Heptameron

 以下、記録も兼ねて、まとめた形で。『デカメロン』がペスト疫下での「10日(deka hemerai) 物語」だったところ、コロナ疫下の7日モノなので『ヘプタメロン(Heptameron)』ですかね。

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【7日間ブックカバーチャレンジ_1日目】 ※2020年4月29日開始

  古い友人の朝比奈一郎さん(青山社中)からまわって来たので、私もやってみます。正直、この間、あまり活字を読むのに身が入らないのもあるので自分自身のリハビリも兼ねて、コレをきっかけに執筆のほうのブースターにでもなれば、とも。

 朝比奈さんとは、浪人時代の駿台予備校の頃からの付き合いで、もうざっと28年になるので、本当に「古い」友人ですね。

 それはさておき、この企画、ブックカバーだけ(説明つけてもイイ)で7日間で7冊と、毎日毎冊ごとに誰かバトンを渡すひとを指名するというのがルールのようですが、毎日誰かを指名するのは面倒だし、それはちょっとあまりにもネズミ講なので、7日間終わったら誰か1人にお願いするかも(しないかも)くらいでやります。

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 本題ですが、1日目(1冊目)は、塚本邦雄の『花名散策』(花曜社、1985年)。副題は「草木の名の美と驚き」。

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 コロナになってから外出にもかなりの制限がかかり、もっぱら自宅近くの武蔵野の自然の中を人が居ないところを見計らって散策する日々です。ひとと会うことも激減どころか消滅し、日々目にするのは自然の草木ばかりということもあり、久しぶりに書棚から取り出して、毎日眺めています。古い本ですが、昔のしっかりした装丁で、今はもうこういう本は作れないだろうな、とも。

 コロナ疫が問題になり始めた時期と桜の開花が重なり、花見の自粛なども強く言われるようになっていたところ、誰も観るひとの居ない桜が満開に咲き誇っているのをみていると2011年の春を思い出しました。あのときはウィルスではなく放射能だったわけですが。

 草木はひとの営みと関係なく、いつもと同じように芽吹き咲く中、突然日常が完全に打ち破られ慌てふためく人間の側との対比が鮮烈で、そんな中、観る人とてなく咲き誇る桜花の姿はいっそ凄惨でさえあります。

 「年年歳歳花相似たり、歳歳年々人同じからず」という言葉が異様な迫力をもってせまって来る日々です。

 写真(省略)は、近所の道に、ようやく散り始めた八重桜の花びらが敷き詰められている様子。

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【7日間ブックカバーチャレンジ_2日目】

 2冊目は『銀座社交飲料協会八〇年史』(GSK銀座社交飲料協会、二〇〇五年)。以前、銀座でクラブ「稲葉」を経営されている白坂亜紀さんからご厚意でお譲り頂いた一冊。

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 白坂さんは時事通信関連の仕事でご一緒した縁ですが、同じ大分県の同郷のよしみも。
 コロナ禍の下、外出は言うまでもなく、夜の街へ出かけることも絶無になってしまったわけですが、ふと気がついたら、夜になるとYoutubeライブカメラ映像で銀座の和光本店前のライブ映像を、じっと観てしまっています。

 銀座だけでなく、日本中の夜の街が息を停めた日々が続きますが、願わくば一日も早く、かつてのさんざめきが戻ってきますように。

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 なお、下の写真はこの四月末・土曜夜の銀座・和光本店前のライブ映像からのキャプチャー。

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【7日間ブックカバーチャレンジ_3日目】

 3冊目は『世説新語』(平凡社、全五巻)。これで合計7冊になってしまうですが、まあ便宜的に1冊勘定ということで。

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 所謂中国の「三国時代」前後(後漢末~東晋末、2世紀末~5世紀初)の説話を集めたものだけれども、「なるほど!」と深く頷かされるかと思えば、「なんじゃこりゃ・・・」としか言いようのないアレな話もテンコ盛りの本。以前から通して読み切ろうと思っていたけれど、普段そんな時間があるはずも無いので、コロナ禍をもって福となすということで毎日少しずつ読んでいます(漢文の入試問題でお目にかかったことがある人も多いはずでは?)。

 コロナ疫による蟄居状態、ある種の禁固状態なわけですが、こういう状況になって最初に想起したのは大杉栄とか志願囚の話で、「まあ刑務所入ったら本読むか外国語の勉強しかないわな」というのと同じ動機で読んでます。

 毎日コロナ関係の情報の氾濫にさらされている中、「いかにして情報を受け取らないか」というのも一つの課題だなと思うところ、こういう自分で勝手にノルマとして課したものを世情とは一切関係なく毎日淡々と読んでゆくような時間を構造化し、《思考の安全地帯》をつくってゆくのも大事だと思う昨今です。

