男のパスタ道

 15時くらいから余りに暑くアタマが働かないので、仕事をするのを諦め、最近、話題?の土屋敦『男のパスタ道』を読んだ。 

男のパスタ道 (日経プレミアシリーズ)

男のパスタ道 (日経プレミアシリーズ)

 

  オビにもある通り、「ペペロンチーノの解説だけで1冊かかりました」という本で、茹で方だけで8万字、オイルソースの作り方だけで6万字を費やしている「奇書」である。もちろん、ぺペロンチーノの作り方の話しか書いていない。

キチガイダー(゚∀゚)━(∀゚ )━(゚  )━(  )━(  ゚)━( ゚∀)━(゚∀゚)━!!


 わたしが特に興味があったのは、茹でる際の「塩」と、その働き、それから、これが一番大事なのだが「乳化」をどうするかということだったところ、これらについては、目から鱗の卓見を得ることが出来た。
 そして更に、これは読むまで思いもよらなかったことなのだが、ペペロンチーノをつくるためのオイルは何が良いのか?が、この本の中では試行錯誤されているのである!答えは読んだ時の楽しみに取っておくが、これは何という意外な・・・。
 本書は、パスタそのものに関する歴史的挿話や、また、著者の家族を実験台にした抱腹絶倒のエピソードも織り込まれたものとなっており、飽きずに一気に読み通せるものとなっている。
 先日、自宅のキッチンで火を出してしまい、家中を消火器の粉だらけにしてしまったトラウマから、ここしばらくペペロンチーノは封印していた私であるが、久しぶりに我が家でもペペロンチーノを作ってみようかと思った次第である。
 ちなみに今夜の夕食はジャガイモとホタテのポルトガル風炒めという勝手につくったレシピによるものだったので、楽しみは明日に。

※ 下記、AllAboutで、土屋氏の記事は色々読める。

 http://allabout.co.jp/gm/gp/196/

 

 

ヘヴィメタルと正義の女神

 最近、BABYMETAL を知った。ナニコレ、面白い・・・。ももクロの次はコレですかね。


BABYMETAL - WORLD TOUR 2014 - Trailer - YouTube

 以下に BABYMETAL についての分かりやすい説明があるので参考までに。凄いね。

 http://rakuchin.at.webry.info/201407/article_8.html

 メタルは、高校生の頃に聞いていて、Metalica とか Iron Maiden とか有名どころを少々。メタリカの“Aces High”は今でもカラオケで歌える。


Iron Maiden - Aces High - YouTube

 それで思い出したのだが、メタリカのアルバムに"...And Justice For All(邦題『メタルジャスティス』)”というものがあるが、このジャケットは法哲学的には興味深いものとなっている。この話は、毎年、講義でもするので、以下、備忘録的に。

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 法哲学の一分野として「正議論」があるのは周知の通りだが、この「正義」には女神が居て、彼女は(だいたい)いつも同じ姿をとって我々の前に姿を現す。下は、フランクフルトの広場に立つ女神像である。ヨーロッパでは、よくこういう光景を目にする。

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 メタリカの “...And Justice for All” という曲の中に出てくる “Lady of justice” こそが、その女神なのだが、アルバムジャケットに描かれた図像が、このギリシャ神話の正義の女神テーミス(Θέμις, Themis)で、ルドルフ・イェーリングによるなら、以下の通りである。

彼女が手に持つ天秤は正邪を測る「正義」を、剣は「力」を象徴し、「剣なき秤は無力、秤なき剣は暴力」に過ぎず、法は、それを執行する力と両輪の関係にあることを表している。『権利のための闘争』

 しかし、ジャケットに描かれた女神テーミスは縄で縛られ、金によってその天秤は傾けられているのは、以下を聴いての通りの事情による。名曲だ。


Metallica- ...And Justice for All

 以上に関する図像学(iconology)的な観点からの分析は森征一・岩谷十郎編『法と正義のイコノロジー』を参照されたい。 

法と正義のイコノロジー (Keio UP選書)

法と正義のイコノロジー (Keio UP選書)

 

  また、これに関連して、エルヴィン・パノフスキーの『イコノロジー研究』くらいは法学部生でも読んでおくと良いのではないだろうか。 

イコノロジー研究〈上〉 (ちくま学芸文庫)

イコノロジー研究〈上〉 (ちくま学芸文庫)

 

  なお、テーミス像(ブロンズ製)は、法学系の法政研(4号館2F)の各ゼミの資料置き場の棚の上にあるので、一度、実際に見てみると良いだろう。いつか、この像の由来が分からなくなってしまうだろうから、念のため書いておくが、この像は私が教授会で「買ってください!」とお願いして、教育目的で公費で購入したものである。これは本当に価値ある買い物だったと今でも自画自賛している。

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 また、「剣と秤」以外の特徴である「目隠し」は、個体的同一性に基づく取り扱い・判断の別を遮断するものである。この「目隠し」と同様の趣旨の話は、穂積陳重『法窓夜話』中の「三九、板倉の茶臼、大岡の鑷」の中に垣間見ることが出来る。ちなみに『法窓夜話』は、青空文庫で全文を閲覧することが出来る。少々長いが、以下、全文。

