希少な資源としての権力の育て方--砂原庸介『民主主義の条件』

 

民主主義の条件

民主主義の条件

 

  巷では第18回統一地方選挙が繰り広げられているが、本日、折よく砂原庸介『民主主義の条件』(東洋経済)を読了した。とても読みやすい本だが、だからこそ著者の苦心が偲ばれ、また自分が書く際の参考にもなった。

 ひと言で本書の肝は何か?と聞かれたら、多分それは「多数派のつくり方」であって、そこでは「政党」が重要な役割を果たすことになる。もっと言うと、これは「選挙(制度)」に関する、じつに簡にして要を得た本で、これまで出ている選挙関係の一般向け書籍の中では、簡明さと精確さを兼ね備えた点で、群を抜いている。

 法学部で学んでいる人は「選挙」とか「政党」と聞くと「一票の格差」とか「八幡製鉄事件」とかを個別バラバラに想起するだろうが、この本を読めば、それら全てがどのように有機的に連関しているのかを知ることが出来る。

 以前、ある研究会で聞いた「権力の過剰と希少」という話があった。法学者は国法の頂点たる憲法自体が権力制限規範であることからも明らかなように、いかにして過剰になりがちな権力を制限するかに注目するが、これに対して政治学者は権力はむしろ希少で、いかにしてそれを育むかに関心を持つ、というものである。

 本書はこの点、希少な資源としての権力(多数派形成、政党など)の育成を選挙という制度知の観点からじっくりと分かりやすく考察するもので、上記の意味での政治学の「王道」を行く。

 以下、個別の論点になるが、中選挙区制の問題点の話は大変面白かった。1994年に廃止されるまで日本の衆院選は中選挙区制だったのだが、わたしは家族の関係で(政治家ではない)子どもの頃から選挙が身近だったため、あの中選挙区制下でのタコ殴りみたいな血みどろの選挙がすり込まれており、その点、中選挙区制へのやみがたいノスタルジーがあったのだが、今回この本を読んで、憑き物が落ちたような気もした。

 話が少し脱線するが、わたしの郷里は大分県別府市で、この準農村選挙区における選挙の生々しい実態については、ジェラルド・カーチス『代議士の誕生』を読めば、よく分かる。この本については以前このブログでも触れたが、名著なので、中選挙区制をもはや歴史としてしか知らない今の学生も、この本を読めば、55年体制下(中選挙区制下)での選挙が、どういうものだったのか、良く分かると思う。 

ジェラルド・カーティス 『代議士の誕生』 - 法哲学/研究教育余録

日経BPクラシックス 代議士の誕生

日経BPクラシックス 代議士の誕生

 

  中選挙区制の章では、「世田谷区」(区議会選挙)が取り上げられていたが、長らく世田谷に暮らしたわたしにとって、「他の候補との違いを強調する」、「選択肢が多すぎると、まともに選ぶことが出来なくなる。」、「ごく一部の支持によって当選出来るとなると、どれだけひどい議員であっても、「選挙で落選させる」という脅しが効きにくくなります。」[33-34]といった辺りの記述は、そうそうと苦笑せざるを得なかった。都議もそうなんだけど、本当に信じられないくらいどうしようもない議員(候補者)でも、落ちないんだな、コレが。

 あと、本当にどうでもイイ話だが、政党内デモクラシーに関する章で取り上げられた往時の自民党総裁選に関する下りで「サントリー、ニッカ、オールドパー[107]」という懐かしい話が出て来るのだが、当時はまだ日本オールドパーっていう会社があったよね、と思いだした。その後、五反田に本社を置く United Distillers Japan が扱ったんだけど、この会社も今はもう無い。この辺りについては、どうでもイイ話だが、以下。

「スコッチ親善大使」回想記 - 法哲学/研究教育余録

 細かいネタだが、「架空転入」の話[169]は面白かった。Fukumoto and Horiuchi, 2011, Making Outsiders’ Votes Count: Detecting Electoral Fraud Through a Natural Experiment。あとで読んでみよ。

Making Outsiders’ Votes Count: Detecting Electoral Fraud Through a Natural Experiment by Kentaro Fukumoto, Yusaku Horiuchi :: SSRN

 

 本書の結論は実に明確で、以下の通り。

1.まずは地方議会の選挙制度改革。
2.第三者機関による選挙制度改革の提案
3.非拘束名簿式比例代表制が現実的

 

 余談だが、ちょうど選挙中(東京は未だ公示されていないが)ということもあり、公職選挙法については、どうなんだろう?とも、少し思った。

 

 最後になるが、本書は明確に自らの立場を打ち出しており、もって議論喚起もしていて、とても好感を持った。--冒頭にも書いた通り、統一地方選の今こそ読むべき本だろう。少なからぬわたしの友人たちも今回の選挙に挑んでいるが、今週末の12日(日)、若しくは26日(日)が投票日である。定価1600円+税くらいなんで、学生はみんな買うとイイと思う、あと立候補してるひとも。

 

 追記--twitter(鍵垢)の方から面白いレスポンスを頂いたので以下、転載しておく。

 

 国際政治は「権力を上手く育てたい」(国際組織や地域統合)一方で、「権力を特定国に集中させたくない」(勢力均衡や集団安保)と、ねじれているなぁと感じました。国際政治学の異形さが浮き彫りにされたというか……笑

 国際組織シンパの人は、組織の権力が過剰になることに楽観的なんじゃないかと疑問を持っていましたが、それが「政治学的」特徴とは思いませんでした。ありがとうございました。

 

