還暦記念論集『逞しきリベラリストとその批判者たち』発売のご案内

 大変お待たせしましたが、本日8月30日(日)段階で、『逞しきリベラリストとその批判者たち--井上達夫の法哲学』のAmazonでの販売が開始されており、また、週明けの9月初旬には書店にも並ぶとのことです。 

逞しきリベラリストとその批判者たち―井上達夫の法哲学

逞しきリベラリストとその批判者たち―井上達夫の法哲学

  • 作者: 瀧川裕英,大屋雄裕,谷口功一,安藤馨,松本充郎,米村幸太郎,大江洋,浦山聖子,藤岡大助,吉永圭,池田弘乃,稲田恭明,郭舜,奥田純一郎,吉良貴之,平井光貴,横濱竜也,宍戸常寿,森悠一郎
  • 出版社/メーカー: ナカニシヤ出版
  • 発売日: 2015/09/10
  • メディア: 単行本
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  以下では、共編者のひとりとして、簡単な紹介をしておきたいと思います(谷口による補足も行った詳細目次は以下の通り)。

 ● はじめに(瀧川裕英)

《第Ⅰ部》

第1章 『規範と法命題』――行方を訊ねて(安藤馨)
第2章 『共生の作法』――円環の潤い(谷口功一)
第3章 『他者への自由』と共和主義の自由(瀧川裕英)
第4章 『現代の貧困』――批判的民主主義の制度論(松本充郎)
第5章 『普遍の再生』――どのようにして? そしてどのような?(米村幸太郎)
第6章 『法という企て』――人格への卓越主義?(大屋雄裕)
第7章 正義に基づく『自由論』(大江洋)
第8章 『世界正義論』――「諸国家のムラ」をめぐる疑問(浦山聖子)

《第Ⅱ部》

第9章 分配的正義(藤岡大助)
第10章 リバタリアニズム(吉永圭)
第11章 フェミニズム(池田弘乃)
第12章 戦後責任(稲田恭明)
第13章 憲法第9条削除論(郭舜)
第14章 生命倫理(奥田純一郎)
第15章 時間(吉良貴之)
第16章 法の本質(平井光貴)
第17章 立法学(横濱竜也)

《第Ⅲ部》

● 対談:「外部から見た井上/法哲学」(宍戸常寿×大屋雄裕/司会:谷口功一)

● 附録(森悠一郎)

Ⅰ 井上達夫教授著作目録
Ⅱ 井上達夫教授略年譜

● 編集後記(谷口功一)

● 索引 

 内容についての話に入る前に大書して強調しておくべき点は、本書は還暦記念論集の性格を持つものであるにも関わらず本体価格が、

 

 わずか3,000円!

 

 ・・・という点です。これに関しては本書の「はじめに」や「編集後記」でも強調されている点ではありますが、ひとえに版組みに関して甚大なご努力を頂いた安藤馨さんのお蔭であり、この点、改めて深謝したいと思います。これは前代未聞といっても良い価格ですので、価格面からも多くの方に手に取って頂ければと思っています。

 さて、既にご案内の通り、本書は井上達夫先生の還暦記念論文集の性格を持つものですが、従来的な還暦記念論集などとは異なり、第Ⅰ部では井上達夫の単行著作について、1冊ごとに担当者を決めて、その内容の紹介と批判的検討を行っています。
 また、第Ⅱ部では、井上達夫の法哲学世界に関わる個別イシューに関して、その領域を専門とする者が第Ⅰ部でと同様に井上の議論の紹介と批判的検討を行っています。

 共編者のひとりとして、私は主に企画立案、原稿回収に関わらせて頂きましたが、既に編集の段階でひと通り原稿に目を通した上での(個人的)感想は以下の通りです。

 読者によって読みドコロは様々にあろうかとは思いますが、本書最大のセールスポイントの一つは、安藤馨による「規範と法命題」に関する本格的論攷(第1章)の存在です。
 これまでその存在は知られていたものの、井上の助手論文を元にしたこの論文の内容紹介と批判的検討が行われているのは《本邦初》であり、それが読めるのは、本書だけです。

 各章ともに興味深い内容となっていますが、個人的にもっとも興味深く読んだのは、瀧川裕英による『他者への自由』に関するもの(第3章)で、そこで展開されている井上法哲学と「共和主義」との関係についての議論には、はっとさせられるものがありました。
 この他にも、第Ⅱ部では、昨今議論の喧しい、九条関連で、国際法学者でもある郭舜による井上の「憲法第9条削除論」の検討なども行われています。

 なお、わたし自身は、第Ⅰ部第2章で『共生の作法』を担当させて頂いていますので、そちらの方もお読み頂ければ幸いです。後述の対談パートでも出て来る九〇年代の時代状況の話から始まり、主として「会話としての正義」についての検討を行っています。

 

 以上の本体部分とは別に、本書には3つの豪華なオマケが付いています。

 一つめの豪華オマケは、かつて井上法哲学ゼミにも参加されていた憲法学者の宍戸常寿氏(東京大学)をお招きし大屋雄裕との間で行った対談「外部から見た井上/法哲学」です。
 同じ時期に井上ゼミで学んだ、宍戸(憲法)×大屋(法哲学)の対談を私(谷口・法哲学)が司会として切り回す形になっていますが、ほぼ完全に同世代のこの3人が九〇年代の駒場時代から回想し、今日にいたるまでの井上法哲学を語るものとなっており、一種の世代的な歴史の記憶としても読んで頂けるのではないかと思います。この中では井上の「九条削除論」についても触れています。また、宍戸さんによる井上法哲学とドイツ公法学(シュミット、スメントなど)との対比も読みドコロの一つかと思います。

 二つめと三つめの豪華オマケは、井上達夫の「著作目録」と「略年譜」です。これらは現在、法哲学の助教をされている森悠一郎さんの強力な調査能力によって作成されたもので、今後も長く役立つ一級の資料となるでしょう。

 つい先日、井上先生ご夫妻もお招きし、本書の献呈式を都内のレストランで行って来ました。本書は企画立案から刊行に至るまで、井上先生にはナイショで作られたものですが、献呈式の際には井上先生から「なんかコソコソやってると思って、分かってたんだゾ!」と言われてしまいましたが、ともあれ、今般このような形で還暦記念論文集を刊行出来たことを本当に嬉しく思っています。