 板倉周防守重宗は、徳川幕府創業の名臣で、父勝重の推挙により、その後(の)ちを承(う)けて京都所司代となり、父は子を知り子は父を辱しめざるの令名を博した人である。
 重宗或時近臣の者に「予の捌(さば)きようについて世上の取沙汰は如何である」と尋ねたところが、その人ありのままに「威光に圧されて言葉を悉(つく)しにくいと申します」と答えた。重宗これを聴いて、われ過(あやま)てりと言ったが、その後ちの法廷はその面目を一新した。
 白洲(しらす)に臨める縁先の障子は締切られて、障子の内に所司代の席を設け、座右には茶臼(ちゃうす)が据えてある。重宗は先ず西方を拝して後ちその座に着き、茶を碾(ひ)きながら障子越に訟(うったえ)を聴くのであった。或人怪んでその故を問うた。重宗答えて、「凡(およ)そ裁判には、寸毫(すんごう)の私をも挟んではならぬ。西方を拝するのは、愛宕(あたご)の神を驚かし奉って、私心萌(きざ)さば立所(たちどころ)に神罰を受けんことを誓うのである。また心静かなる時は手平かに、心噪(さわ)げば手元狂う。訟を聴きつつ茶を碾くのは、粉の精粗によって心の動静を見、判断の確否を知るためである。なおまた人の容貌は一様ならず、美醜の岐(わか)るるところ愛憎起り、愛憎の在るところ偏頗(へんぱ)生ずるは、免れ難き人情である。障子を閉じて関係人の顔を見ないのは、この故に外ならぬ」と対(こた)えたということである。
 大正四年の夏より秋に掛けて上野不忍(しのばず)池畔に江戸博覧会なるものが催された。その場内に大岡越前守忠相(ただすけ)の遺品が陳列してあったが、その中に子爵大岡忠綱氏の出品に係る鑷(けぬき)四丁があって、その説明書に「大岡越前守忠相ガ奉行所ニ於テ断獄ノ際、常ニ瞑目シテ腮髯(あごひげ)ヲ抜クニ用ヒタルモノナリ」と記してあった。その鑷は大小四丁あって、その一丁は約七寸余もあろうかと思われるほどで、驚くべき大きさのものである。その他の三丁も約五寸乃至(ないし)三寸位のもので、今日の普通の鑷に較べると実に数倍の大きさである。芝居では「菊畑」の智恵内を始めとし、繻打奴(しゅすやっこ)、相撲取などが懐から毛抜入れを取出し、五寸ばかりもあろうと思う大鑷で髯(ひげ)を抜き、また男達(おとこだて)が牀几(しょうぎ)に腰打掛けて大鑷で髯を抜きながら太平楽(たいへいらく)を並べるなどは、普通に観るところであるが、我輩は勿論これは例の劇的誇張の最も甚だしきものであると考えておったが、この出品が芝居で見るものよりも一層大きい位であるから、当時はこのような大鑷が普通であったものと見える。これについても、今をもって古(いにしえ)を推すの危険な事が知れる。
 余談はさておき、大岡忠相が髯を抜いたのも、板倉重宗が茶を碾(ひ)いたのも、その趣旨は全く同一で、畢竟その心を平静にし、注意を集中して公平の判断をしようとする精神に外ならぬのである。髯を抜きながら瞑目して訟を聴くのも、障子越に訟を聴くのと同じ考であろう。司直の明吏が至誠己を空(むな)しうして公平を求めたることは、先後その揆(き)を一にすというべきである。


 それから、上記「正義の女神」とは別の論点として、このメタリカのアルバムのタイトル自体も重要な論点を提供している。“...And Justice For All” というのは、アメリカ人なら誰でも分かる(はず)の「合衆国国旗への忠誠の誓い(Pledge of Allegiance)」末尾の一節なのである。この誓いは、しばしば合衆国の公式行事で暗誦されるもので、以下の通りである。小学生でも暗誦してる(はず)。

I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.

 これは、講義中でも何度も触れる「共和主義(Republicanism)」の根幹に関わる儀式である。ただ、実際にはアメリカでも、本当に皆が覚えているかというと、ちょっと微妙なところで、以下のように「忠誠の誓い」の暗誦を皮肉ったものも存在している。子供たちのやつの方で、this is not the form of brain-washing とお経のように唱え続ける部分が笑えるのではあるが・・・。

[子どもたち(パロディ)]


The Whitest Kids U' Know - Pledge of Allegiance ...

 

 以上、よしなしごとも含めた備忘録。

 

TOKYO-FM TimeLine 「日本人がゾンビに魅了されてやまない理由」 出演メモ

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 昨夜、標記番組に出演して来ましたが、ディレクターさんから事前に頂いていた台本に載っていた Question への Answer の完全版は以下になります。20分未満の出演だったので、これを全部言うのは、さすがにムリでしたので。「花子とアン」の話が出来なかったのが痛恨です・・・。今日から1週間くらいは、下記のアーカイブで聴けるようです。早送りして真ん中くらいから。

 http://www.tfm.co.jp/timeline/webradio/player.php?y=2014&m=07&d=17&time=19&num=0

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<生出演:谷口功一氏>

1. ここ最近のゾンビ人気をどうご覧になっていますか?

● 「やっと時代が追いついて来たな!」というのは嘘で、これまで結構、日陰者的に愛好していたものが、普通に多くの人に消費され始めて困惑しているというのが、正直なところ。石の裏でのんびりしていたダンゴムシが突然、石をひっくり返されて白日の下に晒された気分です。
● あんまり胸を張って「ゾンビ好きです!」とかいうのは、どうかと思うんですよね・・・。
● 実際、この前、公開されたブラピ様の『ワールド・ウォーZ』も宣伝レベルでは、一切「ゾンビ」という言葉は使われていなかった。電通というか何というか、オトナの事情。要するに「ゾンビ」ってキーワードが出てくると、やはり消費層は限られるということではないかと思う。
● 映画館で観た時にも、カップルとかは女性の方が「ブラピ様、格好いい!」みたいな感想を述べていた。たぶん、ガチのゾンビマニアは、それ聞いて「ズーン!」みたいな。まあ、そんなもん・・・。
● NHKの朝ドラでゾンビやったら、ホントに流行ってる!って認めてもイイです。仲間由紀恵演じる白蓮がゾンビになって、イジワル仲居を喰い殺すのとか観てみたいですよね。村岡印刷の死んだ奥さんがゾンビになって蘇って、花子を喰い殺すのとかもイイかも。いや、吉高由里が蓮子様を喰い殺すのが見たいですね!

 

2.一方、日本以外でゾンビはどう捉えられてるのでしょう?

● 一番好きなのはアメリカ人。次がイギリス人で、最近、フランス人も参入して来たという感じ?そういえば、キューバもあった。『ゾンビ革命~ フアン・オブ・ザ・デッド』っての。これは本当にイイ映画なんで、お勧め。
● ゾンビ映画には、お国柄が出る。イギリスだとパブに立てこもったり、フランスだとイスラム系住民に席巻されて暴動の発火点になっている郊外(banlieue)が舞台になったり。キューバのは、ぶっ飛んでいる。初の社会主義ゾンビ?
● アメリカ人は、本当にゾンビ好き。度を超している。
● CDC(疾病管理センター)とかPentagon(国防総省)とか、超マジメ(でないと困る・・・)公的機関が、率先してゾンビに関するエントリーを公式サイトにアップしたり、対ゾンビ作戦の文書をこっそり作ったりしている・・・。大丈夫か?と・・・。
● 私が訳した『ゾンビ襲来』の著者も、アメリカでは外交官とかいっぱい出す名門大学であるタフツ大学のスター教授だったりするワケで、とにかく、何かのホントのエキスパートが本気になってゾンビについて考えている。日本語には翻訳されてないけど、ハーバードの医学部の教授が書いたゾンビ本というのもある・・・。もちろん、専門的知識を使いまくりの本。おもしろい本ですけどね。『The Zombie Autopsies(ゾンビの解剖学)』って本。

 

3.ゾンビが人気となる背景として考えられることは?

