Heptameron

 以下、記録も兼ねて、まとめた形で。『デカメロン』がペスト疫下での「10日(deka hemerai) 物語」だったところ、コロナ疫下の7日モノなので『ヘプタメロン(Heptameron)』ですかね。

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【7日間ブックカバーチャレンジ_1日目】 ※2020年4月29日開始

  古い友人の朝比奈一郎さん(青山社中)からまわって来たので、私もやってみます。正直、この間、あまり活字を読むのに身が入らないのもあるので自分自身のリハビリも兼ねて、コレをきっかけに執筆のほうのブースターにでもなれば、とも。

 朝比奈さんとは、浪人時代の駿台予備校の頃からの付き合いで、もうざっと28年になるので、本当に「古い」友人ですね。

 それはさておき、この企画、ブックカバーだけ(説明つけてもイイ)で7日間で7冊と、毎日毎冊ごとに誰かバトンを渡すひとを指名するというのがルールのようですが、毎日誰かを指名するのは面倒だし、それはちょっとあまりにもネズミ講なので、7日間終わったら誰か1人にお願いするかも(しないかも)くらいでやります。

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 本題ですが、1日目(1冊目)は、塚本邦雄の『花名散策』(花曜社、1985年)。副題は「草木の名の美と驚き」。

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 コロナになってから外出にもかなりの制限がかかり、もっぱら自宅近くの武蔵野の自然の中を人が居ないところを見計らって散策する日々です。ひとと会うことも激減どころか消滅し、日々目にするのは自然の草木ばかりということもあり、久しぶりに書棚から取り出して、毎日眺めています。古い本ですが、昔のしっかりした装丁で、今はもうこういう本は作れないだろうな、とも。

 コロナ疫が問題になり始めた時期と桜の開花が重なり、花見の自粛なども強く言われるようになっていたところ、誰も観るひとの居ない桜が満開に咲き誇っているのをみていると2011年の春を思い出しました。あのときはウィルスではなく放射能だったわけですが。

 草木はひとの営みと関係なく、いつもと同じように芽吹き咲く中、突然日常が完全に打ち破られ慌てふためく人間の側との対比が鮮烈で、そんな中、観る人とてなく咲き誇る桜花の姿はいっそ凄惨でさえあります。

 「年年歳歳花相似たり、歳歳年々人同じからず」という言葉が異様な迫力をもってせまって来る日々です。

 写真(省略)は、近所の道に、ようやく散り始めた八重桜の花びらが敷き詰められている様子。

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【7日間ブックカバーチャレンジ_2日目】

 2冊目は『銀座社交飲料協会八〇年史』(GSK銀座社交飲料協会、二〇〇五年)。以前、銀座でクラブ「稲葉」を経営されている白坂亜紀さんからご厚意でお譲り頂いた一冊。

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 白坂さんは時事通信関連の仕事でご一緒した縁ですが、同じ大分県の同郷のよしみも。
 コロナ禍の下、外出は言うまでもなく、夜の街へ出かけることも絶無になってしまったわけですが、ふと気がついたら、夜になるとYoutubeライブカメラ映像で銀座の和光本店前のライブ映像を、じっと観てしまっています。

 銀座だけでなく、日本中の夜の街が息を停めた日々が続きますが、願わくば一日も早く、かつてのさんざめきが戻ってきますように。

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 なお、下の写真はこの四月末・土曜夜の銀座・和光本店前のライブ映像からのキャプチャー。

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【7日間ブックカバーチャレンジ_3日目】

 3冊目は『世説新語』(平凡社、全五巻)。これで合計7冊になってしまうですが、まあ便宜的に1冊勘定ということで。

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 所謂中国の「三国時代」前後(後漢末~東晋末、2世紀末~5世紀初)の説話を集めたものだけれども、「なるほど!」と深く頷かされるかと思えば、「なんじゃこりゃ・・・」としか言いようのないアレな話もテンコ盛りの本。以前から通して読み切ろうと思っていたけれど、普段そんな時間があるはずも無いので、コロナ禍をもって福となすということで毎日少しずつ読んでいます(漢文の入試問題でお目にかかったことがある人も多いはずでは?)。

 コロナ疫による蟄居状態、ある種の禁固状態なわけですが、こういう状況になって最初に想起したのは大杉栄とか志願囚の話で、「まあ刑務所入ったら本読むか外国語の勉強しかないわな」というのと同じ動機で読んでます。

 毎日コロナ関係の情報の氾濫にさらされている中、「いかにして情報を受け取らないか」というのも一つの課題だなと思うところ、こういう自分で勝手にノルマとして課したものを世情とは一切関係なく毎日淡々と読んでゆくような時間を構造化し、《思考の安全地帯》をつくってゆくのも大事だと思う昨今です。

  1120個あるエピソード、第五巻の最後まで読み終わる前に、みなが平常に復すことが出来ることを祈る日々です。

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【7日間ブックカバーチャレンジ_4日目】

 4冊目は『世界史総覧』(とうほう)。要するに高校科目「世界史」の年表です。高校時代~浪人時代に使ってたものなので30年近く前のものですが、この手のモノって刊行年の記された奥付がないんですね。初めて気がつきました。

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 それはさておき、ここ数年、世界史(や日本史)の年表を座右に置いて、よく眺めています。ひとつには2015年前後から移民/難民に関する研究を始めたこともあり、ローマ帝国の崩壊要因となった所謂「ゲルマン民族の大移動」と2015年以降の欧州難民危機、あるいはイスラム世界と欧州との関係などを考える上で、長いスパンを取った上で俯瞰してみるのが単純に面白いからです。年表を見ていると、本当に無限に想像の翼が拡がります。