 以下、本書末尾の「編集後記」から抜粋し、本エントリーの締め、というコトで。本書が多くのひとの手に取られることを期待したいと思います。

 大昔のノートを取り出して見ると、私が初めて井上達夫先生の姿を目にし、その声を耳にしたのは、1995年10月3日の火曜日だったことが分かる。この年の「法哲学」の初回講義が、本郷キャンパス法文1号館21番教室で行われた日だ。 
 今日に到るまでの人生の大きな転回点となった、この日この場所での出来事を、私は生涯忘れることはないだろう。それから、ちょうど20年の歳月を経て、今般、井上先生の還暦記念の書に執筆者の一人として名を連ねることが出来たことは、私にとって大いなる悦びであり、また幸いである。本書をもって、海よりも深く山よりも高い井上先生の学恩に些かなりとも報いることが出来ればと思うばかりである。(谷口功一)

 

『がっこうぐらし』 とゾンビ法哲学

 深夜アニメ「がっこうぐらし」がゾンビ物とは仄聞していたのだが、先日、連日の行政雑務その他による繁忙のため心が折れていた深夜、第1話から第6話までを一気に観てしまった(つい、かっとなってやった)。

 本エントリーはゾンビ好きの法哲学者がテキトーに書いたもので、タイトルに余り意味はないです。以下の本の訳者・解説者です。 

ゾンビ襲来: 国際政治理論で、その日に備える

ゾンビ襲来: 国際政治理論で、その日に備える

  • 作者: ダニエルドレズナー,谷口功一,山田高敬
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 2012/10/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 3人 クリック: 455回
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  あと、下記、ネタバレにはご注意下さい。

  TVアニメ「がっこうぐらし!」公式サイト 

がっこうぐらし! 1巻 (まんがタイムKRコミックス)

がっこうぐらし! 1巻 (まんがタイムKRコミックス)

 

  折角なので、本屋でマンガ版の方、試しに3巻まで買って来て読んだが、とても面白いので、明日残りの3巻を買って来て読むことにした。あと、さっきアニメの第7話を観た。今回は『方丈記』か。ゾンビ・プルーフ・ハウスとしての方丈庵(違。

all-that-is-interesting.com

以下、思いつくままに列挙的にメモ。

● シャベル使ってるの高評価。映画じゃなくてオリジナルの小説の方の『WORLD WAR Z(WWZ)』読んだのかな?小説の中で、対ゾンビ最終兵器としてシャベルを進化させたみたいな奴が出て来るんだよね。核兵器とかよりも、こっちの方が全然役に立つ!みたいな。 

WORLD WAR Z〈上〉 (文春文庫)

WORLD WAR Z〈上〉 (文春文庫)

 

 ● シャベルについては、「あっ」と思ったんだけど、このマンガ(アニメ)の作者どこの出身かなと思って調べてみたところ、原作・海法紀光(神奈川県出身)、作画・千葉サドル(福岡県出身、大阪在住)なので、「作画者」の意識?が反映されてるのかあ、と思ったり。何の話かというと、コレ↓のことを西日本では「シャベル(ショベル)」と呼び、東日本では「スコップ」と呼ぶらしいのだ。もちろん私は、コレ↓のことをシャベルと呼ぶ。

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www.yukawanet.com

 ● ごく最近、瞬間的に流行った「高枝切りバサミ」が出て来た!(予言的である)。

● アニメで観ると「はわわわ」みたいな「萌え」?要素が容赦ないトコもあるが、マンガも併せ読むと、とても面白い展開を期待出来そう。「はわわわ」的要素と深刻な状況との結合で、或る種の異様な雰囲気を醸成しているようにも評価出来る。一種の異化効果か。
● 主人公?は、「聖愚者」的モチーフなのかな、とか。

● ショッピングモールはお約束だよね。好感。

● モールのピアノの上でゾンビに群がられるの2010年のフランスのゾンビ映画『ザ・ホード--死霊の大群』(La Horde)の或るシーンを思い出すなど。ちなみにこの映画は本当に胸クソ悪い映画だった。オススメしない。フランスの郊外(Banlieue)の荒廃が描かれているなあ、とは思ったが。 

ザ・ホード 死霊の大群 [DVD]

ザ・ホード 死霊の大群 [DVD]

 

 ● マンガの1巻で、ほのぼの系と見せかけつつ、いきなりソンビ物と判明する展開、好き。『アイアムアヒーロー』をコンビニで立ち読みしていて同じことがあった際、思わず深夜のコンビニで「おおおぉおぉぉ!素晴らしい!」と叫んでしまい、死にたくなったのを思いだすなど。 

アイアムアヒーロー(1) (ビッグコミックス)

アイアムアヒーロー(1) (ビッグコミックス)

 

 ● マンガ1巻の最後の付録にある「巡ヶ丘学院高等学校××年度 学園案内」に出て来る、「男土市」って何て訓むんだろう?と、しばらく考えていたら「男土」という文字がゲシュタルト崩壊して来た・・・。3巻の「職員用緊急避難マニュアル」と合わせ、よく作り込まれていて面白い。

●「男土市と西インド諸島との間に文化的交流がある可能性」云々と「本校の沿革」にあるけど、ゾンビの発祥が西インド諸島にあるのは周知の通り。前掲『ゾンビ襲来』収録の拙解説なども参照。 

 ● 2巻で「みーくん」がパンデミック発生直前に本屋で読んでた「飜訳は読んだから読めるかなって・・・」の洋書、スティーブン・キングの『ザ・スタンド(The Stand)』か。パンデミックものなんだよな、コレ・・・。

● 2ちゃんで見つけたけど、「校訓「夜にては恐れに向き合い/暁にては希望を捨てず/昼・・・・」は、ロメロの、「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」「ドーン・オブ・ザ・デッド」「デイ・オブ・ザ・デッド」のシリーズの題名と内容にリンクしてる」か。ますます好感。ところで、この校訓はアニメの方?


 ゾンビ関係の本、先日すべてゆうパックで研究室に送ってしまったので、今度行った時に段ボール2箱分くらい自宅に送り返しておくこう・・・。

 それはさておき、拙訳・解説の『ゾンビ襲来--国際政治理論で、その日に備える』は、本体部分では「がっこう」でのゾンビとヴァンパイアについて対比してる部分が本作品を観る上で参考になるかもしれないが、巻末の解説部分で書いた「ソンビの社会文化史」その他が参考になるかもね、と思ったり。「がっこうぐらし」の副読本として、是非!

