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ヘヴィメタルと正義の女神

 最近、BABYMETAL を知った。ナニコレ、面白い・・・。ももクロの次はコレですかね。


BABYMETAL - WORLD TOUR 2014 - Trailer - YouTube

 以下に BABYMETAL についての分かりやすい説明があるので参考までに。凄いね。

 http://rakuchin.at.webry.info/201407/article_8.html

 メタルは、高校生の頃に聞いていて、Metalica とか Iron Maiden とか有名どころを少々。メタリカの“Aces High”は今でもカラオケで歌える。


Iron Maiden - Aces High - YouTube

 それで思い出したのだが、メタリカのアルバムに"...And Justice For All(邦題『メタルジャスティス』)”というものがあるが、このジャケットは法哲学的には興味深いものとなっている。この話は、毎年、講義でもするので、以下、備忘録的に。

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 法哲学の一分野として「正議論」があるのは周知の通りだが、この「正義」には女神が居て、彼女は(だいたい)いつも同じ姿をとって我々の前に姿を現す。下は、フランクフルトの広場に立つ女神像である。ヨーロッパでは、よくこういう光景を目にする。

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 メタリカの “...And Justice for All” という曲の中に出てくる “Lady of justice” こそが、その女神なのだが、アルバムジャケットに描かれた図像が、このギリシャ神話の正義の女神テーミス(Θέμις, Themis)で、ルドルフ・イェーリングによるなら、以下の通りである。

彼女が手に持つ天秤は正邪を測る「正義」を、剣は「力」を象徴し、「剣なき秤は無力、秤なき剣は暴力」に過ぎず、法は、それを執行する力と両輪の関係にあることを表している。『権利のための闘争』

 しかし、ジャケットに描かれた女神テーミスは縄で縛られ、金によってその天秤は傾けられているのは、以下を聴いての通りの事情による。名曲だ。


Metallica- ...And Justice for All

 以上に関する図像学(iconology)的な観点からの分析は森征一・岩谷十郎編『法と正義のイコノロジー』を参照されたい。 

法と正義のイコノロジー (Keio UP選書)

法と正義のイコノロジー (Keio UP選書)

 

  また、これに関連して、エルヴィン・パノフスキーの『イコノロジー研究』くらいは法学部生でも読んでおくと良いのではないだろうか。 

イコノロジー研究〈上〉 (ちくま学芸文庫)

イコノロジー研究〈上〉 (ちくま学芸文庫)

 

  なお、テーミス像(ブロンズ製)は、法学系の法政研(4号館2F)の各ゼミの資料置き場の棚の上にあるので、一度、実際に見てみると良いだろう。いつか、この像の由来が分からなくなってしまうだろうから、念のため書いておくが、この像は私が教授会で「買ってください!」とお願いして、教育目的で公費で購入したものである。これは本当に価値ある買い物だったと今でも自画自賛している。

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 また、「剣と秤」以外の特徴である「目隠し」は、個体的同一性に基づく取り扱い・判断の別を遮断するものである。この「目隠し」と同様の趣旨の話は、穂積陳重『法窓夜話』中の「三九、板倉の茶臼、大岡の鑷」の中に垣間見ることが出来る。ちなみに『法窓夜話』は、青空文庫で全文を閲覧することが出来る。少々長いが、以下、全文。