 今般のコロナ禍の下でも年表を眺めていますが、それはちょうど2011年の時に似ています。311の時は、1923年の関東大震災を想起し、それ以降の歴史の流れを年表で確認し、アタマを抱え込んでしまったものでした(写真はその時にあるところで書いたエッセイに付した自作の年表)。1920年代の歴史を振り返るなら、「総員、衝撃に備えよ!」としか言いようがないのではありますが・・・。

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 高校時代、授業中にぼんやりと英語の辞書を最初の頁から順繰りにめくっていて、ふと見つけたヘーゲルの言葉(※)に「我々が歴史から学ぶのは、我々が歴史から学ばないということである(We learn from history the we do not learn from history.)」というものがありました。

 今でもよく記憶に残っている言葉ですが、まあ、年表を眺める限りでは、人類はそれほど酷く愚かでもないし、色々言っても過去よりは現在に近づくほど、確実に世界は良くなってきているという信念を私は持っているので、今回の災厄も何とか乗り切ることが出来るのではないかと思っています。

 余談ですが、韓国の往事の軍事独裁政権でさえ戒厳令下の外出禁止は午前0時から翌朝の7時までだったと記憶してますが、どんな独裁者でも、これだけ人びとを家に居させたことは無いのではないのかな? そういう点では実に未曾有の事態ですね。まあ、韓国の戒厳令は36年間続いたのですが・・・。


※久しぶりに思い出したので典拠を調べてみましたが、『歴史哲学講義』からのもので、案の定 misquote されたものですね。ホントの原典では以下の通り。

Was die Erfahrung aber und die Geschichte lehren, ist dieses, das Volker und Regierungen niemals etwas aus der Geschichte gelernt und nach Lehren, die aus derselben zu ziehen gewesen waren, gehandelt haben.(What experience and history teach is this ? that nations and governments have never learned anything from history, or acted upon any lessons they might have drawn from it.)---Vorlesungen uber die Philosophie der Geschichte, 1837

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【7日間ブックカバーチャレンジ_5日目】

 5冊目は、小野員裕&中村直也『おうちで本格インドカレー:スパイスを知るとこんなにおいしくなる』(東京書籍、2011年)。

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 カレーの本です。カレーの作り方だけを記してある本です。何年か前にご同業(法哲学者)の安藤馨先生からオススメ頂いた本ですが、もはや我が家の厨房のバイブルとして鎮座しています。

 今般の状況になってから自炊が増えた、あるいは始めたひとも多いかと思いますが、研究者は普段から自宅にいるひとも多く(例外はあります、誰とは言いませんが例外は)普段から自分で料理するひとは(男性の場合)普通のひとよりは多いと思います。

 私も普段から、家に居る時はほぼ毎日ご飯を作っていますが、料理をするのは本当に精神衛生に良いです。えてして一日中パソコンとにらめっこしていても一行も書けない日というのはあります(実によくあります)。そういう時に、台所に立って料理をすると、ちゃんとした手順にさえ従えば、ちゃんと食べられるものが「完成」するのです。

 すべての研究者はすべからく料理すべきで、そうしさえすれば、自分が原稿を書けない【無能】ではなく、世界にささやかながらでも貢献出来ることを確認出来るのです(一瞬だけですが)。

 コロナになってから、実はめちゃくちゃ頻繁に巻き寿司(納豆の細巻き)を作っています。家族が好きなんで、最初はコンビニで買ってたんですが、しょっちゅう売り切れになってるんですよね。聞いた話では、最近の大学生は納豆巻きが大好きで、奴らが買って行ってしまっているらしい。そういうわけで、無ければ作ればイイじゃないのと毎日、納豆巻きをつくってます。

 納豆巻きとか太巻きとか作るようになって、しみじみ思いましたが、巻き簀を発明したやつと、切る時に包丁濡らしたら良いことに気がついたやつに対しては、本当に人類は全員土下座して感謝すべきですね。あと、かんぴょうの食べ方を発見したやつも。

 料理は、人類の偉大さについても色々教えてくれます。そういうわけで、最初に挙げたカレーの本を読んで、ローガンジョシュとかポークヴィンダルーを作って食うと良いと思います。特にヴィンダルーは、これからの季節、最高ですね。騙されたと思って作って食べること。

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 ちなみに今日の一冊は先ほど確認したら Kindle unlimited に入ってます。写真は私がつくったローガンジョシュとポークビンダルー。

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【7日間ブックカバーチャレンジ_6日目】

  6冊目は、西村幸夫『県都物語 -- 47都心空間の近代をあるく』(有斐閣、2018年)。タイトル通り、全都道府県庁の所在地である都市の「物語」が実に綿密かつ豊かな筆致で描かれた傑作です

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http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641165168)。

  わたし自身、ここ数年、本当に日本中の様々な土地に足を運び実際にそれぞれの街の様子を見聞きするにつけ、この細長い日本列島に信じられないほど豊かで多様な人びとの営みがあることに気がつかされて来ました。

 コロナ禍によって移動を封じられた現在、われわれは、ひとりひとり、各々の家庭が「離れ小島」のようになってしまっています。

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 この日本列島のCG画像は、英シェフィールド大のAlasdair Rae氏が作成した日本国内の人口集積を列島地図上にプロットしたものですが、これだけの人びとが、「離れ小島」のようになって日本列島全域で逼塞しているかと思うと嘆息せざるを得ません。

 ※ Rae氏のサイト:http://www.statsmapsnpix.com/ 

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 友人の法哲学者・大屋雄裕さんが最近書かれた論考(※)の冒頭でジョン・ダンの詩の有名な一節を引かれていましたが、現在の「離れ小島」のような状況下では、この詩もまたこれまでとは全く違った様相をもって迫ってきます。

No man is an island, entire of itself; every man is a piece of the continent, a part of the main ――John Donne, MEDITATION XVII.