 参考までに以下、本ブログ内にあるゾンビ関係のエントリー一覧。

 

 なお、原稿はちゃんと書いてますので・・・>どことなく。

 

taniguchi.hatenablog.com  

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『神聖喜劇』 と「なけなしの公共性」

 昨日迂闊なことをペロっとtweetしたら、色々な方からご教示を頂いた。

  「戦前日本の場合、陸軍は階級+殿、海軍は階級ママなんですよ。」とのことである(大屋雄裕先生その他の方からのご教示)。

 途中から話題が逸れて、旧日本陸軍の数の数え方(4→○ヨン/×シ、7→○ナナ/シチ×等)になったが、これは『砲兵操典』に基づくものである。ーー シチはハチなどと聞き間違えるのでダメという話。

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 上記の旧陸軍(砲兵)の数の数え方については、以下の論文をまた別の方からご教示頂いた。多謝である。

安田尚道「ヨン(四)とナナ(七)」『青山語文』40号、2010年  

http://www.agulin.aoyama.ac.jp/opac/repository/1000/11804/00011804.pdf

 以上のようなコトをしていて、ふと思いだしたのだが(巨人風に「ゆくりなくも」と言うべきか)、私は昔、大西巨人神聖喜劇』に登場する文献のリストを作っていたのだった・・・。

 なぜ唐突に大西巨人かというと、上記の軍隊での数の数え方云々という話は『神聖喜劇』の中に出て来る有名な話だからである(「賤ヶ岳の七本槍」事件のち大前田文7)。

 リストは、下記のような1巻についてのみの、しかも不完全なものしか残っていないが、折角思いだしたのだし、何か役立つこともあるかもしれないので、以下、貼っておく。

 念のため言っておくと、以下は、今から14年前、大西巨人掲示板に私が貼ったものからの転載である。この掲示板、とあることから荒廃を極めたのだが、興味のある人は検索で探してみれば良いだろう(すぐに見つかる)。

 「レッツ文献リスト作成」は、そのような状況を打破するために私が打ち出した「なけなしの公共性」だったのだが、見事に失敗し、人びとを公共性へと誘うことの難しさを痛感したのだった。まあ、私もまだ28歳とかだったので甘かったのだ。


神聖喜劇』第1巻登場文献リスト(隅括弧内は該当頁数)

■世話話『人情話文七元結』【15】
■『軍隊内務書』【17】
■トマス・マン『自伝』(?)【20】
■トマス・マン『ブッテンブローグ家の人々』【20】
■アントン・チェホフ『伯父ワーニャ』【49】
■アントン・チェホフ『桜の園』【49】
■『砲兵操典』【53】
■『通信教範』【53】
■『陸軍礼式令』【53】
■『言志録』【56】
■土岐哀果、「ちんぼこ」の歌【56】
生田長江訳、ニーチェ(?)【57】
■レーニンによるニーチェ批判(?)【58】

東堂が持っていった本【66】
■『広辞林』
■『改訂コンサイス英和新辞典』
■『田能村竹田全集』一冊本
■『緑雨全集』縮刷一冊本
■『三人の追憶』(?)
■『民約論』⇒ルソー『社会契約論』
■ソレル『暴力論』
リルケ(?)『歌の本』レクラム文庫の Buch der Lieder
ヘミングウェイ武器よさらば』モダン双書英語版

泉鏡花婦系図』【86】
■『勅諭』【97】
■レーニン『資本主義の最新の段階としての帝国主義マルクス主 義双書【103】
■レーニン『帝国主義岩波文庫【103】
■マックス・ベェア『社会思想史』【103】
■マックス・ベェア(?)『国際社会主義の五十年間』【103】
■レンツ『第二インタナショナルの興亡』【103】
■ステークロフ『第一インタナショナル史』【103】
マルクス『経済学批判』【107】
■『共産党宣言』【108】
コミンテルン第六回世界大会「決定」【111】
コミンテルン執行委員会第十一回総会「主報告と結語」【111】

このへん共産主義関係の文献が固まってるのを少し飛ばした。

■奥野他見男『学士様なら娘をやろうか』【119】
小津安二郎、映画『大学は出たけれど』【119】
■グチュコフ『非合法活動の根本問題』【124】
■カイザーリンク『一哲学者の旅日記』【131】
■『治安維持法』【133】
美濃部達吉憲法撮要』
美濃部達吉『逐条憲法精義』
美濃部達吉『日本憲法の基本問題』【以上、136】
荻生徂徠『徂徠先生問答』【141】
■『マテオ・ファルコネ』【142】
■マックス・ベェア『社会主義および社会闘争史』【147】
■菊池五山『五山堂詩話』【149】

 このへん漢詩の本が固まってるが、ズルして飛ばした。

■浦里冬雨『新詩集』【152】
■軍隊関係の本もろもろ【189】
■『被服手入保存法』【190】
■牧野英一「法律の不知」『法律新報』明治39年【191】
■旧『刑法』【191】
トルストイアンナ・カレーニナ』【205】
チェスタトン『木曜日と呼ばれた男』【209】
森鴎外「唇の血」『うた日記』【233】

■契沖『代匠記』そのたもろもろ【245】
■シュトルム『みずうみ』【251】
森鴎外「乃木大将」『うた日記』【258】
ポポフ『日本資本主義発達小史』【259】
■田中康男『戦争史』【259】
■啄木歌「君に似し」【261】
■『袖萩祭紋』【261】
■エマーソンの論文?【269】
■啄木歌「赤き緒の」【279】
■「盲導犬ひたたよりつつ平田軍曹」【284】
■齋藤緑雨『あられ酒』『おぼえ帳』【287】
■『言志後録』【287】
永井荷風『新帰朝者の日記』【288】
■『軍隊手帳』【298】
■『陸軍懲罰令』【300】
■『陸軍刑法』【301】
■『四書』『春秋(左氏)』【306】
■リープクネヒト『追憶録』【307】
■リープクネヒト『土地問題』【307】
ダシール・ハメット『血の収穫』【307】
■中条信衛『封建的身分制度の廃止、秩禄公債・・・』【310】
森鴎外「かしこのさまは/帰らん日」【315】
長谷川伸の小説【315】
■ソレル「スペインに処女なし」【318】
石川達三『生きている兵隊』【320】
■ツェトキン『レーニンの思い出』【320】

■『韓非子』【325】
■津阪東陽『ワイサンロク』(字がめんどい。。)【328】
■『詩経』【332】
■岡本弥『特殊部落の解放』その他もろもろ【347】
島崎藤村『破戒』【373】
ファランド『アメリカ発展史』【386】
■『保元物語』【388】


