世界史へ接続せよ/安田峰俊『八九六四』

  本書は今を遡ること29年前の今日、1989年の6月4日(八九六四)に起きた天安門事件をめぐるものである。

八九六四 「天安門事件」は再び起きるか

八九六四 「天安門事件」は再び起きるか

 

 本の中でも描かれている通り、この日の前後には、スマホ決済で「六四」元や「八九六四」元の金額指定が不可能になるほどで、現在でも中国政府は躍起になって事件の痕跡を隠そうとしている。乗数(=8の2乗)が64になってしまうので「八八」元でもダメという話さえある・・・。習近平体制下での強力な統制の進展を見る限り、このような形での取材は以下の筆者の言葉にもある通り、本書が最後のものとなるかもしれない。

「本書の登場人物のうち、中国国内に住む人の大部分は、これら(中国の監視社会化)が本格的に進行する以前の2015年の夏ごろまでに取材を終えた、今後、同様の取材を行うのは困難だろう。この本は取材が成立し得るギリギリ最後の時期に、滑り込みセーフで書けたのである。」(299)

 ※ 以下、丸括弧内の数字は本書該当頁を示す。

 ちょうど去年の六四に以下のような投稿があったが、これが実情であり、今年、事態はさらに悪化しているかもしれない。

 

 何らかの形でこの事件と関わり合いを持つ六〇人以上のひとびとに対面取材した本書は、これまで出されたおびただしい数の天安門事件本とは大いに趣を異にするものである。

 著者はtwitterで本書について「意識低い系」の天安門本だと冗談めかして言っていたが、本書の中では、意識高く士大夫/知識人として祖国中国を思い天安門へと身を投じたというような話だけではない、余りにも人間臭い物語が織りなされてゆく。 

  彼らを描き出す筆致は、何事をも断罪することのない取材対象への細やかな愛情に満ちたものとなっている(これぞ安田ワールド)。あれから三〇年近くの時を経て、家族を持ち、或いは子どもを持った取材対象たちの心の機微には、ひととして感じ入らざるを得ないものがあるだろう、人生は複雑なのである。
 冒頭に記した「時の権力者による史実の隠蔽や改竄をよしとしない」ような《高い志》は、長い中国の歴史の中では繰り返し現れて来るモチーフで、滅びた南宋への忠義を貫き通し、侵略者・元のクビライからも才を惜しまれつつ刑死した文天祥の「正気の歌」などにその極致を見ることが出来るだろう。しかし、ひとが皆、文天祥になることはないのである。 

 

正気の歌 - Wikibooks

文天祥 - Wikipedia


 歴史の巨大なうねりに正対した時の、人間的--あまりにも人間的な物語たちが本書には横溢している。
 本書の副題は「天安門事件は再び起きるか」である。この先に待っているのが、命懸けで権力者の悪行を史書に記し遺そうとした「太史の簡」も「董狐の筆」も現れない完成したデジタル・レーニン主義による素晴らしき新世界なのか、あるいは歴代王朝に幕を引いてきた大盗賊たちによる農民起義なのか。黄昏どきに飛び立つフクロウのみが知るところである。

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Sebastian Heilmann, 2016, Leninism Upgraded: Xi Jinping's Authoritarian Innovations, China Economic Quarterly 20 (4), Dec. 2016, GavekalDragonomics, 15-22.[PDF]

 

中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)

中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)

 

 

  以上、『週刊現代』2018年6月4日号に掲載された拙書評に大幅な改変と拡充を施したものである。一般向けの週刊誌で書くワケにはゆかないアレな文飾をフルに施しており、発売中の該当誌の書評と読み比べると掲載限界線が分かって面白い(?)かもしれない。書評末尾は紙幅の関係上、《両極端な未来》にしか言及していないが、もちろん、そうでない、何らかの形で、中国にとっても日本を含む諸外国にとってもハッピーな未来もありうるだろうし、正味の話そうであってくれなければ困るのではあるが・・・。

 