  

 遠からず、この疫禍が収束して引き離された小さな島々のような状態が解消され、滑らかな地続きの生活が戻ってくる日々を願うばかりです。

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※ 大屋雄裕「自由と幸福の相克を乗り越えられるか」 

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 【7日間ブックカバーチャレンジ_7日目】

 最後の7冊目は、斯波六郎『中国文学における孤独感』 (岩波文庫、1990年)。もう三〇年近く前に買った本だと思いますが、今でも折にふれて手に取る本です。

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 冒頭、「孤独鰥寡」という言葉が出てきますが、「老いて子なきを《独》、幼にして父なきを《孤》、老いて妻なきものを《鰥》、老いて夫なきものを《寡》」という下りがあります。それぞれが「独身、孤児、男やめも=やもお=鰥夫、寡婦(やもめ)」に対応しているわけで、われわれが「孤独」として観念するような事柄に関する漢字表現の豊かさには驚かされるばかりです。

 他にも「多勢の中にいながら、どうしても、周囲の人びとと打ち解けて融合することを好まぬ」ような人を《陸沈》と呼ぶ(荘子・則陽篇)という話も出てきます。水に沈むのは当然ですが、陸でも沈んでしまうというのは、「人びとの中に居ながら、それらと融合できないこと」の喩えなわけです。

 西洋にも似たような話はあり、政治哲学者のハンナ・アレントは lonliness と solitude を区別し、前者を打ち棄てられたようなネガティブな孤独、後者を自ら内部において充足するようなポジティブな孤独として提示しています(『全体主義の起源』)

 今日取り上げた本の中で触れられている、上述の solitude にあたるようなものは恐らく《慎独》という言葉になるのでしょう。この本の著者によるなら、《慎独》とは理知による自己凝視をその旨とするものとのこと。

 この本にしても、アレントにしても、究極的には、多くの人びとのただ中に居るにも関わらず生まれ出づる「孤独」のありように、道徳や政治の観点から関心を抱いているわけですが、いま現在われわれが直面している、この完全に物理的な接触を断たれた厳密な意味での隔離(isolation)の下に置かれながら、他方ではネットを通じて一挙に世界とも繋がってしまっているような「孤独」は、四書五経に通じた士人に問うなら、いったい何という漢字で表されるのでしょうね。

 恐らく『康煕字典』にも、その字は存在しないだろうと思われ、われわれ人類は全く新しい形の《孤独》に向き合っているのかもしれません。

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 以上で私の7日間ブックカバーチャレンジは終わりですが、コロナ禍の発生と共に鬱屈していた中での、良い執筆のリハビリになりました。書く作業は疫禍とは関係なく常に孤独と共にあるものなので、物書きの本分に従い、誰にもバトンを渡さず、速やかに執筆へと戻る次第です。

 

(2020年5月7日、了)

憲法記念日の奇習

 毎年恒例の「憲法記念日にコンビニで全紙を買って来て読んでみる」を今年もやってみました。

 下のほうに2019年と2018年の時の記録も参考までに付しておきますが、まさか今年の憲法記念日がこんなことになるとはね、という。2019年に書いたように、もうこの奇習もやめようかと思っていたのですが、コロナ禍のこんな時だからこそ、いつも同じことを意識的に継続しようということで、今年もやってみます。

 各紙、登場する識者をメモ代わりに記録してありますが、全体としてコロナ禍に呑み込まれてしまっている印象が強く、「憲法記念日だからということで惰性でやっている特集ですね」というのが総括的な感想ですかね。

 左派系の各紙はアタマから緊急事態条項については否定し、「公共の福祉」などで対応可能という論調ですが、この辺りのことを真面目に議論すべきではないか、と思いました。個人的には、数個の記事以外はほぼ読む意味が無かったです。

 なお、どうでもイイことですが、首都大・都立大の同僚・元同僚・OBが4人登場しております。

 

朝日新聞

緊急事態条項について曽我部真裕(京大・憲法)、世論調査について境家史郎(東大・政治学)、その他テレビ欄裏面に南野森(九大・憲法)、志田陽子(武蔵野美術大・憲法)。全体として、コロナ禍に乗じた改憲の動き(含む緊急事態条項)への牽制。「緊急事態条項、憎し!」ですか、そうですか、以外の感想は無し。

 

毎日新聞

百地章国士舘特任・憲法)と高見勝利(北大名誉教授・憲法)と左右のバランシング?その他、緊急事態条項の不要性について木村草太(都立大・憲法)。朝日と同じで内容が薄まっている下位互換。

 

東京新聞

紙面上、学者として登場するのは宇野重規(東大・政治学)のみ。しかもコロナ関係で憲法とは関係なし。やる気ない感じ。

 

【読売新聞】

上田健介(近畿大憲法)と笠原秀彦(慶応・皇室制度論)がメイン。各党座談会に学者としては1人だけ宍戸常寿(東大・憲法)が参加。全体として憲法論議の活性化の呼びかけ。憲法ではなくコロナ関係ではあるが、1面に御厨貴(東大名誉教授・政治学)。一番充実していたが、しかし、それでも今の時期に憲法問題を論じること、どうしても白けるよね、というのは拭えず。

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産経新聞

社説で緊急事態条項の必要性と力説するも、識者は一切登場せず。そもそも頁数が異様に少なく夕刊かと思ってしまった(大丈夫か?いや大丈夫じゃないんだけど・・・)。「息してる!?」以外の感想なし。

 