 余談だが、大西巨人本人には一度だけ直に会ったことがある。彼の書いたものは、ほぼ全て読んでいたので、とても嬉しかったのを、よく覚えている。HOWS(ハウズ=本郷文化フォーラム・ワーカーズスクール)が2001年4月21日(土)に催した大西巨人の講演「戦争・性・革命ー21世紀と文学の未来を語る」に行ったのだった。それから13年、2014年に大西は逝去した。

 

追記:何度も忘れて、そのたびに困るので下記、拳々服膺。

「つはものの 武勇なきには あらねども 眞鐵(まがね)なす べとんになぐる 人の肉(しし) 往くものは 生きて還らぬ 強襲の・・・」鴎外『うた日記』中の「乃木将軍」

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公民権運動の長い隊列 (Obergefell v. Hodges)

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(上写真は、http://u111u.info/m4xF より)

 講義でも毎年、Bowers v. Hardwick, 478 U.S. 186 (1986) から始まり、Lawrence v. Texas、539 U.S. 558 (2003) に至るまでの歴史を話しているので、以下、講義ノートの改訂のための備忘も兼ねてメモ。適宜、内容を補充し、その都度、tweet などで告知することとしたい。

 

 アメリカ合衆国連邦最高裁判所は2015年6月26日、同性婚を禁止した州法を合衆国憲法修正第14条に基づき違憲とする判決を言い渡した。公民権運動の長い隊列に連なる歴史に新たな1頁が加わった。

 判決に関する詳しめの分析は以下の記事が参考になる。

  http://www.nytimes.com/interactive/2015/us/2014-term-supreme-court-decision-same-sex-marriage.html

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 歴史的判決であるが、結果は5対4の僅差で、判断は「(違憲)Kennedy, Sotomayor, Ginsberg, Kagan, Breyer」対「(合憲)Roberts, Alito, Scalia, Thomas」。

 合衆国最高裁の現在の構成(リベラル4、保守4、中間1)等は以下が分かりやすい。「5.6 現在の構成」の項目を参照。

 合衆国最高裁判所 - Wikipedia

 この判決を歓迎するリベラル側の反応は至るところで目にすることが出来るだろうから、保守派(共和党側)の反応に関する興味深い記事を以下にリンクしておく。New Republic 誌の記事で、タイトルは「同性婚と共和党の安堵の溜息(Gay Marriage and the GOP Sigh of Relief)」。 

www.newrepublic.com

 余談だが、GOPは Grand Old Party の略で共和党の別称。ロゴマークにもなっている。右下の小さなアイコンは共和党のシンボルの「象」(民主党は「ロバ」)。

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 追記:この記事の方が更に分かりやすいかも>保守派の安堵。

www.washingtonpost.com

 要するに同性婚をめぐる政治闘争には、とっくの昔に決着がついていて、共和党支持者でも若者とかは同性婚に対して寛容だし、共和党が激戦区を勝ち抜くために同性婚に対して明確な態度(反対)を採れば採るほど、政治思想上のポジションが中道から大きく外れる事態になっていたということ。コアな保守層にイイとこ見せるために無理くり闘ってきたのだが、これでやっと同性婚反対と言い続けるのをやめられて、ほっとしたという話。政治の妙を感じる話である。

 

 今回の判決(Obergefell v. Hodges, 576 U.S. ___ (2015))に関しては、現在進行形で編集中だが、以下に情報がまとまっている。下記、合衆国連最高裁のエンブレムの下の方に「Announcement Opinion announcement」というPDFファイルへのリンクがあるが、ここにシラバスが載っており、それを読むと判決の要点が分かる。

 Obergefell v. Hodges - Wikipedia, the free encyclopedia

 結果は歓迎すべきものだと考えるが、Kennedy の Majority Opinion で示された「結婚を神聖なものとして絶賛する」という趣旨の判決文の下りには若干の違和感(剥き出しのモラリズムのようなもの)を感じざるを得なかった。 

No union is more profound than marriage, for it embodies the highest ideals of love, fidelity, devotion, sacrifice, and family. In forming a marital union, two people become something greater than once they were.---Justice Anthony Kennedy

 その後、上記に関しては以下のような卓見があり、なるほどと思ったが、しかし、法の生命線は道徳との分離なので、たとえ方便だとしても危うい綱渡りだよね、と思うなど。

  とはいうものの、初めて読んだ時には怒りさえおぼえたBowers v. Hardwickからおよそ30年、ストーンウォール叛乱(1969)から数えるなら実に46年。ようやくここまで来た、という感慨は拭い得ない。

 ホワイトハウスの公式tweetで下のようなものを見た時には、思わず涙が出てしまい、アタマの中に Beatles の All you need is love. が鳴り響いた。下のYoutube流しながら、ホワイトハウスのgif画像みてみるとイイ・・・。


Love Is All You Need - Beatles

 

  赤は共和党のカラーで、青は民主党のそれなのだが・・・

 

 なお、これまでの経緯に関して、日本語で読めるコンパクトなものとして、宍戸常寿「合衆国最高裁同性婚判決について」法学教室 2013年9月号(No.396)。

 法学教室 2013年9月号(No.396) | 有斐閣

 以下の事柄について触れていたと記憶している。2年前の「結婚防衛法(DOMA)」に対する連邦最高裁からの違憲判決に関する記事で、奇しくも今回の判決と同じ日付である(6月26日)。

newsphere.jp

 

 

 Bowers事件などに関しては、小泉良幸『リベラルな共同体』(勁草書房、2002年)、特にその第1部によくまとまっていた記憶がある。 

リベラルな共同体―ドゥオーキンの政治・道徳理論

リベラルな共同体―ドゥオーキンの政治・道徳理論

 

 

  最後に、惜しくも2001年に44歳の若さで早逝したノンフィクション作家・井田真木子による『もうひとつの青春―同性愛者たち』(文春文庫、1997年)も、この際、思い出されても良いのでないだろうか。

 極めて優れたノンフィクションであり、その中では、所謂「府中青年の家事件」についても触れられている。

もうひとつの青春―同性愛者たち (文春文庫)

もうひとつの青春―同性愛者たち (文春文庫)

 