● 月並みな説明は、社会の不安がその背景にあって・・・ということになるんだけど、それは、ほとんど何の説明にもなっていないので、アメリカを例にとると、共和党と民主党の間での政権交代がゾンビ人気と因果関係がある、という研究をしている人もいます。暇ですよね・・・。
● ピーター・ディヴィスという人は、共和党/民主党とゾンビ/ヴァンパイアとの関係について次のようなことを言っています。
● 共和党はヴァンパイアを怖れる。なぜなら、それは性的逸脱や伝統への叛逆、あるいは外国人(そもそもドラキュラ公はルーマニア人)を想起させるからである。彼らの目には大規模な財政支出を伴う医療保険制度のようなものを実施しようとするオバマ民主党は、自由市場経済に寄生し、資本主義から血を吸い取ろうとするヴァンパイアに映るのである。
● 民主党はゾンビを怖れる。なぜなら、ゾンビは、ひたすら消費のみを行う存在であり(Braaains!)、その究極の目的は全人類を彼らと同じ存在へと「同化(assimilation)」させることだからである―― だからこそゾンビは共食いせず、生き残った人間だけを襲うのだ。リベラルな民主党にとって、ゾンビは因習的な宗教を表象するものでもある(キリストは死から甦った上で、人びとを改宗=同化させた!)一般的に保守は、「安定と伝統」を重視するが、ゾンビ社会は究極のかたちで、それを実現しようとする。なぜなら、ゾンビは社会の変革を目指したりせず、リベラルの目から見れば、順応主義(conformist)的で、自分のアタマで考えようとしないからだ。従って、リベラルにとってのゾンビとは、郊外的(suburban)であり、保守的であり、そして人種差別(racist)的なものの表象なのである。
● しかし、この説明を念頭に置いて、映画の封切り数を見てみると、なぜか共和党政権期にこそ、ゾンビ映画が増えてるんですよね。
● 具体的には、ニクソン政権(共和党)開始の一ヶ月前に『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』が封切られるが、カーター(民主党)政権の誕生と共にゾンビ映画は凋落する。その後、1980年代のレーガン(共和党)政権期は、ゾンビ映画が最も豊穣となる。クリントン(民主党)が父ブッシュ(共和党)を下した十日後、コッポラの『ドラキュラ』(1992)が封切られた。クリントン期には、『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』や『ブレイド』なども封切られている。ブッシュJr.(共和党)政権になってゾンビは復活する。この時期、『28日後・・・』、『28週後・・・』、リメイク版の『ドーン・オブ・ザ・デッド』や『デイ・オブ・ザ・デッド』、そして『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』などが封切られた。7年間に183作(年平均26作)とゾンビ映画は急増した。オバマ政権(2008~)下においては、ゾンビ映画は7作のみ劇場封切り。ヴァンパイア映画は、2008年だけで18作以上封切られている。
● この話は、ややこしいので、私が『ユリイカ』という雑誌に書いた文章でも読んでもらった方がイイかもしれません。よー、わからんのです。

 

4.社会的に不安定な時期にゾンビが求められるということは、アベノミクスで景気は上向きといえども国民は「何か」不安を抱えている?

● まあ、私も年金とかいろいろ不安ですけど、安倍政権になる前からゾンビ好きですからねえ・・・。安部さんがどうこうとかいうことではなく、昨今のゾンビ人気というのは、もっと長いスパンでの社会の変化に対応しているのではないか、と。

● 過去をさかのぼってみると、90年代の不安は、95年のオウム・サリン事件でピークを画すんだけど、これについては社会学者の宮台真司先生が「終わりなき日常」っていうことを言い出して、この図式はひろく受容された。
● しかし、この終わらないと思われたマッタリした《日常》は、失われた20年~リーマンショック~311で、いとも簡単に木っ端みじんになり、むしろ、そんな《日常》懐かしいYOネ!みたいな事態に。
● 特に311以降は《日常》どころか《終末》が常駐するように。《終末》の最も端的な形態は「死」だけど、「太陽と死は直視出来ない」ところ、のろのろ歩いてじっと凝視しやすいゾンビは、《終末》世界をイマジネーションによって加工するための恰好のメディアだったのかもね、とか。

● 余談だけど、「哲学」も《危機》の時に流行る。
●『ソフィーの世界』1995年(数百万部)=オウム事件+阪神大震災
●NHKのハーバード白熱教室で一世を風靡した『これからの正義の話をしよう』のサンデル(始球式)→ 311

 

5.ウォール街デモの際、人々はゾンビに扮していましたが、人は「ゾンビになりきる」ことで何を表現しようとしてるのでしょうか?

● 別に何かを表現したいとか、たぶん無いですよね。好きだからやってるだけ、みたいな。
● それよりも面白い話があって、いま安部政権ですけど、わたし以前、国会の会議録を検索して、日本の国会が日本国憲法制定後、どんくらいゾンビの話をしているのか調べてみたんですよね。
● この時は、180回国会までの分析をしたんですが、52回、「ゾンビ」って言ってます。国会で大まじめな顔して。
● ちなみに、日本の国会で初めて「ゾンビ」って口に出して言った人は、実は民主党の前原さんで、現職の総理で言った人は未だ居ないんですが、のちに総理になる人では、鳩山さんだけが「ゾンビ」って言ってます。味わい深いです。
● で、今回、せっかくなので『ゾンビ襲来』の解説では分析してない181国会から直近の186回国会までの会議録を調べてみたら、この短い間に、なんと21回もゾンビって言ってました。やっぱゾンビ流行ってるのかも!安部さんは言ってませんが。

 

6.いまゾンビのような「生ける屍」状態の人が多い時代になっている?