  1120個あるエピソード、第五巻の最後まで読み終わる前に、みなが平常に復すことが出来ることを祈る日々です。

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【7日間ブックカバーチャレンジ_4日目】

 4冊目は『世界史総覧』(とうほう)。要するに高校科目「世界史」の年表です。高校時代~浪人時代に使ってたものなので30年近く前のものですが、この手のモノって刊行年の記された奥付がないんですね。初めて気がつきました。

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 それはさておき、ここ数年、世界史(や日本史)の年表を座右に置いて、よく眺めています。ひとつには2015年前後から移民/難民に関する研究を始めたこともあり、ローマ帝国の崩壊要因となった所謂「ゲルマン民族の大移動」と2015年以降の欧州難民危機、あるいはイスラム世界と欧州との関係などを考える上で、長いスパンを取った上で俯瞰してみるのが単純に面白いからです。年表を見ていると、本当に無限に想像の翼が拡がります。

 今般のコロナ禍の下でも年表を眺めていますが、それはちょうど2011年の時に似ています。311の時は、1923年の関東大震災を想起し、それ以降の歴史の流れを年表で確認し、アタマを抱え込んでしまったものでした(写真はその時にあるところで書いたエッセイに付した自作の年表)。1920年代の歴史を振り返るなら、「総員、衝撃に備えよ!」としか言いようがないのではありますが・・・。

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 高校時代、授業中にぼんやりと英語の辞書を最初の頁から順繰りにめくっていて、ふと見つけたヘーゲルの言葉(※)に「我々が歴史から学ぶのは、我々が歴史から学ばないということである(We learn from history the we do not learn from history.)」というものがありました。

 今でもよく記憶に残っている言葉ですが、まあ、年表を眺める限りでは、人類はそれほど酷く愚かでもないし、色々言っても過去よりは現在に近づくほど、確実に世界は良くなってきているという信念を私は持っているので、今回の災厄も何とか乗り切ることが出来るのではないかと思っています。

 余談ですが、韓国の往事の軍事独裁政権でさえ戒厳令下の外出禁止は午前0時から翌朝の7時までだったと記憶してますが、どんな独裁者でも、これだけ人びとを家に居させたことは無いのではないのかな? そういう点では実に未曾有の事態ですね。まあ、韓国の戒厳令は36年間続いたのですが・・・。


※久しぶりに思い出したので典拠を調べてみましたが、『歴史哲学講義』からのもので、案の定 misquote されたものですね。ホントの原典では以下の通り。

Was die Erfahrung aber und die Geschichte lehren, ist dieses, das Volker und Regierungen niemals etwas aus der Geschichte gelernt und nach Lehren, die aus derselben zu ziehen gewesen waren, gehandelt haben.(What experience and history teach is this ? that nations and governments have never learned anything from history, or acted upon any lessons they might have drawn from it.)---Vorlesungen uber die Philosophie der Geschichte, 1837

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【7日間ブックカバーチャレンジ_5日目】

 5冊目は、小野員裕&中村直也『おうちで本格インドカレー:スパイスを知るとこんなにおいしくなる』(東京書籍、2011年)。

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 カレーの本です。カレーの作り方だけを記してある本です。何年か前にご同業(法哲学者)の安藤馨先生からオススメ頂いた本ですが、もはや我が家の厨房のバイブルとして鎮座しています。

 今般の状況になってから自炊が増えた、あるいは始めたひとも多いかと思いますが、研究者は普段から自宅にいるひとも多く(例外はあります、誰とは言いませんが例外は)普段から自分で料理するひとは(男性の場合)普通のひとよりは多いと思います。

 私も普段から、家に居る時はほぼ毎日ご飯を作っていますが、料理をするのは本当に精神衛生に良いです。えてして一日中パソコンとにらめっこしていても一行も書けない日というのはあります(実によくあります)。そういう時に、台所に立って料理をすると、ちゃんとした手順にさえ従えば、ちゃんと食べられるものが「完成」するのです。

 すべての研究者はすべからく料理すべきで、そうしさえすれば、自分が原稿を書けない【無能】ではなく、世界にささやかながらでも貢献出来ることを確認出来るのです(一瞬だけですが)。

 コロナになってから、実はめちゃくちゃ頻繁に巻き寿司(納豆の細巻き)を作っています。家族が好きなんで、最初はコンビニで買ってたんですが、しょっちゅう売り切れになってるんですよね。聞いた話では、最近の大学生は納豆巻きが大好きで、奴らが買って行ってしまっているらしい。そういうわけで、無ければ作ればイイじゃないのと毎日、納豆巻きをつくってます。

 納豆巻きとか太巻きとか作るようになって、しみじみ思いましたが、巻き簀を発明したやつと、切る時に包丁濡らしたら良いことに気がついたやつに対しては、本当に人類は全員土下座して感謝すべきですね。あと、かんぴょうの食べ方を発見したやつも。