  以下の引用にも見られる通り、ここには一筋縄では行かない歴史があり、それもまた現在進行形で存在している。

サンフランシスコのカストロストリートは、たしかに異性愛者に拮抗して同性愛者の権利平等を勝ち取った街だったが、それは、同性愛者の中での平等を意味しなかった。あえて言えば、それは白い肌を持つ共和党支持の男性の同性愛者にとっての平等だ。そのほかの人々は、彼らが築くヒエラルキーの下部に配置された。ヒエラルキーの下層はアジア系が占め、また女性はつねに男性の下に位置された。すなわち、アジア系のレズビアンが最下層である。頂点に立つ白人同性愛者の男性は、香港あるいはフィリピンの移民のレズビアンが、どれほど貧困に苦しもうが、街路でレズビアン嫌いの男に殴られようが、ともに闘う姿勢はまず見せない。寧ろ、自分たちの富の蓄積に忙殺されている。また、ベトナムやタイの男性同性愛者に関しては権利などには無知なかわいい“坊や”であってほしいと思う一方で、自分たちが異性愛者から二等市民扱いされることには憤激する。[井田(1997): 85-86]。

  この先にも未だ、遙かに長い道が続いている。

 

  なお、 公民権運動(人種)については既にまとまったエントリーをアップしてあるので、そちらも参照されたい。 

taniguchi.hatenablog.com

「学会による政治的意見表明」に関する小文備忘

 思うところあって、高橋和之「学術的「学会」による政治的意見表明に思う」『ジュリスト』No.1213(2001.12.1)を久しぶりに読み返してみた。

 ジュリスト 2001年12月1日号(No.1213) | 有斐閣

 この小文(全3頁)、きわめて滋味深いものなので、以下にその内容をかいつまんで紹介し、もって自分自身のための備忘も兼ねておく。

 著者の高橋和之は1943年生まれで、長らく東大法学部で憲法学を教えた後、現在は明治大学大学院に所属している。わたし自身もかつて教師としての彼の講義(憲法1部)を聴講したが、「国民内閣制論」など大変興味深い研究を行ってきた研究者でもある。

 冒頭に挙げた小文は、高橋自身が所属する学会についての意見の開陳で、そこでは当該学会による「政治的意見表明」が問題とされている。要するに、「学会有志」の名の下に行う「署名」の類の是非が問われているのである。

 高橋はなにがしかの問題の「専門家集団である学会」が発言すれば、「それなりの権威を持ち、説得力も増すかもしれない」としながらも、そもそも、学会という存在は政治的問題への意見表明とは「原理的に相容れない性格を持つもの」ではないかと危惧する。高橋は自身の経験に照らし、以下のように論じている。

 たとえば、学会執行部が政府の特定の政策に反対する声明を「学会有志」名で出したいと提案する。ここでは「有志」とは何なのかが問題となる。語の素直な意味での「有志」とは「純粋に私的な立場で集まった志を同じくする人びと」を指すはずだが、上記のような執行部からの提案における「有志」とは、以下のようなものではないかと高橋は言う。

運営委員会に諮り、執行部が発案・調整の音頭をとり、会員名簿という個人情報を用い、学会の会計で行われる署名集め等の活動が、学会との関係で「私的」なものとは思えない・・・。(p. 2)

 高橋は、実のところ上記のようなものであるところの「有志」声明が出されることは、かかる声明が対外的に当該学会の「支配的・代表的見解」だという印象を与えることを危惧し、また、同時に対内的にも深刻な問題を惹起すると論じている。

 即ち、上記のような形で表明された見解(有志声明)が学会の「正統」として公定され、これに異論を持つ者は、英国国教会型の政教分離とアナロジカルな「容認」的寛容(お情け)の対象とされるに過ぎなくなるからである。

 結論として高橋は、上記のような英国国教会型ではなく厳格分離型に則り、「政治的コミットメントに対し中立の立場を貫くことこそ、学会の本質」だとする。

 この小論は、1998年、実際に高橋自身が所属学会で「有志」声明(署名)活動に反対の声をあげ、上記のような見解を事務局に「意見書」として送付した顛末こそが、実に興味深い読みどころでもある。
 
 高橋は自らの「意見書」を、声明の署名を求めるために発送される事務局からの郵便に同封することを要求した(パブリック・フォーラム)が拒否され、結果として、声明活動に要した費用分につき会費納入を拒否し続けたのである。「そのうち会費未納で除籍処分にされるのではないかと危惧しているが・・・」というオチには、昔読んだ際、思わず笑ってしまったのを久しぶりに思いだしたのだった・・・。

 本論末尾では、実際に行われた声明(署名)活動において、事務局から来た葉書が、賛否を問いつつ、氏名を公開することも選択可能としていることについての極めて深刻な問題提起も行っているが、これについては是非、本文に直にあたって読まれることを勧めておきたい。そこでは、

政治的意見表明を行う学者集団の社会的権力としての抑圧性

 ・・・が論じられている。

 高橋は『現代立憲主義の制度構想』に収録された「補論「戦後憲法学」雑感」の中で、戦後支配的であり続けた憲法学のあり方を「抵抗の憲法学」と呼び、それと対置させる形で「権力を我々のもの」として見る「制度の憲法学」を提唱するなどもしているが、憲法論議が盛んな昨今、様々な意味でインスパイヤリングな議論をしていることの備忘として、このエントリーをアップしておく。 

現代立憲主義の制度構想

現代立憲主義の制度構想

 

 

 

「集団的自衛権祭り」への冷ややかな雑感

 衆院憲法審査会での憲法学者による違憲発言以来、「集団的自衛権祭り」とでも言うべきものが活況を呈しているが、ともすれば強力な磁場に捉えられ、「友/敵」的かつ不毛な議論になりがちなところ、以下、備忘を兼ねて twitter で記したものなども含め記し留めておく。

 6月15日(月)「報道ステーション」が、安保関連法案について、判例百選の執筆者198人に対して行ったアンケートの結果を公表し、うち151人が回答。個人的には、198-151=47人に目が行ったが、あら、四十七士とは・・・アンケート結果は以下の通りである。

 報道ステーション

 このアンケート、違憲判断を示した者のうち原理主義的護憲派(そもそも自衛隊の存在自体が違憲)は、どれくらい居るのだろうか、とも。長谷部流の修正主義的護憲派(自衛隊+安保条約=合憲)と、その間には本来、大きな溝があるはずだろう。

 追記だが、長谷部氏の現在の立場は、1998年に行われた全国憲法研究会春季大会での報告を元にした「平和主義の原理的考察」『憲法問題』(10号、1999年)で最初に公表され、のちに『憲法と平和を問いなそす』(ちくま新書、2004年)で一般向けにまとめ直されている。 