 今年も日経新聞は入手出来なかったのですが、まあ、そゆことで。

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2019年5月4日

 毎年恒例の憲法記念日に全紙買ってきて眺めてみる奇習を今年もやりましたが、全体としては、2015年の安保騒動の時を頂点に議論的には低調傾向の持続という印象でしょうか。

 それにしても、紙の新聞、ホントに毎年この日しか手に取ることがなく、古代文明の遺物みがあります。

 日経だけは近所のコンビニに行った時間が遅かったので売り切れてしまっており、電子版を講読している知人に内容を教えて貰ったのですが、朝日・読売・毎日・産経・東京を買いました。

 平成から令和への代替わりが直近だったこともあり、ここ数年では珍しく「天皇(制)」に関する言及が多かったのが、今年の一番の特徴でしょうか。あとは、2紙でAIへの言及があった(片山・山本)のも最近の潮流なのかな、とも。

 学者が顕名・写真つきで登場しているのは、朝日=井上達夫法哲学)・樋口陽一憲法)、読売=山元一(憲法)・君塚直隆(イギリス政治外交史)・棟居快行(憲法)。産経=百地章憲法)・渡辺利夫(久しぶりに見た!いちおう経済学?)。毎日=片山杜秀(政治思想史?)・佐々木弘通(憲法)。東京=長谷部恭男(憲法)vs. 萱野稔人(哲学?)、日経=青井未帆(憲法)、山本龍一(憲法)、江藤祥平(憲法)という感じでした。

 いちおう少なくとも上記の学者のやつだけは全て読んでみましたが、認知的利得がほぼゼロで、樋口陽一の記事は紙面の4分の3も使ってて巨大だな、というのと、井上達夫の話はこれまでと同じことを言っているので新味はないが、天皇の話は、ありきたりながらル=グインの「オメラスを立ち去る人びと」だよね、とか、読後に持った感想らしきものは、それくらいでした。

 この奇習も、そろそろ止め時かもしれません。

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2018年5月3日

 今日は憲法記念日なので、毎年恒例の全紙買って読んでみよう、をやってみました。朝日、読売、日経、毎日、東京、産経新聞の6紙。私は何年か前に紙の新聞を取るのをやめてしまったので、年に一回だけの紙の新聞を読む日で、ちょっと新鮮な気持ちも。

 まだきちんとは読んでいませんが、全体としてはやや議論が低調なのかな、という印象を受けました。一番頑張ってる?のは毎日かな、という感じも。

 写真つきで登場している学者は、京大の曽我部真裕さんが朝日と日経に出ていたのが目についた以外は、毎日の青井未帆、棟居快行、宮城大蔵×中島岳の対談、朝日の片山杜秀×林知更の対談、駒村圭吾、産経の田久保忠兵衛の各氏くらいで、ここ例年の常連?の姿が余り見えない感じもしました。林さんがこういう形で出てるのは、ちょっと驚きましたが。

第1回拾遺:面白うて、やがて神聖なる喜劇

 白水社サイトでの連載本体(元記事)は、こちら。

 今回のメインは、以下。 単行本版の刊行後の出来事についてもフォローして追記が行われており、また解説も素晴らしいので、単行本を既に持っているひとも是非。

黙殺 報じられない“無頼系独立候補”たちの戦い (集英社文庫)

黙殺 報じられない“無頼系独立候補”たちの戦い (集英社文庫)

 

  畠山の取材(生活)について。 

記者会見ゲリラ戦記 (扶桑社新書)

記者会見ゲリラ戦記 (扶桑社新書)

  • 作者:畠山 理仁
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2010/12/01
  • メディア: 新書
 

  冒頭に挙げた大西巨人の随筆が掲載されているもの。 

遼遠 1986‐1996 (大西巨人文選 4)

遼遠 1986‐1996 (大西巨人文選 4)

 

  言わずもがなの『神聖喜劇』(全5巻)。 繰り返し読むに値する傑作です。

神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)

神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)

  • 作者:大西 巨人
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2002/07/01
  • メディア: 文庫
 

  漫画もある。 

神聖喜劇 第一巻 (幻冬舎単行本)

神聖喜劇 第一巻 (幻冬舎単行本)

 

 

 ウェブ上で読める畠山の書いたものとして、まずは昨年(2019年)の統一地方選中に日刊ゲンダイに連載された以下などを参照されたい。NHKから国民を守る党(N国党)について、まとまった形できちんと書かれた現時点では唯一のものではないかと思われる。

→ https://www.nikkan-gendai.com/articles/columns/3685

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 現在連載続行中のものとしては、「よみタイ」で連載中の「アラフォーからの選挙漫遊記」(隔週・月9配信)。2020年1月24日時点で第5回目。


 なお、地方議会(議員)の現状について最も整理され興味深い議論を展開しているものとしては、以下を参照されたい。 

日本の地方議会-都市のジレンマ、消滅危機の町村 (中公新書)

日本の地方議会-都市のジレンマ、消滅危機の町村 (中公新書)

 

 

■ 公益財団法人・明るい選挙推進協会、提供データ
http://www.akaruisenkyo.or.jp/tokusetsu/2019touitsu/votingrate/

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 最後に少しだけ選挙にまつわる個人的な話を。わたし自身は、大分県別府市の出身であり、つまり以下のような来歴を持っている。

 子どもの頃から身近に選挙を見聞きし、成人以降、東京に出て来てからも多くの選挙に色々な形で関わって来たが、選挙がらみで唯一したことのないのが「立候補」である。私は自分のいまの仕事を「天職」だと思っているので、今後も被選挙権を行使することは恐らく無いだろうとは思うのだが・・・。

 なお、畠山の『黙殺』と深いところで通底するテーマの流れるものとして、以下の砂原によるものも、この際あらためてオススメしておく。

 

さしあたり今回は、以上。

第0回拾遺:Merentem laudare justitia est.