● 日本人の幸福度が各国と比較しても低いとかいう各種統計とか見ると、あぁ、ゾンビ化してんのか、とも思いますが、ゾンビに意識があるかどうかは分からないし、これはとても難しい哲学的問題(哲学的ゾンビという問題)なので、何ともいえないですね。宮藤官九郎さんが新作歌舞伎でゾンビを題材にしたものの中で、「意識はないけど、やる気はある!」とゾンビに言わせてましたが、まあ、そういうことなのかな、と。早く意識を取り戻したいものです。

磯田光一 『左翼がサヨクになるとき』

 過日、磯田光一の『左翼がサヨクになるとき』(1987)を読了した。文芸評論などを読むのは実に久しぶりのことだが、予想外に面白かった。磯田氏のものは、昔、『殉教の美学』と『永井荷風』を読んだことはあったのだが、この本は存在だけ知っていたものの恥ずかしながら読んでいなかったのだった。 

左翼がサヨクになるとき―ある時代の精神史

左翼がサヨクになるとき―ある時代の精神史

 

  タイトル後段は、我々世代にとっては「青春の作家」である島田雅彦の『優しいサヨクのための嬉遊曲』(1983)を指しているのだが、この中で取り上げられる作家は、先日亡くなった大西巨人の『天路の奈落』から始まり、中野重治・佐多稲子・平野謙、中里恒子・芝木好子、黒井千次、高橋和巳・桐山襲、筒井康隆、立松和平・村上春樹、そして島田と、特に前半は、今となっては実に渋い?ラインナップになっている。

 内容はタイトルの示す通りであって、漢字の「左翼」が高度成長期を経て、いかにして軽いカタカナの「サヨク」へと変質してゆくのかを丹念に描き出したものとなっている。個人的には桐山襲の『パルチザン伝説』を取り上げた前半までを特に興味深く読んだが、現代の大学生がこの本を読んで、どこまで分かるだろうか(楽しめるだろうか)という点については、しばし考えさせられた。「32年テーゼ」とか「六全協」とか言われて「あぁ、アレですね」とかいう学生は居ないし、居てもどうかとは思うのだが・・・。

 実際、著者も「あとがき」で記している通り、「昭和文学史と昭和左翼理論史の基礎知識」を読者があらかじめ持っていることを前提として書かれているものなので、まあ、仕方がないのだが。

 本の内容からは少しく離れてしまうが、最近、文芸誌『群像』の新人評論賞も、とうとう廃止されたらしく、いよいよ(文芸)評論には(特に若い)読者など居ないのだろうと思わされ、こういう読書体験というのも私の世代を最後にして滅びゆくものなのだろうな、とも。

 閑話休題。本書の前半の内容は、実に腑に落ちる話で、中野や最近まで生き延びた大西などに中に体現されていた漢字「左翼」とは、つまるところが「旧体制」下で、儒学や教育勅語を注入されて育ってきた人びとの「道徳性(morality)」の発露であって、それは「ますらをぶり」や鴎外の『礼儀小言』に通じてるものである、と。

 日本思想史の文脈のうえでは、儒学のつくりあげた“型”が崩壊してゆく時代のなかで、儒学の世界像を再建したのが昭和のプロレタリア文学だったのかもしれない。・・・昭和の国家主義が「国家」を「公」の中心に置いたのにくらべて、マルクス主義は国家を否定した、と人はいうかも知れない。しかし現存する国家を否定しようと“あるべき国家”を社会主義というかたちで構想していた以上、それは広義の国家主義と呼んでもいっこうにさしつかえないのである。このときマルクス主義とは、そのまま昭和の新しい「国学」であり、その道徳の質は「礼儀小言」そのものではないか。[同書:p.16] 

 

 ここで私は、戦後文学のはらんでいる最大のパラドックスに直面せざるを得ない。「左翼」的と俗称される戦後派の文学とは、明治憲法と教育勅語の育て上げた世代の硬派な人格が、明治憲法と教育勅語のイデオロギーを果敢に批判した文学だったのではなかろうか。[p.30]

 

 他には、桐山襲を取り上げているところでは、予想通りカール・シュミットが引かれており、長尾龍一先生まで引かれているのには、少しニヤリとした。

 最終章の島田雅彦の章では、冒頭意表を突かれた。アンソロジー『スターリン讃歌』に収録された詩を長々と引用した上で、「私は旧世代の左翼をおとしめるために、こういう作品を引用しているのではない」と磯田は書いているのだが、私はこの下りを読んだ際、笑いすぎて痙攣し、しばらくベッドの上から動けなくなったほどであった。イケズにも程がある・・・。

 この本の中で描き出された「左翼からサヨクへ」という図式は一面において、高度成長という時代の潮流によって強力に駆動されたものだったわけだが、「一億総中流」が、もはや遙か彼方の幻影となり、「格差」云々が日常的に語られるようになった今日、「サヨク」は未だに「サヨク」のままなのか、或いはそうであって良いのか、という点に思いを致し、本を閉じた。毛頭、左翼ではない私にとっては、まったくもっての他人事なのではあるが。

 

追記:とはいうものの、色々考える上では「左翼」の歴史は知って欲しいところで、私がいつも講義で熱心に薦めるのは、以下の書籍(上下巻ともに) 。

フィンランド駅へ―革命の世紀の群像〈上〉

フィンランド駅へ―革命の世紀の群像〈上〉

 

  これは、本当に素晴らしい本であり、書名の意味するところも含めて一読、深い感銘を受けることは間違いないので、ぜひ学生のうちに読んでおいて欲しい一冊。

 

 

行政代執行と 『ぼくの村の話』

 Facebookを見ていたら、友人の行政法学者が「行政代執行」の実例を知ってもらうため、学生さんたちに「橋下知事・行政代執行でイモ畑を撤去/2008年」という動画(YouTube)を見て貰ったという話を書いていたのだが、行政代執行にまつわる形で私がすぐに想起するのは、尾瀬あきらの漫画『ぼくの村の話』(全7巻)である。成田空港に行くたびに、わたしの脳裏には、この漫画のことが浮かぶ。 

ぼくの村の話(5)

ぼくの村の話(5)

 

  尾瀬のものとしては『夏子の酒』(94年に和久井映見主演でドラマ化)の方が知名度があるだろう。『ぼくの村の話』は『夏子』の連載終了後、1992年春から1993年末にかけて同誌で連載されたものであるところ、『夏子』ほどはヒットしなかったので、知らない人も多いかもしれない。

 わたし自身も、連載時(大学2年生くらいの時か)には読んでおらず、その後、呉智英が『ダヴィンチ』だかでやっていた漫画批評の連載で、その存在を知った。確か、この時の連載は、1998年刊の『マンガ狂につける薬』に収録されていたかと思う。 