憲法と平和を問いなおす (ちくま新書)

憲法と平和を問いなおす (ちくま新書)

 

   原理主義~、修正主義~は、井上達夫の用語法なのだが、今般の件に関して、改めて井上の「九条問題再説」(『法の理論』33号所収)を読み、わたし自身は井上の議論が最も適切であると改めて感じた。つまり、「九条削除」論である。これに関しては、是非、井上の論攷に直接あたられたい。このエントリーで記すには長すぎるので、先ずは、後段であげる井上の新著を読まれることをオススメする。

● 井上達夫「九条問題再説」『法の理論』33号、成文堂

 http://www.seibundoh.co.jp/pub/search/028486.html

 ごく簡便 な形での井上達夫の「9条削除論」は、以下のリンクなどを参照されたい。

blogos.com

 

 集団的自衛権そのものに関しては、元同僚の森肇志(国際法)が以下のように、幾つかの場所で非常に分かりやすく説明を行っているが、これに同意する。最初の神奈川新聞の記事は、インタビュアーの姿勢に相当な疑問を感じ、インタビューを受けている方も大変だったのではないかと深く同情する。

www.kanaloco.jp

www.nikkei.com

 

 少し前の『アステイオン』(2014年81号)に掲載された苅部直の「新しくない憲法の話」も参考になる。苅部は、「集団的自衛権祭り」に対して冷ややかな視線を投げかけているが、これには全くもって同感である。

 この中では、佐瀬昌盛『いちばんよくわかる集団的自衛権』(海竜社)が紹介されているが、昨日の報道ステーションを観たあと、私じしん改めて読み返したところ、まことに納得がゆく内容であることを再確認した。 

いちばんよくわかる集団的自衛権

いちばんよくわかる集団的自衛権

 

  また、上記と合わせて鈴木尊紘「憲法第9条と集団的自衛権--国会答弁から集団的自衛権解釈の変遷を見る」『レファレンス』2011年11月号も参照されたい。

 http://ndl.go.jp/jp/diet/publication/refer/pdf/073002.pdf

  苅部氏が書かれたものとして、出てから1年以上経っているのではあるが、以下もとても参考になる。

www.nippon.com

 報ステのアンケートに関しては、自由記述欄の中のめぼしいものを幾つか読んだが、片桐直人(阪大)、浅野善治(大東文化)の両氏のコメントに浅からぬ見識を感じた。

 片桐:http://www.tv-asahi.co.jp/hst/info/enquete/17.html
 浅野:http://www.tv-asahi.co.jp/hst/info/enquete/31.html

 

 しかし、何人かの人も指摘しているように、このような「踏み絵」的なものが、無前提に肯定されるべきだろうか。アンケートに関連して、以下のようなものもあった。判例百選の著者悉皆一覧をつくっているのである。このような一覧を目にすれば、件のアンケートの「踏み絵」性が良く分かるのではなかろうか。 

 森の人:憲法判例百選執筆者一覧 & 安保法制の合憲性 - ブログ

 「盛り上がっている」人びとは「立憲主義」の何たるか、或いは「学問の自由」について、もう少し冷静に考えるべきである。よもや天皇機関説事件を忘れてはいないだろう。

  ・・・その後、6月23日、千葉大の小林正弥教授(政治哲学)は、国政調査権の発動による全憲法学者の当該問題に関する意見調査を行うべきだとの提言を行うに至っている。予想の斜め上を行く展開である。

www.asahi.com

  大切なことなので繰り返しになるが、井上達夫の「九条問題再説」は是非多くのひとに読まれることを望みたい

 ・・・ その後、下記の『リベラルのことは嫌いでも~』を入手して読んだが、この中では「九条削除論」が非常に分かりやすい形で提示されてはいるものの、「九条問題再説」の方が圧倒的に詳細なので、出来る限り、そちらも読むことを(是非)薦めたい。

リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください??井上達夫の法哲学入門

リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください??井上達夫の法哲学入門

 

  以上については、改めて活字化されたものを遠からず書こうと腹を括ったが(そのような腹を括らねばならない言論空間自体がオカシイ)、今般問題になっているような安全保障をめぐる議論が、独り憲法解釈学の観点のみから喧喧諤諤されている状況は健全とは言い難く、より広く、国際法、国際政治、政治史、政治学などの観点からも複合的に議論されるべきだと強く思い、また、そうなることに希望を繋ぎたい。

 

 追記:その後、雑誌『en-taxi』2015年 Vol. 45に「「九条問題再説」

~欺瞞を超えて」という小文を寄稿した。趣旨は、このエントリーと同旨である。

f:id:Voyageur:20150903090938j:plain

en-taxi,田中小実昌――あても正体も捨てて探すひと|雑誌|扶桑社

 

 

追記:井上達夫『リベラルのことは嫌いでも~』については、池内恵氏による以下のエントリーが参考になる。

ikeuchisatoshi.com

 

ぶっ殺したい鳥

 極めて不穏当なタイトルで申し訳ないが、以下。

f:id:Voyageur:20150611185647j:plain

 以前もtwitterの方で書いたことがあるのだが、自宅で朝寝ていると、外から凄まじい大音量で「ギャーーーギャーーーギャーーー」と鳴く鳥の声が聞こえてくる。「ギョィェーーーーーー! ギュィッ!ギュィッ!ギュィッ!ギュィッ!ギュィッ!」とか「ゲーーーーッ!ギーーーーッ!」だったりもする・・・。

 朝4時とかにだよ・・・

 本当に心の底から「殺してやる!」と、自分にココまでの殺意というものがあったのかと思わされる程の凄まじく汚らしい大音量の鳴き声なのである。

 この鳥の名前をすぐに忘れてしまうので、備忘を兼ね、その名を記しておくが、これは「オナガ」という鳥である。

  Wikipediaを見ると、「尾長、学名:Cyanopica cyana)は、スズメ目カラス科に分類される鳥類の一種である。」とのこと。

www.suntory.co.jp

 上記サイトにもある通り、「黒とブルーグレイの姿をひらひらさせて水平に飛ぶさまはエレガント」なのだが、一見洒脱なコートを着た紳士然としたその姿からは全くもって想像も付かない汚らしい鳴き声をその特徴とする。こいつはカラスの仲間なのだ!

 アタマのおかしいオバハンをトラックで5回くらい往復して轢き殺したような鳴き声なのである!!!