白水社サイトでの連載本体は、こちら

→ https://webfrance.hakusuisha.co.jp/posts/3085

 

 ・・・というわけで「哲学者の朝の祈りはノンフィクションを読むことである」と題した連載を始めたわけだが、白水社サイトの連載本体にも記した通り、今後おおむね1ヶ月に1本くらを目安に書いてゆきたいと思う。

 ここでは、いちおう「ノンフィクション」を主たる対象とするつもりだが、適宜、それ以外の書籍も混ぜ込んでゆくことになるかと思う。連載中にいつか触れることになるだろうが、「何がノンフィクションなのか?」ということ自体が、ひとつの問題でもあるので。

 連載で言及される書籍については、メインの対象以外にも複数のものに触れる場合もあるので、白水社サイトの方での掲載作業の煩雑を避け、また、比較的自由な補足も行いやすいよう、毎回、こちらの個人ブログの方から書籍へのリンクなどを貼ることにしたい。

 なお、連載タイトルにしたヘーゲルの言葉については、既に本ブログの下記のエントリーで触れているので、参考までに。

taniguchi.hatenablog.com

世界史へ接続せよ/安田峰俊『八九六四』

  本書は今を遡ること29年前の今日、1989年の6月4日(八九六四)に起きた天安門事件をめぐるものである。

八九六四 「天安門事件」は再び起きるか

八九六四 「天安門事件」は再び起きるか

 

 本の中でも描かれている通り、この日の前後には、スマホ決済で「六四」元や「八九六四」元の金額指定が不可能になるほどで、現在でも中国政府は躍起になって事件の痕跡を隠そうとしている。乗数(=8の2乗)が64になってしまうので「八八」元でもダメという話さえある・・・。習近平体制下での強力な統制の進展を見る限り、このような形での取材は以下の筆者の言葉にもある通り、本書が最後のものとなるかもしれない。

「本書の登場人物のうち、中国国内に住む人の大部分は、これら(中国の監視社会化)が本格的に進行する以前の2015年の夏ごろまでに取材を終えた、今後、同様の取材を行うのは困難だろう。この本は取材が成立し得るギリギリ最後の時期に、滑り込みセーフで書けたのである。」(299)

 ※ 以下、丸括弧内の数字は本書該当頁を示す。

 ちょうど去年の六四に以下のような投稿があったが、これが実情であり、今年、事態はさらに悪化しているかもしれない。

 

 何らかの形でこの事件と関わり合いを持つ六〇人以上のひとびとに対面取材した本書は、これまで出されたおびただしい数の天安門事件本とは大いに趣を異にするものである。

 著者はtwitterで本書について「意識低い系」の天安門本だと冗談めかして言っていたが、本書の中では、意識高く士大夫/知識人として祖国中国を思い天安門へと身を投じたというような話だけではない、余りにも人間臭い物語が織りなされてゆく。 

  彼らを描き出す筆致は、何事をも断罪することのない取材対象への細やかな愛情に満ちたものとなっている(これぞ安田ワールド)。あれから三〇年近くの時を経て、家族を持ち、或いは子どもを持った取材対象たちの心の機微には、ひととして感じ入らざるを得ないものがあるだろう、人生は複雑なのである。
 冒頭に記した「時の権力者による史実の隠蔽や改竄をよしとしない」ような《高い志》は、長い中国の歴史の中では繰り返し現れて来るモチーフで、滅びた南宋への忠義を貫き通し、侵略者・元のクビライからも才を惜しまれつつ刑死した文天祥の「正気の歌」などにその極致を見ることが出来るだろう。しかし、ひとが皆、文天祥になることはないのである。 

 

正気の歌 - Wikibooks

文天祥 - Wikipedia


 歴史の巨大なうねりに正対した時の、人間的--あまりにも人間的な物語たちが本書には横溢している。
 本書の副題は「天安門事件は再び起きるか」である。この先に待っているのが、命懸けで権力者の悪行を史書に記し遺そうとした「太史の簡」も「董狐の筆」も現れない完成したデジタル・レーニン主義による素晴らしき新世界なのか、あるいは歴代王朝に幕を引いてきた大盗賊たちによる農民起義なのか。黄昏どきに飛び立つフクロウのみが知るところである。

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Sebastian Heilmann, 2016, Leninism Upgraded: Xi Jinping's Authoritarian Innovations, China Economic Quarterly 20 (4), Dec. 2016, GavekalDragonomics, 15-22.[PDF]

 

中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)

中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)

 

 

  以上、『週刊現代』2018年6月4日号に掲載された拙書評に大幅な改変と拡充を施したものである。一般向けの週刊誌で書くワケにはゆかないアレな文飾をフルに施しており、発売中の該当誌の書評と読み比べると掲載限界線が分かって面白い(?)かもしれない。書評末尾は紙幅の関係上、《両極端な未来》にしか言及していないが、もちろん、そうでない、何らかの形で、中国にとっても日本を含む諸外国にとってもハッピーな未来もありうるだろうし、正味の話そうであってくれなければ困るのではあるが・・・。

 

 以下では、本書の備忘を断片的に記し留めておく。

 

● 「当時、北京の市民は直近の一〇〇年間だけでも、義和団事件辛亥革命・民国期の軍閥内戦・日中戦争国共内戦文化大革命--と、十数年に一度以上のペースで大規模な動乱を経験していた。」(69)→ 以下、年表?化。

1899~1901年:義和団事件
1911~1912年:辛亥革命
1927~1937年:民国期の軍閥内戦(第一次国共内戦
1931~1946年:日中戦争
1945~1949年:国共内戦
1966~1976年:文化大革命
1976年:第一次天安門事件
1989年:第二次天安門事件