2015年度ゼミのお知らせ(4月4日版)

 今年4月からの谷口(法哲学)ゼミについてのご案内、改訂再掲。英語文献2冊読むと下には書いてありますが、様子を見て、場合によってはシェリングの1冊のみでも。

 本日夕方がWebシラバスの入力〆切だったので、さっき登録完了しました。というわけで、以下、今年の4月からの谷口ゼミ(法哲学)の簡単な紹介。ゼミは、やる気があれば、2年生からでも参加可能です。

 今回は少し欲張りで、以下の英語の本を2冊読みます。1冊目は、ノーベル経済学賞受賞者でもあるトマス・シェリングの名著 Micromotives and Macrobehavior。1978年に出た本で、2006年にノーベル賞受賞スピーチも収録した増補版のペーパーバックが出てます。めちゃくちゃ面白い本なので、騙されてでも一度は読むべき。 私は昔、法社会学の太田勝造先生のゼミで読みましたが、面白くて興奮したの覚えてます。

Micromotives and Macrobehavior

Micromotives and Macrobehavior

 

  もう1冊は、「郊外の正義論」とでも言うべき本で、Thad Williamson という人の『スプロール、正義、市民権(Sprawl, Justice and Citizenship)』(2010年刊)。スプロール化に関する実証研究をもとに、正議論(エガリタリアン、リベラル、リバタリアン、共和主義 etc...)を用いて郊外コミュニティのあり方を斬る!という感じのもの。これは少し分厚いので部分的に読むことになるかも。 

Sprawl, Justice, and Citizenship: The Civic Costs of the American Way of Life

Sprawl, Justice, and Citizenship: The Civic Costs of the American Way of Life

 

  全体を通したテーマは、ちょっと付けにくいのだけれども、「ひとの移動の基礎議論」と「郊外の正義論」という感じで。

 基本的には法学系の学生対象のゼミですが、これまで通り、人文社会系の学生の参加も歓迎します。

 この項、また加筆するかもしれませんが、取りあえず速報で。

 

大学院ガイダンスでの挨拶

 以下、大学院主任としての初仕事。 2015年4月1日。備忘のため掲載しておく。

○ まずはご入学・ご進学おめでとうございます。
○ 私も17年ほど前に大学院に「入院」しましたが、この世界は「退院」というものはないので、病気が重くなるほど、助教・准教授・教授とか新しい病名がついて行きます。先ず皆さんが獲得すべき病名は「修士」とか「博士」でありますが。
○ 研究は、基本的に誰の手も借りることは出来ず、自分ひとりでやるものなので、先ず修士論文や博士論文を仕上げるまでの間は、精神の健康に十分に留意して生活を送って下さい。
○ これまで多くのひとが精神に失調を来したのを目にしてきたので、これは最も大切な問題です。
○ この点、わたし自身の短くない研究生活からの助言としては、とにかく朝起きて、夜寝ることです。夜遅くまで起きていて良いことは何もありません。
○ モリス・ブランショという人の言葉に次のようなものがあります。
○ Les gens qui dorment mal apparaissent toujours plus ou moins coupables :
que font-ils ? Ils rendent la nuit présente.
○ 日本語で言うと「夜熟睡しない人間は多かれ少なかれ罪を犯している。 彼らはなにをするのか。夜を現存させているのだ。」という意味。
○ 要するに、「早く寝ろ」ということです。
○ そういうわけで、本日以降、早寝早起きを励行し、研究に邁進して頂ければと思います。
○ 以上。

選書リスト「郊外・ショッピングモール・共同体」(谷口功一)

 拙著『ショッピングモールの法哲学』の刊行に際し、版元の白水社twitter公式アカウントでも連載?的に紹介されていた「選書」の一覧を以下にまとめておきました。品切れ・絶版書などは避け、現在入手可能なものを中心に選んであります。ご笑覧頂ければ幸いです。

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選書リスト「郊外・ショッピングモール・共同体」

選者:谷口 功一 

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《郊外/コミュニティ》

三浦展ファスト風土化する日本――郊外化とその病理』洋泉社新書y:郊外化の問題性を初めてショッキングなかたちで提起したものとしての功績(破壊力)は大きい。郊外論の一里塚。 

ファスト風土化する日本―郊外化とその病理 (新書y)

ファスト風土化する日本―郊外化とその病理 (新書y)

 

 ◎宮台真司『日本の難点』幻冬舎新書:郊外化を多角的・総合的な観点から描き出した力作。提示されるパワフルなビジョンは、一読の価値あり。 

日本の難点 (幻冬舎新書)

日本の難点 (幻冬舎新書)

 

 ◎本間義人『居住の貧困』岩波新書:郊外を含む、日本人の居住空間と住宅政策に関する簡にして要を得た一冊。とにかく勉強になる。同著者の『国土計画を考える』中公新書、1999年)は、名著ながらも残念ながら品切れ。 

居住の貧困 (岩波新書)

居住の貧困 (岩波新書)

 

 ◎原武史『団地の空間政治学』NHKブックス:高度成長期に燦然と輝いていた「団地文化」とは何だったのか?政治思想史から団地を探る。 

団地の空間政治学 (NHKブックス No.1195)

団地の空間政治学 (NHKブックス No.1195)

 

 ◎大山顕佐藤大速水健朗『団地団――ベランダから見渡す映画論』キネマ旬報社:映画・漫画・アニメに登場する団地、団地、団地!団地愛に溢れた一冊。 

団地団 ?ベランダから見渡す映画論?

団地団 ?ベランダから見渡す映画論?