 エアガンでも買って叩き殺そうかと思ったことも何度かあるが、地元の警察署の安全・安心メールとかに「大学教授と名乗る男、早朝5:00時頃、寝巻姿のまま意味不明のことを喚きながら木にエアガンを乱射との情報。」とか書かれたくないので、自重。

 下記も参考になる。

bunkabito.jp

 余りに巨大な憎悪に支えられた殺意には、的確な方向を与える必要があると考えるところ、以上、記し留めておく。

 

中島恵『なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?』--単純な日本自賛本にあらず

 中公新書ラクレの中島恵『なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?』読了。 

  副題も「「ニッポン大好き」の秘密を解く」と、やや煽り気味なのだが、中身はタイトルなどに反して、いっそ清々しいと言っても良い内容だった(最近流行りの自国日本の贔屓の引き倒し本では、毛頭ない)。

 本書で焦点化されているのは「日本への憧れ云々」という話よりは、むしろ《或る種の》普通の中国人の等身大の姿と、日本の我々の暮らしと比して想像しにくい、彼らの中国での生活の困難さである。
 ここで《或る種の》と限定を付したのは、この本の中で登場する中国人の恐らくほとんどが以下に記す「都市戸籍」を持っていたり、或いは、筆者と接触するような環境(ex. 日本への留学経験 etc.)にいる点で、必ずしも「平均的」もしくは「中央値」の中国人像ではないだろうからなのだが、これは本書の価値を損なうものではない。
 個人的に最も興味深かった点は、「農村戸籍」と「都市戸籍」について考える際、後者は更に「団体戸籍」と「個人戸籍」に分類されるという点だった。これに関しては、中国人の友人から以前聞いて今ひとつ正確に理解出来ていなかったのが、完全に理解出来、大変スッキリした。
 詳細は本書を読むに如かずなのだが、「団体戸籍」は、1)学校集体戸籍、2)駐在員事務所集体戸籍、3)勤務先集体戸籍に分かれているとのこと。私が友人から聞いて「???」となっていたのは、この中の「学校集体戸籍」だったのだな、と。
 あと読んでいて驚いたのは、京セラの稲盛和夫が中国人経営者の間では教祖的存在として祭りあげられており、中国の大書店に行くと彼の本が山のように積まれているという話。アリババの創業者であるジャック・マー(馬雲)も稲盛の信奉者であるというのは実に驚きである。稲盛に関しては次のような記述がある。

彼の経営哲学には中国の古典に由来するものが多く、中国人にも親しみが持てるうえ、中国人よりも深く古典を理解していることが尊敬の念を集めている。[155頁]

 ・・・とするなら、渋沢栄一とか安岡正篤なども、現代中国のイケイケのビジネスマンに受け入れられる素地があるということだろうか?!事の是非はともかくとして、興味深い。

 冒頭でも述べた通り、やや扇情的?なタイトルとは全く裏腹に、本書の筆致は淡々としつつも品位の感じられるもので、昨今、書店の棚を賑わせる嫌中・反中本などとは一線を画した大変良心的な佳品である。わたし自身、読みながら何度か(爽やかな)感慨を催す部分があった。
 以前、反日デモが燃えさかった頃に出た『在中日本人108人の それでも私たちが中国に住む理由』(CCCメディアハウス)を読んだ際に感じたのと同じような好感を持った。

在中日本人108人のそれでも私たちが中国に住む理由

在中日本人108人のそれでも私たちが中国に住む理由

 

  本書を読めば、新聞や週刊誌などで目にし、もはや飽き飽きしつつある紋切り型的な中国(人)像から一歩、適切な距離を置くことが出来るだろう。すぐに読み終えられ、読後爽快なので、ちょっとした時間に、是非どうぞ。

 

追記:本エントリーをアップした後に、本書著者による戸籍に関する文章がアップされていたので、以下を参照されたい。

toyokeizai.net

 

中国皇帝をめぐる人類最大の権力闘争--『十三億分の一の男』

 峯村健司『十三億分の一の男』読了。評判の高い本だったので読もう読もうと思っていたのだが、やっと読めた。 

十三億分の一の男 中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争

十三億分の一の男 中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争

 

  副題は「中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争」となっているが、まさにその通りの内容で、いずれ三国志か水滸伝かともいうべき、壮大な国盗り物語。高島俊男先生の名著『中国の大盗賊・完全版』を思い出すなど(これ読んでないのは人間ではない)。 

中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)

中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)

 

  信じられないくらい読みやすい本で、著者の筆力に脱帽。この本の筆者も1974年生まれと、ほぼ私と同級生で、最近、この辺りの年代のひとの書いた優れたノンフィクションが多いのを改めて確認した。

 朝日新聞は色々とやらかしており、下記の本など読むと本当にアレだなと思っていたところではあるのだが、この本を読むと新聞社というものの底力を見た気がした。 

朝日新聞 日本型組織の崩壊 (文春新書)

朝日新聞 日本型組織の崩壊 (文春新書)

 

  閑話休題。

 大枠で、毛沢東、鄧小平、江沢民、胡錦濤に続く第五世代の権力闘争を描き出しているのだが、その前史たる江沢民×胡錦濤の血みどろの闘争も整理されており、大変タメになる。わたし自身が持っていた胡錦濤への印象についても、理解が深まった。

 とても良く覚えているのだが、以前、胡錦濤が訪日した際、早稲田の大隈講堂の前に反対派が押しかけ「コッキントウ、人殺し!」というシュプレヒコールを挙げているのを見て「何と愚かな」と思っていたものだが、このような私の判断が正しかったことを改めて確認した。

 本書を読みながら思いを致したのは、日中の政治家の違い、ということに尽きる。かたや革命の元勲を父に持ったりするものの、文化大革命や下放などで辛酸の限りを舐め尽くし、激烈な出世競争を勝ち抜いて来た人びとであるのに対し、わが国の政治家はどうか。そのような過酷な競争を勝ち抜いた者でなくとも、平穏無事に「統治」にあたれるというのも、また別種の幸せなのかもしれないが。

 薄熙来の息子の薄瓜瓜がオックスフォード大学で政治哲学を学んだという興味深い話が出ていたが、それによるなら彼は、「『儒教と共産主義を融合した新しい政治観を築きたい』と夢を語っていました」[68]とのこと。誰の下で勉強していたのだろう?

