碧海純一先生追悼シンポジウムの記

f:id:Voyageur:20130930093031j:plain

 さる2013年9月28日(土)、本郷の山上会館2階大会議室で、故・碧海純一先生を追悼するシンポジウムが行われた(17:00~20:00)。当日は、会場一杯の来場者があり、盛会。孫弟子の末席に名を連ねる者として参加させて頂いたが、碧海先生のお人柄を偲ばせる会だったと思う。以下、差し障りの無い範囲で(自分用のメモも兼ねて)、当日印象深かったことを記録として残しておく(慌ただしく記したので、間違いあったら、乞御教示)。

 シンポジウムは二部構成で、第一部では碧海先生の「学問と思想」に関し、門下の長尾龍一、井上達夫、嶋津格の3氏が、それぞれ批判的に検討し、第二部では、先生の「思い出」ということで、以下の各氏(敬称略)からのお話があった。--前者では、『法哲学概論』の、どの版が優れているのかについて意見が分かれ、興味深かった。ただ、それ以外については細かい話になるので(それを正確に再現する時間的余裕がないので)、個人的には、より印象に残った後半、第二部についてのみ記すこととする。

 

●樋口陽一(東京大学名誉教授・憲法):碧海先生が神戸の助教授だった頃、1956年に東北大学での集中講義を受けた=『法哲学概論』が刊行された1954年の直後。たぶん、最も最初期に碧海先生の講義を受けたということでは?碧海先生「読んでワカラヌような文を書いてはイケナイ」。

 

●太田知行(東北大学名誉教授・民法):川島先生との合同ゼミに出席した。川島先生の『或る法学者の軌跡』の中にも碧海先生の話がある。ゼミ(or 勉強会?)で、S.I.ハヤカワの『思考と行動における言語』を講読した。文革時における碧海先生流の「表現の自由」のエピソード。

 

●濱井修(東京大学名誉教授・倫理学):碧海先生が愛したアルプバッハの思い出。

 

●黒田東彦(日本銀行総裁):碧海ゼミOB。駒場の時、分析哲学研究会をやっていた(サークル?)。英国留学の際、碧海先生からカール・ポパーへの紹介状を書いて貰ったが、ポパーへの敷居を高く感じ、結局紹介状を活用出来なかったのが悔やまれるとのこと。碧海先生からの依頼で、清水幾太郎編『現代思想・第6巻--批判的合理主義』中「弁証法とは何か」の翻訳をしている。

 

●松村良之(北海道大学名誉教授・法社会学):碧海先生の「科学」的素養。戦時中、動員されていた時、長崎の爆弾の件を聞き、以前読んでいた核分裂を用いた爆弾に関するドイツ語の論文を想起し、それが核爆弾であると判ったとのエピソード。

 

●青木人志(一橋大学教授・比較法):創設期の関東学院大学法学部で、最年長(碧海)/最年少(青木)の教員として過ごした時代の実に貴重な(心温まる)話。シュークリーム事件。学生による似顔絵。

 

●森村進(一橋大学教授・法哲学):ドイツ語の“bei”、モルモットの話。

 

 最後に親族代表挨拶として、長女の方からお話があったが、大変良い話で、私を含め聴いていた人みな、深い感慨を催した。

 碧海先生は、まわりの皆から愛された本当に徳の高い方であったこと、また、その下での学問もまことに自由闊達なものであったことが実によく判り、そのような学統へ、末席にではあるが加わり得ていることに、密かに誇りを抱いた一日でもあった。

 謹んで、碧海先生のご冥福をお祈りしたい。