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ひとをして語らしめる書/速水健朗 『1995年』

 ようやく、速水健朗著『1995年』ちくま新書、読了。既に多くの書評も出ているものの、以下、蛇足ながら。 

1995年 (ちくま新書)

1995年 (ちくま新書)

 

  著者は私と全くの同い年の1973年生まれ。以前、機会を得て直にお会いし、四方山話をさせて頂いた際、この1995年前後は、お互い歩いて10分ほどの世田谷界隈・小田急沿線に住んでいたことが分かったりしたこともあって、私は本書を何とも言えない親近感の下に読み進めた。

 内容は、「政治、経済、国際情勢、テクノロジー、消費・文化、事件・メディア」の6項目に関して、この年に起こったことを比較的淡々と記述してゆきつつ、随所で著者の見解を挿し挟む形式になっている。そのようなわけで、これまでの速水本と比べると、著者自身が前面に迫り出して来る感じは薄いのだが、代わりに迫り出して来るのは《読者自身》なのではないかとも感じた。私自身が、まさにそうであって、本書の頁を捲りながら、走馬燈のように当時の様々なことが思い出された。良い本は、読後、その本自体の内容を離れても、ひとをして様々なことを語らしめるものだが、この本は、そのような意味での自分語りを誘発する本なのである。

 そういうわけで、読書メモも兼ねて自分語りも含めながら、以下。

 

● 青島都知事による都市博中止と『踊る大捜査線』の青島刑事 [36-38]

 

 知らんかった・・・。

 

● 焼酎 vs スコッチ戦争 [55-59] → 焼酎の勝利

 

 私は大学生の頃、当時まだ日本に支社を持っていた United Distillers(UD)が開催したウィスキー・エッセイコンテストみたいなのに応募して、「学生スコッチ親善大使」というものになったことがある。当時のUDの日本支社(UDJ)は五反田にあった。

 このコンテストには、少なくとも百人以上は応募していたと記憶しているが、その中からエッセイと英語での面接でふるいを掛けて最終的には4人がスコッチ親善大使に選ばれたのだった。親善大使というのが何をするのかというと、渡航費用・滞在費用すべてUD持ちで、1ヶ月間、スコットランドの蒸留所でウィスキー作り(の真似ごと)をするのである。

 私が主に滞在したのは、Speysideのピットロッコリーにある Blar Athol Distillery (BELLの原酒をつくっている)と、王室御用達の Royal Lochnagar Distillery だった。これらの蒸留所にホテルから毎日、ツナギを来て“出勤”し、記憶にある限りで、糖化・発酵・蒸留・樽詰めなどの全過程を経験するのである。休憩時間には、他の労働者と一緒に Canteen と呼ばれる詰め所で、当時4ポンドもした Silk Cut という煙草をふかしていたのを覚えている(当時からイギリスは付加価値税などの関係で煙草は異様に高かった)。

 この時に良く覚えているのは、途中でスコットランドとイングランドの境目あたりにあるジョニー・ウォーカーのボトリング工場兼マーケティングセンターに連れて行かれ、当時はまだシングル・モルトなど、ほとんど一般には知られていなかった日本で、シングル・モルトの販路を拡大するのは可能か?とインタビューされたことだった。わたし自身はウィスキー好きではあったが、シングル・モルトは嗜好性が高すぎる(平たく言うとクセが強すぎる)ので、日本人には合わないのでは?と答えたと記憶している。しかし、その後、日本のバーがシングル・モルトで溢れかえり、今や世界中どこの国を見ても、これほど多様かつ豊富なウィスキーを気軽に飲める国は日本以外にはないと言っても過言ではない状況になったのには、驚かされるばかりである。そして、その背景には、この速水本で描かれている「ウィスキー vs 焼酎」戦争があったのを今回初めて知った。

 

●『トレインスポッティング』

 

 講義中に「平等論(Egalitarianism)」に関する回で毎年『ハマータウンの野郎ども』に触れる際、よく「ココで言う“野郎ども(lads)”ってのは映画『トレインスポッティング』に出て来るような人たちのこと。Underworld がテーマ曲やってて」とか言って、学生がポカーンとしているのだが、そうか、これ95年だったのか。そらポカーンだわな、と。

 

● ウィンドウズ95発売、Pipin@と瀕死のアップル

 

 コレも学生ポカーンな話だが、この頃、私は確か富士通のOASYS-LITE(親指シフト)みたいな機種を使っていて、基本ワープロなのにパソコン通信も出来るというので、FENICS ROAD2 とかにコネクトしてニフティサーブで遊んでいたわけだ。まだDOS言語が使われていた時代で、哲学者・黒崎政男の『哲学者クロサキのMS-DOSは思考の道具だ』とかを読んでビックリしていたのを懐かしく思い出す。

 

●『BRUTUS』、『スタジオボイス』、『骰子(DICE)』などの雑誌で「インターネット」特集。しかし、「宮台真司が『終わりなき日常を生きろ』の原稿のやり取りを、メールだけですませたと自慢していたり・・・」[108]

 

 当時は、メールという言葉をもう使っていたかな・・・?パソ通のオフ会とかに出ると「ID教えて」とか言い合っていたような。私自身が、インターネットそのものに“衝撃”を受けたのは、2000年代に入ってからだったような気がするのだが、Dino Buzzati の The Tartar Steppe についてAmazonのカスタマーレビューに初めて英語で投稿してみたところ、イスラエルの女子大生からブッツァーティの研究文献教えてくれろと頼まれ、Telnet経由でOPACを使い調べ感謝のメールを貰った時だった。この時、初めて「世界はつながっている!」と実感した。(追記:この辺りの話、曖昧なので後でよく思い出す必要がある)

 

● 四万十川料理学園講師、キャッシー塚本 [139]