 これまで色々なところで口づてで聞いていた大連時代の薄熙来の話や、彼が逮捕されるに至った経緯、アメリカの二奶村の実情、尖閣国有化や習近平の天皇面会の際の中国側での暗闘の経緯、李克強の人となりなど、実に興味深い事柄について惜しげ無く書かれており、とにかく大変勉強になった。

 現代中国政治を知る上で必須の本だろう。

追記:梶谷先生による行き届いた書評があったのを忘れていた。ジニ係数の話のトコとかは大変タメになる。

2015-03-30 - 梶ピエールの備忘録。

 

鈴木静男『物語 フィリピンの歴史』メモ

 

物語 フィリピンの歴史―「盗まれた楽園」と抵抗の500年 (中公新書)

物語 フィリピンの歴史―「盗まれた楽園」と抵抗の500年 (中公新書)

 

1)先スペイン期

●サンスクリット系の文字が存在:「残念なことに、このフィリピン版の竹簡や葉簡は、熱帯の暑気に耐えられず、すべて自然の姿に戻ってしまった」[4]

●フィリピン人の“出身地”はマレー世界/7世紀半ばにスリウィジャヤ王国/対岸のベトナムでは1世紀頃から扶南王国

●1990年、ラグナ銅板碑文(Laguna Copper-Plate Inscription:LCI)が出土。碑文の文字はサンスクリット系の「早期カウィ文字」

●1494年のドリデシリャス会議(スペインとポルトガル/地球の東西分割)

●マニラの語源=「マイニラッド(Maynilad)」:海岸に生えるニラッドという幹の滑らかな木に由来/「マイ」は存在を表し、「ニラッドのあるところ」という意味

コメント:スペインが来るまでの歴史がほとんど分からないというのに心底驚いた。 

 

2)333年のスペイン支配

●1521年のマゼランのセブ島到着

●エンコミエンダ制:フィリピン占領に功績のあったスペイン人に一定区域内の原住民の管理を任せ、貢税の徴収とキリスト教の布教を担当させる
●フィリピン経済を破壊したガレオン貿易
●カトリック宣教とモロ戦争
●1585年から全民族の抵抗運動が本格化
●中国系メスティーソの勃興と抵抗:生糸市場の支配(ホセ・リサールも)

コメント:スペインが笑えるほど無能で有害であるのに驚いた。アホ杉。


3)フィリピン革命

●リサール『ノリ・メ・タンヘレ』
●1892年、ボニファシオを中心とした革命家集団=「カティプナン(人民の子らの最も尊敬すべき至高の協会)」

「革命的であったリサールの論説が、中江兆民の『三酔人経綸問答』ばりに見える・・・リサールは、ときに「豪傑君」であり、「洋学紳士」であったが、肝心なところでは物わかりのよい「南海先生」に後退してしまうのだ。ところが「カティプナン」は、植民地主義者による政治改革に幻想を抱かず、武力蜂起によってそれを達成しようとしていたのである。」[102-103]

●アギナルド ビアクナバト共和国の大統領に就任

 コメント:ホセ・リサールの本を読むこと。 

ノリ・メ・タンヘレ―わが祖国に捧げる (東南アジアブックス―フィリピンの文学 (1))

ノリ・メ・タンヘレ―わが祖国に捧げる (東南アジアブックス―フィリピンの文学 (1))

 
ホセ・リサールと日本 (1961年)

ホセ・リサールと日本 (1961年)

 

 

4)アメリカのフィリピン占領

●セオドア・ローズベルト「中米問題から太平洋問題へ」
●ルディヤード・キプリング『白人の責務--米国とフィリピン諸島』:「アメリカが成熟したかどうかを試すため、白人の責務が与えられる」

"The White Man's Burden": Kipling's Hymn to U.S. Imperialism

●「友愛的同化(benevolent assimilation)」の虚実
●フィリピン第1共和制・大統領アギナルド
●アーサー・マッカーサーとダグラス・マッカーサー/アーサー(父)=最後の軍政長/ダグラス(息子)=少尉でフィリピン任官~在比米軍司令官

●ケソン・米自治領大統領

 コメント:マッカーサー父子の存在の大きさ。

 

5)日本軍のフィリピン占領とエリートの対日協力

●ラウレル大統領
●ベニグノ・アキノ・シニア:反米的愛国者として対日協力
●東京での大東亜会議:ラウレル

「歓迎会場に入った時、私の両眼からは涙があふれ出た。そして私は勇気づけられ、鼓舞され、自らに言った。十億のアジア人、十億の大東亜諸国民、どうして彼らが、しかもその大部分が英米に支配されてきたのか」[196]

●フィリピンは英米への「宣戦布告」を拒否し続ける

 コメント:面従腹背で民族の独立を如何に守るかという闘い、実に面白い。『勇午』を思い出すなど。 

勇午 フィリピンODA編(1)

勇午 フィリピンODA編(1)

 

 

6)1946年、第3共和政(アメリカから独立)

●キリノ大統領
●マグサイサイ大統領
●天才記者ニノイ・アキノの登場
●マルコス大統領

「マルコスは抜群の頭脳の持ち主だった。フィリピン大学時代のマルコスは、法学部切っての秀才とうたわれ、「ナンバー・ワン」と呼ばれていた。マルコスは、・・・司法試験で、史上最高の平均点92.35点をあげていた。またマルコスは特異な記憶力の持ち主で、フィリピン憲法を最初からでも最後からでも自由に暗誦できたと言われている。誰もマルコスのすることに口を出せなかった理由がこれだ。」[251]

●「フィリピン社会は、1%以下の買弁・地主層、1%の中間的ブルジョワ層、8%の都市プチブル層、15%の工業労働者、75%の農業労働者から成り立っている。人口のわずか2%の上層階級が、フィリピンを支配してきたため想像を超えた富の偏りが生じた」[262]

●ニノイ・アキノ暗殺

●コラソン・アキノの大統領就任

コメント:マルコス興味深い。イメルダも。


第1共和制(アギナルド)
自治領政府=アメリカ支配(ケソン、オスメニャ、ロハス)
第2共和制=日本支配(ラウレル)
第3共和制(ロハス、キリノ、マグサイサイ、ガルシア、マカパガル、マルコス、コラソン・アキノ、ラモス、エストラダ、アロヨ、ベニグノ・アキノ3世)

 

参考:山田美妙『あぎなるど』

 

あぎなるど―フィリッピン独立戦話 (中公文庫)

あぎなるど―フィリッピン独立戦話 (中公文庫)

 
比律賓独立戦話 あぎなるど〈前編〉 (リプリント日本近代文学)

比律賓独立戦話 あぎなるど〈前編〉 (リプリント日本近代文学)