マンガ狂につける薬 (ダ・ヴィンチブックス)

マンガ狂につける薬 (ダ・ヴィンチブックス)

 

  内容は『ぼくの村の話』という和やかなタイトルからは想像もつかないもので、いわゆる「三里塚闘争」を、現地の村に住む少年の視点から描き出したものである。この漫画は、「行政代執行」も重要な場面として登場するのだが、政治や社会運動に関して、実に味わい深い洞察を与えてくれるものであり、未読の方には是非、手に取って読むことをお薦めしたい。

 作中では、空港建設予定地となった村での行政代執行とそれに対する村人たちの凄まじい抵抗の場面が描き出されているのだが、最も深く私の記憶に残ったのは、当時、三里塚に入って来た学生運動家たちと村人との間に芽生えた交流と断絶へと至る過程への描写で、いつの時代にも同じことが繰り返されているのだなと、ある種、暗澹たる想いをもって頁を捲ったのを記憶している。


29 - 三里塚 成田闘争 行政代執行 東峰十字路事件 - 1971 - YouTube

 小林よしのりが最も輝いていた頃、『SPA!』での連載「ゴーマニズム宣言」などから薬害エイズ問題をめぐって巻き起こした社会運動の成功とその顛末なども、先述の『ぼくの村の話』の中のエピソードと似たようなところがあるかもしれない。この点に関しては Wikipediaゴーマニズム宣言」の項の「薬害エイズ問題を巡って」の部分に簡単な経緯が記されているので、興味のある方は、そちらを参照されたい。

 

 閑話休題。この『ぼくの村の話』については個人的な思い出もあって、数年前、調布の或るスナックで独りで呑んでいたところ、隣に座った年輩の男性から話しかけられた時のことが思い出される。

 男性は、現在はタクシー運転士をしているのだが、かつては警官をしていたとのことで、よくよく話を聞くと、調布(上石原)の第七機動隊に居たというのである。かなり酒が入っていたのではあるが、しばらく話を継いでから、おもむろに三里塚闘争の話を振ってみたところ、当時この男性は現場に居たと言うので、やや躊躇いがちに「『ぼくの村の話』っていうマンガ知ってますか?」と訊ねたところ、「機動隊では、みんな読んでいた」とのことだった。ひと言ぽつりと出た「あんな事は、僕らもしたかなかったんですよ」という言葉が今でも記憶に残っている。

 

 「行政代執行」から随分と遠いところまで来てしまったが、マンガには並みの文学作品には及びもつかない数多くの傑作が存在しており、学生の皆さんにおかれては(もちろん文学作品も読んで欲しいのだが)、マンガも色々と貪欲に読んで頂きたいところである。

 マンガ批評の分野では、先に挙げた呉智英が、その先駆者として讃えるべきところであるが、代表的なものとしては、1986年に刊行され、現在は双葉文庫になっている『現代マンガの全体像』などが挙げられる。 

現代マンガの全体像 (双葉文庫―POCHE FUTABA)

現代マンガの全体像 (双葉文庫―POCHE FUTABA)

 

  大学二年生の頃、私は駒場の図書館に籠もって『ガロ』のマンガ評論新人賞に送るため原稿用紙にせっせと拙い文章を書いていたが、最終選考には残ったわたしの作品への誌上での「講評」で、呉智英氏から痛烈な批判を頂いたのは、今となっては良い思い出である。

 

 追記:上記の新人賞用の手書き原稿をワープロで打ち直してくれた同級生の水谷くん、改めて有り難う。

 

 追記2:どうでもイイ話なのだが、冒頭で成田空港の話を書いているところ、海外に行く時以外にも、外国からの友人が国内線への/からの乗り換えで成田に来た際、成田イオンモールに連れて行ったりするのだが、彼らはイオンに行くと目を輝かせて喜んでくれる。同様のことがある場合、ココはお薦めの場所である。

 このイオンモールでは、成田にはタイ人がいっぱい居るのだが、私がモールを歩いていると、タムロっているタイ人の若者たちが一斉に私の方を向いて目礼することが、何度もあり、困惑したことがある。タイの貴人?で私に酷似した人が居るのだろうか・・・というのが年来の疑問なのである。

 

大学生と電子メール

 今年も新学期が始まったが、わたしは1年生向けの基礎ゼミナールも毎年担当しており、電子メールについて幾つかメモ代わりにここに書いておいた方が良いこともあったので、以下、よしなしごとも含めて。

 昔話になって恐縮なのだが、私が大学生になった頃には未だ携帯電話もそれほど普及しておらず、今のような形の本当に「携帯」出来るような形態のものは、学部の3年か4年くらいの頃からちらほら見始めるようになったと記憶している。つまり電話での連絡はほとんどの場合、固定電話によるものだったのである。余談だが、最初期の「携帯」電話は、以下のような肩掛けで持ち運ぶものだった。わたし自身は、さすがにこれは所持したことはないが、親の知人が持っているのを使ったことはある。

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 従って当時、仲の良い異性が出来たりしても、相手が実家住まいである場合には、相手の家に架電すると「(トゥルルルルル)はいっ!カミナリ寿司です!」などと勢いよく親御さんが先方の受話口に出て来ることもあったのだった(これは私の同級生が遭遇した実話である。彼は恐怖の余り電話を切ってしまったらしい)。この関門を通過出来なければ楽しい学生生活は無いわけであって、ある種、強制的な「社会化」のイニシエーションが存在していたわけである。

 閑話休題。肝心の電子メールなのであるが、大学生が使用するネット上のコミュニケーションツール(含SNS)は、わたし自身が今の大学に赴任して以来、PCメール(携帯メール)、2ちゃんねる、mixi、twitter、Facebook、そしてLINEと変遷して来たが、どうも最近の学生さんたちは、初っぱなからLINEでお互いに繋がっているため、もはや携帯のメールさえ余り使っていないような印象さえ持っている。そのためか大学院生くらいでも余りPCメールのアカウントは頻繁にチェックしていない場合があるようだ。

 90年代にパソコン通信からネットの世界に触れ始めた私としては、もはや隔世の感ではあるのだが、しかし、PCベースでの電子メールのやり取りは、社会人になってからも行われるはずなので、出来るだけ早い時期にメールのやり取りに関して最低限のマナーを学んでおいて頂ければと思う次第である。

 PCでの電子メールのお作法については、以下に大変よくまとまっているので、学生の皆さんは是非読んでおいて欲しい。

 