● 1990年ごろ近所にできたばかりのKFCの話(75)→ 私もほぼ同じ時期に行ったので、本当に懐かしい。再開発前の王府井の店だった。

●「士庶の別」、「士大夫と一般庶民」(95)

● 1991年8月19日。ゴルバチョフ軟禁、市民の抵抗でクーデター失敗。ソ連共産党は事実上の解体。あんなに強かったソ連がボロボロになって、エリツィンみたいな酔っ払い野郎がトップになった。旧西ドイツ人はめちゃくちゃに見下されていた。だから天安門事件は仕方なかった(104-)

● 姜野飛(涙)、マー運転手・・・(147)
● ネットで真実を知る=「有思想(ヨウスーシャン)」(150)
● 「インテリが主導する革命は必ず失敗する」(185)
 秀才造反、三年不就
 戊戌変法、辛亥革命
 庶民のドロドロしたルサンチマン毛沢東=農民叛乱型の権力奪取だけが成功
● 凌静思「白鳥はかなしからずや空の青」(188)→ この仮名がまた・・・

●「いや待って。いま私があなたと喋っているのは普通話ではなく『台湾の国語』です。香港人と日本人が、中華圏の第三国の言葉でコミュニケーションを取っているだけ。お互いにこういう理解で手を打ちませんか。」(221)

 ●「左膠(ジョーガウ)」=サヨクのゴミ

●「自分の家の問題は解決できなかったが、よその家の問題を解決していた」(269)

 

 

 最後に個人的な話を。

 

 中学の時だったと思うが、わたしの通っていた学校(大分県)では英語合宿というものがあり、数日間そこで英語漬けにされるのだが、九州近県の大学から留学生が何人か「先生役」的に招聘され参加していた。そこに来ていた清華大学からの留学生(九大に来ていたと思う)と仲良くなり、その後も(英語で)文通をしていたのだが、八九六四に前後して彼との通信は途切れた。

 八九六四の時、テレビで北京の上空をヘリが飛び交い、大通りを戦車が隊列を組んで走るのを見ながら、わたしは彼のことを考えていた。八九六四はわたしにとっては自分自身が身近な感覚を伴って、初めて世界史に強制的に接続された瞬間だったのである。

  その後、1993年3月にわたしは初めて北京へ行き、天安門広場を訪れた。広場に行った日は、ちょうど八大元老の一人であった王震が死んだ翌日で、広場は厳戒態勢になっていた。広大な無人の広場に等間隔に警官(兵士だったかもしれない)が立つ光景を、今でもよく覚えている。

 

 

  

補記:上掲書を読んで、以下の本も思いだしたが、正直なところ、わたしは文天祥よりも馮道のほうに人間的魅力を感じる(以前、大屋雄裕さんが、この本を教えてくれた)。ただ、現代の中国にも、この馮道のような人物は居るのだろうか、もし居るとしたら今現在、何をしているのだろうかということも考えてしまうのではあるが。

馮道 - Wikipedia

馮道―乱世の宰相 (中公文庫)

馮道―乱世の宰相 (中公文庫)

 

 

補記2:上記アップ後、「ところで、馮道いますよ! そいつ、周恩来とか温家宝とか王岐山とか王滬寧とかいうんですけどね。」という悪いことを言ってきた友人が居たのであった・・・。

 

以上。

島田英明『歴史と永遠』

 わがゼミの卒業生でもある島田英明さんの単著『歴史と永遠 江戸後期の思想水脈』(岩波書店)をご恵贈頂きました。ひとりの教師として感無量です。

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 上記、「で“も”ある」と記した通り、日本政治思想史を専門とする島田さんの首都大での本籍は河野有理先生のゼミでありまして、その後、東京大学大学院法学政治学研究科で苅部直先生の薫陶を受け、このたび博士論文をもとにした本書の上梓に至られました。

 島田さんは私にとっても実に思い出深い卒業生のひとりで、在学中から飛び抜けて優れていたのを今でもよく覚えています(実際、極めて優等な成績で本学を卒業されました)。

 彼に関して、わたしが記憶しているエピソードは2つあり、1つは河野先生の講義のレポートで、出来が余りに良すぎるので剽窃ではないかとさえ疑われたものの、実際に自分で書いたものとすぐに分かったという話。

 それから、2つめは、私のゼミで当時、安藤馨さんの『統治と功利』を読んでいたところ、ゼミ合宿で安藤さんご本人をお呼びし、島田さんに『統治と功利』の報告をしてもらったら、あの安藤さんが「彼は本当に優れていてビックリですね」と激賞頂いたことでした。

 栴檀は双葉よりとか、出藍のなどと言うまでもなく、実に教師冥利に尽きる存在が、島田さんと今回のこの本でありまして、あとがきも読んで、学生時代の彼の知的世界の形成にいくばくかなりとも痕跡を残せたのが、後世、私の学者人生の中で最も大きな意義のあることだった、とならぬよう、わたし自身も奮起しなければならないな、と思った春の昼下がりでした。

 内容の詳細(目次など)は以下から見れますので、是非お手に取って頂ければ幸いです。

 島田さんは1987年生まれですから現時点で31歳なわけですが、この本のもととなった博士論文は、その20代最後の日々に書かれたものなわけで、弱冠30にもならないほどの人間が、このようなものを書けるのかと戦慄されたく。

https://www.iwanami.co.jp/book/b352575.html

 

※ 先ほど落掌したばかりなので、またゆっくりと読んでから内容についての感想なども追記したいと思います。

フジプライムニュース(2017年6月13日)

