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日本の夏、競輪の夏

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  過日、ゼミの有志と連れだって、京王閣で開催されているナイター競輪を観戦しに行った。京王線でウチの大学に通う学生の中には、京王多摩川駅の横に聳えるあの巨大な建物は何だろう?と思っている人も少なからず居るのではないかと思うが、由緒正しい競輪場なのである(50円ぽっきりで入場出来る)。

 わたしは基本的に賭け事はしないのだが、ある時ふと、つげ義春の漫画の中に京王閣が出て来るのを思い出してふらりと訪れたのだった。爾来、たまに競輪を観に行っている。

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 競輪はルールその他がけっこう複雑なので、私も未だによく分からないことが多いのだが、金を賭けて本気で稼ごうとかいう話ではなく、村上春樹の小説やエッセイによく出て来る神宮球場の外野席みたいなモンだと思ってもらえばよい。そのマッタリ感にひたるため、吹きさらしのスタンド席へ行くのである。京王閣名物の牛スジをビールで流し込みながら観るナイターは、格別だ。陽が暮れた後、場内はライトアップされ、色とりどりのユニフォームを着た選手たちが颯爽とバンクを駆け抜けてゆく姿には、哀愁のにじんだ美しささえ感じられる。打鐘(ジャン)が鳴り響く「前」と「後」での静動の激しい対比もまた、一興であろう。

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 ただ、実際に競輪場に行くと、ほとんどの来訪者は色んな意味で恐ろしく年季の入った年配者ばかりで、先日も学生たちとビールを買っていたら、やはり年季の入った競輪ファンのジイさん年配男性から「若いのに感心だねえ!」とお褒めの言葉をいただいたりもした。我々が行った日はF1の予選だったので、こちらが心配になるほど人が少なく、今後、競輪自体、いつまでもつのかは分からない(実際、廃止された競輪場もぽつぽつあると聞いている)。最近、女子競輪も復活したが、何とか末永く続いて欲しいものである。

 

 余談だが、競輪は1948年に九州は小倉で発祥したものである。初期には暴動が頻発し開催を中止されることがあったり、美濃部都政期の都営ギャンブル全廃などといった出来事もあったりしたが、幾多の時代の荒波をくぐり抜け、何とかかんとか今日まで続いている。競輪を含む公営ギャンブルと自治体の関係については、集英社新書で三好円『バクチと自治体』という本が出ているが、これは、とても面白い本なので、興味のわいた人には読んでみるとよいだろう。この本の中でわたしが一番好きなのは競輪暴動のエピソードを記した下りで、その暴動の余りの凄まじさに初めて読んだ時、不謹慎にも腹を抱えて笑ってしまった。行政学とか地方自治の観点からも面白い。

バクチと自治体 (集英社新書 495H)

バクチと自治体 (集英社新書 495H)

 なお、競輪に関する金字塔的傑作は、もちろん、2006年に18年にも及ぶ長期連載を終了させた田中誠の『(二輪乃書)ギャンブルレーサー』である。この中で描き出される荒みきった群像劇は、人間学的考察の一極北をなしているといっても過言ではない。