フジプライムニュース(2017年6月13日)

 『護憲派改憲派が激論 憲法9条自衛隊明記』と題し、石川健治憲法)・百地章憲法)・井上達夫法哲学)が出演。

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 憲法学者石川健治の所説が余りにも強い印象を残したので、以下、書き留めておく。なお、井上達夫の議論は、いつも通りの平常運転なので特記すべき点はない。百地は初めて話しているのを見たが、主張内容の当否はともかくとして、ひとつの立場として筋は通っているし、紳士的で誠実な印象さえ受けた。


プライムニュース最新 2017年6月13日 井上達夫氏 20170613

 

 以下、石川健治の発言より特に印象に残った点のみ。

1.護憲派改憲派も、第一世代は唾棄すべき存在。

2.今日の平和は、9条ではなく自衛隊駐留米軍のおかげである。

3.解釈論としては、自衛隊違憲であり、違憲の烙印を押し続けなければならない。憲法学者法哲学者とは違い、職業的責任から専門知の観点のみから解釈論は行い得るが、それを超えた憲法改正の是非については語れない。

 

 雑感。3は石川が「政治論」と「憲法(解釈)論」を峻別した上での主張だが、彼がこれまで新聞紙上その他で展開してきた様々な議論との整合性如何?また、自衛隊違憲の烙印を押し続けながら、2であると言うのは如何?氏こそが、1のような存在なのでは?

 憲法学者、特に護憲派がこれまで如何に「内輪だけの議論」をしてきたのかが、露わになった瞬間だった。自衛官やその家族を目の前にしても、同じことを言えるのだろうか?

 石川が言うように憲法がどうで「ある」かのみについて関心を持ち、それがどうである「べき」かには関わらないという《純学知》的立場というのは、あっても良いと思うし、私もそのような立場は尊重する。しかし、石川の「立場」は、上述の通り論理的に崩壊しており、特に自衛隊に対する無責任さ、それに対する卑劣なただ乗りの極限的形態が露呈している。恥を知らねばならない。

 

 井上達夫の「安全保障をめぐる論議憲法解釈論に話がすり替わってしまって話が進まない」という話は、まったくもってその通りであると思った次第。

 これまで恐らく四面楚歌で孤軍奮闘して来たであろう百地のほうが議論慣れしていて、きちんと建設的な議論をしようとしているようにさえ見えた。

 憲法学者たちにひと欠片でも廉恥の心があるのなら、石川のような議論は積極的に排撃されるべきである。