 

 ◎杉田聡『買物難民――もうひとつの高齢者問題』大月書店:郊外化と高齢化のひとつの差し迫った帰結。もはや、他人ごとではない。同著者の『「買い物難民」をなくせ! 消える商店街、孤立する高齢者』中公新書ラクレ、もオススメ。 

買物難民―もうひとつの高齢者問題

買物難民―もうひとつの高齢者問題

 

 

 ◎岩間信之『フードデザート問題―無縁社会が生む「食の砂漠」』農林統計協会:「買い物難民」問題の深層をさらに抉った研究。GIS(地理情報システム)を用いた商業地理学からのアプローチなど目から鱗の研究テンコ盛り。今そこにある危機。 

フードデザート問題―無縁社会が生む「食の砂漠」

フードデザート問題―無縁社会が生む「食の砂漠」

 

  ◎安田『差別と貧困の外国人労働者集英社新書:日本の郊外の未来を先取りした一冊。内容は、大きく分けて中国人研修生と日系ブラジル人コミュニティについて。私は、これを読んで「日本人」であることに恥辱を感じた。必読。 

ルポ 差別と貧困の外国人労働者 (光文社新書)

ルポ 差別と貧困の外国人労働者 (光文社新書)

 

 ◎矢作弘『縮小都市の挑戦』岩波新書:不可避の人口縮減社会の行方は?デトロイトトリノの都市再生事例を参照しながら日本の地域活性化を論じる。キーワードは「都市間競争」ではなく「都市間協働/連携」。 

縮小都市の挑戦 (岩波新書)

縮小都市の挑戦 (岩波新書)

 

  ◎山岡淳一郎『マンション崩壊――あなたの街が廃墟になる日』日経BP社:どれだけの人びとが集合住宅に住んでいるのかを想像するなら、日本のコミュニティについて考える際、マンションに思いを致さないのが罪悪でさえあることは自明である。 一読唖然、必至。余談だが、この本の表紙に写っているマンションは南大沢のそれである。 

マンション崩壊 ?あなたの街が廃墟になる日

マンション崩壊 ?あなたの街が廃墟になる日

 

 ◎鈴木大介『出会い系のシングルマザーたち―欲望と貧困のはざまで』朝日新聞出版:地方/郊外の貧困とは?鈴木大介の著作は、すべて黙って全て読むべし。話はそれからだ。 

出会い系のシングルマザーたち―欲望と貧困のはざまで

出会い系のシングルマザーたち―欲望と貧困のはざまで

 

 ◎渡辺靖『アメリカン・コミュニティ―国家と個人が交差する場所』新潮選書:良くも悪しくも日本の一歩先をゆくアメリカのコミュニティの現状に関する極めて興味深い報告。ゲイティッド・コミュニティやメガチャーチなど、現在進行形のアメリカ文化論の白眉。 

 ◎エヴァン・マッケンジー『プライベートピア―集合住宅による私的政府の誕生』世界思想社:ゲイティッド・コミュニティの実態と制度に関するバイブル的文献。リバタリアンはプライベートピアの夢を見る? 

プライベートピア―集合住宅による私的政府の誕生 (SEKAISHISO SEMINAR)

プライベートピア―集合住宅による私的政府の誕生 (SEKAISHISO SEMINAR)

 

 ◎ジャック・ドンズロ『都市が壊れるとき―― 郊外の危機に対応できるのはどのような政治か』人文書院:貧困、人種、民族によって分断されたフランスの郊外(Banlieue)を描き出す。シャルリ・エブド事件の背景とは? 

都市が壊れるとき: 郊外の危機に対応できるのはどのような政治か

都市が壊れるとき: 郊外の危機に対応できるのはどのような政治か

 

 

《ショッピングモール》

速水健朗『都市と消費とディズニーの夢――ショッピングモーライゼーションの時代』:ショッピングモール関連書では最先端の必読書。同著者のケータイ小説的。』(原書房)は残念ながら品切れだが、地方/郊外の文化環境・知的ミリウのリアルを描き出した傑作。特に学校図書館のエピソードは秀逸のち愕然。 

  

ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち

ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち

 

 ◎東浩紀編『思想地図β vol.1:ショッピング/パターン』合同会社コンテクチュアズ:ショッピングモールに関する議論の画期をつくった一冊。収録された座談は実に興味深い。 

思想地図β vol.1

思想地図β vol.1

 

 ◎新雅史『商店街はなぜ滅びるのか』:ショッピングモールに滅ぼされた(?)と言われる「商店街」盛衰の実相を描き出した力作。著者の「あとがき」が泣かせる。 

商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)

商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)

 

 ◎パコ・アンダーヒル『なぜ人はショッピングモールが大好きなのか』:ネガティブに評価されがちなショッピングモールをマーケティングの側面から実に興味深く描き出した傑作。端的に面白い! 

