2013年度後期のゼミ告知

 夏期休暇期間も残り3週間を切ったので、後期のゼミに関する告知を行っておく。前期とは分離された2単位半期のゼミである。テキストは、下記の通り Mulgan の著作(下記のAmazonのリンクはハードカバー版で高いが、廉価なペーパーバック版もある)。この本は私の単独訳で多分2014年頃には翻訳が刊行される予定。

Ethics for a Broken World: Imagining Philosophy After Catastrophe

Ethics for a Broken World: Imagining Philosophy After Catastrophe

 参加者は、基本的に本学・法学系の学生(2年次以上)を想定しているが、これまでもそうであったように、本学・人文社会学系で熱意のある学生は歓迎する。以下、シラバスに若干加筆を行ったもの。

首都大学東京/法哲学演習/科目目種別:演習/単位数:2
担当教員:谷口功一
後期:水曜日2時限

1.授業方針・テーマ:現代正義論のSF的展開

2.習得できる知識・能力や授業の目的・到達目標:現代正義論の基本的な議論を丁寧に理解する。登場するトピックは、ノージック、ロック、行為功利主義、規則功利主義、ナショナリズム、福利論、ミルの自由論、ホッブズ、ロールズ、デモクラシーなどである。
3.授業計画・内容:下記、Mulgan の著作を会読する。併せて、正義論関連の邦語文献等も適宜参照する。本著作は気候変動・資源の枯渇などのために破滅の危機に瀕した世界というSF的設定の下、近未来の大学において開講される架空の講義形式をとったものであり、演習では、その17回分の講義内容を丁寧に読んでいく。

4.テキスト・参考書等:Tim Mulgan, 2011, Ethics for a Broken World---- Imagining Philosophy After Catastrophe, McGill-Queen’s UP。適宜コピーも配布するが、出来る限りAmazonなどで各自でも入手されたい。

5.成績評価方法:ゼミへの出席、参加の度合いを総合的に評価する。

6.特記事項:基本的に英語の文献を読むゼミであるが、テキストの英語は易しいので、臆せず参加されたい。なお、初回には必ず参加すること。初回に参加出来ない者は、基本的にゼミへの参加を認めない(同じことを何度も説明するのは大変なコストなのである)。

 

 参考までに、既に作りおいてあった上記 Mulgan著作の試訳と日本語目次も掲載しておく。

 