 板倉周防守重宗は、徳川幕府創業の名臣で、父勝重の推挙により、その後(の)ちを承(う)けて京都所司代となり、父は子を知り子は父を辱しめざるの令名を博した人である。
 重宗或時近臣の者に「予の捌(さば)きようについて世上の取沙汰は如何である」と尋ねたところが、その人ありのままに「威光に圧されて言葉を悉(つく)しにくいと申します」と答えた。重宗これを聴いて、われ過(あやま)てりと言ったが、その後ちの法廷はその面目を一新した。
 白洲(しらす)に臨める縁先の障子は締切られて、障子の内に所司代の席を設け、座右には茶臼(ちゃうす)が据えてある。重宗は先ず西方を拝して後ちその座に着き、茶を碾(ひ)きながら障子越に訟(うったえ)を聴くのであった。或人怪んでその故を問うた。重宗答えて、「凡(およ)そ裁判には、寸毫(すんごう)の私をも挟んではならぬ。西方を拝するのは、愛宕(あたご)の神を驚かし奉って、私心萌(きざ)さば立所(たちどころ)に神罰を受けんことを誓うのである。また心静かなる時は手平かに、心噪(さわ)げば手元狂う。訟を聴きつつ茶を碾くのは、粉の精粗によって心の動静を見、判断の確否を知るためである。なおまた人の容貌は一様ならず、美醜の岐(わか)るるところ愛憎起り、愛憎の在るところ偏頗(へんぱ)生ずるは、免れ難き人情である。障子を閉じて関係人の顔を見ないのは、この故に外ならぬ」と対(こた)えたということである。
 大正四年の夏より秋に掛けて上野不忍(しのばず)池畔に江戸博覧会なるものが催された。その場内に大岡越前守忠相(ただすけ)の遺品が陳列してあったが、その中に子爵大岡忠綱氏の出品に係る鑷(けぬき)四丁があって、その説明書に「大岡越前守忠相ガ奉行所ニ於テ断獄ノ際、常ニ瞑目シテ腮髯(あごひげ)ヲ抜クニ用ヒタルモノナリ」と記してあった。その鑷は大小四丁あって、その一丁は約七寸余もあろうかと思われるほどで、驚くべき大きさのものである。その他の三丁も約五寸乃至(ないし)三寸位のもので、今日の普通の鑷に較べると実に数倍の大きさである。芝居では「菊畑」の智恵内を始めとし、繻打奴(しゅすやっこ)、相撲取などが懐から毛抜入れを取出し、五寸ばかりもあろうと思う大鑷で髯(ひげ)を抜き、また男達(おとこだて)が牀几(しょうぎ)に腰打掛けて大鑷で髯を抜きながら太平楽(たいへいらく)を並べるなどは、普通に観るところであるが、我輩は勿論これは例の劇的誇張の最も甚だしきものであると考えておったが、この出品が芝居で見るものよりも一層大きい位であるから、当時はこのような大鑷が普通であったものと見える。これについても、今をもって古(いにしえ)を推すの危険な事が知れる。
 余談はさておき、大岡忠相が髯を抜いたのも、板倉重宗が茶を碾(ひ)いたのも、その趣旨は全く同一で、畢竟その心を平静にし、注意を集中して公平の判断をしようとする精神に外ならぬのである。髯を抜きながら瞑目して訟を聴くのも、障子越に訟を聴くのと同じ考であろう。司直の明吏が至誠己を空(むな)しうして公平を求めたることは、先後その揆(き)を一にすというべきである。


 それから、上記「正義の女神」とは別の論点として、このメタリカのアルバムのタイトル自体も重要な論点を提供している。“...And Justice For All” というのは、アメリカ人なら誰でも分かる(はず)の「合衆国国旗への忠誠の誓い(Pledge of Allegiance)」末尾の一節なのである。この誓いは、しばしば合衆国の公式行事で暗誦されるもので、以下の通りである。小学生でも暗誦してる(はず)。

I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.

 これは、講義中でも何度も触れる「共和主義(Republicanism)」の根幹に関わる儀式である。ただ、実際にはアメリカでも、本当に皆が覚えているかというと、ちょっと微妙なところで、以下のように「忠誠の誓い」の暗誦を皮肉ったものも存在している。子供たちのやつの方で、this is not the form of brain-washing とお経のように唱え続ける部分が笑えるのではあるが・・・。

[子どもたち(パロディ)]


The Whitest Kids U' Know - Pledge of Allegiance ...

 

 以上、よしなしごとも含めた備忘録。