なぜ人はショッピングモールが大好きなのか

なぜ人はショッピングモールが大好きなのか

 

 ◎若林幹雄『モール化する都市と社会: 巨大商業施設論』:都市社会学からのモール化に関するアンソロジー。上記、速水氏とはまた違った側面からの様々な検討を行っている。ショッピングモール論のフロンティア。 

モール化する都市と社会: 巨大商業施設論

モール化する都市と社会: 巨大商業施設論

 

 ◎矢作弘『大型店とまちづくり――規制進むアメリカ、模索する日本』:大店規制に関する日米の状況について簡にして要を得た情報を得られる。ショッピングモール論の入門書としてもグッド。 

大型店とまちづくり―規制進むアメリカ,模索する日本 (岩波新書 新赤版 (960))

大型店とまちづくり―規制進むアメリカ,模索する日本 (岩波新書 新赤版 (960))

 

 ◎原田英生『アメリカの大型店問題――小売業をめぐる公的制度と市場主義幻想』有斐閣:上記の矢作本よりも更に専門的かつ最新の情報をアプデイトしたものとなっている。 

アメリカの大型店問題―小売業をめぐる公的制度と市場主義幻想

アメリカの大型店問題―小売業をめぐる公的制度と市場主義幻想

 

 ◎ダニエル・ドレズナー『ゾンビ襲来』白水社:ショッピングモールと言えば「ゾンビ」!これ常識。  

ゾンビ襲来: 国際政治理論で、その日に備える

ゾンビ襲来: 国際政治理論で、その日に備える

 

 

《文学作品》

川村湊『郊外の文学誌』:圧巻の郊外文学史。郊外文学を見渡すためには、先ずこれから。 

郊外の文学誌 (岩波現代文庫)

郊外の文学誌 (岩波現代文庫)

 

 恩田陸『Q&A』:ショッピングモールをモチーフとした魅力的な恩田ワールド。 

Q&A (幻冬舎文庫)

Q&A (幻冬舎文庫)

 

 角田光代空中庭園ニュータウン・ファミリーの黄昏と崩壊。小泉今日子主演の映画もオススメ。 

空中庭園 (文春文庫)

空中庭園 (文春文庫)

 

 重松清『見張り塔からずっと』ニュータウンの地獄。以前よりも安い価格で分譲マンションに入居してきた新参ファミリーへのいじめを描いた「カラス」は陰惨の極み。 

見張り塔からずっと (新潮文庫)

見張り塔からずっと (新潮文庫)

 

 ◎山内マリコ『ここは退屈迎えにきて』幻冬舎文庫:切なくも共感出来る2010年代の地方郊外のリアル。 

ここは退屈迎えに来て

ここは退屈迎えに来て

 

 ◎J.G.バラード、小山太一訳『スーパー・カンヌ』:郊外のディストピア的側面をえぐり出した怪作。訳文の妙が光る。 

スーパー・カンヌ

スーパー・カンヌ

 

 

《歴史の古層》

尾藤正英『荻生徂徠「政談」』講談社学術文庫スプロール化は江戸時代には既に始まっていた。天才・徂徠の議論は数百年の時を経ても、いまだ古びない。気鋭の中国哲学者・高山大毅による解説も一読の価値あり。 

荻生徂徠「政談」 (講談社学術文庫)

荻生徂徠「政談」 (講談社学術文庫)

 

 ◎マイケル・サンデル『民主政の不満 下―公共哲学を求めるアメリカ』上下巻、 勁草書房:現代正議論の雄、サンデルによるコミュニティ復権のマニフェスト的著作。サンデル史観によって描き出される「リベラル」対「共和主義」の闘争史、共和主義復権のための処方箋とは? 

民主政の不満―公共哲学を求めるアメリカ〈上〉手続き的共和国の憲法

民主政の不満―公共哲学を求めるアメリカ〈上〉手続き的共和国の憲法

 
民主政の不満 下―公共哲学を求めるアメリカ

民主政の不満 下―公共哲学を求めるアメリカ

 

  

《参考――海外文献》

◎Ellen Dunham-Jones + June Williamson, Retrofitting Suburbia , Wiley:タイトルは『郊外を再生する』。スプロール化の終焉?「スーパーサイズ・ミー」的世界からいかに脱却するか?郊外再生のための建築工学などからの視点。2010年度の私のゼミのテキスト。 

Retrofitting Suburbia: Urban Design Solutions for Redesigning Suburbs

Retrofitting Suburbia: Urban Design Solutions for Redesigning Suburbs

 

 ◎Thad Williamson, Sprawl, Justice, and Citizenship: The Civic Costs of the American Way of Life, Princeton UP:タイトルは『スプロール化、正義、市民性――アメリカンライフの市民的コスト』。正議論と郊外論を融合。平等論(egalitarianism)、功利主義リバタリアンなど様々な立場から郊外における市民性を検討する初の画期的著作。2015年度の私のゼミのテキストのひとつ。 

Sprawl, Justice, and Citizenship: The Civic Costs of the American Way of Life

Sprawl, Justice, and Citizenship: The Civic Costs of the American Way of Life

 

 ◎Andres Duany + Elizabeth Plater-Zyberk + Jeff Speck, Suburban Nation: The Rise of Sprawl and the Decline of the American Dream, North Point Press:タイトルは『郊外の国:スプロール化の勃興とアメリカン・ドリームの衰退』。スプロール化に伴う様々な問題を描き出す古典?的作品。 

Suburban Nation: The Rise of Sprawl and the Decline of the American Dream

Suburban Nation: The Rise of Sprawl and the Decline of the American Dream

 

 

以上。

都立大・首都大政治学総合演習60周年

 2015年2月28日、都立大学時代から続く法学部/法学系の政治学総合演習が今年をもって60周年を迎えたのを記念し、同僚の山田高敬先生による記念講演と懇親会が催された。

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 山田講演は、「国際レジーム後の世界~プライベート・ガバナンスと政府間組織によるオーケストレーション」と題されたもので、先生がバークレーに留学し、故 Ernst Bernard Haas に師事していた時代から現在に至るまでの研究を総括されるもの。山田先生の書かれたものをずっと読んで来た者としては大変興味深い内容だった。