 『護憲派改憲派が激論 憲法9条自衛隊明記』と題し、石川健治憲法)・百地章憲法)・井上達夫法哲学)が出演。

f:id:Voyageur:20170614151350p:plain 

www.bsfuji.tv

 憲法学者石川健治の所説が余りにも強い印象を残したので、以下、書き留めておく。なお、井上達夫の議論は、いつも通りの平常運転なので特記すべき点はない。百地は初めて話しているのを見たが、主張内容の当否はともかくとして、ひとつの立場として筋は通っているし、紳士的で誠実な印象さえ受けた。


プライムニュース最新 2017年6月13日 井上達夫氏 20170613

 

 以下、石川健治の発言より特に印象に残った点のみ。

1.護憲派改憲派も、第一世代は唾棄すべき存在。

2.今日の平和は、9条ではなく自衛隊駐留米軍のおかげである。

3.解釈論としては、自衛隊違憲であり、違憲の烙印を押し続けなければならない。憲法学者法哲学者とは違い、職業的責任から専門知の観点のみから解釈論は行い得るが、それを超えた憲法改正の是非については語れない。

 

 雑感。3は石川が「政治論」と「憲法(解釈)論」を峻別した上での主張だが、彼がこれまで新聞紙上その他で展開してきた様々な議論との整合性如何?また、自衛隊違憲の烙印を押し続けながら、2であると言うのは如何?氏こそが、1のような存在なのでは?

 憲法学者、特に護憲派がこれまで如何に「内輪だけの議論」をしてきたのかが、露わになった瞬間だった。自衛官やその家族を目の前にしても、同じことを言えるのだろうか?

 石川が言うように憲法がどうで「ある」かのみについて関心を持ち、それがどうである「べき」かには関わらないという《純学知》的立場というのは、あっても良いと思うし、私もそのような立場は尊重する。しかし、石川の「立場」は、上述の通り論理的に崩壊しており、特に自衛隊に対する無責任さ、それに対する卑劣なただ乗りの極限的形態が露呈している。恥を知らねばならない。

 

 井上達夫の「安全保障をめぐる論議憲法解釈論に話がすり替わってしまって話が進まない」という話は、まったくもってその通りであると思った次第。

 これまで恐らく四面楚歌で孤軍奮闘して来たであろう百地のほうが議論慣れしていて、きちんと建設的な議論をしようとしているようにさえ見えた。

 憲法学者たちにひと欠片でも廉恥の心があるのなら、石川のような議論は積極的に排撃されるべきである。

 

Nスペ:変貌するPKO 現場からの報告

 『自衛隊のリアル』の著者、瀧野隆浩さんが強く薦めていた番組だったので観たが、観ていて比喩ではなく胸の苦しくなる番組だった。以下、備忘を兼ねてメモ。

 南スーダンの首都ジュバにPKOとして派遣された自衛隊の知られざる記録。当初、新国家建設のために道路付設などで貢献していた自衛隊だったが、途中から政府軍 vs 反政府軍の間の内乱に巻き込まれ、あげくの果てには宿営地を挟んで政府/反政府軍が対峙し(発砲・砲撃し合い)、あわや犠牲者が出るところだった、という話。隊員がその時とっさに手帳に記した遺書が生々しかった。

www6.nhk.or.jp

 「専守防衛」(一発撃たれてからしか一発撃たない)を旨とする自衛隊が出向いてゆくべき場所だったのか?という隊員の問いかけ。

 上記の事件の際、自衛隊の宿営地に隣接したトコにいた中国軍は2人犠牲者を出している。中国は、そのことをテレビ?で流している。中国のほうが情報公開している??

 オランダのPKO。国防予算を使い、人的犠牲も払うことに対し、何故わざわざ遠く離れたアフリカでそんなことをする必要が?という批判も。そのため、オランダ政府はPKOの情報を完全に公開し、国民の議論を喚起しようとしている。オランダ軍将校の「PKO(平和維持)と言いながら、そこには維持すべき平和は無かった」とのこと。オランダの政府関係者の会合での議論で「アフリカのならず者ども達のために何故、我々がこんなに苦労しなければならないのか」という趣旨の発言があったのも印象に残った。

 

 以下、雑感。9条および関連法規の下で自衛隊をこのようなPKOに出すのは非人道的では?出すなら9条改正(2項削除+「自衛隊=軍」として明記+76条改正=軍事裁判所設置)をすべきだし、でなければ出さないべきでは?

 憲法の国際協調主義に即し、国際的責任を果たすためにPKOに派遣しているワケだが、コレが本当にやらなければならないものなのか、疑問無しとしない。

  ちょうど以下のような記事も。

 また、下記のようなものも見つけて読んだ。 

 上記に関しては、国立国会図書館の『レファレンス』 に以下のような論文も。

 ■「防衛省・自衛隊のメンタルヘルス対策」NDL『レファレンス』

 

 

猿の軍団/indigo

 突然思いだして何だったっけ?となるものの記憶の外化。私にだけ関係あることなので、ひっそり更新。


猿の軍団 op

 この「猿のぐんだ~ん♪」と「猿だっ、猿だっ、さぁーるーだー♪」という下りが時々、突然アタマの中に降りて来て、コレなんだっけ??となるんだよな。

 改めて調べてみたら以下の通り。

『SFドラマ 猿の軍団』(エスエフドラマ さるのぐんだん)は、1974年10月6日から1975年3月30日までTBS系で毎週日曜日19:30 - 20:00に全26話が放送された、円谷プロダクション製作のSF特撮テレビ番組。

SFドラマ 猿の軍団 - Wikipedia

  私が一歳~二歳の間に放映されてるんで(しかも当時は未だビデオ無いのでは?)、まず観てないんだけど、この曲だけは覚えている。家族で車でドライブしている時とかに掛かっていたと思うんだよね。