 以下では、本書の備忘を断片的に記し留めておく。

 

● 「当時、北京の市民は直近の一〇〇年間だけでも、義和団事件辛亥革命・民国期の軍閥内戦・日中戦争国共内戦文化大革命--と、十数年に一度以上のペースで大規模な動乱を経験していた。」(69)→ 以下、年表?化。

1899~1901年:義和団事件
1911~1912年:辛亥革命
1927~1937年:民国期の軍閥内戦(第一次国共内戦
1931~1946年:日中戦争
1945~1949年:国共内戦
1966~1976年:文化大革命
1976年:第一次天安門事件
1989年:第二次天安門事件

● 1990年ごろ近所にできたばかりのKFCの話(75)→ 私もほぼ同じ時期に行ったので、本当に懐かしい。再開発前の王府井の店だった。

●「士庶の別」、「士大夫と一般庶民」(95)

● 1991年8月19日。ゴルバチョフ軟禁、市民の抵抗でクーデター失敗。ソ連共産党は事実上の解体。あんなに強かったソ連がボロボロになって、エリツィンみたいな酔っ払い野郎がトップになった。旧西ドイツ人はめちゃくちゃに見下されていた。だから天安門事件は仕方なかった(104-)

● 姜野飛(涙)、マー運転手・・・(147)
● ネットで真実を知る=「有思想(ヨウスーシャン)」(150)
● 「インテリが主導する革命は必ず失敗する」(185)
 秀才造反、三年不就
 戊戌変法、辛亥革命
 庶民のドロドロしたルサンチマン毛沢東=農民叛乱型の権力奪取だけが成功
● 凌静思「白鳥はかなしからずや空の青」(188)→ この仮名がまた・・・

●「いや待って。いま私があなたと喋っているのは普通話ではなく『台湾の国語』です。香港人と日本人が、中華圏の第三国の言葉でコミュニケーションを取っているだけ。お互いにこういう理解で手を打ちませんか。」(221)

 ●「左膠(ジョーガウ)」=サヨクのゴミ

●「自分の家の問題は解決できなかったが、よその家の問題を解決していた」(269)

 

 

 最後に個人的な話を。

 

 中学の時だったと思うが、わたしの通っていた学校(大分県)では英語合宿というものがあり、数日間そこで英語漬けにされるのだが、九州近県の大学から留学生が何人か「先生役」的に招聘され参加していた。そこに来ていた清華大学からの留学生(九大に来ていたと思う)と仲良くなり、その後も(英語で)文通をしていたのだが、八九六四に前後して彼との通信は途切れた。

 八九六四の時、テレビで北京の上空をヘリが飛び交い、大通りを戦車が隊列を組んで走るのを見ながら、わたしは彼のことを考えていた。八九六四はわたしにとっては自分自身が身近な感覚を伴って、初めて世界史に強制的に接続された瞬間だったのである。

  その後、1993年3月にわたしは初めて北京へ行き、天安門広場を訪れた。広場に行った日は、ちょうど八大元老の一人であった王震が死んだ翌日で、広場は厳戒態勢になっていた。広大な無人の広場に等間隔に警官(兵士だったかもしれない)が立つ光景を、今でもよく覚えている。

 

 

  

補記:上掲書を読んで、以下の本も思いだしたが、正直なところ、わたしは文天祥よりも馮道のほうに人間的魅力を感じる(以前、大屋雄裕さんが、この本を教えてくれた)。ただ、現代の中国にも、この馮道のような人物は居るのだろうか、もし居るとしたら今現在、何をしているのだろうかということも考えてしまうのではあるが。

馮道 - Wikipedia

馮道―乱世の宰相 (中公文庫)

馮道―乱世の宰相 (中公文庫)

 

 

補記2:上記アップ後、「ところで、馮道いますよ! そいつ、周恩来とか温家宝とか王岐山とか王滬寧とかいうんですけどね。」という悪いことを言ってきた友人が居たのであった・・・。

 

以上。