 都立大時代に在職していた、半澤孝麿、御厨貴、石田淳、内山融、金井利之、五百旗頭薫の諸先生方や元院生、学生の方達がおいで下さり、盛会。最年長の半澤先生からは我々にとっては、もはや「神話時代」にも等しい、まだ都立大が目黒区八雲にあった頃の話や、升味準之輔先生の話などを伺うことが出来た。その他の方たちからも興味深くも面白い昔話。

 これまで書物などを通してお名前のみ知っていた諸先輩がたとお会いし、話させて頂くことが出来る貴重な機会となった。

 わたし自身、2005年に首都大/都立大に赴任して来て、今年で早や10年となるが、これほど教員・元教員間での結びつきが強く、大学に対する愛に溢れた学問共同体は無いのではないかと思わされる。そのような場に属することが出来たことを心から嬉しく思う。

 総合演習の記録は、40周年、50周年のものが冊子化されているので、時間のある時にゆっくりと読み直し、また別途ここでも紹介したい。

 とまれ実に佳い一日だった。

大分書店今昔

 私は生まれも育ちも大分県別府市なのだが、中学から高校まで隣の大分市にある岩田学園というところに通っていたため、都合6年間は、大分駅近辺をウロウロしていた。

 過日、所用あって帰省した際、久しぶりに電車に乗って別府湾沿いを走る日豊本線大分駅までゆき、大分市内の本屋を幾つか訪ねてみた。今にして思えば、実に風光明媚な通学路だった(下、私の通学路から望んだ別府市)。

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 中高生の頃は、パルコブックセンター、晃星堂書店、明屋書店、長崎屋の地下の書店、それから若草公園の近くに渋い古本屋などがあったのだが、今でも残っているのは晃星堂書店と明屋書店だけで、特にパルコはビル自体が取り壊されてコインパーキングとなってしまっていた・・・。古本屋は本当に思い出深く、塚本邦雄の『藤原定家』などを買ったのをよく覚えている。無くなってしまったのは、実に残念である。

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  パルコは2011年に閉店したが、それよりも前に地下のブックセンターは無くなってしまっており、代わって登場したのが斜向かいくらいのフォーラスビルに入っているジュンク堂書店だった。このジュンク堂は1995年開店なのだが、開店した年から帰省するたびに行っている。

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 今回、2月24日に私の初めての単著が出ることもあって、飛び込み営業がてらジュンク堂を訪ね、人文棚の担当者の方にご挨拶などさせて頂いたのだが、その際、面白いものを発見した。「ジュンク堂大分店 20周年記念フェア」という手作りの小冊子である。

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 先に書いた通り、ジュンク堂大分店は1995年に開店しているのだが、この年は阪神大震災の年である。小冊子の中には現在の店長(6代目)の挨拶に並び、初代店長の方の文章も寄せられているのだが、この内容が実に興味深い。

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 それによるなら、開店1週間前に震災が起こってシステム担当者(たぶん関西)と連絡が取れなくなり、急遽、昔ながらのスリップ(短冊のこと)による販売・発注管理になったので、一から新規採用者にやり方を教えたのだとか。
 あるいは、吉川弘文館から『臼杵大仏』が大仏修復完成記念に刊行され大いに盛り上がったのだが、「編者であり大分考古学会の大御所であった賀川光夫先生(その後気の毒な事になりましたが)も喜んでくれました。」との下りには、思わず・・・となってしまった。「賀川光夫」で検索すると、どう「気の毒」なのか良く分かる・・・。周知の通り、大事件だったのである。

 賀川光夫 - Wikipedia

 この文章、最後の下りがふるっており、「大分へは当初関西から5人転勤しましたが、3人が独身で、そのうち2人が現地採用のオープニングスタッフと結婚しました。「お前ら何しに来たんや!」と怒ったことを懐かしく、微笑ましく思い出します」というのには、なごんだ。同じ頁には、現在アルバイトしている1995年生まれの店員さんの文章の載っており、なかなかに感慨深いものになっている。

 今回、大分に行こうと思った時点では知らなかったのだが、この小冊子には出張販売をしているシネマ5の方のものと並んで、カモシカ書店という本屋さんを経営されている方の文章が並んでいた。私は、この本屋は知らなかったので、ふらりと行ってみたところ、カフェも併設し、読書会なども定期的に開くお洒落な店でビックリ仰天したのだった。

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 パルコブックセンターの話は、白水社の『ふらんす』2015年5月号に掲載される拙文の中で触れているので、そちらに詳細は譲るが、私にとって最も思い出深かったパルコの本屋が無くなった後にも、このように大分に素晴らしい本屋があるのを嬉しく思う。


けんしん 大分県信用組合 | 震本夜(ふるほんや)さんに行ってきました!~カモシカ書店~ | Talkin' Loud ! かぼすブックス

 蛇足ではあるが、大分駅が激変していて腰を抜かしそうになったのだった。

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 また帰省した時に本屋をめぐりたいものである。

 

 おまけ。大分の或る書店に行ったら、『立法学のフロンティア』全3巻が棚に並んでおり、おおお!となったのだが、棚の分類を見て眩暈がしたのだった。まあ、オカルトかもしれん・・・法哲学とかわな・・・。

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拙著 『ショッピングモールの法哲学--市場、共同体、そして徳』 についてのお知らせ

 白水社からも公式にアナウンスされている通り、2015年2月24日発売予定の拙著『ショッピングモールの法哲学--市場、共同体、そして徳』(本体1900円+税)の装丁等が決まりましたので、刊行に先立ってお披露目までに。