 

 死ぬほど笑わせて貰いました。

 

●「総務省統計局・住民基本台帳人口移動報告を見ると・・・団塊ジュニア世代は、人口ボリュームが大きいにもかかわらず、地方での生活を選ぶ率が高かった世代、都会に出る数が少なかった世代なのだ。」[147]

 

 実感としては分からない。私は大分県別府市出身なのだが、同級生は、福岡に行く以外は、若干、大阪・京都で、ほとんど東京に出て来ていた気がする。ただ、うちは進学校だったので、同世代全体ということになると、実態は、こうだったのか・・・とも。

 

● 下北沢ZOO(→SLITS)。

 

 あったのは知ってはいたが、結局わたしはZOOには行くことなく、梅ヶ丘通りへと下ってゆく道すがらのBARで飲んだくれていた。BARからBARへのBAR巡り。当時の呑み友達の少なからぬ人びとも物書きになったが、あの頃の青臭い酒場での議論なども、どこへやら(かな?)。

 

  最後に、この年のハイライト?をなす阪神大震災とオウム事件について。2011年、わたしは『法学セミナー』(2011年5月号/No. 677)に載せた文章の中で次のようなことを「1995年」がらみで書いている。以下、冒頭の関係箇所だけを抜粋しておく。

 

法学セミナー 2011年 05月号 [雑誌]

法学セミナー 2011年 05月号 [雑誌]

 

  

 2010年春からNHKで「ハーバード白熱教室」と銘打った番組が放送されていたのは、読者の記憶にも新しいところではないだろうか。ハーバード大学で教鞭を執るマイケル・サンデル教授の人気講義を放映したこの番組は、予想もしなかったほど多くの日本人に熱狂的に受け入れられ、あっという間に一大旋風を巻き起こした。この「サンデル講義」の書籍版の翻訳は、2010年5月に刊行されてから現在までの間に124刷、65万部以上の売れ行きを見せ(版元の早川書房・営業部に電話して確認してみた。3月3日現在)、法哲学はもとより、哲学の書籍としても、空前のベストセラーとなった。しかし、このサンデルの著作は、実際にそれを読んでみるなら、さほど万人向けの安易な読み物であるというわけでもなく、なにゆえ、それが65万人もの人々の耳目をひいたのかは、いささか不思議でさえある。このブームは、いったい何だったのだろうか? 

 このような哲学ブームは、実のところ少し前にもあったのだが、それは今から15年以上前の1995年に翻訳が刊行された哲学ファンタジー『ソフィーの世界』(ヨースタイン・ゴルデル著)である。この本もまた、53カ国語に訳され全世界で累計2300万部、日本国内では60万部以上の空前の売り上げを記録したが、この“1995年”という年が、どのような年だったのかを思い出してみるなら、そこには、興味深い符合が現れてくることとなる。

 この年には、年始早々の1月17日に阪神大震災、その二ヶ月後には地下鉄サリン事件(3月20日)と警察庁長官狙撃事件(3月30日)が相次いで発生し、また、経済面では4月19日に過去最高の79円75銭という記録的円高が記録された。折しも、自社さ連立の村山政権下、日本がさまざまな意味での“危機”に晒された年だったのである。

 サンデルの話に戻ると、彼の本は、日本以外の東アジア諸国でも大いに受け容れられているようである。たとえば、現代中国の多くの指導者を生み出した清華大学でも講演が行われていたり、あるいは、お隣の韓国でも60万部以上のベストセラー現象が巻き起こっていたりする。特に韓国では、李明博大統領が、2010年夏期休暇中に、このサンデルの本を読んだ事が報道され、また、彼の政策スローガンが「公正社会の実現」――後述のサンデルの論敵、ジョン・ロールズの「公正としての正義(Justice as Fairness)」を想起させる――であった事から、人々はサンデルの本を争って読むようになったとのことである。仄聞するところでは、野党が議会で政府に対する攻撃を行う際、サンデルの著作を利用し出すまでになったとか。

 私自身、2010年末、折り悪しく米韓軍事演習中の緊迫した状況下の韓国に出張した際、ソウルの代表的な書店である教保文庫に足を運んだところ、サンデル本の韓国語訳が平積みにされ、堂々ベストセラーにランクインしているのを目にした。この年は、朝鮮民主主義人民共和国からの突然の砲撃(2010年11月の延坪島砲撃事件)を受けるなど、韓国もまた、ある種の危機に晒された年であり、先述の“1995年”と考え合わせるなら、「哲学」は危機の時にこそ、ひとびとの間に熱狂を生むものなのかもしれない――いささか、はた迷惑な学問であるが。

 

 なお、この「正義論への招待」という特集号に併録された座談会の中で、私は司会として冒頭、次のようなことを述べている。

  谷口:本日は、お忙しい中、お集まり頂きありがとうございます。昨年末この企画を練り始めた頃は、この特集が発売される時には、サンデル・ブームも落ち着いて、少し忘れられて来ているくらいなのではないか、とも話していたのですが、全く予想に違って、今日もスポーツ新聞の一面に「サンデルが巨人の始球式に登板!」という記事を見ることとなり、正直、驚いています。

 

 この座談会は2011年3月7日(月)、大塚にある日本評論社の会議室で行われた。その週末の金曜日に何が起きたかは、周知の通りであるが、今となっては偶然の符合にただただ黙せざるを得ない。

 

 教師としては、まさにこの1995年に生まれた今年の大学1年生たちが、本書をどのように読むのだろうか、ということが気になったのだが、彼らが2年生以上になってゼミに入って来た時にでも、改めて聞いてみたいものである(あれ、1995年生まれが大学に入って来るのは来年?汗・・・だとするなら来年の基礎ゼミででも扱うか)。