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わたしの夏、翻訳の夏/ダニエル・A・ベル『孔子襲来--現代中国思想地図』

 夏休みに入ったのだが、全くもって夏休みではなく、ダニエル・A・ベルの『中国の新しい儒教(China's New Confucianism)』の翻訳作業を毎日コツコツとやっている。

China's New Confucianism: Politics and Everyday Life in a Changing Society

China's New Confucianism: Politics and Everyday Life in a Changing Society

 先に出版した『ゾンビ襲来』も、ちょうど去年の今ごろ暑いさなかに作業していたので、「夏=翻訳の季節」というルーチンになりつつある。村上春樹によるなら、翻訳とは「雨の中の露天風呂」のようなものということなのだが、私にとっての翻訳は「真夏のサウナ」である・・・。去年はゲラを持って川まで行き、ひとりで平日の昼のひなかから裸足で川にじゃぶじゃぶ入り(下掲載、写真)、川の真ん中で訳稿を持ってブツブツ言ったりしていたので、近隣の住民からは、さぞ怪しい人間に見えたことだろう・・・。警察に通報されなかったのが救いである。

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 閑話休題。

 

 ベルの本はtwitterでも、これまで何度か触れたことがあるが、折角なので改めて紹介しておくと、著者はカナダのマッギル大を出た後、オックスフォードで博士号を取り、ウィル・キムリッカ(Will Kymlicka)の指導を受けたりした政治哲学者である。博士号での研究テーマはコミュニタリアニズムなのだが、この博論を出版したものの内容が、ふるっており、全編これ対話体である。タイトルは『コミュニタリアニズムとその論敵(Communitarianism and Its Critics)』。日本で、こんな博論、許されるのだろうか?それに対するキムリッカからの応答も全編これ対話体となっている。みなノリが良すぎる・・・。大昔、ある出版社から、この博論を元にした本の翻訳を出すという話があり、私が企画案と試訳を送ったのだが、ベル自身が改訂版を出すので待ってね、という話になり、今日に至っている。改訂版いつ出るのかな?

Communitarianism and Its Critics

Communitarianism and Its Critics

 ベルは、オックスフォードを修了した後、シンガポール国立大に赴任し、その後、返還前の香港中文大を経て、現在、西洋人としては初めて中国本土の清華大学で政治哲学を教えている。わたし自身も、何度か酒席もご一緒したことがあるが、とてもチャーミングな人物である。その著作は既に日本語でも出版されている。『「アジア的価値」とリベラル・デモクラシー』というもので、九州大学の施光恒さんなどが翻訳されている。なお、有名な『資本主義の文化矛盾』の著者とは別人であり、両者は親戚関係であるらしい。

「アジア的価値」とリベラル・デモクラシー―東洋と西洋の対話

「アジア的価値」とリベラル・デモクラシー―東洋と西洋の対話

 本書 “China's New Confucianism” の内容はタイトルの示す通り、現代中国における「儒教の復権」について記したものなのだが、上述のように、欧米で学問的訓練を受けたベルの政治哲学(現代正義論)的素養と、東アジア世界で長らく暮らした彼自身の実体験を踏まえた上で、現代中国の思想状況が論じられており、わが国の法学部科目でいうなら丸山眞男以来の日本政治思想史と我が法哲学が融合したような、実に興味深い内容となっている。

 昨今、書店に行くと中国関係の本は書棚に溢れており、その多くは、いささか過剰な「熱量」を孕んだものとなっているように見受けられるが、(政治)哲学/思想的な側面から中国について大局的(かつ冷静に)に論じたものは、ほぼ皆無であるので、その点、中国に関してこれまでとは違った側面から考える上でも興味深い本である。この点、(大いに)読むに値するのは、王前さんの『中国が読んだ現代思想--サルトルからデリダ、シュミット、ロールズまで』ではないだろうか。この本は、マストバイである。