1)大学教員へのメールの書き方(江口聡先生作成)

 http://melisande.cs.kyoto-wu.ac.jp/eguchi/archives/71

2)メールを書くときには、ここに注意(松岡和美先生作成)

 http://user.keio.ac.jp/~matsuoka/mailsample.htm

 

 わたし自身もスマホを使っており、その便利さは分かっているのだが、長大なある程度以上の長さの文章をキチンと校正しながら作成するのは、やはりPC(しかもデスクトップ)にまさるものは無いので、PCでメールを作成する作法を早めに身につけて頂きたいものである。

 

※ 追記(2015年5月20日)

 以下、非常に興味深い記事。とうとうスマホでもメールの利用率が半数を割ったとのこと。2014年から15年の間に大変動が起こっている?

internet.watch.impress.co.jp

 

2014年度の谷口ゼミ告知

 シラバスが出るのはもう少し先ですが、この4月からの谷口ゼミ(通年・水曜2限)の内容について先取りして告知しておきます。
 今年度は、グローバリズムと人の移動について考えてみたいと思っています。端的に言って「移民」の問題です。
 わたし自身、ここ数年、郊外コミュニティへの関心から派生する形で、様々な実地調査なども行って来ましたが、それらに関して理論的見通しをつけるためにも、今回このテーマを選びました。
 具体的には、現代正義論の知見も用いて移民問題に関して規範的な検討を行う、以下の文献の講読を考えています。本書は、目次を見てもらうと分かる通り、2人の論者が移民受け入れに対して賛成(pro)と反対(con)に分かれ、それぞれの論陣を張るという形のものになっています。 

Debating the Ethics of Immigration: Is There a Right to Exclude? (Debating Ethics)

Debating the Ethics of Immigration: Is There a Right to Exclude? (Debating Ethics)

  • 作者: Christopher Heath Wellman,Phillip Cole
  • 出版社/メーカー: Oxford University Press, U.S.A.
  • 発売日: 2011/09/30
  • メディア: ペーパーバック
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  下記の目次にある通り、前半は「移民反対」の論陣で、平等論(egalitarian)・リバタリアン・デモクラシー・功利主義などの観点からの議論を展開しており、後半は「移民賛成」の立場から「開かれた国境(open borders)」を主張しています。

 

INTRODUCTION

FREEDOM OF ASSOCIATION AND THE RIGHT TO EXCLUDE
In Defense of the Right to Exclude
The Egalitarian Case for Open Borders
The Libertarian Case for Open Borders
The Democratic Case for Open Borders
The Utilitarian Case for Open Borders
Refugees
Toward an International Institution with Authority of Immigration
Guest Workers
Selection Criteria
Conclusion

OPEN BORDERS: AN ETHICAL DEFENCE
The Shape of the Debate
The Case Against the Right to Exclude
Wellman on Freedom of Association
Consequentialist Concerns
Towards a Right to Mobility
Conclusion
Index

 

 最近、安倍政権からのメッセージとして移民拡大などの議論も仄聞するところではありますが、とかく感情的な反応を招きがちな、この問題に関して規範的・分析的に考えてみる、というのが今年のゼミにおける一つの目標です。
 わたし自身、この問題について真剣に考え始めたのは、本学の宮台真司先生も出演している映画『サウダーヂ』を観てからなのですが、この映画を未見の人は、ぜひ機会をつくって観て頂ければとも思います。渋谷のオーディトリウムで何度も再上映しているので、ゼミ期間中に上映されるようなら、ゼミで観に行っても良いかなと思っています。

 

映画『サウダーヂ』

http://www.saudade-movie.com/


 あと、今年度は新規の試みとして、後期・水曜3限に日本政治思想史の河野有理先生と比較政治の梅川健先生と私の3人での合同ゼミを行います。
 演習題目は「米中関係と戦後日本--冷戦を再考する」です。以下、シラバスから若干の抜粋をしておきます。

 20世紀を考える上で致命的に重要なのは「冷戦」である。本演習ではこの問題を取り上げ、それについて考えるための基礎的な知識を習得する。参加者は、課題文献として指定された本を読み、その内容について考え、他者と議論するための作法を学ぶ。
 「冷戦」は、通常、「米ソ」(アメリカとソ連邦)冷戦として捉えることが多い。だが、この演習では、「米中」関係に注目して冷戦を見てみたい。アメリカや中国あるいは戦後日本の政治思想に関する重要文献を、古典から実証研究まで幅広く読む。方針としては、精読ではなく多読を重視し、報告とディスカッションを中心に運営する。担当教員は、二人とも毎回出席する。
 政治や歴史あるいは哲学について、政治思想史や法哲学、現代政治といった専門分野の垣根を越えて、ざっくばらんに議論する。読書が好きな人は、誰でも歓迎する。修士課程への進学を希望する人も積極的に参加して頂きたい。

 1973年生まれの私にとって冷戦は身近(?)なものでしたが、学生の皆さんにとっては、必ずしもそうではないでしょう。谷口と河野・梅川両先生との間にも若干の時代(年齢)的ギャップがありますが、様々な観点から、特に「中国」にフォーカスをあてて冷戦について考えてゆくこととしたいと思っています。ウクライナ(クリミア)問題でも「新冷戦」云々され始めた時期だけに、偶然ではありますが、誠に時宜にかなったものであると自画自賛したいところではありますが。

 以上、熱意ある学生の皆さんの積極的な参加を期待します。

謹賀新年2014

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 新しき/背広など着て/旅をせん/しかく今年も/思い過ぎたる

 何となく/今年は良い事/あるごとし/元日の朝/晴れて風なし

 

 上記、いずれも啄木の歌であり、毎年、歳晩になると最初の歌にあるよう、何ごとかをやり残した感を抱えつつ年を越えてしまうのではあるが、新年と相成ったからには、次の歌にあるよう、無根拠な楽天主義と共に、これからの一年を乗り切って行きたいと思うばかりである。

 

 本日、おおかたの人にとっては、仕事始め。良い一年を。

 

 冒頭の写真は、本日の朝の空。

ひとをして語らしめる書/速水健朗 『1995年』

 ようやく、速水健朗著『1995年』ちくま新書、読了。既に多くの書評も出ているものの、以下、蛇足ながら。 

1995年 (ちくま新書)

1995年 (ちくま新書)

 

