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多摩天皇陵訪問の記

 ふと思いついて多摩御陵に行って来た。特に深い意味はない。大学の研究室で原稿を書いていたところ、同じ八王子だし一度は行ってみようと思っただけである。

 橋本駅経由で行ったのだが、ホーム上でわたしの思いつきの小旅行へのメッセージを発見した。なお、旅の友?は、研究室の書棚にあった色川大吉編『多摩の歴史散歩』である。

 このエントリーの後段に出て来る『多摩と甲州道中』と比べると内容には一目瞭然の違いがあり、色川編の方が「民衆史観」に貫かれているのに対し、後者は今回訪問した天皇陵や「聖蹟」桜ヶ丘にまつわる話、あるいは「軍都・多摩」という側面を掘り下げており、それぞれに特色のあるものとなっている。

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 「多摩御陵」とは、要するに昭和天皇大正天皇とそれぞれの皇后の墓所である。正確には、昭和天皇の方は武蔵野陵大正天皇の方は多摩陵と言い、それぞれの横に皇后の陵がある。「陵」というのは「みささぎ」と読み、これは天皇・皇后などの墓所にしか使わない名称であるらしい。

 これらの陵は、JR「高尾駅」の北口から徒歩で20分程の八王子市長房町というところにある。地図(航空写真)を見ると分かる通り、長房町には、かなり大きな公営住宅もあり、東側には密集した住宅と団地が広がっているのだが、西側は、ほぼ全てが陵域となっている。同じ町内に陵があるというのは、どんな感じなのだろうか。

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 それはさておき、当日は余りの炎天下だったところ、駅のキオスクのおばちゃんに「歩けますかね?」と尋ねたところ「やめといたほうがイイ(汗」と言われたので、大人しくタクシーに乗って行った。片道910円である。ただ、帰りのタクシーが自分で呼べるように、地元のタクシーの電話番号を控えておいた方が良い(高鉄交通:0120-617-212)。下に掲載した駅ホームの巨大天狗像の光陰のコントラストからも容易に窺い知れる通り、当日のカンカン照りっぷりと言ったらなかったのである(死ぬ・・・)。

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 余談だが、気候の良い時なら、北口を出て真っ直ぐゆく経路で歩くのも悪くはないと思った。ただ、この時期は止めた方が良い。陵に着いても、休むところが全く無いからだ(自動販売機の類も皆無である)。

 実に鄙びた駅の北口・ロータリーを出て右折し、道なりに真っ直ぐしばらく行ったところを「多摩御陵入口」という交差点で左折すると陵の正門へと続く欅の並木道へと入ってゆく。

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 ちなみに、この交差点の陵とは逆方向のドン突きが、かつてお召し列車が停車していた東浅川駅の跡地である。この駅は既に廃線となっている。また、かつてそこにあった駅舎は、廃線と共に下賜され、その後、公民館(陵南会館)となっていたところ、1990年、革労協解放派による八王子市陵南会館爆破事件の舞台となった場所でもある。

 道すがら、寿司屋、それから右手、長房町の住宅街の側の道沿いに数軒の蕎麦屋が見える。こちらの方に大正天皇大喪の際に二ヶ月くらいの短期間の間に移転させられた寺社などが今でもあるようだ。この際には、600基近い墓も改葬されているらしい。地元は大混乱だったのではないかとも、帰路、駅前の啓文堂で購入した『多摩と甲州道中』の中に書いてあった。 

多摩と甲州道中 (街道の日本史)

多摩と甲州道中 (街道の日本史)

 

  閑話休題。タクシーは正門までしか進入出来ないので、そこで下車する。正門の手前に派出所があり三人ほどの警察官が詰めているが、正門そのものには普段は誰も居ない様子である。私が行った際は、あいにく表参道が工事のため封鎖されていたので北参道を通って、先ずは昭和天皇武蔵野陵へと向かった。