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 目次は以下の通りです。

白水社 : 書籍詳細|ショッピングモールの法哲学 市場、共同体、そして徳 

ショッピングモールの法哲学: 市場、共同体、そして徳

ショッピングモールの法哲学: 市場、共同体、そして徳

 

 [目次]

序章 国家と故郷のあわい/断片
 Ⅰ 郊外の正義論
第一章 南大沢・ウォルマート・ゾンビ
第二章 市民的公共性の神話と現実
第三章 グローバライゼーションと共同体の命運
第四章 共同体と徳
Interlude 本書の構成と主題
 Ⅱ 「公共性」概念の哲学的基礎
序 公共性論をめぐる状況
第一章 テーゼⅠ「共同性への非還元性」
第二章 テーゼⅡ「離脱・アクセス可能性」
第三章 テーゼⅢ「公開性」
第四章 テーゼⅣ「普遍的正当化可能性」
第五章 公共性の条件
終わりに
註/索引(人名・事項)/文献

 装丁については、担当編集者の竹園さんとアタマを悩ませていたのですが、初稿が出るくらいの頃、たまたま、この写真を発見し、アメリカ在住の著作権者と使用許諾契約を結んだ上で、使わせて頂くことになりました。以下が元の写真です。美麗。

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 写真は、アメリカのデジタル・アーティスト、ダン・ワンプラー(Dan Wampler)氏によるもので、ミズーリ州クレストウッドに実在する「ショッピングモールの廃墟」をモチーフとしたものです。今回装丁に使用したものは「フードコートの出口(Food Court exit)」というタイトル。下記のワンプラ-氏のサイトで、このモールをモチーフにした他の作品も見られます。

 http://www.danwampler.com/cwp

 ワンプラ-氏によると、撮影場所はクレストウッド・モール(Crestwood Mall)という56年間の営業実績のあるモールの廃墟で、2006年以降は閉鎖されていますが、現在の管理者の許可を得て撮影されています。このモールについては、以下のような興味深い記事も。

「見棄てられたモールは、ゾンビが買い物に来るのにうってつけ」
 http://gizmodo.com/this-abandoned-mall-is-perfect-for-your-zombie-back-to-1222704875

 ハイダイナミックレンジ(HDR)合成という撮影技法を用いて被写体をシュールレアルな仕上がりにしているそうで、ひと目見た瞬間に「コレだ!」と思ったのですが、とても良い仕上がりになって装丁のデザイナーさんにも感謝です。

 2月24日の刊行、ご期待頂ければ幸いです。現在、Amazon等で予約受付中です。

 

ライシテをめぐる闘争史--谷川稔『十字架と三色旗』

 シャルリー・ヘブド事件に接し、久しぶりに「ライシテlaïcité」について勉強し直そうと思い、谷川稔『十字架と三色旗』山川出版(1997年刊)を読了。以下、備忘のメモ。 念のためだが、ライシテというのは、フランス語で「世俗性」とか訳されるもので、政教分離のことを指すと考えて貰えば良いか、と。語義の詳細は、伊達聖伸『ライシテ、道徳、宗教学―もうひとつの19世紀フランス宗教史』が大変、参考になる。

十字架と三色旗―もうひとつの近代フランス (歴史のフロンティア)

十字架と三色旗―もうひとつの近代フランス (歴史のフロンティア)

 

  

ライシテ、道徳、宗教学―もうひとつの19世紀フランス宗教史

ライシテ、道徳、宗教学―もうひとつの19世紀フランス宗教史

 

  谷川稔の本は、昔、『フランス社会運動史―アソシアシオンとサンディカリスム』を読んだことがあるが、これも面白かった。ライシテ関係の日本語(訳)の本は色々あって、この機会に5~6冊合わせ読んでみたが、この本が最も簡にして要を得ていると思う。

 『十字架と三色旗』は、以前、フランス史研究者の長野壮一さんに教えて頂いた(と記憶している)。長野さんは、偶然、高校の後輩にあたる方で、以下のサイトなどをやられており、勉強になる。現在、渡仏中で、先のシャルリー・ヘブド事件の際、色々じかに体験された話も書かれている。

 近代フランス社会思想史ブログ
 http://snagano724.hatenablog.com/

 本書の副題は「もうひとつの近代フランス」で、全体のモチーフは革命期以降のフランスにおける共和派(革命派)とカトリック教会との抗争の歴史。国家の世俗性(ライシテ)をめぐる、教権主義(クレカリスム/cléricalism)vs. 反教権主義の対立。

 冒頭、「首なし聖人像」の話から始まる。イコノクラスム(偶像破壊)による非キリスト教化運動の傷跡。ジャコバン派の衣鉢を継ぐ諸潮流への教会の敵意は、長らく持続。

 1984年 公教育の一元化をめざしたサヴァリ法カトリックからの激しい抗議運動で廃案。なぜなら、私学はほぼカソリック。当時の社会党モーロワ政権、崩壊。100万人を超える規模のデモ。

 1994年、保守バラデュール政権下で、私学助成制限撤廃を盛り込んだバイルー法。革新系(共和国派)のデモで廃案。谷川の体験談。やはり100万人規模のデモ。ライシテを守れ!