(試訳)前書き:壊れた世界を想像してみよう

 この本は、もし、われわれが壊れた世界(broken world)に住んでいるとしたら、政治哲学が中心的に扱うテーマや問題が、どのように変化するだろうかを考えるものです。壊れた世界というのは、人びとの基本的なニーズさえ満たせないくらい資源が不足し、めちゃくちゃな気候変動によって生命が危機に晒され、また、世代を重ねるごとに事態が悪化しているような世界のことです。こういう思考実験を分かりやすいものにするために、まさに壊れた世界のただ中で行われる哲学史の講義を想像してみることにします。この講義では、二十一世紀初頭の“富裕代(age of affluence)”と呼ばれた時代に書かれた古典的テキストを学びます。今あなたが読んでいる、この「前書き」と巻末文献リスト以外の本書の内容は、架空の未来の講義録から成り立つこととなります。
 気候変動は、本書の典型的なトピックであり、壊れた世界は、未来のあり得べき姿のひとつでもあります。ただ、本書は、気候変動だけを念頭に置いたものではなくて、壊れた世界という〔思考実験上の〕装置を用いることにより、さまざまな道徳的、あるいは政治的な理念が、たまたまそうであるに過ぎないものだということを強調しようとするものです。そこでは、われわれ自身の社会とその理想を、いわば外側から眺めることになります。壊れた世界に対処するために、現代の哲学をこれまでとは違ったかたちでイメージすることは、現在において過去の政治哲学者たちを彼らが置かれていた文脈の中で学ぼうとするのと同じような利益をもたらしてくれるでしょう。
 道徳哲学や政治哲学が気候変動に対し、どのような応答をするのかについては、時おり間接的に触れることになります。われわれの子孫たちが彼らの世界をどのように見るのか、われわれの遺産をどのように見るのかを考えることで、われわれが自らの生き方を考え直すようになることを望んでやみません。しかし、私はいかなる特定の理論を擁護する気もなければ、何か具体的なアドバイスをする気もありません。本書での私の目標は、読者の皆さんに、何をすべきかを伝えることではなく、自分たちと将来世代の人びととのあいだの関係について考え直す機会をもってもらうことなのです。
 導入レクチャーでは、壊れた世界とわれわれが暮らす「富裕代(affluent age)」とのあいだの主たる相違点について、おおまかに説明します。後段で明らかになるように、文明が完全に崩壊し、現在の人口のひと握りしか生き残らないといった、よくあるポスト黙示録的シナリオは設定しません。そこでは依然として組織化された社会が存在し、各人は壊れた世界の中で、何とかかんとか生き残ってゆく方法を見つけ出しているような状態にあります。壊れた世界の到来が、いつごろのことなのかということに関し、正確な日付は示しませんが、だいたい今から50年から100年後くらいを考えています。読者からすると、この世界の住人たちは、(せいぜい)自分の玄孫くらいで、それ以上遠い世代ではないということになります。また、この架空の講義がどこで行われているのかという点についても、地理的な設定を明確にするつもりはないのですが、北米や西ヨーロッパ、あるいはオーストラリア辺りの西洋先進国の生き残りのどこかで行われているものとします。以上のような非常に一般的な設定以外には、壊れた世界での生活のディテールを描き出すことはしないつもりです。本書は、理論哲学に関するものであり、思弁小説(speculative fiction)の実践ではありません。
 壊れた世界が必ず到来するとは言いません。人類の未来は、それよりも、もっと明るいものかもしれないし、逆にもっと暗いものかもしれません。グローバルな気候システムを取り巻く不確定性(とそれに対する人類の反応)があまりに大きなものであるため、誰も自信をもって何かを予測することは出来ないのです。わたしは、ただ、気候変動のようなものが、あり得べき未来のひとつであるということを主張するだけです。
 本書を読む上で、前もって哲学に馴れ親しんでいることは想定されていません。ここでは、今までにないやり方で、学部の導入的な政治哲学のコースで伝統的にカバーされてきたトピックの多くを紹介することになります。本書は、想像上の未来の学生たちと同様、読者の皆さんに対しても重要な著作を紹介するように構成されています。しかしながら、既に現代哲学をよく知っている読者にも興味をもって貰えるよう、十分にオリジナルな素材も盛り込むように努めています。第4講、11講、15講の3つの講義は、他の講義と比べると特に思弁的で挑戦的なものとなっています。これらの講義では、富裕代の哲学をダイレクトに壊れた世界に適用してみています。現実のコースでは、これらの講義は、せいぜい任意の読書課題に留まるでしょう。リーディング・リストは、テキストの中で議論されるすべての一次的ソースと精選された二次的ソースを含みます。
 壊れた世界の住人たちは、「富裕(代)」という言葉を、われわれが「中世」とか「古代」とか言うのと同じように使います。それは人類の歴史のなかの一時代である富裕な時代を意味します。「富裕代の哲学者」とは、その時代に存在した、その頃に特有の哲学者を指します。この〔富裕代という〕言葉を選んだのは、それが、われわれの社会とそこでの価値についてもっとも明確なものとして、壊れた世界の人びとの心を捉える言葉だろうと思ったからです。
 壊れた世界を枠づける舞台装置に加え、本書は以下の三つの点で標準的な入門書とは異なった特徴を有しています。最初の二つは実質的なものですが、第一に、標準的な入門書と比べ、本書でははるかに多くのスペースを世代間問題について割いています。本書のなかでも繰り返し述べることとなるように、壊れた未来という亡霊は、この無視された倫理領域の道徳的な重要性を大幅に高めることとなります。つまり、壊れた世界の人びとは、富裕代の思想のこのような側面〔=世代間倫理への関心の希薄さ〕を強調することになります。
 未来の人びとや壊れた世界の舞台設定のためにスペースを割いているので、本書を適切な分量に保つため、標準的な講義で通常期待されるくらいの数の思想家や理論を扱う余裕はありません。本書は網羅的であるよりは、ある種の典型を示すことを目指します。〔思想家や理論を〕取り上げるにあたっての基準は、現代哲学の流派の中で、われわれの富裕代の代表として壊れた世界の人びとの心を捉えるものはどれかという点です。従って、現代の資本主義的なリベラル・デモクラシーの擁護者を、不釣り合いに多く選び出すこととなりました。西洋式のライフスタイルに対して無数に存在するラディカルな批判を脇におくことは奇妙に見えるかもしれませんが、本書での章立ては、富裕代と壊れた世界とのあいだの違いに対してシャープに焦点があてられることになるはずです。さらに、本書は、根本的な変化について多くを語るのではあるけれど、壊れた未来を回避することの出来なかった富裕代に対する内在的批判を基礎としています。このように、それらはわれわれの時代に代表的なものとして思い出されることはないでしょう(富裕代の哲学に関して、もっとバランスのとれた説明をのぞむ読者は、リーディング・リストの中に示唆を見つけることが出来るでしょう)。
 本書の最後の特徴は、叙述の仕方にあります。わたしは、この架空のクラスに出席する学生たちを風変わりな過去の富裕代という時代を回顧する無感動な観察者として描き出しはしません。彼らは、われわれを我執にとらわれた世界の破壊者だと思っているのです。たぶん、奴隷制を敷いていたり異端を焼き殺していたりしていた過去の世代に対してわれわれが抱くのと同じような思いを、彼らはわれわれに対して持っています。このひとたちは怒っているのであって、その感情は時おり、本書のなかにも浸み出してくることとなります。架空の学生や教師たちは、時として非共感的でアンフェアでさえあります。つまるところ、われわれの状況に関する彼らの知識は、非常に不完全なものなのです。再びになりますが、もし誰かが他の人の世界を壊してしまったら、壊された方は壊したひとに共感を期待出来るでしょうか。