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 参道の両側には京都から植栽された北山杉が並んでおり、静寂の至りであると共に噎せかえるような杉の匂いが漂っている。「森閑」とはまさにこのことかという風情であり、数百メートルにわたる前後にひとっこ一人居ない余りの静寂さも手伝い、額にじわりと嫌な汗も滲むのだった。平日の昼間の東京都内に、このような場所があること自体が驚きである。

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 そのような参道を10分ほど歩くと、忽然と目の前の景色が展け、昭和天皇武蔵野陵が姿を現す。

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 一目、異容である。他にそれを形容する言葉を私は知らない。

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 陵の手前左手に小さな小屋があり、一人職員(宮内庁関係?)が詰めているのだが、恐ろしく冷房の効いた小屋の少し開いた窓口に御陵に関するペラ1枚のパンフレットが置いてある。そして、その少し先、陵の向かって左手にはやはり小さな小屋があり、その中には直立不動の警察官が立っていた。

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 陵の前には鳥居があるが、鳥居へと進む際に警察官に軽く会釈し(会釈を返してきた)、しかる後に鳥居前で一礼した上で、陵の目前の柵へと進み出て柏手を打った。何かを頼むような場所でもないし、そうすべきでもないので、ただ黙祷し、頭を下げ、礼を尽くした。---ふと思ったのではあるが、このような「陵」を訪なった際の正式の礼儀というのは、どうするべきなのだろうか?(二拝二拍一拝?)

 しかる後、来た道を引き返し、今度は大正天皇の方、多摩陵へと向かう。50メートルほどか。大正天皇の陵は、昭和天皇のそれと比べ、聳え立つといった様子であり、目前まで行くと階段が急峻すぎて陵の様子がよく見えないのだった。時代の違いによる造作の違いか、とも。

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 私が行った時には多摩陵の左手奥で重機を入れた大々的な造成工事を行っており、これが今上天皇・皇后の陵となる場所なのかな、と思った次第である。今上崩御の際は、火葬とのこと。

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 全くの余談ではあるが、以前、この今上及び皇后の火葬という話を聞いた時には、私の偏愛する漫画家・平田弘史の「土葬」(『無名の人々・異色列伝』所収)という作品を思い出した。 

無名の人々異色列伝

無名の人々異色列伝

 

  江戸幕府の命(=火葬)に抗し、命を張って崩御した天皇の土葬を主張する魚屋の活躍?を描いたものである。

 武蔵野陵で三人連れ、多摩陵への移動の際に独歩者、帰路、正門前の駐車場から別の三人連れがやってくるのを見たが、基本的に陵内でお参り?をしている際には、ずっと独りだったため、カンカン照りの炎天下、何とも言えぬ不思議かつ異容な空間に、ぽっかりと漂った昼下がりのひと時だった。

 帰路、タクシーの運転士に良い蕎麦屋はあるか尋ねたら難色を示され、次善の策的には南口へ出た方がまだマシとの示唆を得たので、南口の蕎麦屋へゆき、鴨南蕎麦をたぐって帰宅の途に着いたのであった。

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 秋口、紅葉の頃に来ると良いとのことである。以上よしなしごと。

 最後に駅ホームから望んだ御陵の写真。高尾界隈そのものが、時が止まり静まり返ったような場所だったように思う。

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補記:御陵訪問の翌日、わたしは壮絶な水下痢に悩まされることとなった。折からの夏バテも手伝ったのではあろうが、これが「流転注意」の意味するところであったのか、と独り合点した次第である。

 補記2:このエントリーを最初にアップしてから一週間ほどして、ふと思い出したのだが、昭和天皇は昔、私の実家の目の前を自動車に乗って通ったことがあった。その際、玄関先で一瞬ではあったが、車内から沿道に手を振るのを見たのを何十年ぶりかに思い出し、あの時のあの人が、ここに眠っているのかと思い、全くやくたいもないことではあるが、妙な親近感を感じたのだった。ちなみに水下痢は三日程で何とか快癒した。