 習俗革命。ガリカニズムの刷新。教会財産の国有化と修道院の統廃合。聖職者の公務員化。踏み絵としての「公民宣誓」。「宣誓拒否する坊主どもは街頭に吊せ!」

 「立憲教会」体制の成立。従来、教区共同体の要としてモラル・ヘゲモニーを掌握してきた司祭が、この踏み絵に屈服する姿は教区住民の少なからぬ動揺をきたした。

 宣誓に反対する地域も。ブルターニュ。宣誓した聖職者を「無資格僧(intrus)」とみなす。罵倒、投石。公民宣誓の政治地理学。

 テルールと聖職者の解体。1792年、立憲議会が拒否僧の追放を布告。九月虐殺。


《第2章》カプララ文書の世界

 ナポレオン、ローマ教皇庁と和解=コンコルダート。拒否僧と立憲派僧との対立の和解。背教者たちの社会史。結婚した聖職者についての社会史的分析。「ちんまんしてごめんなさい」文書。味わい深い。

 

《第3章》文化革命としてのフランス革命

 教会閉鎖=理性の神殿に。イコノクラスム。マスカラード(仮装行列)。聖人像や教皇像を火あぶり。シャリバリ的儀礼を彷彿。革命的地名変更。共和暦の導入失敗。グレゴリオ暦に敗退。

 公民の創出。コンドルセ。ミシェル・ルペチエの「国民学寮」案=キチガイ!。「下放」みたい。

 徳育としての革命祭典 理性の祭典、最高存在の祭典。

 

《第6章》

 建国神話の創生。「単一にして不可分の共和国」、革命百周年=革命期の集合的記憶の定着。バスチーユ襲撃の7月14日をパリ祭の起源に。ラ・マルセイエーズの国歌化。自由・平等に友愛というスローガンを追加。百周年=万国博覧会を頂点に。

共和国の威信をかけた世俗建築(鉄)=エッフェル塔
カトリック的フランス再建の夢(石)=サクレ・クレール寺院

 フェリー法=初等教育「無料・義務・世俗化」。公立小学校での十字架撤去。『プロヴァンス物語--マルセルの夏』=謹厳実直な師範出教師=共和国の新しい司祭。修道士の追放、ブルターニュの叛乱。

 総仕上げとしての1904年、政教分離

「一〇〇年以上にもおよびパンチの報酬の果てに、共和主義者たちはカトリック教会をKOするには至らなかった。つまり三色旗は十字架の社会的政治的影響力を根こそぎにすることには成功しなかったのである。しかし、「ベル・エポック」というラウンドで奪った「公教育におけるライシテ」というダウンは、少なくとも彼らに判定勝ちをもたらした。さしあたりは、この時点で共和派のモラル・ヘゲモニーが確立したのだ。」

 

《終章》「ライシテ」のフランスと文化統合のジレンマ

 革命二〇〇年記念の1989年、イスラム・スカーフ事件

「彼ら(フランスの共和主義者)にしてみれば、先人たちの一世紀以上にわたる苦闘のおかげで、ようやく三色旗のもとに十字架と共存できる社会を実現したとおもえば、今度はクロワッサン(三日月旗)と対決するための十字軍を再組織せなばならぬとは!」

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 かなり長いスパンを取って「ライシテ」をめぐる共和派とカトリックの相克の歴史が描き出されており、読後の満足感は高い。読後の最も率直な印象は、フランスはアメリカと同様に本当に我々人類の「実験国家」なんだなという感を改めて強くした。啓蒙的理性による「永続闘争機械としての共和国」とでも言うべきか。

 郊外研究の重要な問題として、郊外における移民コミュニティについて、ここ数年色々と調べているが、その線から改めてライシテやフランスの郊外(Banlieue)移民について調べているところで、この点も含めた話は、近刊拙著『ショッピングモールの法哲学』の続編として、また別に書こうと思っている。

ライシテ、移民、共和国(メモ)

on going...

1)ライシテ(政教分離)の歴史的位相

■ ジャン=ボベロ『フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史』文庫クセジュ 

フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史 (文庫クセジュ)

フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史 (文庫クセジュ)

 

 ■ 伊達聖伸『ライシテ、道徳、宗教学―もうひとつの19世紀フランス宗教史』 勁草書房 

ライシテ、道徳、宗教学―もうひとつの19世紀フランス宗教史

ライシテ、道徳、宗教学―もうひとつの19世紀フランス宗教史

 

 ■ ルネ・レモン著、工藤庸子・伊達聖伸訳『政教分離を問いなおす:EUとムスリムのはざまで』青土社 

政教分離を問いなおす EUとムスリムのはざまで

政教分離を問いなおす EUとムスリムのはざまで

 

 ■ 谷川稔『十字架と三色旗』山川出版→ 岩波現代文庫 

十字架と三色旗――近代フランスにおける政教分離 (岩波現代文庫)

十字架と三色旗――近代フランスにおける政教分離 (岩波現代文庫)

 

 

2)フランスの「移民」問題

■ 宮島喬『移民の社会的統合と排除―問われるフランス的平等』東大出版会 

移民の社会的統合と排除―問われるフランス的平等

移民の社会的統合と排除―問われるフランス的平等

 

 ■ 宮島喬『移民社会フランスの危機』岩波書店 

移民社会フランスの危機

移民社会フランスの危機

 

 ■ 三浦信孝『普遍性か差異か:共和主義の臨界』藤原書店 

普遍性か差異か―共和主義の臨界、フランス

普遍性か差異か―共和主義の臨界、フランス

 

 ■ ジャック・ドンズロ『都市が壊れるとき: 郊外の危機に対応できるのはどのような政治か』人文書院 

都市が壊れるとき: 郊外の危機に対応できるのはどのような政治か

都市が壊れるとき: 郊外の危機に対応できるのはどのような政治か

 

 

