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『日本思想史講座』第4巻:近代(3・完)

書評

日本思想史講座(4)近代

日本思想史講座(4)近代

 松田宏一郎「福沢諭吉と明治国家」読了。いつものことながら松田先生の書かれたものは大変勉強になる。松田先生は、ご著書に『江戸の知識から明治の政治へ』があるが、これは以前読んだ際、余りの面白さに夢中になったものである。法哲学・政治哲学に興味のある人にとっても必読の書だろう。

江戸の知識から明治の政治へ

江戸の知識から明治の政治へ

 それはさておき、論文についてだが、主旨は福沢が「国家と国民というもの」についてどう考えていたかの概観。「専制と自由」、「権力のバランスと対抗」、「国家の正当性と制度への信頼」、「世論と動員」」といった問題について整理されている。--以下、やはり私自身の研究ノートからのメモの抜粋。強調は谷口による。

 

●「「専制」とは、政治体制の問題としてよりも、個人の気力を削ぎ能力の発現や競争を阻害する社会的圧力として非難された」[70]

●「専制」人びとの「惑溺」と共犯関係。これを打ち破るのは「知力」[70]

●「平均」=「対抗する力がぶつかりあって均衡を得るといった力学的バランス」[71]

●「修身及家、平均天下」『礼記』[72]

●「福沢の用語法はむしろ多様な価値関心の間での対抗関係が生き続けることを、肯定的にとらえようとする新しい用法」[72]

●「平均」⇔「偏重」→「惑溺」→「専制」[72]

● p.74より、ミルの『代議制統治論』について

●「ミルの『自由論』に現れる、専制政治とアジア的国家の強い結びつきについての言及・・・早くから学問が発達し、競争試験によって優秀な人材を中央政府に登用する制度を確立していた中国が、あらゆる進歩の目を摘み取る権威主義的な体制になったのはなぜか」[75]

●「才力」・・・「明治国家は徳川体制を捨てたかもしれないが、新たに中国的専制を採用しようとしている。才能がある者が権力機構に登用されるだけでは「専制」という問題は解決しない」[76]

●「争論」の必要性。ミル『代議制統治論』、福沢『国会論』[76-77]

 

 上記のメモは前半に偏っているが、ちょうど私自身もミルの『代議制統治論』について最近書いたところで、その点からも非常に興味深く読んだ。書いたものは、近々出版される筈なのだが、ナカニシヤ出版から刊行されるシリーズ『立法学のフロンティア』の第1巻に収録される予定の「ミル・代議制・中国」というものである。色々な事情があって、我ながら今ひとつの出来なのだが、刊行されたら別途またお知らせします。