字が存在:「残念なことに、このフィリピン版の竹簡や葉簡は、熱帯の暑気に耐えられず、すべて自然の姿に戻ってしまった」[4]

●フィリピン人の“出身地”はマレー世界/7世紀半ばにスリウィジャヤ王国/対岸のベトナムでは1世紀頃から扶南王国

●1990年、ラグナ銅板碑文(Laguna Copper-Plate Inscription:LCI)が出土。碑文の文字はサンスクリット系の「早期カウィ文字」

●1494年のドリデシリャス会議(スペインとポルトガル/地球の東西分割)

●マニラの語源=「マイニラッド(Maynilad)」:海岸に生えるニラッドという幹の滑らかな木に由来/「マイ」は存在を表し、「ニラッドのあるところ」という意味

コメント:スペインが来るまでの歴史がほとんど分からないというのに心底驚いた。 

 

2)333年のスペイン支配

●1521年のマゼランのセブ島到着

●エンコミエンダ制:フィリピン占領に功績のあったスペイン人に一定区域内の原住民の管理を任せ、貢税の徴収とキリスト教の布教を担当させる
●フィリピン経済を破壊したガレオン貿易
●カトリック宣教とモロ戦争
●1585年から全民族の抵抗運動が本格化
●中国系メスティーソの勃興と抵抗:生糸市場の支配(ホセ・リサールも)

コメント:スペインが笑えるほど無能で有害であるのに驚いた。アホ杉。


3)フィリピン革命

●リサール『ノリ・メ・タンヘレ』
●1892年、ボニファシオを中心とした革命家集団=「カティプナン(人民の子らの最も尊敬すべき至高の協会)」

「革命的であったリサールの論説が、中江兆民の『三酔人経綸問答』ばりに見える・・・リサールは、ときに「豪傑君」であり、「洋学紳士」であったが、肝心なところでは物わかりのよい「南海先生」に後退してしまうのだ。ところが「カティプナン」は、植民地主義者による政治改革に幻想を抱かず、武力蜂起によってそれを達成しようとしていたのである。」[102-103]

●アギナルド ビアクナバト共和国の大統領に就任

 コメント:ホセ・リサールの本を読むこと。 

ノリ・メ・タンヘレ―わが祖国に捧げる (東南アジアブックス―フィリピンの文学 (1))

ノリ・メ・タンヘレ―わが祖国に捧げる (東南アジアブックス―フィリピンの文学 (1))

 
ホセ・リサールと日本 (1961年)

ホセ・リサールと日本 (1961年)

 

 

4)アメリカのフィリピン占領

●セオドア・ローズベルト「中米問題から太平洋問題へ」
●ルディヤード・キプリング『白人の責務--米国とフィリピン諸島』:「アメリカが成熟したかどうかを試すため、白人の責務が与えられる」

"The White Man's Burden": Kipling's Hymn to U.S. Imperialism

●「友愛的同化(benevolent assimilation)」の虚実
●フィリピン第1共和制・大統領アギナルド
●アーサー・マッカーサーとダグラス・マッカーサー/アーサー(父)=最後の軍政長/ダグラス(息子)=少尉でフィリピン任官~在比米軍司令官

●ケソン・米自治領大統領

 コメント:マッカーサー父子の存在の大きさ。

 

5)日本軍のフィリピン占領とエリートの対日協力

●ラウレル大統領
●ベニグノ・アキノ・シニア:反米的愛国者として対日協力
●東京での大東亜会議:ラウレル

「歓迎会場に入った時、私の両眼からは涙があふれ出た。そして私は勇気づけられ、鼓舞され、自らに言った。十億のアジア人、十億の大東亜諸国民、どうして彼らが、しかもその大部分が英米に支配されてきたのか」[196]

●フィリピンは英米への「宣戦布告」を拒否し続ける

 コメント:面従腹背で民族の独立を如何に守るかという闘い、実に面白い。『勇午』を思い出すなど。 

勇午 フィリピンODA編(1)

勇午 フィリピンODA編(1)

 

 

6)1946年、第3共和政(アメリカから独立)

●キリノ大統領
●マグサイサイ大統領
●天才記者ニノイ・アキノの登場
●マルコス大統領

「マルコスは抜群の頭脳の持ち主だった。フィリピン大学時代のマルコスは、法学部切っての秀才とうたわれ、「ナンバー・ワン」と呼ばれていた。マルコスは、・・・司法試験で、史上最高の平均点92.35点をあげていた。またマルコスは特異な記憶力の持ち主で、フィリピン憲法を最初からでも最後からでも自由に暗誦できたと言われている。誰もマルコスのすることに口を出せなかった理由がこれだ。」[251]

●「フィリピン社会は、1%以下の買弁・地主層、1%の中間的ブルジョワ層、8%の都市プチブル層、15%の工業労働者、75%の農業労働者から成り立っている。人口のわずか2%の上層階級が、フィリピンを支配してきたため想像を超えた富の偏りが生じた」[262]

●ニノイ・アキノ暗殺

●コラソン・アキノの大統領就任

コメント:マルコス興味深い。イメルダも。


第1共和制(アギナルド)
自治領政府=アメリカ支配(ケソン、オスメニャ、ロハス)
第2共和制=日本支配(ラウレル)
第3共和制(ロハス、キリノ、マグサイサイ、ガルシア、マカパガル、マルコス、コラソン・アキノ、ラモス、エストラダ、アロヨ、ベニグノ・アキノ3世)

 

参考:山田美妙『あぎなるど』

 

あぎなるど―フィリッピン独立戦話 (中公文庫)

あぎなるど―フィリッピン独立戦話 (中公文庫)

 
比律賓独立戦話 あぎなるど〈前編〉 (リプリント日本近代文学)

比律賓独立戦話 あぎなるど〈前編〉 (リプリント日本近代文学)