  著者は私と全くの同い年の1973年生まれ。以前、機会を得て直にお会いし、四方山話をさせて頂いた際、この1995年前後は、お互い歩いて10分ほどの世田谷界隈・小田急沿線に住んでいたことが分かったりしたこともあって、私は本書を何とも言えない親近感の下に読み進めた。

 内容は、「政治、経済、国際情勢、テクノロジー、消費・文化、事件・メディア」の6項目に関して、この年に起こったことを比較的淡々と記述してゆきつつ、随所で著者の見解を挿し挟む形式になっている。そのようなわけで、これまでの速水本と比べると、著者自身が前面に迫り出して来る感じは薄いのだが、代わりに迫り出して来るのは《読者自身》なのではないかとも感じた。私自身が、まさにそうであって、本書の頁を捲りながら、走馬燈のように当時の様々なことが思い出された。良い本は、読後、その本自体の内容を離れても、ひとをして様々なことを語らしめるものだが、この本は、そのような意味での自分語りを誘発する本なのである。

 そういうわけで、読書メモも兼ねて自分語りも含めながら、以下。

 

● 青島都知事による都市博中止と『踊る大捜査線』の青島刑事 [36-38]

 

 知らんかった・・・。

 

● 焼酎 vs スコッチ戦争 [55-59] → 焼酎の勝利

 

 私は大学生の頃、当時まだ日本に支社を持っていた United Distillers(UD)が開催したウィスキー・エッセイコンテストみたいなのに応募して、「学生スコッチ親善大使」というものになったことがある。当時のUDの日本支社(UDJ)は五反田にあった。

 このコンテストには、少なくとも百人以上は応募していたと記憶しているが、その中からエッセイと英語での面接でふるいを掛けて最終的には4人がスコッチ親善大使に選ばれたのだった。親善大使というのが何をするのかというと、渡航費用・滞在費用すべてUD持ちで、1ヶ月間、スコットランドの蒸留所でウィスキー作り(の真似ごと)をするのである。

 私が主に滞在したのは、Speysideのピットロッコリーにある Blar Athol Distillery (BELLの原酒をつくっている)と、王室御用達の Royal Lochnagar Distillery だった。これらの蒸留所にホテルから毎日、ツナギを来て“出勤”し、記憶にある限りで、糖化・発酵・蒸留・樽詰めなどの全過程を経験するのである。休憩時間には、他の労働者と一緒に Canteen と呼ばれる詰め所で、当時4ポンドもした Silk Cut という煙草をふかしていたのを覚えている(当時からイギリスは付加価値税などの関係で煙草は異様に高かった)。

 この時に良く覚えているのは、途中でスコットランドとイングランドの境目あたりにあるジョニー・ウォーカーのボトリング工場兼マーケティングセンターに連れて行かれ、当時はまだシングル・モルトなど、ほとんど一般には知られていなかった日本で、シングル・モルトの販路を拡大するのは可能か?とインタビューされたことだった。わたし自身はウィスキー好きではあったが、シングル・モルトは嗜好性が高すぎる(平たく言うとクセが強すぎる)ので、日本人には合わないのでは?と答えたと記憶している。しかし、その後、日本のバーがシングル・モルトで溢れかえり、今や世界中どこの国を見ても、これほど多様かつ豊富なウィスキーを気軽に飲める国は日本以外にはないと言っても過言ではない状況になったのには、驚かされるばかりである。そして、その背景には、この速水本で描かれている「ウィスキー vs 焼酎」戦争があったのを今回初めて知った。

 

●『トレインスポッティング』

 

 講義中に「平等論(Egalitarianism)」に関する回で毎年『ハマータウンの野郎ども』に触れる際、よく「ココで言う“野郎ども(lads)”ってのは映画『トレインスポッティング』に出て来るような人たちのこと。Underworld がテーマ曲やってて」とか言って、学生がポカーンとしているのだが、そうか、これ95年だったのか。そらポカーンだわな、と。

 

● ウィンドウズ95発売、Pipin@と瀕死のアップル

 

 コレも学生ポカーンな話だが、この頃、私は確か富士通のOASYS-LITE(親指シフト)みたいな機種を使っていて、基本ワープロなのにパソコン通信も出来るというので、FENICS ROAD2 とかにコネクトしてニフティサーブで遊んでいたわけだ。まだDOS言語が使われていた時代で、哲学者・黒崎政男の『哲学者クロサキのMS-DOSは思考の道具だ』とかを読んでビックリしていたのを懐かしく思い出す。

 

●『BRUTUS』、『スタジオボイス』、『骰子(DICE)』などの雑誌で「インターネット」特集。しかし、「宮台真司が『終わりなき日常を生きろ』の原稿のやり取りを、メールだけですませたと自慢していたり・・・」[108]

 

 当時は、メールという言葉をもう使っていたかな・・・?パソ通のオフ会とかに出ると「ID教えて」とか言い合っていたような。私自身が、インターネットそのものに“衝撃”を受けたのは、2000年代に入ってからだったような気がするのだが、Dino Buzzati の The Tartar Steppe についてAmazonのカスタマーレビューに初めて英語で投稿してみたところ、イスラエルの女子大生からブッツァーティの研究文献教えてくれろと頼まれ、Telnet経由でOPACを使い調べ感謝のメールを貰った時だった。この時、初めて「世界はつながっている!」と実感した。(追記:この辺りの話、曖昧なので後でよく思い出す必要がある)

 

● 四万十川料理学園講師、キャッシー塚本 [139]

 

 死ぬほど笑わせて貰いました。

 

●「総務省統計局・住民基本台帳人口移動報告を見ると・・・団塊ジュニア世代は、人口ボリュームが大きいにもかかわらず、地方での生活を選ぶ率が高かった世代、都会に出る数が少なかった世代なのだ。」[147]

 

 実感としては分からない。私は大分県別府市出身なのだが、同級生は、福岡に行く以外は、若干、大阪・京都で、ほとんど東京に出て来ていた気がする。ただ、うちは進学校だったので、同世代全体ということになると、実態は、こうだったのか・・・とも。

 

● 下北沢ZOO(→SLITS)。

 

 あったのは知ってはいたが、結局わたしはZOOには行くことなく、梅ヶ丘通りへと下ってゆく道すがらのBARで飲んだくれていた。BARからBARへのBAR巡り。当時の呑み友達の少なからぬ人びとも物書きになったが、あの頃の青臭い酒場での議論なども、どこへやら(かな?)。

 