中国が読んだ現代思想 サルトルからデリダ、シュミット、ロールズまで (講談社選書メチエ)

中国が読んだ現代思想 サルトルからデリダ、シュミット、ロールズまで (講談社選書メチエ)

 以下、本書の目次(仮)であるが、大変面白い内容なので、刊行の暁には多くの読者に手に取って貰えることを願うばかりである。なお、タイトルは、たぶん『孔子襲来--現代中国思想地図』みたいな感じになる予定。

 

《第Ⅰ部:政治》

 第1章 共産主義から儒教へ――中国政治の変わりゆく言説

 第2章 戦争と平和、中国のソフトパワー

 第3章 平等を演出する儀礼

《第Ⅱ部:社会》

 第4章 セックスと歌と礼節――カラオケの代償とメリット

 第5章 家政婦の遇し方

 第6章 スポーツの政治学――ワールドカップからオリンピックまで

《第Ⅲ部:教育》

 第7章 批判的思考(クリシン)のクリティーク

 第8章 北京で政治理論を教えるということ

 第9章 儒者になる――老人で生真面目、保守的である必要はない

《第Ⅳ部:現代中国の儒教再論》

 第10章 論語の脱政治化

 第11章 蒋慶の政治儒学

 

 そのようなワケで、随分と〆切もシビアなことになっているため、再び「サウナ」に戻らなければならない・・・。

 

【余談1】

 自分用のメモも兼ねてだが、この本の中では中国の古典が少なからず引用されており、その各々について適切な参照テキストを以下、記しておく。これについては、日本政治思想史や中国哲学を専門にする知己の方々から多大なるご教示を頂き、伏して謝すところである。

 訳文:倉石武四郎『口語訳論語』(筑摩叢書)

 訓読:宇野哲人『論語新釈』(講談社学術文庫)

 孟子:宇野精一『新釈孟子全講』(学燈社)

 英訳: WaleyやLeggの既存の英訳を参照?

 翻訳していて思ったのが、ベル自身、上記のようなコトを含め、例えば『論語』に関しては、そもそも『集注』を参照しているのかといったような基本的な事柄についてさえ、明確には言及してはいない。彼自身、清華大学で「経学」を専門にしている同僚からも色々教えて貰っていると書いているのだが、しかし、わが国で江戸時代などを通して蓄積されて来たような形での解釈学的伝統は、「本場」においては文革その他の影響などもあり、薄いものとなっているのかな、とも。

 

【余談2】

 個人的な思い出だが、備忘録も兼ねて以下。ベルに初めて会ったのは、本郷の山の上会館で1999年よりちょっと前に開催された(第1回?)東アジア法哲学シンポジウムで彼が報告をしていた時だったように記憶している。その時の報告をまとめたものが、多分『変容するアジアの法と哲学』(有斐閣)なのだと思うのだが、この中にベルは既に「21世紀の儒教民主主義」という文章を寄稿している。シンポジウムの際には、或る西洋の女性学者がベルの報告に対して、猛然と噛みついていたのを覚えている。私もその時には「なんか物凄いアレなこと(しかし面白い)ことを喋ってる学者が居るな(笑)」と思ったくらいだったのだが。
 その後、東京大学出版会のシリーズ『公共哲学3:日本における公と私』の元になったシンポジウム(たぶん)で駒場で再会し、ちょっとココでは書けないような悪い話(things politics)を色々して、お互い笑っていた記憶も蘇った。
 ベルと最初に喋った時に意気投合したのは、ポール・セロー(Paul Theroux)の「詩のレッスン(Poetry Lesson)」 という短編小説についての話題であり、この小説は雑誌 “New Yorker” の年末短編小説特集号に載ったものだった。内容は、シンガポールの悪口満載の話で、英文学が専門の大学講師だかがシンガポールの金持ちに頼まれて詩の家庭教師をするといったようなもの。日本語に訳されているのかは知らないが、セローの “My Other Life” の中に収録されている。