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尾原宏之『大正大震災』(白水社)

書評

 今日は折角なので、"尾原祭り"とすることにした。台風来てて外出られないし。

 そういうわけで、以前、尾原さんから『大正大震災』を御恵贈いただいた際に、返礼と共にお送りした私信に添付した感想に若干加筆・修正をかけて、以下、掲載しておく。

大正大震災 ─ 忘却された断層

大正大震災 ─ 忘却された断層

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 尾原宏之著『大正大震災――忘却された断層』(白水社、2012年)読了。掛け値なしに面白い本である。《あの日》にまつわる本で、初めて事象に対して適切な距離を取れていると感じた本でもあった。

 歴史は繰り返すというか、震災直後3月14日の石原知事の「津波は天罰」発言や、自衛隊への国民的な好意的感情の盛り上がり、東京から関西など西への脱出行、はたまた幻の首都機能移転騒ぎ等々、ほとんど同じようなことが90年近く前にも(やはり)あった事が描き出されている。以下、まずは各章を、ごく簡単に。

 

 序章は、震災の「命名の政治学」とでも言おうか、今般の地震と関東(大正)大震災それぞれの「正式名称」の成立過程を分析。国会会議録検索を活用しているのに、勝手に親近感を持つ。

 第1章は、「天譴論」。これが今般の石原発言と相同的。生田長江・内村鑑三などが登場。「天人相関説」などもまじえ、概念史的?に懇切な解説も。

 第2章。天理教や大本教に見られた「予兆」。「今日は三越、明日は帝劇」的な「虚栄の市」の崩壊と動揺、そして「改造」の必要性へ。ところで、今日なら「三越・帝劇」は何にあたるのだろう?六本木ヒルズがバビロンとして名指されるのは容易に想像がつくが、帝劇はAKB劇場・・・?

 第3章。朝鮮人虐殺をした自警団は、天皇の狂信者ではなく、そこいらの民草が自然素直に「自治」的素養をすくすくと伸ばしてみたら、朝鮮人を虐殺し、警察署を襲ってしまいました。正しく「民兵」でした、という話。

 第4章。軍隊への感謝の気持ちが盛り上がりすぎ、早稲田で軍事研究サークル?つくって超揉めました、という話。でも、こういうサークルって大隈侯が望んでいたものでは?というオチも。早稲田愛。

 3章と4章は、それぞれ「民衆の警察化/警察の民衆化」、「軍隊の民衆化/民衆の軍隊化」と構図が相似形な感じに。

 第5章。大阪遷都論。この章が、311以降の読み手の心に一番、響く章かもしれない。まあ、やっぱ逃げるよね、という。しかして、一本の詔勅の前に敗れ去る遷都論。そして復興論へ。  

 第6章。復興=神話という悪い話。後藤新平=臆病なムッソリーニで、自治とか口先だけ~、とかいう悪すぎる話。この章の最後だけ、ちょっと違和感。6章の最後は、著者の地が出てしまっているのだけど、これは言わずもがなだったようにも感じた。まあ、たぶんに趣味の問題。

 終章。「空虚な祭り」というタイトル。まあ、みんなすぐ忘れるよね。喉元すぎれば何とやら。そして繰り返す。

 全体の感想。書き手が楽しそうで、読んでいる方も楽しい。311以降のことについては、ほとんど微塵も直接的には言及しておらず(冒頭の命名過程の話では比較しているが、これは問題ない)、その点でも筆致に非常な抑制を感じ、好感を持った。些末なことではあるが、各章の冒頭に掲げられた当時の色々な絵や記事が面白い。

 読んでいて気になったこととしては、これどういう計画の下に書いたのかな、という点。これは、この本全体のメッセージが何なんだろう(もし、あれば。まあ、面白いので無くてもイイんだけど)という点とも関わる。本の構成は序章から最終章まで、全8セクションから成り立ってるんだけど、全体を有機的に繋ぐ何か、というのは、ちょっと発見出来なかったような気もする。繰り返すけど、別にそれが無いからダメとかいうわけではない。何だろうなあ・・・全体を貫く糸?―――本人を知ってるだけに、あんまりそうじゃない気がするんだけど、私の感覚的には、「悪いこと書いてみました(フフフ」という、私の身近ではよく見るアレかなあ、という気も。さっきの疑問に戻るけど、どうしてこういう構成になったのかなあ?推測だけど、まず章ごとに対応するトピックを羅列的に立てて、それぞれを調べ埋めて行ったという感じなのかしら?―――まあ、でも何か楽しそうだ。こういうの書くのも精神によさそうだ。

 と、ここまで褒め上げたが、ちょっとだけ疑問点も。以下。これまで繰り返し言ったように面白いんだけど、各章の最後の結論にあたる部分がちょっと弱い感じもした。まあ別に規範的なこと言わないとイケナイって法があるわけでもないんで、それはイイんだけど、なんかちょっと足らない感も。

 たとえば、2章の最後、正直よく分からんかったのだよな。改造論へ至るってのは分かるんだけど、その前に論じてる土地の私有制の問題が、突然「アレっ?」って感じで、スルっとどっかに行ってしまう、というか。最後は「その意味で、大正大震災は明示的なものをいかに葬るかという、「改造」論の課題を現前とさせたのである。」なんだけど、これが良く分からん。

 土地公有化というか、土地利用規制の延長線上にある都市計画の問題とかは、戦後の都市計画にも連なる重要な問題で、個人的には、この辺りは興味があるんだけど、まあ、この本自体は禁欲的に「大正大震災」そのものだけを対象として絞っているので、余りこの辺り言い立てるのはフェアではないし、かえって「こういう線から、その後に繋がっているのかあ」とインスパイアされた、ということでイイのかもしれない。

 あと、実は初読の際、5章の最後もよく分からんかった。「この時に破壊されたものは、果たして何だったのだろうか。」って終わるんだけど、これ読んで「アレっ?」となり、マジで「えっ、何なの?汗」となった。なんつうか、その前段までの話と、この破壊云々の平仄がどこであってるのか、端的に分からんかったのですよ。うーん・・・あ、そうか最後の引用文「大東京市発達史論」の二行目と照応してるのか。・・・しかし、この問い掛け、ちょっとだけ放り出し感がある。

 しかし、これって何の本なんだろう?政治思想史?うーん、なんかそういうのではないような、しっくり来ない。なんというか良い意味で「学問的」な何かとは違ったもののような気もする。あとタイトル。うーん、サブタイトルの意味が、すぐにしっくりと来ない。「大震災の精神史」・・・違うか。まあ、しかし、これは良書。ご興味のある方は、是非お買い上げ下さい_(._.)_

 あと、これは私の個人的な問題だけど、読んでちょっと元気になった。こういう風に楽しそうに書いているのは大変良いと改めて思った。俺も楽しく書きたい。全国紙の書評などで好意的に扱われて、売れて欲しいものですね。売れなくても良いけど、著者の声名を高からしめて欲しいものです。