  最後に、この年のハイライト?をなす阪神大震災とオウム事件について。2011年、わたしは『法学セミナー』(2011年5月号/No. 677)に載せた文章の中で次のようなことを「1995年」がらみで書いている。以下、冒頭の関係箇所だけを抜粋しておく。

 

法学セミナー 2011年 05月号 [雑誌]

法学セミナー 2011年 05月号 [雑誌]

 

  

 2010年春からNHKで「ハーバード白熱教室」と銘打った番組が放送されていたのは、読者の記憶にも新しいところではないだろうか。ハーバード大学で教鞭を執るマイケル・サンデル教授の人気講義を放映したこの番組は、予想もしなかったほど多くの日本人に熱狂的に受け入れられ、あっという間に一大旋風を巻き起こした。この「サンデル講義」の書籍版の翻訳は、2010年5月に刊行されてから現在までの間に124刷、65万部以上の売れ行きを見せ(版元の早川書房・営業部に電話して確認してみた。3月3日現在)、法哲学はもとより、哲学の書籍としても、空前のベストセラーとなった。しかし、このサンデルの著作は、実際にそれを読んでみるなら、さほど万人向けの安易な読み物であるというわけでもなく、なにゆえ、それが65万人もの人々の耳目をひいたのかは、いささか不思議でさえある。このブームは、いったい何だったのだろうか? 

 このような哲学ブームは、実のところ少し前にもあったのだが、それは今から15年以上前の1995年に翻訳が刊行された哲学ファンタジー『ソフィーの世界』(ヨースタイン・ゴルデル著)である。この本もまた、53カ国語に訳され全世界で累計2300万部、日本国内では60万部以上の空前の売り上げを記録したが、この“1995年”という年が、どのような年だったのかを思い出してみるなら、そこには、興味深い符合が現れてくることとなる。

 この年には、年始早々の1月17日に阪神大震災、その二ヶ月後には地下鉄サリン事件(3月20日)と警察庁長官狙撃事件(3月30日)が相次いで発生し、また、経済面では4月19日に過去最高の79円75銭という記録的円高が記録された。折しも、自社さ連立の村山政権下、日本がさまざまな意味での“危機”に晒された年だったのである。

 サンデルの話に戻ると、彼の本は、日本以外の東アジア諸国でも大いに受け容れられているようである。たとえば、現代中国の多くの指導者を生み出した清華大学でも講演が行われていたり、あるいは、お隣の韓国でも60万部以上のベストセラー現象が巻き起こっていたりする。特に韓国では、李明博大統領が、2010年夏期休暇中に、このサンデルの本を読んだ事が報道され、また、彼の政策スローガンが「公正社会の実現」――後述のサンデルの論敵、ジョン・ロールズの「公正としての正義(Justice as Fairness)」を想起させる――であった事から、人々はサンデルの本を争って読むようになったとのことである。仄聞するところでは、野党が議会で政府に対する攻撃を行う際、サンデルの著作を利用し出すまでになったとか。

 私自身、2010年末、折り悪しく米韓軍事演習中の緊迫した状況下の韓国に出張した際、ソウルの代表的な書店である教保文庫に足を運んだところ、サンデル本の韓国語訳が平積みにされ、堂々ベストセラーにランクインしているのを目にした。この年は、朝鮮民主主義人民共和国からの突然の砲撃(2010年11月の延坪島砲撃事件)を受けるなど、韓国もまた、ある種の危機に晒された年であり、先述の“1995年”と考え合わせるなら、「哲学」は危機の時にこそ、ひとびとの間に熱狂を生むものなのかもしれない――いささか、はた迷惑な学問であるが。

 

 なお、この「正義論への招待」という特集号に併録された座談会の中で、私は司会として冒頭、次のようなことを述べている。

  谷口:本日は、お忙しい中、お集まり頂きありがとうございます。昨年末この企画を練り始めた頃は、この特集が発売される時には、サンデル・ブームも落ち着いて、少し忘れられて来ているくらいなのではないか、とも話していたのですが、全く予想に違って、今日もスポーツ新聞の一面に「サンデルが巨人の始球式に登板!」という記事を見ることとなり、正直、驚いています。

 

 この座談会は2011年3月7日(月)、大塚にある日本評論社の会議室で行われた。その週末の金曜日に何が起きたかは、周知の通りであるが、今となっては偶然の符合にただただ黙せざるを得ない。

 

 教師としては、まさにこの1995年に生まれた今年の大学1年生たちが、本書をどのように読むのだろうか、ということが気になったのだが、彼らが2年生以上になってゼミに入って来た時にでも、改めて聞いてみたいものである(あれ、1995年生まれが大学に入って来るのは来年?汗・・・だとするなら来年の基礎ゼミででも扱うか)。

エッグベネディクト(増補版)

 同僚の伊藤先生(行政学)や北村先生(国際法)と一緒に呑んでいる際、しばしば話題に出て来るエッグベネディクトを、ふと思い立って作ってみた。前から作ってみようと思っていたのだ。

 しかし、知らんかったのだが、この料理、ウォールストリートの株式仲買人だったレミュエル・ベネディクトさんという人の名前に由来しており、元々は「二日酔い」を治すために考案されたものなのか・・・(Wiki参照)。二日酔いで、こんなモタれるもの食べられるかいな?汗

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 色々と改良すべき点はあるが、まあ、オランデーズソースの味も、我ながら悪くないし、美味かった。

 ポーチドエッグとオランデーズソース作りゃイイだけの話なのだが、オランデーズソースを初めて作ってみたところ、湯煎の時間などがアレで粘性が足りなかったと思う。あと、我ながらポーチドエッグ、もう少し丁寧に作った方が良い・・・。カマンベールチーズを合わせても美味いのではないか?という意見も友人から頂いたが、不健康にも程があるだろうと・・・。まあ、それも美味そうではあるが。

 次回は、ほうれんそうのマデラ酒ソースがけとかキャロットグラッセで色合いも添えて、もう少し見栄えよくしよう。

 どうでもイイ話だが、デニーズでもフレッシュネスバーガーでも、エッグベネディクト的な商品が売り出されているみたいで、ブームなのかしら?

 

(付記)そういうわけで、土曜のブランチに作り直して、家族に出したものが、以下である。今回は巧く出来たのではあるが、しかし、写真が少し不鮮明かもしれない。しばらくエッグベネディクトはイイかな・・・。いや、他人がつくった売り物を食して自分のと比較してみたいものである。

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