 家族でドライブしていた時になにげなく流れていた曲というのは本当に良く覚えているもので、以下のものなども、それ。 

Indigo

Indigo

 

 INDIGO(1985年2月25日発売):Rainbow signal / 恋愛狂時代 / Boy friend / シャンペンと地動説 / Milky way / 星化粧ハレー / Bloomin' blue / 恋のDouble fault / デミアン / 雨のSentosa / 星/導/夜


「星化粧ハレー」 Hi Fi Set

 この中に入っている曲で一番有名なのは、間違い無く当時カネボウの化粧品のCMに使われた「星化粧ハレー」なんだけど、十一歳の時のものか。東京に出て来てから随分長い間、忘れていたんだけど、四十歳近い或る日、突然アタマの中でこのアルバムの曲が鳴り響き、Hi-Fi set の曲ということだけは覚えていたので検索し、AmazonでCDを買った。

 聴いたら、二十年以上前が奔流のように甦ったような気さえしましたね、ええ。ただ、このアルバム、マイナー過ぎてカラオケにはほとんど入っていない。まあ、デンモクにあったとしても、ちょっと難しすぎて歌えないのではあるが。どれも歌詞がブッチぎれていて本当に好き。好天からにわかにかき曇り風が強くなると「雨のsentosa」がアタマの中で鳴り響きます。

 

 以上。

毎日新聞・天皇発言に関する重大問題報道

 余りに驚き、しかる後に暗澹たる気分になったのだが、以下、重大な問題なので備忘を兼ねて書き付けておく。

 5月21日、毎日新聞に以下のような記事が掲載された。

 記事の内容は、退位を巡る有識者会議で保守系の専門家から「天皇は祈っているだけでよい」といった意見が出たことに対し、「陛下が「ヒアリングで批判をされたことがショックだった」との強い不満を漏らされていたことが明らかになった。陛下の考えは宮内庁側の関係者を通じて首相官邸に伝えられた。」というもの。

 この他にも天皇自身の言葉として、「一代限りでは自分のわがままと思われるのでよくない。制度化でなければならない」・「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」などといった政府方針に対する不満が示されたという。

 更に「陛下の生き方を「全否定する内容」(宮内庁幹部)だったため、陛下は強い不満を感じたとみられる。」との記述もあった。なお、【遠山和宏】名の署名記事。

 

 これに対し、翌22日、朝日新聞の記者が、自らのtwitterで「宮内庁の西村泰彦次長は22日の会見で、毎日新聞の報道を「陛下のご発言事態が存在しない」と全面否定しました(原文ママ)」とtweet。

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 その後、同日夕刻頃になって、共同通信産経新聞より、上記を追う以下のような記事が掲載される。

毎日新聞の陛下発言報道を否定 「事実ない」と宮内庁次長

共同通信 2017/5/22 18:22

 天皇陛下の退位を巡る政府の有識者会議のヒアリングで、保守系の一部専門家から「天皇は祈っているだけでよい」などの意見が出たことに、陛下が不満を漏らしたと毎日新聞が報道したことについて、宮内庁の西村泰彦次長は22日の記者会見で「陛下が発言をされた事実はない」と否定した。

 毎日新聞は21日付朝刊で「陛下 公務否定に衝撃」「『一代限り』に不満」との見出しで報道。保守系の専門家の指摘に、陛下が「批判をされたことがショックだった」と話したことなどを紹介した。

 毎日新聞社は社長室広報担当名で「十分な取材に基づいて報道しております」とのコメントを出した。

 毎日新聞の陛下発言報道を否定 「事実ない」と宮内庁次長 - 共同通信 47NEWS

宮内庁、毎日新聞「陛下 公務否定に衝撃」報道を否定 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

 

 上記の宮内庁次長による会見が事実であるなら、これはかつて朝日新聞が行って大問題になった伊藤律会見報道事件(昭和三大誤報の一つ)も霞む・・・というか比にならないくらいの、重大問題なのではないだろうか。

 

 追記。明けて5月23日の段階になっても上記以外の続報が無く、驚くと共に困惑している。何故このような重大な問題について議論が無い???

 

 今回の記事は、言うまでもなく2つの問題を孕んでいる。

 

1.仮に天皇発言が事実の場合。このような形での意思の表明は、憲法との関係で極めて重大な問題を惹起する可能性がある。最近、「陛下の御心は」などと天皇発言を自らの政治的立場を正当化するための道具として用いようとするトンでもない左派(皇道派リベラル?)が湧いて来ており唖然としているのだが、今回の件を自らの政治的立場への援軍として奇貨とする者たちには、お前たちが言い募る「立憲主義」とやらは一体何なのか、恥を知れと言いたい。

 

2.仮に天皇発言が事実でない場合。要するに捏造というコト。特に右派は、ココで激怒しないでドコで激怒するの?という水準の問題。上述の伊藤律会見捏造事件では、朝日の担当記者・支局長・編集局長が辞職・解任などに至ったが、今回の件に関して毎日新聞は、どう落とし前をつけるのか?そして、本件のような重大極まりない問題について何の議論も喚起しないマスコミとは一体何なのか?

 

 にしても、これまでの天皇の極めて慎重な姿勢と余りにも懸け離れた内容で、にわかに信じがたいというのが率直な感想。今回の件で、色々なタガが吹っ飛んでいると感じ、慄然とした。

 

 追記:その後、上記の件については何らの目につく報道もなく、ほとほと呆れ果てていたところ、以下のような記事が6月1日に出た。

www3.nhk.or.jp

 昨年(2016年)8月の件についてであるが、何を今さらの感しかない。本件についても忘れた頃に何か言い出すのであろうか。