 料理は、人類の偉大さについても色々教えてくれます。そういうわけで、最初に挙げたカレーの本を読んで、ローガンジョシュとかポークヴィンダルーを作って食うと良いと思います。特にヴィンダルーは、これからの季節、最高ですね。騙されたと思って作って食べること。

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 ちなみに今日の一冊は先ほど確認したら Kindle unlimited に入ってます。写真は私がつくったローガンジョシュとポークビンダルー。

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【7日間ブックカバーチャレンジ_6日目】

  6冊目は、西村幸夫『県都物語 -- 47都心空間の近代をあるく』(有斐閣、2018年)。タイトル通り、全都道府県庁の所在地である都市の「物語」が実に綿密かつ豊かな筆致で描かれた傑作です

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http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641165168)。

  わたし自身、ここ数年、本当に日本中の様々な土地に足を運び実際にそれぞれの街の様子を見聞きするにつけ、この細長い日本列島に信じられないほど豊かで多様な人びとの営みがあることに気がつかされて来ました。

 コロナ禍によって移動を封じられた現在、われわれは、ひとりひとり、各々の家庭が「離れ小島」のようになってしまっています。

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 この日本列島のCG画像は、英シェフィールド大のAlasdair Rae氏が作成した日本国内の人口集積を列島地図上にプロットしたものですが、これだけの人びとが、「離れ小島」のようになって日本列島全域で逼塞しているかと思うと嘆息せざるを得ません。

 ※ Rae氏のサイト:http://www.statsmapsnpix.com/ 

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 友人の法哲学者・大屋雄裕さんが最近書かれた論考(※)の冒頭でジョン・ダンの詩の有名な一節を引かれていましたが、現在の「離れ小島」のような状況下では、この詩もまたこれまでとは全く違った様相をもって迫ってきます。

No man is an island, entire of itself; every man is a piece of the continent, a part of the main ――John Donne, MEDITATION XVII.

  

 遠からず、この疫禍が収束して引き離された小さな島々のような状態が解消され、滑らかな地続きの生活が戻ってくる日々を願うばかりです。

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※ 大屋雄裕「自由と幸福の相克を乗り越えられるか」 

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 【7日間ブックカバーチャレンジ_7日目】

 最後の7冊目は、斯波六郎『中国文学における孤独感』 (岩波文庫、1990年)。もう三〇年近く前に買った本だと思いますが、今でも折にふれて手に取る本です。

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 冒頭、「孤独鰥寡」という言葉が出てきますが、「老いて子なきを《独》、幼にして父なきを《孤》、老いて妻なきものを《鰥》、老いて夫なきものを《寡》」という下りがあります。それぞれが「独身、孤児、男やめも=やもお=鰥夫、寡婦(やもめ)」に対応しているわけで、われわれが「孤独」として観念するような事柄に関する漢字表現の豊かさには驚かされるばかりです。

 他にも「多勢の中にいながら、どうしても、周囲の人びとと打ち解けて融合することを好まぬ」ような人を《陸沈》と呼ぶ(荘子・則陽篇)という話も出てきます。水に沈むのは当然ですが、陸でも沈んでしまうというのは、「人びとの中に居ながら、それらと融合できないこと」の喩えなわけです。

 西洋にも似たような話はあり、政治哲学者のハンナ・アレントは lonliness と solitude を区別し、前者を打ち棄てられたようなネガティブな孤独、後者を自ら内部において充足するようなポジティブな孤独として提示しています(『全体主義の起源』)

 今日取り上げた本の中で触れられている、上述の solitude にあたるようなものは恐らく《慎独》という言葉になるのでしょう。この本の著者によるなら、《慎独》とは理知による自己凝視をその旨とするものとのこと。

 この本にしても、アレントにしても、究極的には、多くの人びとのただ中に居るにも関わらず生まれ出づる「孤独」のありように、道徳や政治の観点から関心を抱いているわけですが、いま現在われわれが直面している、この完全に物理的な接触を断たれた厳密な意味での隔離(isolation)の下に置かれながら、他方ではネットを通じて一挙に世界とも繋がってしまっているような「孤独」は、四書五経に通じた士人に問うなら、いったい何という漢字で表されるのでしょうね。

 恐らく『康煕字典』にも、その字は存在しないだろうと思われ、われわれ人類は全く新しい形の《孤独》に向き合っているのかもしれません。

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 以上で私の7日間ブックカバーチャレンジは終わりですが、コロナ禍の発生と共に鬱屈していた中での、良い執筆のリハビリになりました。書く作業は疫禍とは関係なく常に孤独と共にあるものなので、物書きの本分に従い、誰にもバトンを渡さず、速やかに執筆へと戻る次第です。

 

(2020年5月7日、了)