丸山圭三郎とカラオケ、そしてヒップホップ

 最近、思うところあって丸山圭三郎『人はなぜ歌うのか』(飛鳥新社、1991年刊)を読んだ。私自身の長期的な研究プログラムに関係あるのだけど、それについては未だ秘密。

人はなぜ歌うのか

人はなぜ歌うのか

 それはさておき、丸山圭三郎、実に実に久しぶりである。一世を風靡した「ソシュール研究の第一人者」だったわけだけど、今の若い人とか、どれくらい彼の名前を知っているだろうか。

  ソシュールまわりの現代言語論は、たいそう流行った時期があり、立川健二とか個性的な書き手も居た。山田広昭との共著『現代言語論ソシュールフロイトウィトゲンシュタイン新曜社ワードマップ、1990年刊)とかイイ本だった。

現代言語論―ソシュール フロイト ウィトゲンシュタイン (ワードマップ)

現代言語論―ソシュール フロイト ウィトゲンシュタイン (ワードマップ)

   意味がゲシュタルト崩壊する事例として、内田春菊の漫画を使って説明してたりしていた。カラス、カラス、カラス、カラス・・・意味崩壊・・・みたいな。

  立川健二の本は『誘惑論:言語と(しての)主体』新曜社ノマド叢書、1991年刊)とかもあり、この辺、タイトルからして(叢書名もだが)実に《時代》を感じる・・・。そういう時代があったのだよ。

  話が逸れまくったけど、丸山の『人はなぜ歌うのか』。タイトル通り、カラオケについて「哲学的考察」をしているのかと思って読み始めたら、カラオケ教室の功罪とか、楽譜を用いた歌い方指南などが、かなりの分量を占めており唖然とする。

  個別のエピソードなどには面白いところがある。音痴をウリにしてカーネギーホールで歌ったフローレンス・ジェンキンスの話とか、『文学部唯野教授』で教授連が行きつけのカラオケ・スナックで悲惨な状況になる下りを引用した部分とか。

  丸山は中央大学在職中、六〇歳の若さで世を去ってしまうのだが、彼は一体どこでカラオケしてたんだろうか。中大のキャンパスが多摩に移転したのは七〇年代なので、多摩キャンからだと多摩センターとか調布とか?

  いま翻訳してるダニエル・A・ベルの『中国の新しい儒教(China's New Confucianism)』でも、繰り返し「(東アジア世界では)カラオケ大事だ!」と主張されているのだが、カラオケについて、もっとカチっとした研究ないもんかな、と思う昨今である。

China's New Confucianism: Politics and Everyday Life in a Changing Society (New in Paper)

China's New Confucianism: Politics and Everyday Life in a Changing Society (New in Paper)

  カラオケと比定するのは「ジャンル」なのでアレなのだが、長谷川町蔵・大和田俊之『文化系のためのヒップホップ入門』みたいなのが、カラオケでも出ないかなと切望するところである。

文化系のためのヒップホップ入門 (いりぐちアルテス002)

文化系のためのヒップホップ入門 (いりぐちアルテス002)

  この『文化系のためのヒップホップ入門』(ARTES、2011年刊)は、本当に超マジで名著で、ヒップホップ自体に興味がなくても腹抱えて笑い転げながら読むことが出来る。アメリカ文化史としても超一級の読み物である。