(中略)

 富裕代の哲学は、膨大な著作や論文、それらに対するコメンタリーなどを生産したが、今日まで遺されているものは、ほとんど存在しない。富裕代以前の書き手たちは、彼らの思想を木石やパピルス、あるいは紙など耐久性のあるメディアに保存したが、富裕代の人びとは、自らの技術優位性に対する過信のあまり、それら旧式のメディアを打ち棄て、すべてのコンテンツを電子メディアに移しかえたのだった。こうして、富裕代の終焉に先駆けたインターネット崩壊期に、これまで営々と蓄積されてきた人類の叡智は、永久に失われてしまったのである。
 このレクチャーで扱う中心的なテキストは、西大西洋沿岸に海没した都市から最近になって発掘された富裕代哲学の断片―― かの有名なプリンストン古文書群(Princeton Codex)である。本コースでは、毎週このテキストの一部を読み進めてゆくこととする。主要な富裕代の哲学者の書いたものの一節や、それに対して当時書かれたコメントなどである。しかるのち、私の方から、それぞれの哲学的トピックに関する簡単な概括を行うこととしたい。

 

 以下は、目次である。


《目次》

全4部構成(権利論/功利主義/社会契約説/デモクラシー)
前書き、イントロ+17章=全19章

前書き:壊れた世界を想像してみよう【03】
導入レクチャー:富裕代の哲学【16】

第Ⅰ部―― 権利論
第01講:ノージックの権利論【14】
第02講:自己所有【15】
第03講:ロックの但し書き【09】
第04講:壊れた世界のノージック【13】
第05講:ナショナリズム【09】

第Ⅱ部―― 功利主義
第06講:行為功利主義【11】
第07講:規則功利主義【11】
第08講:福利と価値【13】
第09講:ミルの自由論【09】
第10講:功利主義と未来の人びと【11】
第11講:功利主義と壊れた世界【15】

第Ⅲ部―― 社会契約説
第12講:ホッブスとロック【12】
第13講:ロールズ【13】
第14講:ロールズと未来【12】
第15講:壊れた世界のロールズ【13】

第Ⅳ部―― デモクラシー
第16講:デモクラシー【13】
第17講:デモクラシーと未来【10】

 

 以上、熱意ある学生を待っています。