3)「共和国」の理念

■ ジャン=ピエール=シュヴェヌマン・三浦信孝『“共和国”はグローバル化を超えられるか』平凡社新書 

“共和国”はグローバル化を超えられるか (平凡社新書)

“共和国”はグローバル化を超えられるか (平凡社新書)

  • 作者: ジャン=ピエールシュヴェヌマン,三浦信孝,樋口陽一,Jean‐Pierre Chev`enement
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2009/09
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 ■ レジス=ドゥブレ・三浦信孝・樋口陽一『思想としての“共和国”―日本のデモクラシーのために』 みすず書房 

思想としての“共和国”―日本のデモクラシーのために

思想としての“共和国”―日本のデモクラシーのために

 

 ■ マルセル=ゴーシェ『民主主義と宗教』トランスビュー 

民主主義と宗教

民主主義と宗教

 

 

4)樋口陽一

■ 樋口陽一『ふらんす―「知」の日常をあるく』平凡社 

ふらんす―「知」の日常をあるく

ふらんす―「知」の日常をあるく

 

 ■ 樋口陽一『近代国民国家の憲法構造』東大出版 

近代国民国家の憲法構造

近代国民国家の憲法構造

 

 

哲学者の朝の祈りは新聞を読むことである(?)

 大昔、井上達夫先生の講義を聴いていた際、ヘーゲルの言葉として「哲学者の朝の祈りは新聞を読むことである」という言葉を耳にした記憶があり、とても良い言葉だと思い、ずっと覚えていたのだが、ふとヘーゲルが何の中で書いてる言葉なんだろう?と思い、調べてみた。

 私はドイツ語にはそれほど堪能ではないので、まず英語で調べてみると以下を見つけることが出来る。やはり有名な言葉なようだ。

f:id:Voyageur:20141205013635j:plain

Reading the morning newspaper is the realist's morning prayer. One orients one's attitude toward the world either by God or by what the world is. The former gives as much security as the latter, in that one knows how one stands.
Miscellaneous writings of G.W.F. Hegel, translation by Jon Bartley Stewart, Northwestern University Press, 2002, page 247.

Georg Wilhelm Friedrich Hegel - Wikiquote

   ヘーゲル自身の言葉は「リアリストの朝の祈りは、新聞を読むことである」であり、恐らく井上先生は、この言葉をもじって話されていたところ、私はそれをそのままヘーゲルの言葉と誤解して記憶し、今日に至っていたのだろう。

 問題は「典拠」で、英語ベースでこの手のことを調べると頻繁に遭遇する事態なのではあるが、Miscellaneous writings of G.W.F. Hegel では、正確な典拠が分からないのである・・・。
 日本人(の特に研究者)がヘーゲルやカントを引用する際に、こういうものから直に引いてくるのは、ちょっと考えられないことなのだが、アメリカ人だと結構有名な研究者とかでも平気でこういうものから引いてくるケースが多数あり、彼我の文化的な差異を感じる・・・。

 閑話休題。

 上記の英文から推測して、ドイツ語でよちよちと検索すると、更に次のような検索結果が出て来る。何のことはない、ドイツ語版Wikiの「Hegel」の項目に以下のように記されていたのだった。

Den zu dieser Zeit verstarkt auftretenden Massenmedien blieb er jedoch treu: „Die regelmasige Lekture der Morgenzeitung bezeichnete er als realistischen Morgensegen.“ 

Georg Wilhelm Friedrich Hegel – Wikipedia

 プロイセンがナポレオンに敗れたためイエナ大学が閉鎖された後の『バンベルグ新聞』の編集者時代(1807~1808)の言葉とのコトで、「この時代までにマスメディアは勃興しつつあったが、彼(=ヘーゲル)は誠実に、毎朝の新聞を読むことはリアリストの朝の祈りであるとしている」という感じのことが書いてある(と思う)。Wikiの脚注によるなら、上の典拠は以下の通りである。

Anton Hugli und Poul Lubcke (Hrsg.): Philosophie-Lexikon, Rowohlt Taschenbuch Verlag, 4. Aufl. 2001 Hamburg, S. 259

 えっ、これってヘーゲル自身のではなく、Hugli と Lubckeって人たちが編集した『哲学事典』の項目じゃないの?汗
 あと、上記のドイツ語版Wikiに記されているのは、テキトー訳からも分かる通り、ヘーゲルがこういう風に言ってるよ~、という、やはり「又聞き」の類で(ドイツ人よ、お前もか・・・)、最初に挙げた英語のものと平仄の合ったものは何だろう?と思い更に調べてみると、ドイツ語でも色んなバージョンが出て来てしまう・・・一体どれが正しいの???汗

1)Das Zeitungslesen des Morgens ist eine Art von realistischen Morgensegen.
2)Das Zeitunglesen am Morgen ist eine Art realistischer Morgensegen.
3)Die Lektüre der Morgenzeitung des Realisten Morgengebet ist.

 日本語でも別バージョンが存在しており、「新聞を読むことは、近代人の朝の祈りである」という言葉も流布してもいるようである。

 よく分からなくなってきたので、この項、とりあえずココまでにしておき、今度、研究室に行った時にでも改めて書庫に潜って調べることとする。

 こういうコトを調べ出すと、とても楽しく、研究者になりたての頃の悦びを思い出したりもするのだが、最後は(当然だが)紙の本にあたらないとな、という・・・。

 

追記:・・・と、ココまで書いたところで昔、加藤尚武先生たちが千葉大でやっていたヘーゲル文献の悉皆データベース化を思いだした。以下のような形で引き継がれているようである。

ヘーゲル・テキストデータベース(日本語サイト)